その113:【閑話】空母エセックスと艦隊防空システム

 以前のようなジリジリした焦燥感とは少し違っていた。

 ただ、もっと重くどす黒い空気に押し包まれているような気がしていた。

 組織としての答えは出ていた。

 そして、自分自身もそれに対し、大きな反対を唱えることができなかった。


 しかし――


「本当に一隻なのか」


 小川少尉は独りごちた。

 そして、赤鉛筆を手の中で挟み込む。

 そのまま、机に肘をつき、顔の前で拝むようにした。

 

 彼の机にはその業務の分からぬ者―― いや分かっている者でも ――意味不明な書籍、書類が山積となっている。

 所々に付箋が貼られ、乱雑なように見え、それはきちんと整理されているようであった。


「エセックスですか?」


 不意の声に振りかえった。

 後ろに人が立っていた。

 土屋兵曹長だった。

 白髪の増えたごま塩頭をかきながら彼に言ったのだ。


「はい。そうです―― 気になります」


「敵さんの航空隊の呼び出しコードですか」


 土屋兵曹長の言葉に、小さく「そうです」と彼は言った。


 彼らは大和田通信所を母体とする新たな部門に移動していた。

 勤務場所が変わったわけではない。ただ周辺の環境、そして規模がけた違いに大きくなっていた。

 以前の海軍では、軍令部特務解読班を含む各種情報機関でそれぞれ少数の人員を配置していた。

 同じような仕事を重複し行っていたということらしい。

 小川少尉は「無駄なことを」と思うが、それ以上の感想は無い。

 少なくとも今は改善されたのだと思うからだ。 


 数学の徒であることを自覚する彼は自身が他人以上に無機的な効率論者とみられることを嫌がる面があった。

 その意味で、彼はまだ人間的に純真であったのかもしれない。

 部下である土屋兵曹長に丁寧な言葉で話すのもその一面がでたものだろう。

 娑婆っ気が抜けぬと言われながらもだ。


「心配は分かりますがね。周辺状況からみて、エセックス級は1隻ですよ」


 土屋兵曹長は、苦笑しながらも言った。


「航空隊の消耗。訓練の部隊の増強。それが、ひとつの空母に2つの航空隊になる。正鵠を射ているようにも思えますが……」


「が?」


「私たちは何かを間違えているのかもしれません。あのときのように」


 電波通信解析による敵情分析。

 彼らは、開戦以来大きな成果を上げていた。

 珊瑚海海戦、ポートモレスビー沖海戦で、敵空母の動向を掴み、勝利に貢献している。

 

 ポートモレスビー基地へ戦艦砲撃。そして、ソロモン方面への空母奇襲。

 その可能性についても、司令部には提示していた。

 しかし、それは情報として遅すぎて、役に立てることができなかった。遅いというのは、失敗と同じだ。


 小川少尉の「あのときのように」とはこの情報解析が遅れたことを言っていた。


 そして、今、小川少尉は組織の下した判断に疑念を持っている。

 つまり「本当にハワイにいるエセックス級空母は1隻なのか?」と言う点だ。

 通信解析から、複数の戦闘機航空隊の符丁が読み取れた。


 これについての意見は大まかにはこんなところだった。


 ・欺瞞工作

 ・正面航空戦力の枯渇による育成部隊の増加


 そもそも「最近沈んだばかりの空母の名前を使ってまた航空隊を作るのか? 縁起悪いだろ」という者もいた。

 航空隊の符丁が、すでに沈んでいる「エンタープライズ」のものであったからだ。


 さすがに、エンタープライズが生き残っているとは考えづらい。

(サラトガは何度も沈めたと誤認をしていたが)

 

 現在、ハワイで錬成中の空母。

 エセックス級――

 

 予想性能では満載で4万トン以上。

 90機から100機を運用し、最高32~34ノット。

 ヨークタウン級の拡大改造型である。

 空母単体の性能面で見るなら、日本海軍の最新鋭空母「翔鶴型」を確実に凌駕(りょうが)する。


「大型正規空母2隻を増強すれば、それは他の数字にも出るはずです」


「それは、分かっている」


 土屋兵曹長が指摘する。それは、なんども検証されたことだった。


 大型の空母を維持するには膨大な物資が必要だ。

 作戦行動を前提としなくとも、錬成中であっても膨大な物資を食いまくる存在だ。

 それは日米の空母とも変わらない。


 ハワイ方面に運び込まれる物資の量。

 人員の移動。人事面の動き。

 

 そのような定量的なデータが、空母1隻の出現を補完するものと重なる。

 2隻にしては少なすぎた。 


 しかし――

 あまりにも数値が符合しすぎるのではないか。

 小川少尉はそのような疑念を持った。本来であれば気にすることもない。

 それを気にしていたら、そもそも「通信解析」という手法そのものが成立しない。


 モノの基準となる定規の狂いを疑うようなものだ。

 しかも、根拠は希薄だ。

 戦闘機の飛行隊だけが浮いているという事実だけなのだ。


「万全ではないかもしれませんが……」

「常に完ぺきを求めるのが、我々の職務です」

「少尉?」


 驚いた顔で土屋兵曹長は彼を見た。


「すまない」


 小川少尉は思いもかけない強い口調で言葉が出てしまったことを謝罪した。

 数学の学徒から士官となった彼は、海軍の潮を呼吸し鍛えられた下士官に対し敬意を払っている。


 おそらく土屋兵曹長の「万全ではない」は当たり前だ。

 万全でないところから、正解を求めるのが自分たちの役割なのだから。

 それが分かっていて、なぜそのような強い口調の言葉が出てしまったのか? 自分でも分からない。

 ただ、胸の奥にコロンと小さな小石が挟まったような感覚が言わせたのか。

 言葉にすれば最もそれが近かったかもしれない。

 

