その133:急転!ラバウル迎撃戦 南海の死闘・蒼空の熾戦 その9

 第三併陣列による見事な艦隊運動だった。

 先頭に旗艦、乙巡(軽巡)神通が波濤はとうを砕き突っ込む。

 火災を起こしながらも追従する駆逐艦陽炎、そしてその他8隻の駆逐艦。

 

 黒潮、親潮、江風、海風、涼風、大波、長波、巻波。

 彼女たちは、大日本帝国海軍の誇る対主力艦殲滅兵器たる駆逐艦であった。


 すでに、照明弾により闇の底のようだった海面が浮き上がっていた。

 各艦の50口径三年式12.7サンチ砲が55度の最大仰角に砲身を上げた。

 轟――

 砲煙を上げ、照明弾が続けざまに撃ちだされる。

 12.7サンチ砲の照明弾は1.07キログラムの光薬を上空で反応させた。

 67万燭光の光が南海の闇の底を照らしだす。

 

「敵―― 発砲!」


 アメリカ前衛艦隊―― ラバウル砲撃のための殴り込み艦隊の前衛が鋼と炸薬の暴風雨を吐きだした。


 無数の水柱が飛沫となり、艦隊の周囲に落下する。


「照準が合ってきているな―― 電探射撃か」


 陽炎以外の艦に命中弾は無かった。しかし、その射撃の網は第二水雷戦隊を包みつつあった。


 田中頼三少将は、その特徴的な大きな瞳に喜色の色を浮かばせていた。

 この男も戦場が好きなのだ。どこか、精神のタガの外れた部分のある男であった。


「探照灯照射――ッ」


 乙巡(軽巡)「神通」が九六式110サンチ探照灯を敵に向ける。

 白く眩い光芒が一直線に敵に向け伸びていく。夜気を切り裂き伸びる刃のような光だ。


 隷下の駆逐艦の雷撃を成功させること。それが、艦隊旗艦としての役割であった。

 その決断の結果として、神通には敵の砲弾が集中する。

 

 大正時代の八八艦隊構想の中で運用を想定された五五〇〇トン級の乙巡(軽巡)だ。

 その身には駆逐艦に毛の生えた程度の軽防御しか施されていない。

 

 無数の至近弾が神通の周囲に落下する。

 砲弾は海水による水柱を次々に作り上げる。まるで古代の神殿の柱を思わせる物が林立する。

 どす黒い色をした柱がヌルヌルと立ちあがり、そして崩れて行く。

 

 崩れ落ちる水柱は、瀑布ばくふと化し、暗碧あんぺきの海水を凄まじい勢いで叩きつけてくる。

 甲板に当たり砕けるようにはじけ飛ぶ。その海水の塊は位置エネルギーを解放し「神通」細身の船体をビリビリと震わせていく。


 神通の50口径三年式14サンチ砲も撃ちかえす。

 撹拌かくはんされた海面から立ち上がる暴力的な奔流が、兵員の仕事をえらく困難にさせる。

 防楯のみ砲の構造は、彼らを十分に守ることができない。

 しかし、それでも砲撃は続けられる。前方を指向した三門の砲が技量の高さを証明するかのような砲撃を続けていた。


「直撃―― 1番発射管大破」

 

 一撃を喰らった。

 そして敵の砲弾が次々と彼女の細身の船体に突き刺さっていく。命中弾が続いた。

 ブスブスと突き刺さるように、6インチ(15.2サンチ)砲弾、5インチ(12.7サンチ)砲弾が神通を切り刻み、火炎の中に包み込む。

 被害報告が追い付かない程の被弾―― 彼女は集中砲火の中にその身を晒していた。

 

 それでも、奇跡のように艦橋の司令部に被弾が無かった。

 艦内では決死の消火作業が続き、そして戦闘も継続されていく。

 操舵、機関のシステムはまだ生きていた。


「距離70(7000メートル) 方位30度」

 

