その131:急転!ラバウル迎撃戦 南海の死闘・蒼空の熾戦 その7
「どこから湧いて出たんだ」
坂井三郎少尉がスロットルレバーを叩きつけた。
一気に回転数を上げる金星エンジン。
その猛るような咆哮はソロモンの蒼空に響き渡る。
発見した時点では、ほぼ同高度。
お互いに優位に戦闘を進めるために上昇を続ける。
高度の優位は運動エネルギーに変換できる。
敵機からも、パラパラと何かが落ちていくのが見える。
戦闘機が増槽を切り離したが、爆弾を捨てたか――
「確かに150以上はいるか――」
猛禽のような
兇悪な笑みを見せるサムライはその数を一瞬で判断したのだ。
その程度のことは熟練の海軍搭乗員であれば、造作もないことであった。
敵編隊から肩をいからせたならず者を思わせる機体が飛び出してきた。
最近ソロモン方面に顔を出すようになったF4Uだ。シコルスキー。
戦闘機はおそらくF4UとF4Fワイルドキャットの混成と思われた。
『高度
中隊長からの声が響いた。まずは乱戦に引きずり込む。
敵はこちらの倍。いや、戦闘機に限れば互角か――
坂井三郎少尉は短く『了解』と伝える。
再びレシーバーからは声が聞こえた。一年前まで、雑音発生機だった無線が明瞭な声を響かせる。
『後ろには「タメ」がいる。こっちは戦闘機だ。まずはそちらを叩く』
迎撃戦闘の定石であれば、爆撃機、攻撃機を狙う。
しかし、数が多すぎること。敵戦闘機も対地攻撃能力を持っていること。
基地にはまだ「タメ」と呼ばれる雷電がある。いや、すでに上空に上がっているかもしれない。
1800馬力の火星エンジンを搭載した、高速迎撃戦闘機だ。
確かに、残敵は一撃の火力が強力な雷電に任せればいい。
彼は後方の列機を確認する。戦場に出すのは危なっかしいジャク(未熟練者)だと思っているが、しっかりついてきている。
滅多に部下を褒めない男の顔に笑みが浮かぶ。「やるじゃないか」という笑みだった。
しかし、まだこれからだ。そんなものは、空の殺し合いの中で、初歩の初歩だ。
編隊はお互いに優位な位置を取ろうと、機動を続ける。
しかし、こちらの方が、明らかに上昇率では優っていた。
坂井三郎が操る機体は零戦53型。
現在の日本海軍の主力機だ。
空母での運用が可能な艦上戦闘機こそが、海軍の主力機だった。
最高速度は310ノットに迫る(約時速574km)。
6000メートルの中高度での上昇率は平均で920メートル以上。
この空域でそれ以上の上昇率を持つ機体はアメリカ海軍にはない。
防弾装甲、防弾ガラス、自動消火装置、武装強化、機体外板強化などで32型に比べ300キロ以上重量は増している。
しかし、換装した金星エンジンの1300馬力で吸収。
更にロケット式の単排気管の推力が機体の機動性を上げていた。
排気管の突き出すエンジン直後の部分を削り取った形に成形し、そこに単排気管をまとめている。
雷電で採用された形式であり、Fw190-A5の機体設計と「偶然」同じような形となっている。
(雷電の視界確保のための「案」として仕様書の中に提示されていた。なぜか)
1943年の前半でも「ジーク(零戦の米軍コードネーム)」は米軍機にとっての死神であり続けている。
「シコルスキーは、水平になれば、バカにみたいに速いが――」
エンジン音だけが響く操縦席で、坂井三郎少尉はつぶやく。
F4Uは、会敵機会の多いF4Fワイルドキャット以上の高性能機であることは確かである。
しかし、自分が零戦を操る限り負けるなどとは思えなかった。
実際に垂直尾翼をピンク色に染めている桜の撃墜マークの内3機がF4Uだった。
「突出してきたのは20機か――」
一塊となったF4Uの20機の編隊。まずはこれを叩く。
バカでかいプロペラをぶん回している逆ガル翼の濃紺の機体を彼は見据えた。
敵は速度を上げてきた。編隊によるヘッドオン攻撃だった――
米軍とて無能ではない。
零戦の性能分析を行い、有効な空戦方法を模索していた。
問題はいまだ主力機であるF4Fがあらゆる局面で、零戦に劣っているという事実だった。
一時は有効だった、追尾された場合のパワーダイブでの離脱も初期加速で優る53型には通用しなくなっていた。
パイロットの証言を積み重ね、残骸となった機体を回収し分析する。
「零戦とドッグファイトをしてはいけない」
「480?/h以下で零戦と同じ運動をしてはいけない」
「上昇中の零戦を追いかけてはいけない」
この「三つのネバー」という勧告はF4Uが配備されても生きていた。
しかし、それでも戦わなければいけないのが戦闘機パイロットだった。
その中で、編み出されたひとつの戦法。
火力と防御力の優位を生かし、真正面からそれを叩きつけるといものだ。
