その137:急転!ラバウル迎撃戦 南海の死闘・蒼空の熾戦 その13

 月明げつめいが濃緑色の機体を滑るような色で照らしていた。

 金星エンジンから伸びる単排気管からは思いのほか長い炎の尾が伸びているように感じた。


 大日本帝国海軍の誇る最新鋭航空母艦「翔鶴」を飛び立った零式艦上戦闘機53型が夜光の中に薄っすらと機影を浮かべている。

 岩本徹三少尉は戦闘諸元をチェックし周囲を警戒する。南海の夜天には、ただ月と星があるだけだった。今のところはだ。 


『目標空域高度50(5000メートル)』


 岩本少尉の耳に夜間戦闘指揮機からの無線の声が響く。

 夜間戦闘指揮機は、97式艦上攻撃機を改造した機体だ。

 空6号電探を積んでおり、上空直掩の零戦隊よりも前方に突出している。

 4機の夜間戦闘指揮機が扇形に展開して、電子の目で上空を警戒していた。

 少しでも、先に敵を見つけるためだった。

 

「戦闘指揮機」というものの、その実態は上空警戒機だ。

 それでも、敵編隊の位置までは誘導してくれるのは、ありがたいことだ。

 実際に戦闘距離になってしまえば、己の鍛え上げられた目で敵を捉えるしかない。

 そのための訓練は積んできている。


 岩本少尉は背後を見やる。ぴたりと定位置に僚機の零戦が付いていた。

 小町定飛曹長が操る零戦だ。もはや貴重といっていい開戦以来のベテラン戦闘機乗りだ。

 それを言えば、岩本少尉は大陸からの生き残りであったが。


「俺たちのような、古参なら夜間戦闘でもあの手この手もあるが…… アイツらはどうなんだ」


 岩本少尉は、この闇の中を同じく飛行する新入ジャクのことを思った。


 太平洋の戦いは航空消耗戦の様相を呈している。そして、大日本帝国は勝利を続けている。

 少なくとも戦闘では負けてはいない。


 しかし、その勝利の中ですら、搭乗員と機材の消耗は激しい。

 消耗の原因は、戦闘だけではない。いやむしろ、事故による消耗や、自然消耗の方が多いくらいだ。

 この時代の航空機は、事故も多発するし、機械的な自然消耗しやすいデリケートな機械だ。


 そして、主力となる航空戦力の拡充を行うことは、必然として質の低下を招いていた。

 もはや少数精鋭で搭乗員を鍛え上げるような状況ではなくなっているのだ。


 搭乗員を増やすには教員が必要となる。

 そうなると、数少ないベテランが教員配置される。

 それは、確かに搭乗員の大量養成には必要なことであろう。

 岩本少尉もその理屈は分かる。 

 しかし、新たに母艦搭乗員として配備されてくる者は、岩本少尉の眼から見れば「空母は無理。陸上基地へ行け」というレベルだった。


 それが、彼が夜間戦闘に不安を抱く大きな理由だった。


 海軍の戦闘機搭乗員が身に付けなければいけない技術は多い。母艦搭乗員ともなれば、更に難易度の高い技術が必要だ。

 新入ジャクたちは確かに、空母の発着艦はこなせている。だが、それが出来ることと、戦闘機搭乗員として戦力になることの間には厚い壁がある。

 少なくとも、彼はそう思っている。


「夜間訓練は行ってきてはいるが、実戦ではどうか」


 ポートモレスビー沖海戦での消耗以降、夜間攻撃訓練はかなりの時間を割いて実施されてきた。

 アメリカ艦隊に対する昼間攻撃の損耗があまりにも大きいからだ。


 要するに昼より夜の方が安全だろうということだ。

 確かに、敵の反撃は、昼よりは低下するかもしれない。


 しかしだ。


 航空機による夜間攻撃が十分に機能するかについて、岩本少尉ははっきりと答えを出すことができなかった。