 夜間見張員からの報告が入る。


「魚雷戦、無転舵射法を実施する――」


 第二水雷戦隊司令、田中頼三少将が命じた。


 酸素魚雷は強力無比な兵器だ。炸薬量、速度、航続距離の総合性能で他国の魚雷の2~3倍の優越を誇る。

『ジャップの駆逐艦に横腹を見せるな』とアメリカ海軍をして恐怖をもって語られた言葉がそれを証明してた。


 しかし、駆逐艦の標準的な魚雷射法は、敵前での大きな回頭を必要としていた。

 魚雷という兵器を使用する場合、魚雷発射管の位置から考え、敵前で大きく転舵する必要があるのだ。

 それは酸素魚雷の射法でも標準的なものであれば、同じだ。

 そのことは、敵に攻撃を知らせるのと同じ意味があった。


 その対策に編み出されたものが「無転舵射法」だった。戦前から研究され訓練されているものだ。

「無転舵射法」とは回頭角をできるだけ小さくし、魚雷内部のもったジャイロシステムにより斜進角を設定する。

 その角度が魚雷発射管の角度と合算され、より浅い角度の転舵で魚雷を発射することが可能とするものだ。

 

「追尾斜進装置」は昭和初期に実用化されている。魚雷発射指揮装置と操舵機の情報が連結される。

 回頭角ゼロでも、敵に魚雷を叩き込むことが理屈の上では可能だった。

 このシステムは魚雷発射方位盤に組み込まれていた。

 

 つまり、敵に突っ込みながら全発射管の酸素魚雷を叩き込めるのだ。

 機械的信頼性のことを考慮すれば、大きく回頭しての標準射法の方が命中の確率は高い。

 魚雷に斜進角を設定するとしても、そこには必ず誤差が生じる。


(本陣はここではない――)


 狙うのはあくまでも主力だった。敵の戦艦だ。

 前衛艦隊に対しては撃破・撃沈でなくてもいい。

 そこを突破できれば、戦術機動の目的は達成できる。


 まず、魚雷により敵艦を混乱させる。

 その上で、敵艦隊の中央を突破。そして、アメリカ戦艦群に酸素魚雷を叩き込む――

 それが、自分たちの任務だと田中少将は考えている。


 ドンっという衝撃が艦全体を揺さぶった。

 田中少将が初めてよろけた。

 

「被害報告!」


「機関部被弾―― 出力落ちます」


「構わん。突っ込め」


 満身創痍。まるで火あぶりになった殉教者のような姿を闇に浮かび上がらせる神通。

 徐々に船足が落ちていく。そして、それが更なる命中弾を生み出す。


「莫迦が……」

「は?」

「莫迦と言ったんだよ」


 副官はその意味が分からず、田中少将の顔を見つめる。

 燃え上がる炎の光が彼の顔を赤く染める。

 彼の上官は、まるで悪魔のように口の端を吊り上げていた。

 爆炎の照らす赤い明かりの中で、彼は笑っていた。寒気のする笑みだった。


 燃え上がる神通は、標的のようなものだった。

 14サンチ砲も1門を残し沈黙していた。

 距離が近く命中弾の角度が浅いことが、神通の船としての機能を辛うじて維持させている理由だった。

 

