その138:急転!ラバウル迎撃戦 南海の死闘・蒼空の熾戦 その14

『敵機接近中。距離10、高度40、0-1-0』


 岩本徹三少尉の耳には、敵機との距離と方位の情報が入って来る。

 戦闘指揮機からだった。その情報を伝える声は明瞭で雑音も少ない。

 無線の性能は以前とは比べ物にならないほど良くなっていた。


 情報を信じるならば、真正面、10キロ先に敵がいることになる。高度はほぼ同じだ。

 しかし、この敵情報が正確かというと、そうでもないのである。

 こちらの持っている電探では敵の高度を解析できなかった。

 空6号電探は、カタログ上では航空機を70キロ先で探知できる。


 Aスコープというブラウン管に映し出せる波形から距離を読み取る物だ。

 その反応が大きければ、大編隊だろうと当たりをつける。

 距離はスコープに刻まれたメモリで読み取るのだ。

 それほど精緻な距離が分かるわけではない。更に高度も分からない。


 シンプルだ。しかも、壊れやすいというデリケートな機械だ。

 

 そういった機械の未完成な部分を、とりあえず現場の運用と精神力と訓練でカバーするのが日本海軍の伝統なのである。

 高度の判定も、そういった工夫で行われている。

 4機の電探搭載機を別の高度で飛行させることで、大凡の高度を割り出しているのだ。

 三角関数を使って無駄に精緻な計算をするが、元々の数値が大凡なので、高度は大凡でしか分からない。


 距離も大凡なら、高度も大凡だ。

 訓練では半々くらいな感じで捕捉ができた。丁半ばくちのようなものだが、それでも闇夜を目隠しで戦うよりはマシだ。


「敵を捕捉さえできれば、いくらでも墜としてやるんだがな……」


 岩本少尉は呟いた。

 その呟きは、金星エンジンの爆音の中に消えていく。


 彼は、闇の中に何かを見たような気がした。その方向に双眸を向け、闇を解析するかのように見つめた。


「んッ」


 岩本少尉は正面やや左方向にチラチラと光る小さな光点を発見していた。


(星か? いや―― 違う)


 あれは人の操る機械――

 航空機だと彼は断じた。

 その瞬間、増槽を切り落とし、スロットルを叩きこむ。

 エンジン回転数が跳ねあがり、機体が急激に加速した。


『敵、同高度、3-5-0!』


 彼は無線のスイッチを入れ怒鳴るように叫んでいた。


 距離が詰まってくる中で、明らかにそれが航空機であることが分かった。

 それも間違いなく敵機である。こんなところを飛んでいる味方機はいない。


 彼はフットバーを蹴飛ばし、操縦桿を倒し、機体を鋭く旋回させる。セオリー通り後ろから一撃でやるつもりだった。

 闇の中、4機の機体をその視野にとらえた。敵機はなぜか尾灯を点灯させていた。


(こっちに気が付いてないのか?)


 尾灯の点灯――

 編隊を組む目印のためか?

 胸の奥に小さなとげが刺さったような違和感を抱きつつも彼は機体を突っ込ませる。

 ぐんぐんと距離がつまる。向こうはまるで気づいていないようだった。


 後方を確認。小町飛曹長の機体は見事に追従してきている。

 訓練通りだった。


 彼が前を振りむいたその時だった。

 チカチカと敵機が光った。

 岩本少尉は、反射的にフットバーを蹴っていた。

 達人の反応速度に後れることなく、零戦が機体を滑らせる。

 その黒い空間を青いアイスキャンデーのような曳光弾が引き裂いていた。


「艦爆か…… ドーントレス」


 小町機にも被弾はなかったようだ。

 敵の艦爆は、半狂乱になったかのように機銃弾を吐き出していた。

 

(艦爆だから編隊飛行を優先したのか……)


 彼は自分のうかつさに歯を食いしばる。

 ギリギリと音が出そうなほどだった。

 

 艦爆の戦闘は編隊を組み、旋回機銃を一斉に敵に指向するものだ。

 単機で機銃を振り回すより、そちらの方がよほど剣呑なのだ。


 ドーントレスの火力は侮れない。

 翼には12.7ミリ機銃を2丁、後部に旋回式の連装12.7ミリ機銃を持つ機体だ。

 戦闘機が不足したときには、迎撃戦闘を行うこともある機体だ。


 敵がもう少し辛抱して距離を詰めていたら、自分は墜されていたかもしれないと岩本少尉は思う。

 夜間とはいえ、うかつすぎだった。


『敵、ドーントレス編隊。戦闘機みとめず』


 彼は無電でその事実を伝える。

 この編隊に、戦闘機はいない。彼はそれを確信していた。

 アメリカも、夜間味方機を護衛するだけの、戦術を確立していないのだろうか。


 彼は惚れ惚れするような鋭角のターンを行うと、零戦をドーントレスの後部機銃の死角に潜り込ませる。

 後方下部だった。


「悪いが、ここから先はいかせないよ」


 彼はスロットルレバーの機銃発射ボタンを押しこむ。


 20ミリと12.7ミリ機銃が、ドーントレスを貫き、爆散させた。


        ◇◇◇◇◇◇


 空戦に巻き込まれたアメリカ爆撃機・攻撃機は130機を超える編隊だった。

 日本と同じ。いやそれ以上に進んだ。安定した機上レーダーを搭載し、攻撃を仕掛けてきたのだった。


 日本側は辛うじて、その戦術に技術的な奇襲を喰らうことが無かった。

 こちらも、未熟とはいえ電探誘導による迎撃戦闘隊を準備していたからだった。


「ジャップの戦闘機だ! ゼロだ! なんでいるんだ!」

「退避だ! 抜けろ、戦域を早く抜けろ!」

「ダメだ、振りきれない。コイツら悪魔か!」


 平文によるアメリカ軍の通信が飛び交った。

 艦上機による夜間攻撃という技術的奇襲をかけたと思ったら、日本側がそれに対応していたのだ。

 爆弾、魚雷を捨て、退避する機体は多かった。


 しかし――

 全体で見た場合、日本海軍で初めて実施されたレーダー誘導による迎撃戦闘は成功したとは言い難かった。

 まず、捕捉出来たのは編隊一部であった。

 アメリカ側の直接の被害はさほど大きなものではなかった。

 

