その115:鬼よ我が魂の前に哭け 東部ニューギニア戦線 その7

 ザッ、ザッ、ザッ、ザッ――

 規則正しいリズムで鉈が植物を切断する音が響く。


 日本ではあり得ない密度で生えている植物。 

 しかも、中には鋭いトゲまで持った物がある。

 なんで、ほとんど人もいないようなニューギニアの植物がトゲをつくるのか?


 中根主計中尉は、進化論そのものに、悪態をつきたくなりながらも、前に進む。


「主計中尉殿。もう少しであります!」


「分かるよ。見れば分かるから」


 彼の前で鉈を振り回し、一応道を開いているのが飯田上等兵だ。

 現役で上等兵になった優秀な兵とのことだ。

 徴兵され満期を迎えるときに、ほとんどの者は一等兵となる。

 上等兵になれる者は、ごく一部だ。彼らは下士官候補として、実戦力という意味での軍の「中核」を担う存在となるのだ。


 陸軍の「兵舎の平等」。

 確かに徴兵されれば、社会的な身分や学歴など関係なく、全員二等兵から始まる。

 そして、完全な実力主義と表面では言われている(実際は、裏も表もある話だ)。

 陸軍では、甲種幹部候補生の試験に合格すれば、士官への道が開かれる。


 ただ、甲種幹部候補生合格するのにはやはり中学卒業以上の学歴は必要だった。

 当時の日本人の大部分を占める小卒、高等小学校卒では厳しいのが現実だ。


 当時は大学へ行く者など一握りだ。中学卒(現在の高校)でも能力の高い人間はいる。

 割を食うのは、金持ちのボンボンの大学生だったのだろう。

 大学卒業者でも、甲種幹部候補生試験に落ちる者はゴロゴロいたのだ。


 陸軍の「兵舎の平等」は内務班のイジメや、「員数合わせ」という日常化した備品盗難についても平等だった。


「軍人は要領をもって本分とすべし」という言葉は有名だ。

  

 しかし、能力のある者を選抜することを陸軍はためらわない。それは事実だ。

 実力主義で人事を行うという面では、海軍以上に柔軟であったといえる。

 兵隊あがりで少佐にまでなった者、いわゆる「兵隊元帥」もそれなりに存在する。

 

 しかし、中根主計中尉は、そういった陸軍の「兵舎の平等」とか「実力競争主義」とは無縁でいたかったのだ。

 だから、大学在学中に『短期現役主計科士官』を選んだ。

 海軍は大卒者に無条件で特権を与える。そちらを選ばない方がどうかしていると彼は思っていた。


 それにだ――


「海軍士官はモテるとか思っていたけどなぁ……」


 彼は陸軍より海軍を選んだ理由のひとつを思わず口にしていた。

 空気の薄さと疲労で、頭がボケてきているのかもしない。

 こんなとこに、女などいやしないのに。

 