 可能かもしれないし、不可能かもしれない。要は自分たちの能力と敵の能力の相対的な問題だからだ。


 ただ、敵が夜間攻撃を仕掛けてきた場合の、艦隊防空戦闘に関してはかなり心もとないと思っている。


 空母艦上機による夜襲は、戦前から計画され訓練も実施されていたものだ。

 しかし、それは艦爆、艦攻によるもので、単座の戦闘機は含まれていなかった。


 海軍の戦闘機乗りは、夜間を飛ばないのが普通だ

 陸軍の場合、技量甲の者は夜間飛行が可能であるということらしいが、彼らは洋上航法ができない。


 海陸軍の航空機器、武装、機材の統合に合わせ、戦技の統合も行われているらしい。

 ただ、艦隊勤務を続けている彼の耳に届くのは断片的な噂程度だ。


「アメさんも夜に来るか、考えることは同じようなものか」


 岩本少尉は、首を回し周囲を警戒しながら独りごちた。

 電探で索敵しているとはいっても、油断はできない。

  

 山口多聞司令が率いる第二航空艦隊はすでに敵機に発見され、位置を打電されている。

 それは、アメリカ機動部隊も夜間攻撃を仕掛けてくるという可能性が高いということだ。

 第二航空艦隊の陣容は、大型最新鋭空母の翔鶴、瑞鶴。歴戦の中型空母飛龍が中核となっている。

 全艦が最速34ノットを超える高速空母だ。


 更に小型ながら開戦以来激烈な戦闘の中を生き残っている軽空母の祥鳳、瑞鳳がある。

 搭載機は30機程度であるが、貴重な空母戦力だ。


 また、第二航空艦隊には軽空母の龍鳳(潜水艦母艦「大鯨」改造)が加わる予定であったが、ラバウルへの航空機輸送中に触雷して損傷。

 トラック基地で、工作艦明石の応急修理を受け、内地で本格的な修理を行う予定になっている。

 アメリカ海軍がソロモン海域にまき散らした機雷は、少なからぬ被害を日本側に与えていた。


 運用する機体は零戦、天山、97式艦攻、彗星、99式艦爆で合計234機になる。


 搭載する戦闘機は、零式艦上戦闘機53型で統一されている。

 岩本少尉の操るものと同型だ。ただ彼の機体は撃墜マークの桜で胴体がピンク色に成り掛けていたが。


 軽空母の瑞鳳、祥鳳では、数が揃わないのと、運用のしやすさという面から97式艦攻と99式艦爆が少数機搭載されている。

 旧式とはいっても、まだまだ第一線機といっていい機体だ。

 さらに、母艦機には、徳山燃料廠で生産が開始されたばかりの100オクタン価のガソリンが供給されている。

 そのため、92オクタンのガソリンで運用される地上基地の機体に対し、5~10%の性能向上が見られていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「日進6号機から入電!」


 その声に空母翔鶴の司令部では、空気が張り詰めた。

 索敵を強化するために、艦隊に編入された水上機母艦日進の零式水上偵察機が敵を発見したのだった。

 伝令が報告を続ける。


「敵、空母6隻を含む20隻 210海里、方位0-3-5」


「空母6隻だと!?」


 山口多聞少将の一見眠そうな目が見開かれた。

 空母6隻、全体で20隻。これは大艦隊だ。

 

「空母が多すぎます。誤認の可能性もあります。至急確認を伝えましょう」


 第二航空艦隊の参謀となった源田実が言った。 

 サラトガ、レンジャーの所在は確認できている。

 残る空母は、仮にエセックス級が2隻(2隻目は不確定情報だ)加わったとしても、生き残りのヨークタウンと合わせて3隻だ。

 なぜ、空母が6隻なのか? 


