その151:孔雀はソロモンの空を飛ぶ その9

 ソロモンの最前線、ブイン基地――

 搭乗員にとって、そこは南海の激闘の最前線だ。

 日米の航空戦力が欧州では想像の埒外にある遠距離殲滅戦を行っている場所だった。

 欧州では100キロメートルも離れていたら遠距離攻撃なのだ。

 その5倍以上の距離、しかも島嶼と海洋の戦いを繰り広げていた。


 ブイン基地からは連日、零戦と陸攻の戦爆連合がガダルカナルに攻撃に向かっている。

 気象条件が許すならばだ。

 鷹羽二飛曹は、零戦と陸攻の戦爆連合を見送っていた。

 今日もガダルカナルを目指し飛んでいく戦爆連合だ。


「雷電」乗りの彼はそれに付いていくことはない。

 任務が違う。彼の任務は、ブイン基地に攻撃に来た敵機を叩き落すことだ。

 先日も30機近いB-17の編隊からブイン基地を守りきった。

 部隊には感状が出たし、清酒の差し入れもあった。


 ただ、ここ数日B-17は少数機による夜間攻撃を行うだけで、大規模な空襲は仕掛けてこなった。


「模擬空戦してぇなーー なんで嫌がるんだろうなぁ」

 

 鷹羽二飛曹は飛び立つ零戦を見やって言った。

 搭乗員待機室からは、突き抜けるような蒼穹むけ上昇していく零戦の姿が見える。

 美しい機体だと思うが、その想念を振り払い「雷電の方がカッコいい」と強く思う。


 飛行隊長を通し、ブインの零戦隊に訓練を兼ねた模擬空戦を申し込んでいるのだが、返事は芳しくない。

 鷹羽二飛曹は「雷電から逃げている」と思っていた。

 

「貴様の操縦の荒っぽさは有名だからな―― 雷電隊にオマエがいる時点でその話無いだろ」

 

 同じく待機所にいた鷲宮二飛曹が言った。

 彼も雷電乗りだ。鷹羽二飛曹の同期であり、長いこと僚機となってペアを組んでいる。


「逃げてんだよ」

「俺が恐いのか? 雷電が恐いのか?」

「まッ、それよりも、貴様の無茶につき合わされるのは真っ平と思ってんじゃねぇか」


 鷹羽二飛曹は横目で鷲宮二飛曹を見やる。

『貴様だって相当なもんだろうが、無茶苦茶な荒っぽさは――』と思ったが口には出さなかった。

 確かに、自分も鷲宮二飛曹も荒っぽいというか、無茶苦茶な機動を仕掛けることで有名であった。


 空に上がると何をしでかすか分からない――

 というのは、ブイン基地搭乗員たちに共通認識だ。


 零戦時代は――

 整備員泣かせだったのだ。ふたりとも。

 整備員に「どう飛べばこうなるんですか?」というくらい主翼のビスをふっとばし、外板を歪ませたものだった。


「そうかぁ、模擬空戦は参考になると思うんだがな、米軍にも高速機が出てきたって話だろ?」

「ああ、シコルスキーとかぺロハチか?」


 シコルスキーはアメリカ海軍の「F4U戦闘機」のことであり、ペロハチとはアメリカ陸軍の「P-38」のことだった。


「そう、それな――」

「だって、奴らその新鋭機を全然問題にしてねーもん」

「最近は結構やられているじゃねーか」

「まあ、勝ってはいるが圧倒的ってほどじゃないな…… 確かに」


 実際、零戦隊は空戦には勝利していた。

 ただ、それでも損耗は避けられない。戦闘以外の自然損耗も多いのだ。

 しかし、損耗による戦力補充、搭乗員の消耗を避ける対策はなされていた。


 だからこそ、圧倒的な無尽ともいえる物量を誇るアメリカ相手にソロモンで膠着状態を生み出しているのだった。


「やっぱ、零戦と雷電の模擬空戦訓練は良いと思うんだがな――」

 

