その150:孔雀はソロモンの空を飛ぶ その8

「方位南南西、高度六○(ろくまる)、B-17、約30機」


 鷹羽二飛曹の耳には、敵機情報がマイクを通し鮮明に聞こえていた。

 ソロモン戦線の最前線ブイン基地では空襲警報のサイレンが鳴り響いている。

 無線電話の性能は格段に良くなっていた。


 邀撃待機中だった、鷹羽二飛曹は雷電の「宴会のできる」と言わしめた広い操縦席に座っていた。

 僚機の鷲宮二飛曹も同じだ。


(なんとも、仕事熱心なことだ。アメちゃんも)


 アメリカ人の仕事熱心さと執念を一番よく知っている日本人が集まっているのがブイン基地だろう。

 しかし、勤勉なことでは日本人も負けない。

 鷹羽二飛曹もこれから熱心に仕事をすることになる。

 B-17、30機にもれなく20ミリ弾を叩き込み、撃墜するだけの仕事だ。


 ブインとガダルカナルの間では連日、激しい航空戦が行われていた。

 天気がよければB-17がやってくるのは当たり前だ。

 そして、こちらからも戦爆連合を送り出している。


(今日も悪くない――)


 鷹羽二飛曹は雷電の操縦桿を握りしめ、あるかなしかの笑みを浮かべていた。

 誰かが見れば、これから命のやり取りをする人物の笑みとは思えななかったろう。


 1800馬力を叩き出す火星エンジンが甲高い唸り声を上げる。

 すでにエンジンは始動している。

 強制冷却ファンの金属音がまるで強馬力を担保する叫びのようであった。

 青白い炎が推力式単排気管から吐き出される。


(筒温がまだ低いが―― まあ、いける)


 スロットルを叩き込みエンジンの回転数を上げる一気に針が跳ね上がり900回転に迫る。


「上等だ。ご機嫌じゃないか、雷電」


 猛り狂う雷霆のごときエンジン音――

 ブインに配備されている12機の雷電の全力出撃だった。


 無線のマイクはスイッチはONのままだ。

 続けざまに刻々と変化する敵機の方位、距離、速度、高度が耳の中に流れ込んでくる。

 ちょっと前までは警報サイレンの中メガホンで伝令が叫びまくっていたのだが、科学の進歩というのは凄い――

 鷹羽二飛曹はそんなことに感心してた。

 

(しかし、毎度敵機の情報が詳細だ。しかも正確―― )


 ガダルカナル島に反攻拠点を作り上げていたアメリカ軍と血みどろの航空撃滅戦を実施中だった。

 どうも、そのガダルカナルに陸戦隊の特殊部隊が上陸しているらしい――

 これも同期の鷲宮二飛曹から仕入れた話だ。彼はその手の情報をどこからか持ってくる。

 

(そういえば、30ミリ機関銃装備の雷電の話はどうなってんだろうな――)


 ふと、鷲宮二飛曹から聞いていた話を思った。

 30ミリ機銃装備の雷電でガ島の飛行場を掃射するという話だ。

 ただ、瞬時に鷹羽二飛曹は頭を切り替える。

 将来のことよりも、今ある脅威の排除が優先されるべきだからだ。


(コンディションは悪くない)


 鷹羽二飛曹は、指揮所の吹流しを確認。だらりと垂れ下がり微動だにもしていない。

 全く持って無風。風は気にすることは無い。


 一度ペラの回転数を落とし、チョーク(車止め)を整備員に払わせる手信号を送る。

 熟達の動きで整備員が動いた。


 先行機がガタガタと動き出す。

 鷹羽二飛曹もスロットルを押し込む。


 雷電がガタガタと進み出す。


 設計過程で半層流翼的な翼の採用も検討されたが、結局採用に至らなかった。

 設計主務者であった堀越二郎氏の「そんなことしたら、失速特性が最悪なるだろうがぁぁ! アホウかぁぁ!!!」という絶叫で完全否定。

 そもそも、堀越二郎氏は、層流翼の効果なるものを全然信じていなかった。

 そんなよく分からんものを、己の「傑作となるべき機体」に採用する気などなったのだ。

 

 結果として――

 雷電は170kg/平方メートル近い高翼面加重の機体ながら、良好な離着陸性能を持っていた。

 着陸に関しては、あまりの軽量化と空理気的洗練ゆえにバルーニングが起きる九六式戦闘機より素直であったかもしれない。

 堀越氏は正しかったのだ。


 聨合艦隊の上の方から「層流翼は日本の工作精度の手に余る」として使用しない、お達しが出たのは、その後のことだ。

 

 雷電はブイン基地を次々と飛び立つ。

 鷹羽二飛曹、鷲宮二飛曹の機体も蒼穹に浮かび上がった。

 電動モータにより脚が仕舞い込まれる。


 1800馬力の火星エンジンが4翅プロペラを強引にぶん回す。

 生み出された強烈な推力に、ロケット式単排気管のパワーが加わる。


 背もたれに押し付けられるような雷電の強引な上昇が開始される。

 この上昇には馬力を強化された新型の零戦でも追従できない。

 いや、世界中のどの機体でも追従など不可能だ――


 熱帯の湿った大気を切り裂くように上昇していく雷電。

 高度計の針は「故障してるんじゃないか?」というくらいの速度で回転する。

 

 高度6000メートルまで6分足らずで上昇する。

 

