その132:急転!ラバウル迎撃戦 南海の死闘・蒼空の熾戦 その8

 南海の残照ざんしょうは一瞬で闇に変わる。

 ヤシの葉は墨絵のようになり、空には星が瞬く。

 まるで光る白砂を空に撒いたような光景だった。

 静かな自ら語ることのない星がただ光を発していた。


 彼方で海と空が溶けあう。

 波の音が繰り返し聞こえてくる。


「今度、来たら叩き落してやる――」


 遠藤水兵長はその声の方を見やった。

 小隊長だった。唸るような低い声。幾分かの震えがその声の中にあった。


 土嚢どのうが積み重ねられた陣地には、弾薬が集積されている。

 昼間撃ちまくった空薬莢はすでに片付けられていた。


 そして武骨な3本の銃身を空に向ける九六式25ミリ機銃が中央にあった。

 凄まじい音をたて、昼間は弾丸を盛大にまき散らした。


 遠藤兵長はその弾薬装填手であった。

 彼も「来るなら早く来い」と思っていた。

 ただ、その理由は指揮官とは違っている。


 弾倉を運ぶのが面倒だったから。

 撃って消費してしまえば、片付けるのは空薬莢と空弾倉だけで済む。軽くていい。

 撃たなければ、そのまま定数外の重い弾倉を元の場所に戻すわけだ。


「敵は夜間攻撃してきますかね……」


 銃手の村上二等兵曹長が言った。

 

 日中に襲来してきた敵の航空攻撃はどこか及び腰だった。

 東飛行場にも何発か敵の爆弾が落ちたが、滑走路が完全に使えなくなるということはなかった。

 港湾やラバウルの街、山の方(電探という機械があるらしい)の攻撃に向かった機体もあった。

 どの程度被害が出たのかは分からない。街の方から煙が上がっているのを遠藤兵長は見ている。


 ただ、それほど被害は大きくないのではないかという思いはある。

 あの広い飛行場にすら満足に爆弾を落せなかった相手なのだ。


 東飛行場からさほど遠くないこの陣地からは、戦闘機隊が降りてくるのが見えた。日没前だ。

 そしてそれと入れ替わるように高地にある飛行場からは陸攻隊が飛んで行ったようだった。

 つまり、敵の滑走路を狙った爆撃は成功しなかったということだ。


 しかしだ――


 敵の技量も高いとは思わなかったが、こちらの攻撃も褒められたものではなかった。

 対空戦闘は初めてとはいえ、全然弾が当たらないのだ。

 村上兵長は「対空砲は腐れ士官の捨どころ」という言葉を思い出す。


 海軍という組織で、陸上勤務。しかも、対空砲の指揮官というのは、そのような評価を受けるものだということだ。

 そして実戦は「なるほどなぁ」と彼を納得させる結果を見せたわけだった。

 弾運びの兵隊とすれば、当てて欲しいとは思うが、どうやりゃ当たるのかは分からなかった。

 昼間ですら当たらないモノが、夜になって当たるとも思えない。

 

「来たら落す。それだけだ。来る来ないを決めつ――」

 

 小隊長が怒鳴った声が聞こえなかった。

 陸の方で何かが光ったと同時に、大地が震え、轟音が響いた。

 火柱だった。巨大な火柱が見えた。


 続けて闇を砕くかのような遠雷のような音が鳴る。

 

「爆撃? 敵機はッ!?」


「小隊長! 砲撃です。艦砲射撃です!!」


 地鳴りのように大地が震える。天を焦がすかのような炎が上がる。

 遠藤兵長は眼(まなこ)を見開いたまま呆然としていた。

 村上二等兵曹の「かんぽうしゃげき」という言葉が頭の中で「艦砲射撃」になるまで数秒を要した。

 雷霆らいていが空を震わせ、大地を砕いているかのようだった。

 闇の中、ヤシの木が吹っ飛び大量の土砂が宙に舞って行く。


「タコツボに! タコツボだ!」


 遠藤兵長以上に呆然としていた小隊長に代わり、村上二等兵曹が声を張り上げていた。

 