 確かに高速性能の重点をおいた雷電はアメリカ戦闘機に設計思想は近い。

 しかし、鷹羽二飛曹はそんなことではなく、模擬空戦で雷電の最強を証明しただけだった。

 理由なんてどうでもいいのだ。


「対策とかより、無茶やる奴と訓練して機体壊されるほうを避けたいんだろ」

「そうかよ……」


 胸のうちを見透かされたような鷲宮二飛曹の言葉だ。 

 鷹羽二飛曹は「そうかよ……」というのが精一杯だった。


 このアメリカの新鋭機すら、猛者ぞろいのブイン零戦隊は「空戦」に関しては問題にしていない。

 被害は出ているが、実際優位に戦っているのだ。


 ブインでは一定数の熟練搭乗員を確保していることもあるだろう。

 また、体調の管理がきちんとなされて、無理をさせない形になっている。

 後方基地であるラバウルで休養をとらせるという「実戦→休養→訓練→実戦」というローテンションが確立できているもの大きい。

 

 苦闘の続いていると聞くポートモレスビーであるが、そこを日本軍が占領しているのが大きかった。

 ラバウルがほぼ後方基地となっている(アメリカ軍が無茶な奇策を使わない限り)ため、搭乗員のやりくりができる。

 

 とにかくだ――


 ブインの零戦隊には、相当数の未熟練者も送られてきてはいる。

 しかし「戦闘機隊」としての戦力低下は顕著に見えていない。


 しかもだ――


 操る機体が、未熟練者でも使いやすい零戦53型というのも大きい。

「雷電愛」の鷹羽二飛曹にしても、その点は認めざるを得ない。

 彼に言わせて見れば「雷電はプロの乗る戦闘機だ」ということになるだろうが。


 零戦53型が、1943年春において「最強」と言っていい戦闘なのは厳然たる事実だ。

 少なくともソロモンの空で、零戦と優位に戦える機体はアメリカ軍にはない。


 零戦は太平洋戦争開始時の21型とは全く別物の戦闘機となっていた。


 中高度で1,300馬力以上を叩き出す金星エンジンの搭載。

 そして防弾装備と武装の充実による重量増加。

 新型の九九式20ミリ二号機銃×2門と、陸軍と装備統一された12.7ミリ機銃を装備している。


 しかしだ――

 余分に生まれた馬力はせいぜいが200馬力。

 当然、代償はあった。

 

 海軍の主力戦闘機である「零式艦上戦闘機53型」は航続距離を減らしていた。

 だからこそのブイン基地ではあった。


 最前線として――

 アメリカ軍をして「ソロモン航空要塞」と称される大日本帝国の外郭防衛陣地だ。


 ブインとガダルカナルの間は540キロメートル。

 空中戦闘能力の向上と引き換えに航続力を落とした零戦53型でも問題なく護衛任務が出来る距離だ。 


「雷電でもガダルカナルまで行けるのか……」


 不意に鷹羽二飛曹が言った。


「行くだけちゅーなら行けるな」


 揶揄するように鷲宮二飛曹が答える。


「帰りは?」

「落下傘降下して、陸戦隊と合流だな」

「ああ、ガ島にいる特殊部隊か?」

「そう」


 ガダルカナルに日本海軍陸戦隊から特殊部隊が送り込まれているという噂は鷹羽二飛曹も知っていた。

 これはおそらく本当だろう。

 でなければ、あれだけ早期に、敵機のブイン空襲の情報が得られるはずもない。

 電探だけでは説明はできない。 

 しかし、陸戦隊はともかく、鷹羽二飛曹には機体を捨てる作戦など許容できない。


「落下傘などなしだ」

「自爆か?」

「アホウか、往復でるかどうかだよ。雷電で」

「ああ、あの話か……」

「そうだよ、あの話だよ。本当なのか?」


「あの話」とは、鷲宮二飛曹がどこからか仕入れてきた話のことだ。

 雷電の武装を30ミリ機銃(それは機銃なのか?と鷹羽二飛曹は思っているが)2門に改造した機体でガ島の地上銃撃を行うという話だ。


「確かだ…… と、思うがな――」


 ポリポリとあごをかきながらすっとぼけた声で鷲宮二飛曹は言った。


「しかし、相変わらずのB-17相手の邀撃と哨戒任務だけだしな――」

「そそろそろだろ」


 鷲宮二飛曹はしれっと言うと、懐からタバコを出し、紫煙を揺らしだした。

 当然、鷹羽二飛曹にも一本渡す。


「しかしなぁ…… 540キロあるだろガ島まで」

「雷電の航続距離が…… 確か1000ちょいだろ?」

「内部燃料だけならな」

「ああ、増槽かぁ――」


 鷹羽二飛曹はざっと頭の中で計算する。 

 確かに増槽を吊っていけば、なんとかガダルカナルとブインの往復はできるだろう。

 直線距離で540キロメートル、約290海里だ。

 戦闘はどうか? 

