その111:鬼よ我が魂の前に哭け 東部ニューギニア戦線 その5

 問題盛りだくさんの戦争。

 現在、続行中の「太平洋戦争」と呼ばれることになる戦争は今のところそうなっている。

 少なくとも、俺にとってはだ。


 呼び名は、公式には「大東亜戦争」となっているけど、海軍は反対していたりして、まあ、それはどうもでいいか……


 呼び名はともかく、頭が痛いのは日米戦だ。アメリカだ。どーすんだこのチート国家。


 日本にとっては、対アメリカとの戦争。これにつきるのだ。


 そして、1943年時点でその最前線になっているのが、ソロモン方面と東部ニューギアだ。


 まずは、ソロモン。

 ここは、最前線とはいっても、まだマシだった。

 こちらからは、深く攻め込まず、ラバウルを中心に外周基地を配置。

 攻勢防御的な形となっている。


 ただ、不味いことに、アメリカ海軍はガダルカナルへの大規模輸送に成功した。

 ありったけの空母をつぎ込み攻撃仕掛けてきたのだ。ちょうど、こちらの空母運用限界期間を見切ったようにだ。


 くそ、暗号か…… やはり読まれているのか。


 おまけに、その隙にポートモレスビーには戦艦の砲撃を喰らわせてくれた。


 今は、ブイン基地を中心に、航空戦が繰り広げられている。

 損害がないわけではないが、戦いは優位に進んでいるのだろうという判断がでている。

 多分、その分析は間違っていないと思う。


 史実のガダルカナルからの撤退後、ラバウルを中心として航空要撃戦が展開された。

 1944年にトラック空襲でどうにもならなくなるまでの間だ。

 それまで、零戦はアメリカのF6Fヘルキャットや、F4Uコルセア相手に互角以上に戦っている。

 戦後の研究家が、お互いの損害を検証した資料を出しているのだ。


 なぜ互角以上だったか?

 味方の基地の近い場所で戦うというのは、航空戦では有利だからだ。

 燃料を気にする必要もなく、救助される可能性が高い。

 出撃から戦闘までの飛行も疲労を感じさせる長時間にはならない。


 今、ソロモンで起きているのはその繰り返しみたいなものだ。

 しかも、色々な要因が異なっている。

 基地の抗堪性こうたんせいは史実以上。

 おもちゃみたいなブルドーザーモドキだが、数だけはある。

 掩体壕も整備している。


 機材は金星エンジンに換装し、武装を強化した零式艦上戦闘機53型。

 そして、1800馬力の火星エンジンを搭載した怪物・雷電だ。


 しかも、ラバウルが後方基地として機能しているのが大きい。

 ここが直接攻撃に晒されることなく、搭乗員のローテーションを組むことができた。

 さすがに、本土にまで返すことはできない。

 それでも、延々と最前線に搭乗員をへばりつけることはなくなっていた。


「こっちは、まだマシなんだがなぁ…… 問題は、ニューギニアだよなぁ」


 問題はやはり東部ニューギニア方面。

 ポートモレスビーを中心とする戦線だった。


「港湾設備の復旧、でもって航空基地の復旧か……」


 手元にある報告書を目を通しながら俺は言った。

 別に誰に聞かせるわけでもない言葉だ。


「どちらかってわけにもいくめぇや」


 本物の山本五十六大将が不意に口を開いた。

 長官私室だ。今ここには俺と本物五十六大将しかいないのである。


「そうですけどね、補給が厳しいですよ」


「この前の大発輸送は成功したんだろ?」


「大発30隻で300トンの物資を送りこめたと前向きに考えるなら成功。7隻沈められて、損失率19%と考えると微妙ですけどね」


 設営隊やら後方部隊を含めて1万人が展開しているポートモレスビー。

 はっきり言って焼け石に水くらいの物資だ。

 まあ、ラビからの陸路もなくない。

 しかし、これは大発の輸送よりも極細だ。


 ブナからの道路も建設する計画になっているが……

 直線距離はともかく、3000メートル級の山脈をどうするのか。


「前向きに考えた方がいいだろうさ。戦はまだ続く。撤退する気はねぇんだろ?」


「一度、下がったら押し切られるかもしれないですから」


「そうか―― まあ、そうかもしれんなぁ」


 山本五十六大将は短く刈り込んだ頭をかいた。


「あ……」

「どうしたんだい?」

「いえ…… なんでもないです」


 俺はちょっと思った。

 まるで、俺の思考がそのまんま軍人のようになっているのではないかと。

 後世に批判されることになる、軍人。攻勢終末点を無視し、補給出来ない場所で戦ったと――


 ポートモレスビーは攻勢終末点を超えている?