「どうしましたか? 主計中尉殿」


「いや、なんでもない。なんでもない」


「そうでありますか」


 飯田上等兵は再び、ヒュンヒュンと鉈を振り回し道を開いていく。

 中根主計中尉は肩から九六式軽機関銃を提げ、その後に続く。

 彼らは、現地人の集落へ斥候に向かっている最中だ。


「人の気配はないようだな」


「まだ、分からないのであります」


「まあ、即断は禁物か」


 人の気配はない。

 しかし、家屋などを見ると、廃棄された集落という感じはない。

 今は見えないが人が住んでいるのだろう。


 人が住んでいるのであれば、いくら地の果てニューギニアであっても道はある。 

 しかし、その道から堂々と集落に入ることはできない。

 このあたりの現地人は、アメリカ・オーストラリアに宣撫せんぶ工作されている可能性があった。

 要するに敵だ。 

 今回の目的もこの部落に、敵が出入りしている形跡がないかどうかを調べるためだ。


 ニューギニアにおける現地人との協力体制の構築については、日本側は完全に後手に回っている。


 日本も宣撫工作を行ってはいるらしい。協力的な現地人もいなくはない。

 しかし、その数はあまり多くはないということは耳にしている。

 要するに「現地人を見たら、敵と思え」が実情だ。

 分りやすいと言えば、分りやすい。

 しかし、緑の触手がうねるようなニューギニアの密林の中で、現地人の協力が限定的なのは不利以外のなにものでもない。


「もうすこし迂回すれば、全体が見渡せると思いますが、どうでありますか?」


「上等兵の判断にまかせる」


 迂回するということは、余計に歩くということだ。

 しかし、ここは上等兵の判断にまかせた。

 軍隊では「星の数より飯の数」「メンコの数」が物を言う場面がある。

 そもそも日本陸軍には階級とは別に「親分子分」という関係が組織の中に息づいていた。


 さすがに兵と士官の間でそれはない。

 しかし、優秀な兵、下士官には逆らわない方がいいという戦場の不文律のようなものはあったのだ。

 それくらい中根主計中尉も知っている。


(飯田上等兵の方が優秀な軍人なのだろなぁ。確実に。俺より)


 中根主計中尉は思った。


(現役兵だとすると、彼は22か23歳か? 俺より2つ下か……)

 

 年齢を考えるが、そんな物は戦場では関係ない。

 どーみても有能なのは飯田上等兵だった。

 その思いが「なんで俺はここにいるの?」という思いにループしてくる。

 思考の無限回廊だ。 


「主計中尉殿」

「なんだ? 飯田上等兵」

「主計中尉殿はなんでも、米軍に斬り込み、ひとりで米兵10数人を惨殺。最後に銃剣を投げつけ、敵を貫いたと―― 本当でありましょうか?」

「あ…… あ~あ?」


 なにそれ? 

 どこから、そんな情報が?

 中根主計中尉は困惑する。おそらくだ。駆逐艦高波が座礁した後の斬り込み隊の話だ。 

 確かに、テンパって銃剣を投げたら、偶然、敵に当たったけど……

 なんで、そんな尾ひれがついているの?


 彼は困惑の表情のまま沈黙を守っていた。


「勇者は、己が軍功などを多く語らぬのでありますな」


「いや、誤解だろ。それ? どこからそんな……」


「中佐殿が『今度海軍からくる将校は、凄まじい猛者だ。海軍には勿体ない人材だと』と言っておりました。その際に……」


 辻中佐か……

 いや、違う。元凶は辻中佐が手にした海軍の考査票か?

 しかし、そんな大げさなことが考査票にかかれるか?

 真相は現時点では分からない。


「いや…… それは…… ちょっと話を大げさに……」


 飯田上等兵は目をキラキラさせながらこっちを見ていた。


(なにそれ? 自分はいつの間にか、そんな勇猛果敢な士官になっているの? いったい、自分の考査票って何が書いてあるんだ?)


 彼は思うが、答えは出ない。


「自分の軍功を誇らない。自分も軍人として見習いたいであります」


 飯田上等兵は惚れ惚れするような所作で敬礼をすると、再び鉈を振る作業にうつった。

 中根主計中尉は否定しようにも、情報が完全な嘘ではなく、中途半端な誇張の状態に困惑する。

 下手に否定すれば、謙遜とみなされるし、繰り返せば嫌味に見えるかもしれない。

 真実が全く別物であったとしてもだ。


「ここからなら、全体が見えるのであります」


「確かにな」


 中根主計中尉は言った。 

 それほど大きな集落ではない。

 丸太と木の葉を乗せた粗末な小屋が数個並んでいるだけの集落。

 おそらくは、数世帯の小集落だ。


 しかし、こういった小集落であっても、遊撃戦(ゲリラ戦)を展開する小部隊が補給・休憩するなら十分だ。

 20人以下の分隊であれば、十分に利用できるだろう。


「厄介な敵なんだろうな」


 中根主計中尉は、集落を見張りながら言った。

 そんな、厄介な敵がやってこないことを願いながらだ。


「奴ら、道路工事現場だけでなく、ポートモレスビーにも擾乱攻撃をしかけるのであります。捕捉し殲滅せねばなりません」


 強い語気で飯田上等兵が言った。戦意以上の何かが含まれているような声音だった。

 

 敵の遊撃部隊―― 

 規模は20人前後の分隊レベル。

 密林での集団行動では限界だろう。


 軽迫撃砲をもって、道路工事の阻害。そして、ポートモレスビー基地近くまで接近し、迫撃砲弾を撃ちこんでくる。

 ブナからポートモレスビーへの交通路の設定。

 途中のココダには、電探基地と小型機の運用が可能な基地が建設中だ。

 ここにも、米軍の遊撃隊は攻撃を指向し始めている。


 ニューギニア全体で、どのくらいの数の遊撃部隊が稼動しているのか、正確には不明だ。

 下手すれば100を超えるのかもしれない。


 日本から6000キロも離れた場所。

 猖獗(しょうけつ)を極める原始の密林の中で、近代兵器を抱えて殺し合いだ。

 陸上勤務を希望しすぎたのか? あまりに露骨すぎて、自分は飛ばされたのか?

