その117:鬼よ我が魂の前に哭け 東部ニューギニア戦線 その9
俺は、聯合艦隊司令部にいた。陸上に移動して数か月経過している。
そこは史実と同じく日吉の慶応大学の寄宿舎を使用しているのだ。
史実よりも早く大学生の動員というか囲い込みが海軍を中心に積極的に行われた。
海軍がやれば、当然陸軍も動き出すのだった。
その結果、寄宿舎は空きが多くなり、聯合艦隊司令部の利用ができるようになったというわけだ。
大学生の早期動員は、スカスカになった士官搭乗員をどうにかしなければいけなくなったからだ。
作戦面で勝利しているといっても、被害が大きかった。特に、航空戦力、搭乗員の育成は一刻の猶予もない状況だった。
そのような中では、教育水準の高い人材は貴重だ。航空士官としての促成教育ができる。
こう言った人たちは、本当は戦争で消耗してはいけない人材なのかもしれない。
しかし、もう戦争は始まっているわけだ。人材を温存して戦い、更に酷くなった戦況でその人材を投入するよりはマシだ。いい訳かもしれないが……
ちなみに、アメリカでは開戦と同時に大学が普通に空っぽになったらしい。
日本の大学生は、戦争を他人事だという空気があった。
仕掛けられた戦争と仕掛けた戦争の差があるにせよ、戦前の日本を「軍国主義国家」と定義するには、どうにも変だなと思う一例だ。
日本では「学徒動員」は悲劇の一例として戦後語られる。しかし、アメリカではあまりにも普通のことだったわけだ。
それでも日本にとってこの戦争が悲劇なのは変わらんかもしれない。
ただ、出来ることはすべてやるしかない。クソ――
「陸軍の第68飛行戦隊が、12日にブナに到着したとのことです」
《i_95143388》
陸軍は海軍の要請を受け、新設した第六航空師団をラバウルに移動していた。
それが、昨年末のこと。史実より少し早い。
そして、その指揮下に組み込まれた第68飛行戦隊が、ニューギニアにやってきたのだった。
三和参謀がその報告をした。
「三式戦がやっとこブナまできたのか……」
《i_b1c17b60》
三式戦。陸軍の間では「キの61」と呼ばれるのが一般的だったらしい。
後に「飛燕」の名前で呼ばれることになる戦闘機だ。
ドイツ製、液冷エンジン「BD601」をライセンス生産したエンジンを装備した最新鋭機だ。
最高速度時速590キロ以上。12.7ミリ機銃4門。
製造メーカーである川崎の設計主任者、土井武夫氏の理論――
「高アスペクト比の機体は運動性がよくなる。翼面荷重より翼幅荷重なのだ!」という設計思想で、スラリと長い主翼をもった機体。
はっきり言って、見た目でいえば、太平洋戦争中の日本軍戦闘機の中でも最高水準。俺も個人的には好きな機体だったりする。
翼と本体が別々の構造で、ボルトで固定している。そのせいか知らんが、日本軍機の中では、最強ともいえる機体強度を誇る。
速度計表示で時速850キロ以上で降下してもビクともしない。
日本機の多くが抱える弱点である降下性能の悪さがない。むしろ世界最高水準。
総合性能で言えば、1943年時点では、十分に一線級といえるだろう。
ただ、問題が結構ある機体だ。
問題その1は、稼働率が低いこと。史実ではこれでかなり難儀したのだ。
そもそも、陸軍はDB601A系列のエンジンを大量生産するような戦闘機を想定していなかったらしい。
《i_d8b52cdf》
DB601A
1200馬力に届かないDB601Aで、高性能な機体ができるとは、陸軍は考えてなかった。
将来、DB601Aの性能向上型をもって、欧米一線級機に負けない高速戦闘機を実現する計画だったらしい。
だからライセンス契約直後の1940年時点でも、全然量産に向けた計画ができていなかった。
そうしたら、キ61の試作機がいきなり時速591キロの最高速度を記録する。
陸軍は「これは天佑である」と思いこんだ。
急きょ開始されるDB601Aのライセンス品である「ハ40」生産準備。泥縄だ。
で、これが難儀を極めた。散々なことになる。
燃料噴射装置のライセンスが別契約で、自前で調達しなければならなくなる。
工作機械の精度の格差が酷すぎて、部品の歩留まりが悪すぎた。