 日本の国力から見て――

 どうなんだ、本当に……


 急に心臓がバクバクいいだした。手先が冷たくなったような錯覚。


 バカなと思う。

 だって、俺は歴史を知っているんだぞ。


 俺は大きく息を吸いこむ。

 ポートモレスビーからの撤退は、ニューギニアを失うことになるのか?

 本当か?

 ラビまでは補給がきている。そこで食い止めることは可能では?

 そもそも、ニューギニア完全占領の目的はなんだ?


 フィリピンへのアメリカ軍への侵攻を止めること。

 フィリピンを奪還されれば、そこで戦争は終わる。

 資源地帯と日本が完全に寸断されるからだ。


 ニューギニアを失えば、オーストラリアは、国土防衛計画を見直す。

 一気に、攻勢に出る可能性が高い。


 マッカーサーがいなくとも、誰かが気付く可能性がある。

 オーストラリアの潜在能力の高さに。

 どうする…… 


 オーストラリア封じ込めと言う目的がまずある。

 これが作戦行動を立案する上の「戦役」という概念にあたるものだ。

 複数の作戦行動が目指すべき、最終的目標と言ってしまえばいいのか?


 そのためには、なにをする。いや、何と何と何がだ――

 ひとつとは限らない。作戦は有機的に絡む。

 やれることは全てやらなきゃならない。


「山本大将――」


 すっと背筋を伸ばし俺は目の前の歴史的人物を見つめた。


「なんだい? あらたまって。布哇ハワイか? やはり布哇攻撃しかないか」


「それはないです! 輸送船も油もないし、陸軍との――」


 俺の反応をみて、ニヤニヤ笑っている。

 俺をからかっているのか。なんというか、たまらん人だ。


 俺が口を止めると、急にまじめな顔になった。

 平成の世では中々見れない武人の顔だと思った。


「豪州かい? そこで、相手と同じことをやり返そうって考えているんじゃないのかい?」


 図星だった。

 空母部隊、戦艦でオーストラリア北部に攻撃を仕掛ける。敵のミスリードを誘いつつ、戦局の打開を図る。

 油の問題があるが、ここで踏ん張らないとダメだ。

 ああ、あと暗号も…… くそ、もう問題山済みだぁぁ。


 内心の動揺を隠し俺は口を開いた。


「そうです。オーストラリア北部への攻撃―― 占領ではないです。それを……」


 俺の言葉を聞き、山本五十六は黙って腕を組んだ。そして、潜考するかのように瞑目した。


        ◇◇◇◇◇◇


「爆撃はほとんど毎日だ。夜も昼もない。主に滑走路が狙われている。主力はB-17、P-38。ケレマ、豪北、およびルイジアード諸島にアメリカの基地がある」


「そうですか……」


 海軍の古瀬技術中尉は現地の状況を現地参謀から聞いた。

 それでも、思っていたより、酷いということはなかった。

 大発による輸送。その真っ最中。魚雷艇の襲撃を受けた。

 これから行く先は、かなり危機的な状況ではないかと推測していたのだ。


 下手すれば地獄ではないか――

 そこまで思った。


 ただ、基地の空気はそこまで荒れた感じではなかった。


「とにかく、揚陸用の桟橋の建設だ」


「はい、我々はそのために来たのですから」


 古瀬技術中尉は答えた。海軍施設系の技術士官として大学から直接海軍に入った。

 施設本部とは、簡単にいえば土木屋だ。本来であればそのような仕事は陸軍のものである。

 ただ、海軍も陸上基地を持っている。滑走路も造れば、港の整備もする。今回のように桟橋の整備を行うこともあるわけだ。


 ポートモレスビーは良港であった。

 ニューギニアにおいては、例外ともいえるほど、近代文明が浸透した場所であった。

 桟橋もあり、物資輸送の鉄道も引かれていた。


 しかし、その桟橋はクレーンも含め完全に破壊されていた。

 大型輸送船を利用した円滑な揚陸などできる環境に無かった。

 それでも、一時は無理やり復旧させ、輸送船を入れたこともある。


 結果、揚陸に時間がかかりすぎ、輸送船に大被害が出たのだ。

 物資も大部分が焼失した。


 その後の敵戦艦による艦砲射撃や爆撃で、既存の桟橋は大きな損傷を受けた。

