その112:鬼よ我が魂の前に哭け 東部ニューギニア戦線 その6
状況はかなり切迫しているのではないか。
古瀬技術中尉は、ポートモレスビーの各処を見て回りそのように思った。
敵の爆撃は、この地に大きな爪痕を残している。
すでに、彼が当地に着任し数日が経過していた。
連日のアメリカ軍による爆撃。それは、昼も夜もなかった。
迎撃機が上がらないわけではなかった。
現地の参謀から聞いていた通り、味方の戦闘機も飛んできた。
敵爆撃機が去った後にだ。
「電探(レーダー)で探知しても間に合わないということか」
陸軍の電探 ――陸軍で「電探」と言うと「伝単(でんたん)」となり宣伝用のビラになる。陸軍では「警戒機」というらしいが―― は破壊されていた。
ただ、海軍の電探は動いている。
しかし、その探知距離では、ラエなどの他の基地からの迎撃機は間に合わない。
彼は、昼間に大型4発機が悠々と上空を飛ぶのを目撃していた。
あれが「空飛ぶ要塞」と呼ばれるB-17かと思う。
敵でありながらそのフォルムが妙に綺麗だと思った。
長く観察できたわけではない。防空壕へ退避しなければならないからだ。
爆撃が始まると、防空壕の中で大地のビリビリとした振動を感じた。
それほど至近に爆弾が落ちたわけでもないのにだ。
爆弾の雨の後は、火薬と物の焼け焦げた臭いが大気に濃密に溶け込んでいた。
濃緑な密林に囲まれ隔離された、離島のような場所。
最前線――
まさに、このポートモレスビーはそのように形容される場所であった。
爆撃の合間に古瀬技術中尉は、自分の本分を果たすために動く。
海軍設営隊60名を率いて、水上機基地近くに中型輸送船が利用できる桟橋を建設するためだった。
この工事自体は、今のところ大きな問題はでていない。
爆撃は滑走路を含む基地中央部や本来の港湾部に集中していたからだ。
海軍の水上機基地はそこから離れた場所にある。
半ば、密林に喰いこむような形で設定されていた。
それでも、爆弾が至近に落下することはあった。
海軍水上機基地の正確な位置をアメリカが掴んでいないのか。
それとも、優先順位の問題で後回しにされているのか。
古瀬技術中尉には理由は分からない。
ただ、桟橋の建設が進めば、いずれアメリカはそれを察知する。
そして、その意味も理解するだろう。
楽観などはできなかった。
「問題はこれからだろうな」
彼は口の中でつぶやく。自分自身に言い聞かせるためだった。
ポートモレスビー基地の状況。
着任当初の海軍水上機基地の様子から状況を類推し、その被害状況を甘くみていたのだ。
まず基地防衛の根幹となる航空機の運用がほとんどできない状況だ。
飛ばせるのは、海軍の水上機。10機あまりの機体だ。
そして、陸軍の方は壊滅的といってよかった。
「飛行可能な機体を隠匿してても、滑走路が使えないのではどうにもならないか」
陸軍も無事に残った機体は分散し掩体に格納している。
しかし、滑走路が連日の攻撃で使用できる状況ではなかった。
自分たちが運ばれてきた大発輸送で、陸軍にも何台かの均土車が行っているはずだった。
それにより、多少は状況が変わるかもしれない。
古瀬技術中尉は思った――
それは、技術者としての定量的な思考というよりは、日本人としての願望に近い思いだった。
◇◇◇◇◇◇
「輸送船のために空母を危険に晒すのですか?」
宇垣参謀長が無表情なまま、俺に言った。
事実を確認しているだけなのか、ムッとしているのかよく分からない。
相変わらず、メモをとるための手帳を開いている。
日吉の聯合艦隊司令部。
次期作戦の会議中だった。
「危険? 危険じゃない戦域なんかどこにもないだろう。陸軍の将兵や商船は危険に晒していいのか?」
俺はちょっと強い口調で言った。ただ、彼が悪いわけじゃない。
宇垣参謀長が悪いというより、日本の貧乏が悪いのは分かっている。
お金をかけて造った貴重な航空母艦は、兵器以上の何かになっている。
沈んでしまったら、おいそれとは造れないのだ。
「敵は、正規空母3隻。護衛空母が4~5隻とみられますからな。全力でこられても、対応不可能ではないでしょう」
黒島先任参謀が、俺の発言に助け船を出した。
「情報部門より、ハワイに新たな空母の動きがあるとの可能性の報告を受けてますが」
三和参謀が言った。敵戦力を決めつけるのは早計に過ぎるという意味だろう。
「それは確かな情報なのかね?」