モリブデンなどの希少金属の使用が制限された。
こんな、感じで手足が縛られ、短時間の準備で、おまけに泥縄で造ったエンジンがまともに動くようになっただけでも、当時の技術者サイドの努力には敬意を表したい。
技術問題というより、軍行政、生産計画の問題が根本にある。
海軍が同じくDB601系列をライセンス化した「アツタ」は、ハ40ほど酷くはない。
真面目にBD601系列のエンジンを搭載することを検討していたので、BD600からさかのぼって生産準備をしていた。
でも、海軍でもコイツを搭載した艦爆の「彗星」の稼働率はいいという話を聞かない。
確かに悪かった。でも、その理由が陸軍のキ61とはちと違っていた。
海軍は、整備教育がなっていなかったのが、大きな理由。
その他、機体の電気部品の質とか、エンジン以外の問題もあった。
それで、「彗星」は稼働率が悪いという評判を得てしまったのだ。
しかし「アツタ」はきちんと整備すれば動くエンジンだった。
その証拠に、戦争後半に、特攻を拒否し夜間襲撃で戦果を上げ続けた美濃部部隊は、放置してあった彗星(アツタエンジン搭載)を活用していた。
運用の問題が大きな比重を占めている証拠のひとつだ。
で、キ61。三式戦「飛燕」の酷評されるもう一点。問題その2だ。
それは、機体が重すぎて、上昇力が悪いこと。
頑丈に造られたのはいいけど、機体が重くなっているのだ。
燃料を満載すると、陸軍の爆撃機である九七式重爆に上昇で負けるという話すらあった。
しかしだ――
この俺のいる歴史線の中では、ちょっと事情が違っている。
まず、エンジン。これは陸海軍の機体共用化の流れの中で「アツタ」方式のエンジンを使うことになった。
史実でも計画されたことだが、同じ系列でも細かい仕様が異なり、川崎側で生産転移が難しいということで中止になったこと。
これが、一応実現している。
BD601系列は、「アツタ」仕様で統一生産されている。
そして、若干よろしくないと思われるエンジンは、対魚雷艇ボートの「震洋」に使っている。
そもそも、陸軍で「三式戦」の大量生産を行う予定が無くなった。
「雷電」の存在だ。
20ミリ機銃4門。最高速度は中高度で時速620キロを超え、上昇力は世界最高レベル。
史実でもあった、陸軍の「雷電」採用の話が進んでいる。
そして、それに危機感を覚えた中島が、キ84の開発を怒涛の勢いで進めているという状況だ。
キ84――
大東亜決戦機といわれた「疾風」だ。
史実における、大日本帝国の生み出した最高の戦闘機。
というわけで、どう転んでもキ61の大量生産はないということになりそうなのだ。
ただ、陸軍内部では液冷戦闘機を支持する声もあり、完全に生産が途絶することはないかもしれない。技術は途絶えてしまうと、復活するのが困難になるからだ。
「長官、それに山城の運用試験が進んでます。概ね使用に耐えそうですね」
三和参謀が次の報告をした。
山城の改造の件だ。
戦艦としての山城は、アリューシャン沖海戦で終わった。
あの美しい艦橋がポッキリ折れ、5番砲塔が爆発してしまったのだ。
そして、この戦艦の修理にリソースをつぎ込んでもあまり意味のないことを俺は知っている。史実によればだ。
36サンチ12門の戦艦は、強力ではあるが、今の日本海軍に必須の戦力ではない。
三和参謀の言っている山城。それは「艦隊防空艦」に改造された存在のことだった。
工事は最近終了し、今は運用試験を行っている。
改造の結果、外観は空母みたいに見える。ただ、見えるだけ。
近くに寄ってみれば、戦艦の構造物を残しやぐらを上に組んだような形状をしているのが分かる。
やっつけ仕事丸出しだ。
ただ、山城は「やっつけ仕事」だけの存在じゃない。
斜めの飛行甲板、つまり「アンクルドデッキ」を装備した艦になっている。
着艦と発艦が同時にできる。ただし、運用できるのは戦闘機だけだ。
爆撃機、攻撃機まで運用可能にするような改造をしている暇などない。ドッグもない。
「アンクルドデッキは使えるだろう?」
「はい。ただ、飛行甲板がかなり上に設置されてますので、艦の揺れにより、特に着艦が難しいとのことです」
「訓練しかないよね。それ」