 鉄兜を手で押さえ、タコツボに飛び込む。

 ただ震えること。遠藤兵長にできたのはそれだけだった。

 神にも仏にも祈る暇すらなかった。


 戦場にそんなモノがいないことは、十分に承知はしていたが。


        ◇◇◇◇◇◇


「半分狂気に片足を突っ込んだ手だ―― だからこそ、効果もあるか……」


 5500トン級乙巡(軽巡)「神通」の艦橋で呟いたのは田中頼三少将だった。

 首には双眼鏡をかけ獰猛な笑みを浮かべている。

 背筋が伸び、お世辞にも凌波性能が良いとはいえず、揺れまくる長良の艦橋で微動だにしない。

 第二水雷戦隊を指揮し、ガダルカナルをめぐる補給線で徹底的な補給遮断戦を敢行した提督だった。


 このソロモン海では「恐るべき・田中――」「ソロモンの魔術師」の異名でアメリカ海軍に称された提督が突っ込んでいった。

 アメリカ海軍の駆逐艦を中心とする総数21隻の艦隊だ。その数は自軍の2倍以上。

 更に重巡並みの砲撃力をもった乙巡(軽巡)が4隻その中には含まれていた。


 ブルックリン級のブルックリン、ナッシュビル。

 セントルイス級のセントルイス、ヘレナ。


 この4隻は約1万トンの排水量を持ち、6インチ砲(15.2サンチ)を3連装5基という乙巡(軽巡)だ。

 15.5サンチ砲を15門持つ最上型に対抗する艦として造られた艦だ。(同型は現在改造され20サンチ×10門の重巡となっている)

 この4隻の砲撃力は同じ乙巡(軽巡)でも大正年代に造られた5500トン級(14サンチ砲×7門、片舷6門)とはレベルが違っている。

 

「敵、乙巡4、駆逐艦15―― 速度30、包囲20度、距離10――」


 報告が上がってくる。

 鍛えられた夜間見張り員の眼はほぼ敵戦力を正確に把握していた。

 

「ほう…… 大盤振る舞いだな」

「はい?」


 副官は提督の顔を見やった。

 その報告を聞いても顔色ひとつ変えない。


見敵必殺サーチアンドデストロイ

 

 淡々とその言葉を口にしていた。

 ガダルカナル周辺の海の底を鉄くずで埋めたてるかのように、アメリカ海軍の船を葬ってきた男だ。

 味方よりむしろ敵に評価され警戒されているような印象すらある男だった。


「空母を来ると見せかけて、戦艦を夜間突っ込ませる―― 更にこれすら主力ではないときたか……」


 ラバウルが艦砲射撃を受けた。

 敵を捕捉できなかったのは大きな失態だった。


《i_09ec8c4a》


 今、その戦艦を中心とする艦隊に攻撃を仕掛けられたのは第二水雷戦隊の(軽巡)1、駆逐艦9の戦力にすぎなかった。

 敵主力艦への夜間強襲という要求された仕様通りの作戦であった。


 しかし、敵戦艦の速度を見誤っていた。

 敵は夜間、戦艦を突出させ、最高28ノットで突撃を開始したのだ。

 

 田中少将は知らぬことであったがこの前衛部隊が守っている戦艦は6隻。

 全て新世代の高速戦艦だった。40サンチ砲9門を備えた鋼の怪物たちだ。


 アイオワ、サウスダコタ、インディアナ、マサチューセッツ、アラバマ、ノースカロライナ。


 空母に戦闘機だけを搭載し、エアカバーに専念させる。

 その上で、空母に攻撃を集中させ、戦艦を突きだすという戦法だった。

 

「あまりにも、空母の威力に幻惑されていたな…… 間合いに入られたときの戦艦の威力は海軍の持つ兵器で最強だ。今でもだ…… 要は使い方ということか」


 戦艦が空母に主役を譲ったのは、攻撃レンジの問題だった。

 航空機に一方的に攻撃されれば、戦艦はやられる。

 マレー沖のイギリス戦艦、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスがそれを証明していた。


 いや――

 本当に証明していたのか?

 田中少将も、アメリカ海軍という組織の中でどのような作戦思考が練られたか。

 その一端が分かったような気がした。


(今さら、そんなモンを持ちだしてくるか? おっかない国だ)


 田中頼三提督は、ある考えに達する。

 言ってみれば、それは開戦前に想定していた艦隊決戦のマニュアルのようなものではないか。

 弾着観測のための空母による制空権の把握。そして、戦艦の砲撃で決着をつける。


 そもそも海軍の艦上戦闘機「零式艦上戦闘機」も、そのドクトリンゆえに大航続距離を要求されたのだ。 

 艦隊上空に長くとどまれる能力。海軍からは滞空時間で要求仕様が出されていた。それが、結果として驚異的航続距離性能として実現されたのだ。


「敵、砲撃開始!」

「司令!」

「まだだ!!」


 先手を取られた。敵の電探射撃だ。

 砕ける波濤がぼんやりとした夜光虫で光る。

 30ノット以上で突き進む水雷戦隊の後方左に無数の水柱が立ちあがる。


「苗頭(びょうとう)も距離も甘いが…… 嫌な外れ方だな」

「司令、星弾を!」

「まだだ」


 確かに砲撃は大きく外れたように見える。

 しかし、諸元を修正されればまずいと、副官は焦った。

 距離が詰まれば、命中界が大きくなる。

 しかし、距離を詰めなければ、敵を叩けない。

 いくら酸素魚雷とはいえ、夜間の遠距離攻撃は過信にすぎる。

 