単純だった。しかし、そうであるがゆえに、対処も困難だった。
『高度を上げろ奴らの間合いに入る前に!』
送信をONにして叫ぶ。
電波となった彼の声が空に響く。
同時に、第一小隊の4機の零戦が上昇を開始。
敵も機首を上げ上昇する。
高度を上げながらジリジリと間合いが詰まる。
敵のブローニング12.7ミリ機銃は弾道特性に優れ、初速が速く弾道低下量が少ない。
99式20ミリ2号機銃もその性能は見違えるように改善されてはいたが、ブローニングには劣る。
12.7ミリは、そのブローニングのデッドコピーだ。
『降下する一気に下に抜けろ』
操縦桿を叩きつけるようにして、降下させる。翼が軋み音を上げ、甲高いエンジン音と混ざり合う。
推力式単排気管から噴き出す青白い炎が視野に映りこむ。
坂井三郎少尉はその瞬間、零戦と一体化していた。
まるで、身体が空を飛んでいるようなものだ。
実際はフットバーを蹴り、操縦桿を倒しているが、その感覚すらない。機体は鋭い機動(マニューバ)で反転上昇する。
強烈なGがかかり、目の前が一瞬真っ黒になる。
巨大な濃紺の機体が無防備な後部を晒している。
巨大な逆ガルの翼が傾く、横転――
「遅い!」
すでにその眸(め)に敵を捉えた彼は、機銃発射釦を押しこむ。
20ミリ機銃2門、12.7ミリ機銃2門が火を吹く。
真っ赤な火箭が濃紺の機体に収束していった。
手ごたえは十分だった。
まるで「ベキッ」とへし折れる音が聞こえるようだった。
横転し散開を試みた編隊最後尾。そこに位置する機体の翼がへし折られていた。
日本側の搭乗員が弾道特性のいいブローニングを称賛し、そして警戒しているように、米軍パイロットもまた日本機の火力を警戒していた。
「ジャップの奴らは、クソッタレな砲弾をぶち込んできやがる」という呪詛の言葉は何度も吐きだされた。
生きて何度も口する者もいたが、二度とそれを口に出来なくなる者もいた。
尖兵として突っ込んできた20機の編隊は崩れていた。
乱戦に巻き込まれてしまえば、もはや真っ直ぐ飛ぶ速度が速いことなど逃げる以外に使い道がなくなってしまう。
重量が増したとはいえそれでも機体は軽い。
つまり、零戦の余剰馬力は大きいのだ。それは、高度維持能力を担保し、高度の維持は、運動エネルギーの大きさに変換される。
言ってみれば零戦の「空戦性能」とはその高度維持能力の高さだった。
20ミリを叩き込まれ、コクピットごと叩き潰された敵機が錐もみで落ちていく。
しかしだ――
「くそ、敵が多すぎる――」
敵の技量はお世辞にも高いとはいえなかった。
こちらのジャク(未熟練者)といい勝負だ。
空中は乱戦となっているが、最初の一撃以外では落ちていく機体は無かった。
攻撃できる位置にいる敵がいないのだ。
坂井三郎少尉は後方を常に警戒している。僚機がしぶとく付いてきているのが彼を少しホッとさせる。
「落すより、落されるなか……」
ふと彼は、上官から言われたその言葉を思い出した。
「不味い!」
彼は敵に被られている味方を見つけた。
気が付いてない。目の前の敵機を落すことに気を取られ過ぎていた。
「どこのバカだ!! ぶん殴ってやる!」
彼は兇悪な表情で吐き捨てると機体を突っ込ませた。
青白い曳光弾の
だが、複数機に後ろに付かれ、雨霰の機銃弾を撃ち込まれている。
日の丸の翼から炎が吹き上がった。
「馬鹿! 諦めるな!! 飛べ! 死ぬな! ぶん殴るぞ!!」
彼は叫びながら、機銃発射釦を押した。
まだ、距離はある。操縦桿を少し揺さぶり、弾丸を散布するかのようにまき散らす。
シナ事変(日中戦争)からの熟練搭乗員であれば、当然知っている射撃法のひとつだ。
スッと日の丸を包み込んでいた炎が消える。
「自動消火装置か…… あの……」
彼自身は、クソ重く、邪魔でいらないので降ろして欲しいと願っている装置だ。
出来れば、後にある鉄板と分厚い防弾ガラスも外して欲しいのだ。
しかし――
(ジャクには必要な装置か…… 死んでしまえば、腕を上げるもくそもない――)
その零戦はまだ飛んでいた。
おそらく、彼が機体の余剰重量物と感じている防弾板と防弾ガラスが、ジャクを救ったのかもしれない。
そして、自動消火装置もだ。
「逃げるか―― まあ、正解だ」
坂井機に撃たれたことに気づいた、グラマンは機体をひるがえし、降下していった。
敵ながら思い切りのいい機動だった。
それは、お互いにとっての正解だと坂井三郎少尉は思った。
彼はあらためて周囲を確認する。確実に敵の戦力を削いでいるのは確かなようだった。
戦場を離脱した敵機は、戻ってはこないだろう。
すでに零戦隊の一部は、爆撃機に攻撃を開始していた。