「疑う証拠はこちらにはありません」
「ニューギニア方面に派遣される可能性は?」
「まだ、解析報告はでてません」
「情報が不確定すぎる」
黒島先任参謀と三和参謀が早口でやりあった。
ポートモレスビー基地の苦境。
その打開が最優先だ。そのための作戦。
今の聯合艦隊の戦力、そのほとんどをつぎ込んでも勝負をかける。
空母、陸上基地の航空攻撃。そして戦艦による艦砲射撃。やられたらやり返す。
ここで、引くわけにはいかないんだ。
こんな大規模な艦隊作戦は、史実の1943年には無かった。
史実では日米とも、艦隊戦力を消耗し、1944年までは大規模な海戦を実施していない。
この間で、戦力回復力の差がもろに出た。史実のマリアナ沖海戦がそれを示している。
「マリアナ沖の七面鳥撃ち」といわれた一方的な惨敗。ここで、事実上、聯合艦隊は近代海軍としての作戦能力を喪失した。
「陸軍は重慶攻略に向け、動いている。そして、ポートモレスビーの状況がこのままだとどうなる?」
「バカな…… 何を考えて……」
黒島先任参謀の言葉に、三和参謀は言葉に詰まる。
太平洋を主戦場と考える海軍士官とすれば、真っ当な反応だった。
しかし、大日本帝國の戦争方針としては、陸軍の方が国家の戦争方針に合致しているのだ。
日本がこの戦争を終わらせるために目指す状況。
・イギリスの脱落
・重慶政府の降伏
それをもって、アメリカの継戦意志を喪失させること。
昭和16年11月の『帝國國策遂行要領』で決定している戦争方針だ。
これでアメリカが屈するかどうかは、後知恵で考えれば、甚(はなは)だ疑問ではあるのだが。
「すでに陸軍の一部では、ポートモレスビーからの引き上げの意見もでている」
俺は、本物・山本五十六から聞かされていた情報を言った。
どうも、攻勢終末点に関しては、陸軍の方がシビアな人間が多いような気がするのだ。
ただ、そういった人間が多いからと言って、組織がそう動くかというのは別問題なのであるが。
「戦力の分散は危険です」
三和参謀が俺に向かって言った。今回の作戦では空母を二群に分けるのだ。
「軍事的な原則としては、その通りだと思う」
「ではなぜ?」
「作戦目的が複数だからだ。だから戦力を分ける」
「それは……」
「ひとつの戦力単位にひとつの作戦目的とするため。それ以外の理由はない」
こんなことが出来るのは今しかない。
圧倒的な空母優位。
もし、アメリカ海軍がエセックス級を加えても1~2隻だ。
確か一番艦のエセックスは1942年の終わりに就役している。
それを考えると、情報部門のいうハワイ近海の空母は、エセックスの可能性がある。
もしそれが加わったとしても、戦力の優位は動かない。
そしてだ――
「もし、敵がこちらの動きを掴んでるとしたらだどうだ?」
俺の発言に全員の視線が集まった。
暗号が破られている可能性だ――
少なくともここにいる幕僚たちは、その可能性を疑っている者ばかりだ。
「前提条件を絞りましょう」
黒島先任参謀がギラギラと目を輝かせ言った。
こういう状況を楽しんでいるかのようにすら見えた。
「敵はこちらの戦力配分、作戦目的、その全てを解読したとする。さあ、どうするね?」
「艦隊による迎撃の可否の検討―― 彼我戦力の分析だろうな」
黙っていた黄金仮面こと宇垣参謀長が口を開いた。
「我々―― いや、米軍から見たら敵ですな。空母は2群であるが、そのどちらも自分たち以上の戦力を持っている――」
今回の作戦案では空母は2群に分ける。
赤城、加賀、隼鷹、飛鷹、龍驤を輸送船団の直接護衛につける。
飛龍、翔鶴、瑞鶴、祥鳳、瑞鳳が敵空母の発見につとめ、見敵必殺の一撃を加える。
エセックス級が加わったとしても、アメリカにとってはかなり厳しい。
空母の消耗を避けたいのはアメリカも同じだ。いや、空母というよりは搭乗員だろう――
「で、どう出ますか? アメリカは」
先ほどの話の続きだというように、黒島先任参謀は、三和参謀を見て言った。
「遊撃戦力からの発見を避け、輸送船団の攻撃――」
「それが、可能だと?」
「難しいだろう」
「では、他には?」
「空母戦力の消耗のみを狙い、一撃をかけ離脱」
「ポートモレスビーへの補給が成功する可能性が上がりますな。我々が戦略的に優位に立つことになりますが?」
「両方を――」
「相手も戦力を分散しますか? 作戦目的を二重化させるのですか? アメリカ海軍にそれを強いるならそれでいいじゃないですか」