「まあ、それしかないですね」
足らない部分は、現場の訓練と工夫で乗り切る。それが21世紀まで連綿と続く日本の伝統なのだからしかたない。
「山城が使えるなら、空母の編成も考え直さないといけないかもしれないな……」
ポートモレスビー方面の補給問題。それを一気に解決すべき、全力の航空&艦隊決戦。
使える戦力が増えるなら、大歓迎だった。
そして、アンクルドデッキが成功すれば、空母戦力のあり方が大きく変わる可能性もある。
◇◇◇◇◇◇
(おいおい、本当にノコノコやってくるのかよ……)
中根主計中尉は、やってくる敵を見つめながら思った。
敵性集落と判断された現地集落の近くだ。
密林の茂みの中、分隊が攻撃を待っている。
無線などない。声も出せない。
辻中佐の九六式軽機関銃の発砲が攻撃の合図となることになっている。
「ん? オーストラリアか…… あの間抜けな形の鉄兜はぁ。さあ、こい。ブチ殺してやる」
辻中佐が、狂気の笑みを浮かべ、九六式軽機を構えている。伏せ撃ちの体勢。
なぜか、銃剣がその先に装着されている。
夜戦対策として、どす黒く塗られた刃が銃口の先に突きだしている。
(陸軍では、軽機でも銃剣突撃するという噂は本当だったのか……)
中根主計中尉は思う。彼の持つ三八式歩兵銃にも銃剣が装着されているのだ。
分隊12名全員が、銃剣を装備して待ち構えているのだった。
「オーストラリア兵は銃剣突撃でも逃げぬからなぁ…… マレーでもそうだった…… 中々、楽しい敵かもしれんぞ」
この参謀様は、銃剣で追撃する気か?
中根主計士官は、短期間で2度目の銃剣突撃を経験することになりそうな気配に、心底「勘弁してください」と思う。
そう思うが、現実は厳しかった。
「やはり、オーストラリア兵ですね…‥」
中根主計中尉は言った。
皿のような浅い形状で、ツバの広い鉄兜。
ブロディヘルメットと呼ばれ、英国連邦で一般に使用されている。
オーストラリア兵のヘルメットも同じはずだ。
彼がそう口にしたのは「オーストラリア兵」の勇猛さを聞き及んでいたからだ。
恐怖から出た言葉だった。
陸軍あたりから流れてくる「アメ公の兵隊は銃剣突撃すると、逃げて遠くから撃つだけだが、オーストラリア兵は、向かってくるからな。奴らは手ごわい」という噂も耳にしている。
日本軍全体の印象として「オーストラリア兵(アンザック兵)は勇猛」という評価が固定しつつあった。
これは、彼らが知らないことであるが、陸軍の銃剣術研究の総本山「戸山学校」では捕虜と銃剣術教官が試合を行い、彼我の銃剣術の検討を行っている。
捕虜は適当に選んだ人材で、日本は専門家である。
それなのに、結果は日本側は中々捕虜に勝てないのだった。
これは、日本の銃剣術が「集団突撃における、殺すための突き」を重視したのに対し、英米側は「身を守るための多彩な術」が教育されていたことが原因だ。
これをもって、日本の銃剣術が劣っているというわけではない、戦場と言う極限状態の中では、本気で殺す突撃は恐怖以外の何ものでもない。
ゆえに「日本兵との白兵戦など冗談じゃない」という多くの実戦経験者の意見が残る。
その一方で「日本軍の白兵戦技術は低い」ということがアメリカでは兵隊向けのマニュアルで強調される。
本当に、脅威でなければ、貴重なマニュアルのページを割くわけがない。
殺す気で一直線に突っ込んでくる日本兵は、銃剣、ナイフ格闘の技術を身に着けた者にとっても恐怖だったのだ。その恐怖を無くし、落ちついて対処すれば、技術そのものは大したことないといいたかったのだろう。しかし、この場にいる日豪両方の戦士には関係のない情報だった。
ただ言えるのは、オーストラリア兵が逃げ腰ではなかった場合、辻中佐、中根主計中尉の分隊による白兵突撃が敵を圧倒できるかどうかは微妙なところということくらいだ。
「距離―― よし……」
辻中佐が呟くように言った。
すぅぅっと息を吸いこむ。
呪術師のように彼の体内にニューギニアの密林のあらゆる気が吸収され、高濃度の殺意の結晶を造りだしていくようであった。
「しねぇぇぇ!! アングロサクソンがぁ! 殺してやる!」
ドドドドド、ドドド、ドド!!