「英海軍の空母が合流したのでは――」

「そのような動きは掴んでいない。また欧州からも空母が引きぬける状況ではないはずだ」

「しかし、絶対とはいいきれない」

「戦果誤認があったのでは?」


 幕僚たちが声を上げた。それは一種のパニックといってもいいものだった。

 英海軍の空母が太平洋戦線の支援に回る動きは警戒されていた。

 しかし、そのような動きは確認されていない。大西洋で戦うドイツからもそのような情報は入っていない。

 戦果に関しても、その後の情報分析で、正しさは確認されている。

 彼らが今まで保有していた空母は3隻なのだ。


「攻撃隊の雷装、爆装は完了しているのか?」


 山口多聞司令が重く響く声で訊いた。


「すでに全機完了しております」


「ただちに攻撃隊上げろ! 敵艦隊を撃滅する! 3隻だろうと6隻だろうと関係ない! 叩き潰せ! 以上だ!」


 旗艦翔鶴から、各艦に向け攻撃開始の指示が下った。


        ◇◇◇◇◇◇


「ボケ! もたもたすんじゃねぇ! ぶっ殺すぞ!」


 凡俵ぼんだわら上等整備兵は、ノタノタ動く新米整備兵のケツに蹴りをいれた。 

 彼は、数か月前までケツを蹴られる側だった。しかし、今や整備格納庫内のヒエラルキーは大きく変わっていた。

 基地航空隊の拡充に伴い、多くのベテラン整備兵が引き抜かれ、配置転換となった。

 その結果、開戦以来翔鶴で整備兵として勤めている彼の地位が自然に上げっていたのだ。

 地位だけではない。潮と濃厚な機械油の臭いが彼の身体に浸み込み、戦場の整備兵として彼は完成しつつあった。


 後部エレベータに向け、500キロ爆弾を積んだ彗星を移動させる。

 99艦爆より高性能な機体。最高速度は300ノット(時速555キロ)を超える。

 零戦の初期型よりも速いということになる。

 というより、これ以上に高速の艦爆は、この世界に存在しない。


 その高速を生かし、地上基地では偵察機としてすでに運用も開始されていた。

 

 ただ整備兵にとっては、液冷エンジンや電気系統の整備が面倒な機体だった。

 しかも、重いのだ。

 整備兵たちは、声を上げ機体を移動させる。

 エレベータに乗った機体が、飛行甲板に向け上がっていった。

 艦爆はこれが最後の1機だった。


「艦攻上げろ! 急げ! 死にてぇのか!」


 凡俵ぼんだわら上等整備兵は喉を枯らしながらも叫び、自分も機体を押す。

 

 閉鎖式格納庫に目いっぱい搭載されている天山艦攻を飛行甲板に上げるのだ。

 こちらも最新鋭機である。当然、97式艦攻より重いのだ。

 エンジンは三菱製の火星エンジン。機体は中島製。初期の零戦とエンジンと機体の会社が丁度逆になっている。

 1800馬力を超える火星エンジンで、260ノット(480キロ以上)を叩きだす天山は、艦攻としては破格の高性能機だ。

 防弾板、自動消火装置、外袋式であるが防弾タンクも備え、ほぼ防御無しであった97式艦攻に比べかなり打たれ強い機体になっている。

 だから、彗星よりももっと重い。この機体を運用するために、空母の制動システムが改造されたほどである。


 彗星、そして天山。

 大日本帝国の最新鋭機が、その牙を敵に着き立てようとしていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「比叡より入電! 電探に反応有。編隊規模100機以上。距離55海里(約100キロ)――」


「ギリギリか……」


 山口多聞司令が呟くように言った。

 先手をとられたとはいえ、あのタイミングで敵艦隊を発見できたのは僥倖ぎょうこうだった。


「まだ、運はあるな」


 空母部隊の前方に展開する高速戦艦の比叡と榛名。

 空母機動部隊との距離はおよそ100キロ離れている。

 つまり、敵機は200キロ先にいるということになる。

 巡航速度を考えると、30分程度で上空に到達することになる。


 夜間攻撃の艦爆、艦攻の発進はすでに開始されている。

 全機の発進が終わるまで30分はかからない。

 爆弾、魚雷を抱えて、飛行甲板に並んでいるところを攻撃される心配だけはなくなった。


「直掩機の電探誘導はどうか? 源田参謀」


 山口多聞司令は、試すような口ぶりで源田参謀に言った。


「直掩の零戦は84機。現在『戦闘指揮機』による誘導を受けています。160キロ先で捕捉、防空戦闘が開始されます」


 源田参謀は断定的に言いきった。

 敵からの夜間攻撃機を想定しての迎撃訓練では、その捕捉率は60%程度でしかない。

 ただ、今回は敵の機数が多い。100機を超える編隊だ。


「敵を捕捉できるかどうかだな…… 確証はあるか?」


「敵編隊の規模の大きさは逆に捕捉率を上げます。必ずやってくれます」


「そうだな」


 山口多聞司令はそう言うと味方戦闘機の飛び立った空をみやった。

 それは、星の明かり以外なにもない、漆黒の空だった。

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