 そんなことをも彼は思う。


 しかし、ニューギニアはあまりにも広いのだ。

 世界で二番目に大きな島。ほとんど大陸だ。

 そこで、盛んに遊撃戦が実施されているといっても、そう簡単に会敵はできないのではないか?

 彼は集落を見つめながらそんな風に考えた。

 

 どうにもそれは、都合の良い考えのような気もした。

 実際集落に敵影は見えないのであるが、胸の内の不安だけは増大していく。


 ジリジリと時間が経過していく。

 どうするのか?

 このまま、戻って問題ないと報告すべきか?

 しかし、全く人間がいないというのも奇妙な話だった。


 彼は腕時計を見た。結構時間が経過したかと思っていたが、それほど時計の針は進んでいない。


 中根主計中尉は急にのどに渇きを感じた。

 水筒を取り出し、一気に飲んだ。

 喉に流れ込む水が心地いい。


「主計中尉殿これを」

「ん?」


 飯田上等兵から錠剤のようなものを手渡された。

 

「塩の錠剤です。汗をかいたら飲んでおいた方がいいのであります」

「あ、すまんな」


 中根主計中尉が塩の錠剤を流し込んだ瞬間だった。


「中尉殿!」

 

 声が上がった。飯田上等兵だ。

 名を呼ばれ、こっちを見ている。

 中根主計中尉も気付いていた。彼は黙って頷いた。


「集落の人間のようなだな…… 敵らしきもの見えずか」


 ため息のような呼気を「ふぅ」と吐きながら中根主計中尉はいった。

 鉄兜の中に突っ込んである手ぬぐいが汗でべとべとだった。

 このまま、歳を食ったら頭頂部から自分はスダレのようなハゲになるんじゃないかと彼は思った。


 その内、ポロポロと人が集落に帰ってきた。

 家の数から、さほどの人数とは思っていなかったが、思いのほか大人数が暮らしているようだった。

 水くみから帰ってきた女たちもいた。

 

 雨の多いニューギニアであるが、雨水だけに水を頼るわけにはいかないのだろう。

 それに、ここ数日は珍しく雨が降ってないのではなかったか。


「宣撫の可能性も検証するため行ってみるか」


 中根主計中尉は言った。集落の中へ入ってみようと思ったのだ。

 おそらくは、アメリカ兵はいない。

 そう考えると、現地民の集落というものに、興味がわいてきたのだ。

 元来、彼は兵器やら軍備品やらの性能などを知ることが好きな性分だった。

 その好奇心がムクムクと出てきていたのだ。


「了解であります」


 飯田上等兵の方は、この中根主計中尉を海軍から来た、超有能な士官だと信じ込んでいる。

 その士官が「行こう」と言うなら反対する理由はなかった。


 彼らは集落の中に入るべく、正規の道に向かって進み始めた。


        ◇◇◇◇◇◇


「アメリカ、イナイ、イナイ、ミナイ」


 ピジン英語だった。英語を簡略化し、現地語と融合した言語だ。

 その言葉を話せる者が集落にいた。族長かなにかであろうか。

 パッと見の年齢が分からない。見た目は50を軽く超えているように見える。

 しかし、南洋の現地人特有のふけ方だとすると30歳程度なのかもしれない。


 英語のできる中根主計中尉はある程度、意味が分かった。


「どうも、アメリカ兵はいないと言っているな」


 彼は飯田上等兵に意味を伝える。

 しかし、飯田上等兵は決して油断しない。

 殺気に満ちた鋭い目で、周囲を警戒する。


 集落の人間は、気前よく家の中も見せてくれた。

 飯田上等兵は、地べたを何度も調べる。なにか、痕跡になるものが落ちてないか必死なのだろう。

 もし、ゲリラがこの集落を拠点としていたとしても、そう簡単に証拠が落ちているわけがない。


 彼は石で組んだ壁の隙間にまで、銃剣を突っ込んでほじくり返してた。

 でも、なにも見つからないのだった。


「もう、それくらいにしたらいいんじゃないかな」


 こう、敵対的な行動をとるより、こっちの味方になってくれるような、宣撫を行った方がいいと中根主計中尉は思った。


「土人の言うことなど、信用できぬのであります!」


 しかし、飯田上等兵は、徹底的に集落を調べまくる。

 まるで43年後に出現する、他人の家の中にズカズカ入り物色するRPGゲームのキャラのようにだ。


 そういった彼の行為も、とくにとがめられることもなく、平然と集落の現地人は見ていた。


(子どもが出てこないな)