絶叫とともに、発射される九六式軽機関銃。
同時に、三八式歩兵銃の乾いた銃声が響く。
そして、炸裂音。重擲弾筒だった。
八九式重擲弾筒。
50ミリ口径の筒から800グラムの砲弾を発射できる軽迫撃砲だ。
歩兵ひとりでも運用できる。アメリカ兵が恐れた日本陸軍の兵器のひとつだ。
「突撃! 突撃! 白兵戦で決める!」
いきなりの銃撃で、乱れた敵。
そこに、突撃をかますのであった。
中佐参謀が、銃剣を装備した軽機を腰だめ射撃しながら突撃していくのだ。
他の兵も勢いが違った。
喚声を上げ、密林から飛び出する陸軍兵。
中根主計中尉も、突撃する。
その顔はほとんど泣き顔。誰にも見られて無いのが幸いだ。
やはり、アンザック兵は頑強だ。向かってくる。絶対に――
中根主計中尉は死を覚悟する。この戦争では4か月ぶり3回目のことだった。
「逃げるかぁぁ! 殺してやる!!」
辻中佐は、軽機を撃ちまくる。
何人かの兵が敵兵を捕捉し、背中に銃剣を突き立てた。
「逃げる? オーストラリア兵も逃げるのか……」
中根主計中尉は三八式歩兵銃の銃剣を水平に構えながら、つぶやいていた。
初撃を受けた敵の遊撃隊は逃げだしたのだ。
なんで―― オーストラリア兵の勇猛さも所詮は噂――
そう思った瞬間だった。
地面が揺れた。体が浮き上がったような錯覚を中根主計中尉は覚えた。
「砲撃かぁ! 散開! 密林に入れ!」
辻中佐が叫ぶ。同時に雷鳴のような音が響き、密林が砕ける音が響く。
砲撃。間違いなく砲撃だった。
一瞬だった。地面を影がよぎる。
中根主計中尉は見あげた。葉と葉の間からはっきりと見えた。
飛行機だ。敵のだ――
「中佐! 観測機です!」
「なんだとぉぉ!」
それは「グラスホッパー」と呼ばれる航空機だ。
砲撃の支援を行うために開発された機材。極めて狭い場所でも離着陸が可能な機体だった。
L-4 グラスホッパー。
「エンジンを切って、近づいてたのか……」
中根主計中尉は考える。いくらなんでも飛行機がきているなら音で分かる。
おそらくグライダーのように滑空していたのだ。
罠にかかったのは、こっちか――
上空から観測し、出てきたら砲撃で仕留める気だったのか――
しかし、あるのか?
こんな近くに砲撃基地が…… 中根主計中尉の思考が爆音で遮られた。
砲撃が続いた。
かなり近くに着弾した。
空気が凶器となり、彼の身体を叩く。
ビシビシと巻き上げられた石や土が彼に当たった。
「集落が…… 集落が燃えている……」
こちらが人質にとっていたはずの集落。それが砲撃の直撃を喰らい燃えていた。
「ぐぬぅぅ!! 卑劣な! 卑劣な、アングロサクソンどもがぁ!」
辻中佐は、炎を背景にし、九六式軽機関銃で航空機を狙い射撃を続けていた。
砲撃の爆音が響き。何かが彼の身体に当たり、血飛沫が上がった。肩のあたり。
「これで! 五か国目か? この身に喰いこんだ砲弾・銃弾! オーストラリア製か? 殺してやる。いいか、自分は負けないのである! 自分が負けぬ限り大日本帝國に敗北はないのである!」
爆発音の中、それを強引に切り裂くような咆哮が密林を震わせる。
砲撃が終わるまで、血まみれの辻中佐は射撃を止めることはなかった。
■参考文献
日本軍と日本兵 米軍報告書は語る 一ノ瀬 俊也 (著)
米軍が恐れた「卑怯な日本軍」一ノ瀬 俊也 (著)
丸一月別冊 三式戦闘機飛燕 潮書房
陸軍航空隊全史 木俣滋郎(著)
液冷戦闘機「飛燕」―日独合体の銀翼 渡辺 洋二 (著)
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