 こちらの復旧も進めている。

 その一方で、新たな桟橋の建設も進めるということになっていた。

 そのために、古瀬技術中尉たちは、ここにいるのだ。


 一般に、5000トンクラスの中型輸送船で1日に揚陸できる物資は1000トン。

 これは、港にデリックなどの設備がなく、輸送船側のデリックと大発を使用した場合だ。


 安全だけ考えれば制空権が確保されていれば問題はないと思いがちだが、そうでもない。

 輸送効率の悪化は、複数の輸送船を常に、危険海域に晒すことにつながる。

 1隻で済む輸送に、10隻が稼働すれば、敵はそれだけ、攻撃機会を増やすのだ。


 制空権は必須ではある。ただ、それだけじゃ十分じゃないということだ。

 それは、いかにも技術畑の士官らしい考え方だった。


「味方の飛行機はどうなっているんですか?」


 古瀬技術中尉は訊いた。


「ラエ、サラモア、ブナ、ラビから飛ばしちゃいるがな……」


 参謀の答えは、間接的にポートモレスビー基地の航空戦力が機能してないことを告白するものだった。

 それは、古瀬技術中尉にも納得できた。 


 大発で移動中も、上空警戒の飛行機は少なかったからだ。

 そして、どうしても時間的な隙間があった。


 彼らは、昼間の移動を最小限にしていた。

 夜間移動が中心だったのだ。それで航空攻撃を避けることはできた。


 しかし、ポートモレスビー基地にはそんなことはできない。

 基地は逃げも隠れもできないのだ。


「こちらからも、敵基地には攻撃している。今が踏ん張りどきだよ」


 そう言うと参謀はポンと古瀬技術中尉の肩を叩いた。

 そして、本部の方へと戻っていった。


 その場には、部下たちが残っている。


「こんどは爆撃か……」


 大発の輸送中は魚雷艇の襲撃を受けた。

 自分たちの部隊はたまたま被害を受けなかった。

 しかし、かなりの数の大発が沈んだはずだ。


 そのときは、死を覚悟した。

 もし、無事についたとしても今から行く戦場からは生きては帰れないのではないかと思っていた。

 ただ、そこまで状況がひっ迫しているような感じではなかった。

 少なくとも海軍側の基地においては、そのような空気はなかった。


 しかし―― 


 陸軍の方がどうなのか?

 海軍に比べ、大所帯だ。

 それだけ、物資も必要だ。ただ、食べると言うだけでもだ。


(陸軍の状況も見たい。情報の交換は必要だろう)


 彼はそう思った。


 アメリカという巨大な敵。

 それが、本気で自分たちを殺しにかかっているのだ。

 海軍だけ、陸軍だけという話で済むことではない。


 その事実が彼の胸の奥に重く沈むこんでいく。


「とにかく、職務を果たす―― 最善を尽くすしかない」


 古瀬技術中尉は、口の中でその言葉をつぶやく。

 己の肉の中に浸透させるようにだった。


「均土車の組み立手が終わりました」


 部下の報告だった。

 鉄パイプにべニア板の車体にむき出しのエンジン。

 リヤカーのタイヤを束ねたような車輪。

 見るからに安っぽい機材であるが、意外に使い勝手はよかった。


「排土板はつけなくていいからな」

「そのようにしました」


 移動する車両だ。それが確保できた。

 コイツがあれば、物資の移動はかなり楽になる。


 今も部下たちは、揚陸した資材、機材、その他諸々の整理作業を行っている。

 格納庫は無いではないが、十分にそろってはいない。


 火薬、ガソリン、カーバイト、危険物は爆撃から避けるため、分散隠ぺいする必要があった。

 そのためには、このリヤカーエンジンのついた機材は使える。


 更に、密林の伐採を行い木材を確保する。そこからか――

 とにかく、自分たちの寝床を確保するところから始めないといけないのだ。

 これが、ニューギニアで最も近代的といわれたポートモレスビーの実態だ。


 ただ、幸いにももちこんだ物資の損失は少なかったのだ。


「桟橋の建設か…… 10トン級のデリックができれば、かなり状況は変わるか」


 与えられたもので、最善を尽くす。その最善はどのようなものになるのか?