「油は? こちらの油の問題は?」
三和参謀は、日本海軍のアキレス腱ともいえる問題を指摘した。
「それは、南方からの輸送でなんとかなりそうだ。陸軍との調整も行ったよ」
陸軍の管轄であるパレンバンからの直接輸送が調整つきそうなのである。
これは、本物山本五十六の働きだった。
油田・地帯の陸海軍の割り当てが現地で適当に決められた。
それで、最も油を産出するパレンバンを海軍は自由に使えなかったのだ。
輸送船まで臨時的なタンカーとして今もトラック島への輸送は続いている。
「分かっていても避けることの出来ない鉄槌―― そいつをアメリカに振りおろす」
俺は言った。ただ、その鉄槌はおそらく一回しか使えないだろうと思いながら。
◇◇◇◇◇◇
人数は12人。分隊といっていい規模だ。
中根主計中尉は、密林内で活動するには、これくらいの方がいいのだろうと思った。
その中に、自分が含まれていることを除いてだ。
「しかし、密林内をウロウロ歩いて……」
しかも地形は山地。山あり谷ありの密林である。
標高があるので、若干気温が低く、密林が陽光を遮るので、耐えられない暑さということはなかった。
しかし、九六式軽機関銃という重りを持っての行軍は、彼の意識を異次元に吹き飛ばしそうだった。
中根主計中尉は手近にいた兵を見た。全然疲れた様子が無い。
なんか、目がギラギラしている。
というか、この分隊全員が戦意が高い。よく言えば。
一方、中根主計中尉の主観で言えば、兵と言うより、血を求める殺戮者の集団のようにも思えた。
彼らを率いる指揮官の個性が行きわたっているかのように。
「いったいどこに向けて歩いているんだ?」
もはや軍隊言葉で話す余裕もなくなっていた。
彼はどこに向かっているかすら分かってないのだ。
それが、精神を削りまくる。
まるで、濃緑色の海の底に沈んだかのような錯覚を覚える。
「密林でも敵の気配を察して、必ず敵を見つけ出すのであります!」
「誰が?」
「参謀殿であります!」
兵のひとりが言った。
それは、どこの軍用犬だと中根主計中尉は思った。
そして、先頭を鼻歌まじりで、進んでいく参謀を見た。
自分と同じ軽機を持っていても、その重さは全く関係なしだった。
辻政信中佐だ。
本来であれば、こんな密林に入りこんで敵と戦うなんてする必要などない。
参謀には参謀の仕事があるはずじゃないかと思う。
「あのような、勇敢な参謀殿はいないのであります。平気で銃弾に向かって行くのであります! 尊敬するのであります!」
自分が信仰する神を語るかのように兵は言った。
確かに、そりゃ勇敢であることは戦場では美徳だ。
しかし、参謀としては違うんじゃないかと思わずにはいられなかった。
「止まれ!」
ビシッとした声。音量は決して大きくないのに、よく通る声だった。
辻中佐の命令だった。
まるで、分隊がひとつの生き物のように動きを止め身をひそめる。
「土人部落だ…… いるかもしれぬ。敵が…… アングロサクソンの手先の土人部落かもしれぬのだ」
辻中佐は指で方向を示した。
中根主計中尉もその方向を見た。
「良く見つけたな……」
思わず小さく声が出てしまった。
密林の中に、小さな集落のような物が見えるのだ。
緑の中に溶けこむような感じだった。
「斥候!」
「斥候、行くであります」
「ちょっと待て」
命じられ即座に動き出そうとした兵が止まった。
「中根主計中尉!」
「はい」
辻参謀に手招きされ、前に進む中根主計中尉。
嫌な予感で、体中がパンパンになるが、逃げることもできないのだ。
「せっかくなのだ。将校斥候がいいと思うのだが? 行くか?」
なぜか、軍刀を握りしめ辻中佐は言った。
その丸メガネの奥の目が「抗命即、斬り捨てなのである」と言っている気がした。
固まる中根主計中尉。将校斥候とは…… 偵察?
要するに、あの土人部落に行けと。この俺に行けと言っているのか?
「どうした? 主計中尉!」
「はい! 中根主計中尉! 土人部落への将校斥候行くのであります!」
なぜか陸軍言葉で彼は復唱する。
逆らうことなど出来るわけがなかった。
そして彼は、兵一名とともに、密林をかき分けていくのであった。
(なんで? なんで俺はこんなことになっているんだ?)
彼は無意味な自問自答を頭の中で繰り返していた。
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