 80機を超える零戦に襲われながら、撃墜されたのは5機にすぎなかった。

 被弾により、損傷し攻撃を断念した機体が6機いたが、それでもまだ120機ほどの機体が残っていたことになる。


 そして、零戦はこの戦闘で2機が撃墜されていた。

 更に、夜間着艦の失敗で8機の機体が破損し、海中にレッコー投棄された。

 そもそも、80機を超える零戦の中で敵機を見た者はごく一部であり、ほとんどの機体は、その空域をただ飛んでいただけだった。

 

 それでも、アメリカのレーダーには多数の零戦が映る。

 レーダーではその零戦が敵を見失い、ウロウロ飛んでいるだけなのか、攻撃しようとしているのか見分けがつかないのだ。


 つまり、アメリカ側も、闇夜の中混乱していたということだった。

 アメリカもまだ、完全な機上射撃が可能なレーダーを保有していたわけではない。


 その結果、アメリカ側は艦隊の捕捉に失敗した。

 空戦による混乱で、日本の主力艦隊を捕捉することができたのは、少数機となったのだ。

 

 まず、一部の攻撃隊が、前衛艦隊に到達。

 攻撃を敢行した。

 その結果、水上機母艦日進に1000ポンド爆弾2発が命中。

 瞬発信管で、炸薬量の多いこの爆弾は、同艦の上部構造物を薙ぎ払った。

 これで、日進は水上機母艦としての機能を一瞬で失うことになった。

 

 応急班の懸命の措置と、強化された消火システムのおかげでなんとか沈没だけは免れることになった。


 そして更に少数の機体が、その後方の空母部隊を捕捉した。

 一部の機体はロケット弾を使用してきた。


 それが飛龍の右舷対空火器群の三分の一を使用不能とする。

 続いて、高度800メートルからリリースされたドーントレスの1000ポンドGP爆弾が、翔鶴に命中する。

 前部飛行甲板に直撃だった。

 闇の中に、巨大な火柱が上がり、3万トンの巨体がブルブルと震えた。

 煙と火災がまるで、そこに火山を生じさせたかのようであった。


        ◇◇◇◇◇◇


「前部予備艦橋内の火災、鎮火しました」


 内務科の第6分隊からの報告が司令部に安堵の空気を生み出した。

 艦内の応急(ダメージコントロール)を行う部門だ。

 過去の戦訓を踏まえ、その陣容は強化されていた。


「戦闘続行の可否は?」


 翔鶴の艦長である有馬正文大佐が内務科長に訊いた。


「着艦には問題ありませんが、発艦ができません。前部飛行甲板が大きく破壊されました。復旧の見通しは今のところ何とも言えません」


「そうか……」


 このやりとりは当然、第二航空艦隊司令の山口多聞の耳にも入っている。

 翔鶴の戦闘力が十分に発揮できないのであれば、司令部を移す必要もある。


 火災は鎮火し、前部飛行甲板の状況は艦橋からも確認できた。

 一部はめくれあがり、一部に大穴が空いている。

 端的に言ってズタボロだ。


 空母の飛行甲板を使用不能にするという点では、アメリカのGP爆弾と瞬発信管の組み合わせは悪魔といえた。

 たった一発で、大型正規空母を使用困難にすることが可能なのだ。


「まだ、時間はあるか……」


 山口多聞司令は破壊された前部甲板を見て、呟くように言った。


「撤去するんだ。飛行甲板の残骸と、めくれ上がって出っ張っている部分を壊してレッコー投棄すればいい。穴はそのままでも問題ないだろ」


 源田実は「人殺し多聞丸がまた始めた……」というような顔をする。そして、有馬艦長にアイコンタクトした。

 要するに言うとおりにした方がいいということだ。


「飛行甲板が短くなりますが…… 20メートル以上」


 内務科長が恐る恐る声を上げた。


「ああ? それでも飛龍と同じくらいだろう。これで、戦闘力は全く問題ないな」


 布袋顔で「うんうん」と頷く山口多聞だった。この世で最恐の布袋顔だ。


 そして、内務科から要員が選抜され、手空きの者も呼び出され、爆弾を受けた前部飛行甲板が引っぺがされた。

 穴を塞ぐのではなく、邪魔なので切り落としたという乱暴な措置だった。

 それで、確かに翔鶴の飛行甲板は理屈の上では使用は可能になる。

 搭乗員の心理的負荷と言うモノを無視すればだが。


 そして、そのころ日本の夜間攻撃部隊、天山・彗星122機は、アメリカ艦隊のCAPに捕捉されていた。

 時間をずらし、日米で鏡写しのような戦闘が展開していたのだった。


 ただ、その結果だけは、いまだ不確定性の波の中にあった。

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