「エセックス級、2隻ですか。贅沢な話ですな」


 土屋兵曹長は話を変え自分の椅子に座わった。

 そして、ハワイ周辺の地図の束を取り出す。

 様々な情報が時系列別に書き込まれた地図の束。


「土屋兵曹長は、無いと思うか」

「さあ、どちらかってなら自分は1隻に賭けますがね。俸給ひと月分くらいなら」

「そうか」

 

 丁半博打のような言い分に、鼻白む小川少尉。


「まあ、ドンがら(空っぽの意)でハワイくんだりまで来るってなら…… まあ、それでも勘定は合いませんな」


「まあ、そうだな」



 まさか、ハワイまで最低限の乗員で航行し、必要人員を他に紛れ込ませ――

 いや、考え出したらきりがない。そして、その方法はあまりにコストがかかりすぎる。

 そこまでして、空母1隻を隠す理由がない。いや、正確には理由があるのかないのか、その判断すらできないのだ。

 確かに馬鹿げているかもしれない。


 疲れているのか? 自分は――

 彼は手のひらで軽く目を揉んだ。

 そして、彼は頭を切り替える。この話は終わりだ。

 問題は他にいくらでもあるのだ。


 エセックス空母1隻――

 それでいい。それでも大きな脅威だ。

 こいつの動向にこそ、注意すべきだ。


「こいつ、来ますかね。少尉」


「来るさ。絶対に」


 ソロモンに来る。まだ、その確証はない。

 しかし、絶対にやってくる。それも日を置かずに、小川少尉はそう考えていた。

 そして、抑え込んでいたはずの数の問題が浮かび上がってきた。

 

 エセックス級は2隻いる――


 なぜか、心の奥底で声が聞こえた気がした。


        ◇◇◇◇◇◇


「空母の被害拡大。アメリカは絶対に対策を行うでしょうね」


 聯合艦隊司令部、長官の私室であった。

 アメリカはこれまで、正規空母4隻も失っている。

 この対策は絶対に打ってくる。


 史実の通りなら、1944年に完成する鉄壁の艦隊防空システムだ。

 それが、前倒しで実現するかもしれない。

 いや、いずれは実現する。いつであってもおかしくない。


「キャハハハハ!! アホウかぁぁ! アメ公のへなちょこ弾など、精神力さえあれば避けるのだ! 気合いなのだ! 見敵必殺! どんどん沈めればいいのだぁ!」


 放っておくと、広くなった司令部内を散策し、絶叫で仕事の邪魔をするので女神様は俺と一緒にいる。

 女神様の言い分では「戦意高揚と精神力注入とご霊験」のあることらしいが…… 霊験は絶対嘘だ。

 ウロウロさせて、なにか効果がでるなら、神というより座敷童である。

 

「さて! 今日は、どこに行くか迷うのだ」

「ウロウロしないで、ここにいてくださいよ」

「むっ! 吾の魅力に懸想(けそう)しておるのか? だが、吾は神だ! ダメなのだ!」


 懸想(けそう)…… 異性に想いをかけること。

 意味を頭に浮かべ、ぐんにゃりした顔で俺は女神様を見た。


 今日は、トレーナーとかラフな格好ではなく、女神っぽい格好だった。

 見た目だけは無駄に美少女なのはなぜなのか? 

 疑問に思わざるを得ない。

 

「よう、アメさんの防空射撃網はそんなにすげぇのかい?」


 本物、五十六大将が目の前に座っている。相変わらず真正面から人の臓腑(ぞうふ)を覗きこむような視線。

 それでいて、自分の腹内は一切見せない御仁だ。


「すごいですよ。史実ではほぼ、日本の通常航空攻撃は完封されます」


「そうかい。それで……」


「特攻ですよ―― どうせ死ぬなら、敵を沈めて死ねということです」


「十中九死と十中十死じゃ、全然意味が違うがな。そんなことはじめたら、海軍は終(しめ)ぇだなぁ」


「まあ、それで終わったわけですよ」


「そうだけどなぁ」


 本物・五十六大将が面白くなさそうに唇を突きだして言った。

 こういった、子どもっぽいところがあるのも、この人の全容を見えにくくする。

 ニートの俺など本来ではサシで話が出来る相手ではないのだ。

 人間としての格が違いすぎている。


「特攻作戦だけはなにがあっても、絶対にやりませんからね」


 俺は言った。多分、同意だろうと思うけど。

 この人、ハワイ作戦について、最初の計画は全機特攻と言っていたらしい。

 ソースは戦史叢書「ハワイ作戦」記憶の彼方なので、正確かどうかは分からん。


 でも、それは日米戦序盤で、日本人の狂気ぶりをみせ、日本を守るためというブラフだったということらしいが。

 根っからのギャンブラーなのかもしれん。この目の前の歴史上の人物は。


「どんなもんなんだい? そのアメリカの防空のシステムだ」


 山本五十六大将は、それ以上特攻に言及することなく、俺に話の続きを求めた。

 そう、アメリカ軍の艦隊防空システムについてだ。


 俺は記憶を掘り起こしながら説明を始めるのだった。

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