 

「空戦している余裕はほとんど無いだろうな」

「だから地上銃撃なんだろう」

「雷電で低空の地上銃撃か――」


(何か、特定の目標でもあるのか? 爆弾で狙えないような目標が)


 ふと、そんなことを鷹羽二飛曹は思った。


        ◇◇◇◇◇◇


「あら、搭乗員割りが変わってるじゃないか」


 鷹羽二飛曹は言った。

 その日の哨戒飛行の搭乗員の中に、自分の名が無かった。ちなみに言えば、鷲宮二飛曹もだ。

 他にも何人かの名前が抜けていた。

 

 首をひねっていると、鷹羽二飛曹と鷲宮二飛曹のふたりに司令部に来るようにとの命令があった。

 ふたりは「なんじゃいな?」と思いながらも、司令部に向かった。


 司令部といっても建物は大きな丸太小屋みたいなものだ。


「鷹羽二飛曹入ります」

「鷲宮二飛曹入ります」


 声をあげると、中から許可の返事が返ってきた。

 ふたりは中に入る。

 中には雷電隊指揮官の小福田大尉と、飛行長、副飛行長のお偉いさんがいたのだ。


「貴様ら、今日は空母の直掩に飛んでもらう」


 小福田大尉が強い口調で言った。

 質問すらしがたい空気の口調だった。


 それでも空気を読まないし、読めないのが鷹羽二飛曹だ。


「上空直掩ですか? 空母の?」

 

 鷹羽二飛曹は、なんとも変な話だと思ったのだ。


(自分で飛行機飛ばせばいいだろ? 空母だろ?)


 そう思った。

 

「空母大鷹だ。まあ、空母といえば空母だな―― ただ、今のところ輸送任務についている」

 

 空母は商船改造空母だ。

 開戦当初は龍穣と第四航空艦隊を作っていた。

 しかし、龍驤がフィリピン攻略作戦に投入されたのに対し、大鷹はずっと航空機輸送にいそしんでいる。

 開戦時もマーシャル方面に航空機の輸送を行っていた。


 21ノットがせいぜいの改造空母では空母航空戦への投入は難しかったからだ。

 アメリカ軍が大鷹よりも鈍足の護衛空母を、なんとか最前線で運用できているのはカタパルトがあったからだ。

 ただ、そんなことは、少なくとも「今の」鷹羽二飛曹、鷲宮二飛曹には関係ないことだった。


「ラバウル湾の機雷が危険なので、急遽ブインまで来ることになった。本来はラバウルに陸揚げして、空路輸送する予定であったが」


 小福田大尉の説明によると、トラック、ラバウル周辺海域でアメリカの潜水艦の跳梁が激しいらしい。

 ただ、その攻撃が機雷をばら撒くというなんとも、姑息な方法であり、しかし、その姑息な方法によって、ラバウル、トラックでは掃海艇部隊がてんてこ舞いしているとのこと。


「掃海しても、また爆雷を散布する―― いたちごっこだ」


 というわけで、比較的機雷散布の恐れの無い、ブインに機体を送り込むという話になったのだ。

 

「まあ、ほとんどが、ここの機材補充だ。問題はない―― 

 それにだ」


 小福田大尉は言葉を切って、鷹羽二飛曹、鷲宮二飛曹を見やる。


「大鷹には貴様らに乗ってもらわなければいけない機体もあるからな。それに、増槽をつけた場合の雷電の航続距離試験の意味もある――」


 着たのだ――

 新型雷電だ。

 30ミリ機関砲装備の新型雷電が空母に搭載され、ブインに運び込まれようとしていた。

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