それは、艦上機だ。敵艦爆ドーントレスだ。
爆弾を捨て、逃走を開始する編隊もあれば、あくまでも突っ切ってくる編隊もあった。
それでも、まだ相当な機体が高度を下げ、ラバウルに向け牙をむいていた。
1000ポンド(約450キログラム)の鉄と火薬の牙だった。
◇◇◇◇◇◇
本来であれば、ラバウルからの同時攻撃が望ましかった。
しかし、状況はそれどころではなかった。
ラビの航空基地には、夜間攻撃に91式航空魚雷を装備した一式陸攻が並んでいた。
その数は21機。決して少ないとはいえないが、敵機動部隊に対する攻撃として心もとない数だった。
ニューギニアの東端に位置するラビは、同方面の重要基地として、戦線を支えていた。
ポートモレスビーを占領したとはいえ、アメリカ・オーストラリア軍の抵抗により、同基地は十分に機能しているとは言い難かった。
実際、陸軍の航空戦力はほぼ皆無に近く、海軍の水上機部隊がなんとか切り盛りをしているような状況だ。
近々に特設水上機母艦が配備されるという話も聞いているが、それでも焼け石に水ではないかと思っていた。
そして、今回は、ラビからの貴重な陸攻を使っての敵機動部隊への夜間攻撃だ。
ブナ基地を中心とした部隊の昼間攻撃が不首尾に終わったため、ラバウル、ラビから夜間攻撃が実施されることになっていた。
しかし―― ラバウルの動きが一切分からなくなっていた。
「ラバウルの状況は――」
「まだ何も入ってきませんね。詳細は――」
「そうかぁ……」
持丸大尉は腕を組んでそのまま沈思する。
敵の攻撃を受けたという断片的な情報は入っていた。しかし、混乱の中、詳細はまだ分からない。
不確かな情報で士気が落ちるのはまずかった。
彼は歯を食いしばった。
闇の中とはいえ、不安を顔に出すわけにはいかなかった。部下がいるのだ。
彼は陸攻に乗り込み、この攻撃隊の指揮をすることになっている。
日本海軍が開戦前から訓練を続けていた陸攻による夜間雷撃だった。
当初、気にしてた天候に問題はなかった。
空には南天の星が光っている。それは、血みどろの人の戦いとは無縁の静寂の光を送りこんでいるように見えた。
自機の機器の最終確認は終わっていた。
後は、時間がくれば出撃する。それだけだった。
「峰長大尉の方は大丈夫なのか―― ずっと飛んでいるんだろう。無茶な話だが」
ラバウルから哨戒飛行に飛んでいた二式大艇はラビに着水していた。
状況の急変が、ラバウルに帰還することを許さなかった。
そして、彼らに夜間攻撃隊の教導と吊光照明弾の投下任務が割り当てられた。
「無茶といえば、もうあっちこっちが無茶ですよ。ここだって、モレスビーだって」
副操縦士の桐谷一飛曹が言った。一歩間違えれば、上層部批判になりかねない言葉だ。
しかし、持丸大尉はそれをとがめる気はなかった。
「まあ、俺以外の士官の前ではそんなことは言わん方がいいな」
「分かってますけど。大丈夫なんですかね。二式大艇だって十分に整備できたわけじゃないでしょう」
「おまけに、共同訓練だってしていないからな――」
「どうにも…… まあ、本分を尽くしますけどね」
夜間攻撃には「零式吊光照明弾」が使用される。1発の重さが40Kgを超える。
それを10発は連続投下しなければ、夜間雷撃を可能とする明るさを得ることはできない。
1発で100万燭光。1分間隔で投下し、1発が3分40秒の間光を放つ照明弾だ。
しかし、陸攻にそれを積むことになれば魚雷攻撃の機体を減らすことになる。
照明と攻撃の両方はできないのだ。
そして、その任務がたまたま、ラビに着水した二式大艇に割り当てられたのだ。
「峰長大尉は、よく引き受けたよ―― 真面目な男だ」
自分であればどうか? 持丸大尉は考える。しかし、どうにも答えは出てこなかった。
照明弾専用の爆弾設置場所がない二式大艇は、側部の機銃座を開け放って、投下することになった。
なんとか可能であろうと見込みは持っているらしい。
「時間だな――」
カンテラ を持った誘導員が指示を出す。
電動セルモーターが回転し、ペラが回る。
1800馬力の火星エンジンに火が入った。
エンジンとペラが直結され、そのパワーが風を切りさき、推進力を生み出していく。
闇の中――
巨大な二つのエンジンを搭載した葉巻型の機体が動き出していく。
200Kg以上の高性能炸薬の詰まった魚雷を抱いてだ。
「敵空母撃滅――」
持丸大尉はその言葉を口にする。そして、それをやり遂げることを決意していた。
どんな手段を使ってでもだ――
■参考文献
歴史群像太平洋戦史シリーズ67「米海軍戦闘機」
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