その152:孔雀はソロモンの空を飛ぶ その10

 網膜に突き刺さる濃青の空。その光を無遠慮に乱反射する海面。

 鷹羽二飛曹は航空メガネを外し目を拭った。海面を見張り続けると目が焼けそうになる。


「上から被さられたらやっかいだな……」


 ちらりと上空を見上げ鷹羽二飛曹は独りごちた。


 断雲が所々に浮いてはいる。

 海面を見張るためには雲の下にでなければならない。

 よって、高度はあまり取れない。


 合計4機の雷電が強制冷却ファンの金属音を奏で、高度2000メートルの空を飛行している。

 鷹羽二飛曹と鷲宮二飛曹のペアはその内の2機だ。

 海軍では3機小隊の編成から、4機編成、実質2機のペアによる編成に移行していた。

 搭乗員の人数増加に伴う錬度の低下。そして指揮官となる士官の不足が原因だった。

 下士官搭乗員の積極的な昇格は行われていたがそれだけで解決する問題でもなかった。


「そろそろか……」

 

 宴会が出来るといわれた雷電の操縦席で鷹羽二飛曹はつぶやく。

 ブイン基地離陸し1時間近くが経過している。

 燃料計をちらりと視界にいれる。問題はない。


 凪いでいるといっても細かな波が作る光が刃のように突き刺さってくる。目が痛かった。

 会合予定の海域はそろそろ視界に入ってくるはずだ。鷹羽二飛曹は思う。

 ブイン周辺は機雷の心配はない。

 米軍が物資輸送の要となるラバウル、トラックへの敷設を中心としているからだ。

 ただ、ガダルカナルからの航空攻撃の可能性はある。

 連日の航空撃滅戦で米軍側の攻撃が低調になりつつあると入っても油断はできなかった。

 そのため、会合地点はブイン基地からかなり距離を空けているわけだ。

 更に基地に整備された電探が敵の奇襲を不可能にしているはずだった。



 クンッと小隊指揮機がバンクを振った。

 それと、同時だった。


「あれか、空母は」


 鷹羽二飛曹は海面を見やって言った。

 青い海に真っ白な航跡ウェーキーが見える。

 艦隊というには大げさであるが、空母を中心とした護衛艦艇の航跡だった。

 空母の周辺には護衛と思しき艦艇が輪形陣を形成していた。


「駆逐艦か? なんだか、随分と……」


 鷹羽二飛曹は空母を囲む艦がずいぶんカクカクした形に見えた。

 子どもの工作したような船に見える。

 見慣れた駆逐艦とは随分と違ったように見えた。


 彼は瞬時に頭を切り替える。どのような船が護衛についていようが関係ない。

 自分は自分の職分を果たすだけだからだ。



 緩い降下で雷電は艦隊に近づく。

 艦影がはっきりと見える。

 カマボコ板のようなぺタっとした空母だ。マストまで横に倒れた状態だ。

 前部エレベータの後ろにはびっちりと航空機が搭載されている。


 雷電の編隊は速度を落とし艦隊上空に出る。

 バンクを振って、味方であることを知らせる。

 空母の方も味方機がくるのが分かっているようで特に緊張感もなく航行をしていた。

 味方であることを了解した信号旗が倒れたマストの先端に移動していく。


 もし、ガダルカナルからの攻撃があれば、基地から無電が飛んでくる。

 まず警戒すべきは潜水艦だった。

 ソロモン海ではアメリカの潜水艦はかなり脅威になりつつある。

 作戦行動中の商船だけではなく、戦闘艦艇に被害が出始めている。

 魚雷の不発が多いという話は今でも聞くが、全部が全部爆発しないというわけでもない。

 しかも、行動している潜水艦の数が相当数になるだろうと見積もられていた。


 鷹羽二飛曹は翼を傾け海面をみやる。

 こちらが見る角度が深ければ、南洋の日差しが透明な海に突き刺さる。

 幸いにして海面の透明度は高く波は高くない。


「春日丸か…… あ、今は大鷹だったか」


 事前に聞かされていた話を鷹羽二飛曹は思い起こす。

 今回ブインに輸送任務についているのは、ソロモン方面の航空機輸送の中核となっている改造空母だった。

 基準排水量1万7800トンは中型空母並みだが、いかんせん商船改造空母だ。

 速度は21ノット、搭載機数の定数は30機にも満たない。