 神通に砲弾が集中するということは、他の駆逐艦への攻撃が緩くなるということだった。

 それゆえの「莫迦」であった。


「陽炎も付いてきているか――」


 最初に命中弾を喰らった駆逐艦陽炎も雷撃を狙う艦隊機動の中に加わっていた。


 数で三倍の敵―― 砲戦力ではそれ以上。

 重巡と互角の砲力を持つ乙巡(軽巡)4隻を含む21隻のアメリカの前衛艦隊。

 彼らも、戦闘力を失った神通から、攻撃を突っ込んでくる駆逐艦に切り替えた。

 しかし、その判断は若干遅かった。

 日本海軍の夜戦能力の高さは評価していたが、夜間の雷撃距離を見誤っていたのだ。


 各駆逐艦の九二式四連装魚雷発射管が回転する。すでに兇悪無慈悲の61サンチの直径を持つ凶器が装填されている。


 九三式酸素魚雷だ。


 特殊技能者の集団ともいえる魚雷発射員がジャイロ軸を設定。

 諸元データ通りに、斜角が調停された。

 ジャイロ起動レバーが押し込まれ、魚雷の海面入射角が設定された。


 30ノットを超える速度で、突き進む駆逐艦。高温高圧の蒸気が特殊鋼のタービンブレイドをぶん回す。

 闇の中に放たれた猟犬が敵の喉元を食い破ろうとしていた。確実な死を招く鋭い牙をむき出しにする。


 発射軸線が照準線と一致する。


「用意―― 撃て(テッ)!」


 気嚢機(きのうき)から高圧の空気が流れ込む。

 鋭い刃物で何かを切り裂いたような音が響く。

 弾頭500キログラムの高性能炸薬を積んだ長槍(ロングランス)が黒々した海の中に叩き込まれていく。

 合計36射線の魚雷が敵に向かい角度を変え、扇型に広がっていく。装填された魚雷の半数を放っていた。


 長槍(ロングランス)の鋭い切っ先がアメリカ艦隊に向かっていく。


「そのまま、敵艦隊の中を突破する――」


 神通からの命令が電波の波に乗って宙を飛ぶ。

 駆逐艦隊はタービンブレイドを唸らせ、波濤を砕き突き進む。

 本来であれば、魚雷発射と同時に回頭する。

  

 しかし、本当の敵はこの後ろにいるのだ。

 各艦は、次発装填装置から空になった魚雷発射管に予備魚雷を装填していく。

 

 特型駆逐艦でその原型を実現していた予備魚雷装填装置は、初春型駆逐艦で「次発装填装置」として一応の完成をみていた。

 戦闘海域を離れることなく、発射管に魚雷を装填できるシステム。

 雷撃を重視した日本海軍だけがもつ装置であった。


 アメリカ艦隊の一部が水柱に包まれた。

 闇を切り裂くような閃光が走った。爆発だった。

 グリーブス級駆逐艦のグィンが『青白き殺人者(酸素魚雷)』により一瞬で葬られた。

 

 更に、軽巡セントルイスは艦首に一撃を喰らい、つんのめる様にして速度を落とす。

 第一砲塔から先が今にも千切れそうになっていた。

 バグリー級駆逐艦のブルーが竜骨をへし折られ、酩酊するかのように海面を漂う。


「ロングランスかッ!! クソジャップがぁぁ!」


 前衛艦隊の司令官であるライト少将が叫ぶ。

 旗艦、ブルックリンには被害はない


「回頭! 間合いを空けるんだ! 砲撃続行!」


 魚雷回避のためアメリカ艦隊の各艦が回頭を開始する。

 36射線の魚雷の命中は3発で終わったが、敵の艦隊機動に混乱を生じさせる狙いは達成された。


「行かせない! クソどもが!」


 突っ込んでくる日本海軍の駆逐艦を先に行かせるわけにはいかなかった。

 アメリカ艦隊は搭載するあらゆる火器を突っ込む日本駆逐艦に向ける。

 近距離で魚雷も放たれた。

 欠陥品の呼び声高きMK14魚雷が発射される。


 まだ、アメリカ海軍は魚雷の構造的問題に対し全面解決に至っていなかった。

 早発を起こす磁気信管の使用を禁止し、慣性式信管のみを有効する運用でなんとか使っている。

 これでも、直角に近い角度で命中した場合、爆発しないとう不具合を持っていた。

 ただ、早発や不発を連発させる、今までの磁気信管よりは数倍マシだった。

 

 しかし、魚雷の不具合はそれだけにとどまっていない。

 進度調整装置や、ジャイロによる斜角の維持にも問題を抱えていた。

 海軍ではその問題を認識し、動き出していたが有力な魚雷メーカーの労組と州議員と結びつきが壁となっている。問題解決まではまだ時間がかかりそうだった。

 