 子どもたちはこの集落に多くいた。

 それが、全く外にでてこない。


(俺たちは危険と思われているんだろうなぁ)


 彼は常識的にそう判断する。

 周囲の大人たちも、敵意はないが、特に物珍しげに中根主計中尉達を見ているわけではない。

 三八式歩兵銃や、このクソ重い九六式軽機関銃を見ても「なんだ?」と聞いて来る者はいなかった。


(こういった物を知っているのか?)


 ふと、彼は思った。

 ただ、ニューギニアの現地人とはそういうものかもしれない。

 日本人の常識で考えるのは間違いの元だ。


「主計中尉…… 何もでないのであります」

「そうか」


 集落の広場から、ふたりは集落の出入り口となっているところに進んだ。


「ニホンモットクル。カンゲイ。メシ。タクサン」


 どうやら、いっぱい連れてきたら、ごちそうすると言っているらしい。

 中根主計中尉は頭を下げ、礼を言った。


 そして、頭を下げたとき、見えた視界。

 それが、脳内に流れ込み、違和感を生じさせた。


 地面だ――

 多くの足跡がある。

 足跡が識別できるくらいある。

 

「水くみ、大変なのか?」

「タイヘン。アメ、フラナイ。ズット」

「そうかぁ……」


 そう言うと、中根主計中尉は踵を返し進む。気が付けば早足になっている。

 そのまま、下草の潰された道ではない、密林の中に入った。心臓はバクバクとしていた。


(いる―― 敵がいる…… 間違いない)


 彼は自分の結論を頭の中で整理する。


 足跡の中に、靴の者は、自分と飯田上等兵だけのものだった。

 それはいい。明らかに別のクツを履いた人間が出入りしている跡はなかった。


 しかし――


(雨も降ってないのに、なんで足跡の数があんなに少ないんだ?)


 密林の中で風もそれほど抜けない。

 集落の広場から、出入り口、そう集落全体に残された足跡があまりに少なすぎた。

 もし、数日も雨が降っていないなら、原型が分からなくなるくらい、足跡の数が多くてもいいじゃないか?

 

 なぜだ――


 消しているからだ。

 彼らは、自分たちの集落の足跡を消している。

 習慣か? 違うだろう。

 そんなことに労力を使うほど、ここの自然環境はあまくないだろう。

 

 足跡を消す必要があるから消している。

 そう考えるのが、自然だった。


「どうしたのでありますか? そんな早足で」


 飯田上等兵が言った。彼は気が付かなかったようだ。

 優越感よりも「なんで、こんな余計なことに気づくのか」という思いの方が圧倒的に大きい。


「敵がいる。あの集落は敵性集落だ。まず、間違いない」


「なぜでありますか?」


「足跡さ。奴ら、足跡を全部キレイに消している。なんのために? 分かるだろう」


 まるで、他人の頭の程度を試すかのような物言いになってしまったことに、彼自身嫌悪を感じた。

 

「アメリカ兵かオーストラリア兵が踏み込んだ足跡を消すため――」


 飯田上等兵の頭の回転十分に速かった。

 第一選抜の上等兵も伊達ではないということだろう。


「辻参謀に伝えよう。敵はいる―― 間違いない」


 中根主計中尉は言った。

 その結果、おそらくロクなことにならないような気がした。

 ただ、戦争とは、こういうクソッタレなロクでもない状況の連続なんだろうとも思い始めていた。

 その意味で、彼はまだ正気で、そして善人であったのだ。


■参考文献

皇軍兵士の日常生活/一ノ瀬 俊也 (著)

日本軍と日本兵 米軍報告書は語る/一ノ瀬 俊也 (著)

学歴・階級・軍隊―高学歴兵士たちの憂鬱な日常/高田 里惠子 (著)

ルソンの砲弾―第八師団玉砕戦記  河合 武郎 (著)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る