 ただ、航空機輸送という任務に限れば80機以上の輸送も可能だった。


 飛行甲板にはびっしりと航空機が並んでいる。とても飛べるような状況ではなく分解梱包されているようだった。

 ただ、遮風板の前には何機かの機体がならんでいる。


「あれ、雷電か?」


 艦首付近に並んでいるのはどうみても太く翼も小さい。

 上空から見ると砲弾に翼をつけたようなフォルムだ。


「あれが、30ミリ載せた雷電じゃないか」


 この高度からでは武装までは判然としない。

 しかし、鷹羽二飛曹はなんとなくそんな気がした。


 甲板作業員が雷電の周りで作業を開始する。

 移動された雷電にはすでに搭乗員が乗っているようだった。

 ゆっくりと移動し機首を艦首に向け、停止した。


(おいおい、この距離で発艦するのかよ――)


 飛行甲板の先端まで20メートルも無いような感じだ。

 ベタ凪というほどではないが、風も強くはない。

 そもそも、大鷹の最高速度は20ノットそこそこだ。

 合成風力を得たとしても、20メートルで発艦できるものではない。

 軽い零戦ですら無理な距離だ。


(一体何をやってるんだ)


 鷹羽二飛曹が訝しむように空母・大鷹をみやる。

 ぞろぞろと、甲板作業員が退避していく。

 雷電のペラが回転を始めていた。

 そして、雷電はまるで、みえない巨人が弾いたかのように飛行甲板を滑る。

 一気に加速して、南海の空に放り出された。

 一瞬、太く頑丈そうな機体は沈み込む。

 打ち出された雷電はやや傾いていた。

 

 1800馬力を誇る大馬力火星エンジンのトルクが強烈なのだろう。

 ただ、徐々に機体の姿勢を取り戻す。

 低空から、機首を上げる。高速回転する強制冷却ファンの金属音の尾を引いて緩やかな上昇を開始する。

 

「なんだあれ?」


 目の前に展開された光景に鷹羽二飛曹は呆然として声を上げる。

 カタパルトと言う存在は知っていたが、それは水上機を打ち出すもので、空母に搭載され今のように運用されるなど思ってもいなかった。

 いつもなら、事情を説明してくれる鷲宮二飛曹は、列機として飛行中だ。

 しかも、無線は現在こちらからの発信は封止中。「受信」のみとなっている。

 

 一体なんなのだと思っている鷹羽二飛曹の耳に編隊長からの声が響く。


『大鷹は、組み立ての完了している機体から射出機で発艦させ後、泊地に向かう』

 

 無電の状態は悪くない。声は明瞭に聞こえた。


「射出機? あれがかぁ」


 低速の商船改造空母に射出機を取り付けた意味までは鷹羽二飛曹には分からない。

 彼の任務はそれを考えることではない。

 海上の見張り。上空の見張り。

 大鷹を中心とする空母の上空警戒が任務のだから。

 鷹羽二飛曹は思考を切り替え、上空をみやる。

 相変わらず、雲量は多くはないが、雲に紛れた敵機に先手をとられたらという思いが晴れない。


「空は基地の電探に任せるといってもなぁ……」


 海上の潜水艦警戒のため、高度を下げている飛行を継続している。

 電探を信用しないわけではないが、頭の上のところどころを塞ぐ断雲は気になってしかたない。


「ん……」


 輪形陣を囲んでいた護衛艦――

 おそらくは、駆逐艦だろうか?

 そのうち一隻が輪形陣を離れ急速に舵を切っていた。

 丸めた青いセロファン紙の上に塩をまいたような航跡を引いて駆逐艦が進んでいく。


「なんだ?」

 

 鷹羽二飛曹はその艦の動きの先を見やる。

 凪いだ海面は透明が高い。キラキラと陽光を反射する海面を目を細めて見つめる。

 海面で薄っすらとぼやける様な色の変化を見せている場所を見つけた。


「あっ!」


 鷹羽二飛曹は反射的にフットバーを蹴飛ばし、機首を強引に捻じ曲げた。

 過速にならぬように注意し緩降下を行う。

 雷電は翼を傾け鷹羽二飛曹に海面の視界を提供する。

 宴会のできるといわれる広い操縦席から、紺碧の海をみやる。目をこらす。


 海面下に滲むような影が見える。

 クジラ――

 な、わけがない!