 田中司令がそのように考えているのだろうとは思う。

 しかし、このままではまずい。


 敵艦隊はこちらに横腹を見せることを避けつつ攻撃している。

 使用できる砲は減少するが、ここにいる乙巡(軽巡)4隻の砲撃力は前方砲塔を使用しただけでも第二水戦の砲力を上回るかもしれない。


 ジャップの駆逐艦に横腹を見せるな。

 青白い殺人者。

 ロングランス。


 純粋酸素を使った日本軍の酸素魚雷。

 その改良型「93式酸素魚雷1型改2」は、イタリアからの技術情報により52ノットと更に雷速を上げている。


 正確な諸元性能はまだアメリカ海軍も把握していない。

 そもそも、入手したとして、それを信じたかどうか疑わしい。


 しかし、一発で重巡洋艦を戦闘不能に陥れる恐るべき兵器であることは認識していた。 

 海軍の前線で戦う者たちの中には「重巡から魚雷を外したアホウを連れてこい! 魚のえさにしてやる」と息巻くものもいるくらいだ。

 

 だが――

 敵の兵器が優れていると称賛してすむ話ではない。

 対策が必要とされていた。

 それの解答のひとつが圧倒的な砲力による正面攻撃だった。

 魚雷を放つ前に叩き潰す。シンプルで力まかせであるが、効果はある。

 

 問題は――

 この艦隊運動は、敵との距離がどんどんつまることになるのだ。

 それは、お互いにとって時間と距離の勝負だった。


「陽炎被弾!」


「神通」の艦橋に悲鳴のような声が響いた。


 特型駆逐艦に始まる主力艦強襲に特化した日本海軍の駆逐艦。

 その進化の頂点ともいわれた「陽炎型」のネームシップ「陽炎」が被弾した。

 闇の中に真っ赤な炎を噴き上げているのが見えた。


        ◇◇◇◇◇◇


「状況!!」


「前部に被弾1、火災発生」


 陽炎を襲ったのは乙巡(軽巡)の6インチ砲弾だった。

 前部砲塔前に着弾し、ペラペラの甲板をぶち抜き、内部で信管を作動させた。

 辛うじて弾薬室を外していたのが僥倖だったが――


「配電盤損傷! 第一砲塔使用不能」


 その報告で陽炎の駆逐艦長は表情を変える。

 配電盤の故障は前部の各種機能を全て喪失したことを意味していた。

 電力の供給がなくては、消火ポンプも動作しないのだ。


「前部弾薬庫への注水は? 運用長!」

「無理です。ポンプ動きません!」

「機関は問題無し!」

「配電盤修理急げ、ポンプ稼動次第、前部弾薬庫に注水」


 炎勢は、風を受けどんどんと大きくなっているように見えた。

 なぜ、鉄でできた艦がここまで燃えるのか?

 まったくもって理不尽な話に思えてきた。


「星弾上がります」


 闇を照らす照明弾が、各艦から撃ちだされた。

 ソロモンの海が闇の底に浮かび上がる。


 そして、一斉に日本海軍の駆逐艦、乙巡(軽巡)の主砲が火を吹いた。

 初弾から当たることはない。お互いが高速機動しての打撃だ。


 スルスルと神通が突出していく。大正期の乙巡(軽巡)は誕生時には37ノットの高速を誇った。

 その最高速度が復活したかのような突撃だった。本来であれば、33ノットが限界の船だ。


 そして、神通から110サンチの探照灯の光芒が伸びていく。

 己の身を犠牲にし、駆逐艦の攻撃を成功させるつもりだというのか?

 陽炎の艦長は一瞬の思考でそう思った。


「配電盤は! まだか!」


 陽炎の艦長は叫ぶ。


「修理完了! ポンプ作動、注水開始!」

「突っ込め! 突っ込むんだ。ぶっといのを叩き込んでやれ!」


 闇に浮き上がった無数の艦影。これは前衛だ。

 これを突破し、敵戦艦を撃破する。それが彼らに課せられた仕事だった。

 

 闇の中、炎を噴き上げ「陽炎」が突き進んでいた。


「生憎この「陽炎」はしぶといんだよ―― 儚く死ぬわけにはいかない」


 タービンブレイドが狂ったように唸りを上げ、2500トンの駆逐艦を35ノットに加速させていた。


■参考文献

海軍ダメージコントロール物語 雨倉孝之

歴史群像太平洋戦史シリーズ 日VS米 陸海軍基地 学研

アナタノ知ラナイ兵器4 こがしゅうと

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