 B-17のクルーにとって恐怖と死の接近だった――

 テリブル・ジャック――

 ブイン攻撃に向かうB-17クルーにとって悪魔のような機体が蒼穹を突き抜けていった。


        ◇◇◇◇◇◇


「高度8000か…… どんどん上がってきやがる」


 B-17は報告時点から高度を上昇させていた。

 敵情報は逐次報告が入ってくる。


(8000メートルからの高高度精密爆撃を行う算段だろうが、奴らの水平爆撃は妙に当たるからな……)


 B-17の搭載するノルデン爆撃照準機は、静止目標に対してはかなり高い命中精度を発揮する。

 日本で鹵獲されたノルデン爆撃照準機の評価試験は1943年の初頭に実施されていた。

 その命中精度の高さから複製が試みられているくらいだ。

 ただ、そのような細かいことを鷹羽二飛曹が知っているわけではない。


「墜せばいい、いや爆撃を阻止すればいい――」


 鷹羽二飛曹の呟きが酸素マスク中に流れ込む。

 アメリカ軍がどんな仕組みで――

 技量なのか機械装置なのか両方なのか、何で命中精度を上げているのか知らない。

 しかし、爆撃させねばいいことだ。


「お、哨戒機が先に喰らい付いてるか」

 

 敵編隊の姿が鷹羽二飛曹の目に入る。

 丁度、この時間に上空警戒を行っていた雷電がB-17に容赦なき鉄槌を浴びせていた。

 高初速20ミリ機関砲にによりすでに、1機の機体はエンジンから煙を吹き編隊から脱落していた。


(3群で相変わらずの密集編隊かい)


 鷹羽二飛曹はシューシュート音を立てる酸素マスクの中の空気を吸い込んだ。

 舌が痺れるような感覚があった。


「敵機27機確認―― これより攻撃はいる」


 続いてに無線電話により攻撃序列の命令が入る。

 コンバットボックスと呼ばれる密集編隊――

 難攻不落の空の要塞が旋回機銃の死角をカバーし合いながら飛んでいる。

 

 その複合要塞を全く問題にしないのが雷電だった。

 そのために生み出されたのが雷電だった――

 

 強武装と重防御と高速と高機動――

 重爆を殺すことこそが、雷電の使命であり、そのための兵器だ。


(相変わらず護衛機はないのか?)


 すでに多くのB-17が南溟の中に消えていた。

 しかし、アメリカ軍は爆撃のみの攻撃を続けている。


(ブインまでこれる機体がないか―― どうなんだ?)


 ブインとガダルカナル間は540キロメートル。

 航続距離の低下した零戦53型でも、十分に往復し戦闘が可能だった。


(あちらには、あちらの事情があるだろうしな…… それにしても、B公は頑丈だからな)


 鷹羽二飛曹はそう思いながらも、目標に定めたB-17に接近していく。

 スロットルを叩き込み加速。

 高速降下で一撃を加え、更に反転上昇し、20ミリの連打を与えるつもりだった。

 

『鷲宮、左翼内側を狙え、俺は外側で行く』

『分かった』


 鷲宮二飛曹は、無線電話で話す前にすでにそのような位置に機体をもってきている。

 B-17巨大な4発機であるが方翼のエンジンは接近している。

 それを別々に撃ち貫くというのだ――

 平然とその攻撃方法を口にして、実際やってしまうのが、このふたりの異常なまでの技量の高さだった。


 分厚い防弾がガラスの向こうにあるOPLの中に機体が入る。

 以前は視界を妨げて、取ってくれと懇願した防弾ガラスだ。

 しかし、今はそのありがた味が、鷹羽二飛曹にも分かっていた。


 ズルズルとその機影が大きくなってくる。

 アイスキャンディーのような12.7ミリ機銃の青白い火箭(かせん)が蒼空を焦がすかの様に吹っ飛んで来きた。

 曳光弾で空間が埋め尽くされるような射撃密度だ。

 風防を閉めていても、焦げ臭い空気が流れ込んできそうだった。


「ひゃははははは!! あははははッ! かまうかよッ!」


 酸素が足りてないのか、豪胆なのか、その両方なのか、鷹羽二飛曹はこの状況で爆笑していた。

 雷電は凄まじい速度で突っ込む。

 水平最大速度が330ノット(時速620km)を軽く超える高速インターセプターがB-17に喰らい付く。


 鷹羽二飛曹は機銃発射把柄を押し込んだ。

 太い20ミリ機銃の火箭がB-17の翼に伸びていく。

 鷹羽二飛曹の放った銃弾は翼のアルミ外板をバラバラと吹き飛ばした。

 そして、2連射目でエンジンを捉える。


 新型の高初速20ミリ機銃弾の連打に、エンジンが火を噴く。

 ただ、B-17の消化システムが作動し、炎が黒い煙と変わった。

 ただ、もうその1200馬力をたたき出すパワーユニットはB-17にとって死重になっていた。

 

 同時に内側のエンジンも撃ちぬかれ、片翼のエンジンが停止していた。

 B-17はずるずると編隊から引き離されていく。高度も落としていく。


「次だ!!」


 煙を吹き、高度を落とすB-17を追い抜くように2機の雷電が蒼空を突っ切る。

 そのまま、高速降下からの反転上昇という機動(マニューバ)を見せつける。


「ヘッドオンじゃぁぁぁ!! 頭を砕く!!」

「おうッ!!」


 二機の雷電はB-17編隊に対し真正面から突っ込んでいった。

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