 技術者らしい精緻な頭脳で彼は思考を始めていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「なんですか、この銃は?」


 肩にずっしりと重みがかかる。

 陸軍の主力銃である三八式歩兵銃も重いと思った。

 しかし、これはその倍以上ありそうだった。


「まあ、軽機ですからね。重いですよ。でも士官が持った方がいいでしょう。私らは三八で」


 兵は屈託のない笑顔で言った。


 中根主計中尉の持っている軽機。

 それは、九六式軽機関銃だった。

 中根主計中尉が肩から下げているのは、陸軍の制式兵器だ。

 分隊に一丁配備される火器である。


 中根主計中尉にとっては、知ったことではないが、陸軍の分隊単位の主力火器であった。

 三八式歩兵銃と同じ口径の6.5ミリ弾を使用し、毎分500発以上の弾丸を吐き出す。

 中々に高性能な軽機関銃なのである。弾を撃つならば。


 しかし、中根主計中尉にとっては、どうでもいいことだった。

 戦争は弾を撃つ時間より、それを運ぶ時間の方が長いのである。

 中根主計中尉はその真理を知っている。 


 その重量は10キロを超え、三八式歩兵銃の2.5倍。バンドが肩に喰いこんでくる。

「交換してくれない?」と兵隊にいえたらどんなにいいだろうかと思った。 

 しかし、軍隊とは、そんなことが言える組織ではないのだ。


 鋭いトゲをもった竹のような訳の分からん草をかき分け、彼らは進む。

 ニューギニアの密林だった。

 汗が流れる。それを手拭いで吹いた。

 鉄帽が蒸れる。

 このままでは、確実に禿げるだろうと思ったが、禿げるまで生きていられるかどうかが、まず問題だった。


 ガダルカナル(正確にはサボ島)で陸戦隊を組織して、夜間きりこみに行ったときのことを思いだした。

 あの時も死ぬかと思ったのだ。

 今はもっと、死神が近くにいるような気がする。なんか、後ろにべったりくっついているような気がした。


 彼は振り返った。

 そこには、丸メガネの参謀がいた。


「どーしたのだ! ん? これか? キサマも食うか? ああ~」


 丸メガネの参謀が生き生きとしながら、密林をかき分けていた。

 自分と同じ、軽機を下げているのに、足取りが軽い。おまけに帯刀までしているのに……

 中根主計中尉は、なにかを食っていた。なんだ?


「兵たちはいらぬというがな。かなり旨いのだ」


 そう言って彼は手を出した。

 中根主計中尉はそれを受け取った。

 モゾモゾと手の中で動いている。

 ジッとそれを見た。


 脳まで疲れ、その生物の名をの引きだすのに時間がかかった。


「イモムシですか…… これ?」


「枯れ木の中にいるのだ。意外に旨いぞ」


 辻政信中佐はムシャムシャとそれを咀嚼しながら言ったのだった。




■参考文献

海軍設営隊の太平洋戦争/佐用泰司

輸送船入門/大内健二

揚陸艦艇入門/大内健二

地獄の日本兵-ニューギニア戦線の真相/飯田 進

軍医戦記-生と死のニューギニア戦/柳沢 玄一郎

鉄砲を一発も撃たなかったおじいさんのニューギニア戦記/深津 信義

ニューギニア砲兵隊戦記/大畠 正彦

ニューギニア南海支隊モレスビーの灯/三根生 久大

7%の運命―東部ニューギニア戦線 密林からの生還/菅野 茂

東部ニューギニア戦 進攻篇/御田重宝

海軍零戦隊撃墜戦記1~3/梅本弘

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