 それでも、今日のMk14は仕事をした。

 斜め命中し、爆発。

 更に6インチ、5インチの砲弾を浴び、4隻の駆逐艦が大破していく。結局、この駆逐艦は永久に失われることになる。


「舐めるなよ! ジャップゥゥゥ! 皆殺しにしてやる。サル肉は魚のえさだ――」


 ライト少将は雷撃が成功したことに溜飲を下げる。


「艦隊司令部からです!」

「なんだ?」

「現戦域から離脱、早急に主力艦隊西方に向かえ」

「アホウかぁぁ!!」


 ライト少将は帽子を握り叩きつけた。

 しかし、艦隊司令部からの続報が彼の顔色を変えさせた。


 そして、アメリカ前衛艦隊は急回頭を行い、全速で地獄の底のような戦域からの離脱を開始していた。


        ◇◇◇◇◇◇


「逃げるのか…… ここで――」


 田中少将は敵の機動を「逃げる」と口にした。

 しかし、その内面ではそうでは無かろうとも思っている。

 十分以上に優勢を維持していた敵艦隊が戦域海面から離脱してく。


「何が起きた」


 何かが起きたのだ――

 その答えのひとつを彼は予測する。


「来たのか……」


 彼はポツリとつぶやいた。


 燃え上がる神通の艦内では運用部員が決死の応急を続けていた。

 一部の火災は終息しつつあったが、まだその炎は艦を松明のようにしていた。

 神通の缶室は三分の一が使用不能。隷下の駆逐艦隊の先陣を切るというわけにはいかなくなっている。

 今のところ、弾薬庫などに火が回っていない。また、臭いと評判の悪い不燃塗料も効果を上げているのかもしれなかった。


 断続的に遠雷のような音が響いていた。

 砲撃音だった。それも戦艦のものであることは間違いなかった。


 そして、視界にその音を発生させていた怪物の群れが夜間見張員の視界に入る。

 鍛えられた彼らの視力でなくともそれはすぐに確認できた。

 なぜならば、砲撃を行っていたからだ。砲口炎が闇の底を明るくしていた。

 

 ラバウル――

 日本海軍のソロモンにおける要石ともいえる基地への砲撃が行われていた。


「敵―― 戦艦! 4…… いえ、5隻!」

 

「魚雷戦!」


 各艦が魚雷諸元を発射盤に叩きこんでいく。

 そして回転する九二式四連装魚雷発射管。


 戦艦も気づいたのだろう。

 5インチ両用砲が彼らに向け火を吹く。

 槍衾のように、鋼と炸薬の凶器が叩き込まれていく。


「砲撃! 反撃だ! 叩き込め!」


 特型駆逐艦が誕生して以降、駆逐艦としては破格の対艦砲撃力を持つ日本の駆逐艦。

 装備された12.7サンチ砲が応戦する。

 しかし、この砲にはいわゆる徹甲弾が無い。陸軍でいうところの榴弾砲しかないのだ。

 敵水雷戦隊、つまり駆逐艦、せいぜいが乙巡(軽巡)を撃破し、魚雷攻撃を成功させる射点につくための兵器だ。

 

 それでも毎分10発のレートで砲弾を叩きだす。

 すでに駆逐艦は4隻。そして、前方の敵は戦艦5隻だ。


 そして、戦艦の周囲を警戒していた駆逐艦がこちらに向かってきた。

 その数だけでも、倍はいた。


 その瞬間、敵戦艦の上空が明るくなった。

 照明弾だ。

 砲による照明弾ではない。航空機――


 零式水上観測機による照明弾の投下であった。


「来たか―― 味方が…… あのデカイ水柱……」


 敵戦艦の周囲にこの世の終わりを思わせるような水柱が出来あがる。

 闇夜底を照らす光の中で不気味な色をもってゆるゆると天に向かい伸びて行った。

 まるで、この世の終わりを想起させるかのような光景だった。

 何本もの水柱の中、一際巨大な水柱が9本立ち上がっていた。


 他の水柱の倍はあるのではないかと、田中少将は思った。

 明らかに戦艦の砲撃―― それも破格の――


 日本海軍の第一機動艦隊の戦艦部隊だった。彼らがこの戦場に到着していた。


「大和か――」


 田中少将はその名をつぶやくように口にしていた。

 トラック島に停泊していた巨大戦艦。鉄の城という形容を越え「島」ではないかと思わせる威容。

 人が造り上げたということが信じがたいような神が宿ったかのような造形美と圧倒的な威圧感を持った艦影を思い浮かべていた。

 

 あの巨大戦艦が来たのだ――

 いったいどのくらいの戦闘力を持った戦艦なのか、あの水柱から推測される砲は……


「46サンチ砲という噂は、本当か……」


 日本海軍の持つ最大にして最強の戦艦。いや、1943年の時点で世界最強の対艦攻撃力、防御力をもった兵器だ。

 戦艦同士のぶん殴りあいであれば、どのような敵ですら葬る存在。


 その戦艦大和がこの海域に存在している――


 その巨大な水柱は、まるで神々の黄昏の訪れを告げる鉄槌を思わせるものだった。


■参考文献

歴史群像シリーズ 決定版 日本の水雷戦隊 太平洋戦史スペシャル(4)

丸2013年8月号「一人二役の戦闘力を備えた重雷装備艦」中川寛之

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