「潜水艦! 敵潜水艦!」


 鷹羽二飛曹がそう判断下のと同時に――

 編隊長機からの攻撃命令が電波に乗って耳朶を打った。

 無線封止が解除された。


        ◇◇◇◇◇◇


 無線を封止する意味はもうなかった。

 潜水艦に狙われている時点で、空母の位置はすでに敵に知れているのだから。


「3番4発たって…… まともに訓練してねぇぞ」

 

 雷電は今回の直掩に3番(30キログラム爆弾)を4発搭載していた。

 通常6番(60キログラム爆弾)を両翼に1発づつ搭載可能な爆弾懸吊架を装備していた。

 ただ、今回の任務に当たってかどうかしらないが、爆弾懸吊架は新しいものに変更されていた。

 それで、3番であれば4発の搭載が可能となっていた。

 ただ、搭載できることと、それを命中させることは全くの別問題だった。


 それでもグダグダ文句を言うのは職務ではない。

 与えられた装備で結果を出すのが、自分たちの任務であると鷹羽二飛曹は思う。

 

 スロットルを叩き込む。超絶的な加速力を誇る雷電が弾かれたように空を切り裂く。

 強制冷却ファンの奏でる硬質の金属音が雷鳴のように響く。


『輪形陣から3000か―― あっ! 撃ちやがった』

『魚雷だ!』


 鷲宮二飛曹の声に鷹羽二飛曹も応えた。

 魚雷だ。

 黒い影から白い航跡が伸びる。

 爆発しないとバカにされてきたアメリカの魚雷だが、最近は改善の傾向がみられている。

 続けざまに、扇形の角度をもって連続して発射される。

 海面下の高性能炸薬を仕込んだ殺し屋たち――


「うぉぉぉ!!」


 鷹羽二飛曹と鷲宮二飛曹は、突っ込みながら20ミリ機銃を叩き込む。

 海面に小さな縫い目のようなしぶきを上げるが、水面下の潜水艦に届いているとは思えない。

 機銃は爆弾の射点を調整するためのものだった。

 ろくすっぽ訓練はしていないが、とにかく叩き込むしかない。


 海面に機銃のものとは比較にならない水柱が立った。それでも比較の問題でささやかな大きさのものだ。

 別小隊の2機が先に爆弾を投下したのだ。

 ただ、それは海水を攪拌しただけで、潜水艦の影はどんどん朧になっていく。

 海面に泡が起きる。

 急速潜行しているのだ。

 もう、猶予がない――


 鷹羽、鷲宮の二飛曹は爆弾を投下した。

 緩い放物線を描き、水面に突っ込んだ爆弾は爆発した。

 

『くそ、ダメだ』

『空母は? 空母はどうなった?』


 機首を切り替えし、空母に向ける。

 すでに空母を含む輸送艦隊は回頭していた。

 4本ある白い航跡のうち3本はあきらかに外れていた。

 残りの1本が危ういラインを交差しそうだった。


 先に爆弾を投下して編隊長機と僚機が海面に向け20ミリを放っていたが効果がありそうになった。


 そのとき凄まじい爆発音が響いた――

 魚雷命中――

 ではない。空母は航行している。

 白い航跡を辛うじてかわしそうだった。

 では――

 いったい?


 鷹羽二飛曹は後方を見た。

 対12.7ミリ機銃を想定し装甲板に守られた後部。

 その隙間から辛うじて後方が見えた。

 無数の水柱が水面からゆるゆると天に向かって伸びていた。


「なんだあれ?」


 鷹羽二飛曹は乾いた口の中でつぶやくように言った。


 それは、戦時急増された丁型駆逐艦が装備する「15連装噴進爆雷」の攻撃であった。

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