その110:鬼よ我が魂の前に哭け 東部ニューギニア戦線 その4

 瑞星13型エンジンの奏でる音。

 そして、風切音――

 神田飛曹長は、その全てが闇に溶けこんでいくような錯覚を覚えた。


 零式水上観測機の操縦席。風防などない。流れ込む夜の大気が顔に叩きつけられる。

 神田飛曹長は、スロットルレバーの機銃発射ボタンを押しこむ。全力でだった。


 赤い曳光弾が闇の中を伸びる。そして消えていく。

 照準メガネの狭い視界。どす黒い闇の中に。


 ボッ――と小さな火の手が上がる。アメリカの魚雷艇PTボートの後部だった。


「やったか!」


 しかし、それはすぐに鎮火されてしまった。

 ダメージは与えているのだろうが、致命的なものとはほど遠かった。


 彼の操る零式水上観測機は、輸送任務を行っている大発部隊の上空護衛を行っていた。

 夜間飛行――

 現在の海軍でそのようなことが可能なのは、水上機くらいなものだった。


「豆鉄砲(7.7ミリ機銃)じゃどうしようもねぇぞ! 藤田まだか!」


 彼は偵察員の藤田に向け怒鳴る。その声が伝声管の中を響いた。

 

「まだです! もう少し!」


 藤田一飛からの返事が返ってくる。


「くそ! こんなときに故障か」


 神田飛曹長は叩きつけるようにして言った。

 操縦中でなければ、拳をなにかに叩きつけていたかもしれない。

 

 敵の魚雷艇により補給線の妨害は続いていた。

 そのために、水上機は「魚雷艇狩り」を実施していたのだ。

 最初は神通力を発揮していた水上機の攻撃も、今ではあまり効果が無くなっていた。


 砲艇へと改造されたPTボートは防御力も強化されたからだ。

 7.7ミリクラスの機銃では、致命傷を与えるのが困難になってきている。


 だからだった――


(まったく、肝心なときに役にたたないとか、どうなってるんだ)


 一瞬、その怒りが整備員に対し向きかけた。

 しかし、それは違う。

 彼らはよくやっている。交換部品すら少なくなった中で、なんとか戦力を維持しているのだ。


 この20ミリも、飛べなくなった陸軍機から「借りている」物である。

 零式水上観測機には、九九式20ミリ機関砲が乗せられている。

 後部座席の九二式7.7ミリ旋回機銃を取り外し、下向きに20ミリ機銃を乗せたのだ。

 

 射角は狭い。

 なるべく構造材をそのままにして、下向きに機銃を突き出したものだ。

 ただ、視界を確保するために、破れた障子のように外板は広く開けてある。


 兵器の現地改造は基本的には許されてはいない。

 しかし、背に腹は代えられなかった。

 そのようなことまでして搭載した20ミリが肝心な場面で故障したのだ。

  

「まだか!」


「まってください! よし!」


 藤田一飛の声と同時に唸りを上げる20ミリ機銃。


 ドドドドドッ


 機体をブルブルと震わせるような大きな震動だった。

 一瞬、小型の零観がブチ壊れるじゃないかというような衝撃だった。


「いけます! 直りました!」


 操縦席からは見えない。

 ただ、藤田一飛の声から、問題がないということを確信する。

 色々、言いたいことはあるが、基本的には優秀な偵察員であり、機銃手としても水準以上の腕がある。


「行くぞ! 藤田」


「はい」


 闇の中をミズスマシのように駆けまわるPTボート。

 40ノットを超える高速艇。

 神田飛曹長はそいつを軸線に捉えようと機体を操る。


「どうだ! 藤田?」


「くそ、ちょこまかとぉぉ!」


 射角が限られ、後部座席から、後ろに向かって発射する機銃。

 なかなか当たるものではなかった。

 それでも、7.7ミリとは違う太い火箭は、敵の動きに掣肘を加えていた。


 ドドドドド! ドドドドド!


 断続的な発射音と振動が響く。


「くそ! くそ! 当れ! 当れ!」


 藤田一飛が罵るような声を上げ、機銃を連射する。

 直接的な打撃を与えるには至ってない。


「右! もう少し右! 飛曹長!」


 藤田一飛が怒鳴る。

 機体をその通り操る神田飛曹長。


(敵の動きが乱れているな)


 神田飛曹長がそう思った瞬間だった。


 ボンっと上空まで響くような音をたて、PTボートが爆発した。

 自分たちの攻撃のせいではなかった。

 

「陸軍の砲艇か? 高速艇を護衛に出したというが」


 アメリカのPTボートよりかなり小型の船だ。

 ただ、舳先からアメリカのものよりも太い火箭を吐き出している。


 陸軍は戦車砲でも機銃化したのか?

 ふと、そんなことを思った。

 その火箭に捉えられたPTボートが爆発したのだ。


 個々の船の性能では、互角か日本の方が上のような気がした。

 ただ、アメリカ側の方が数も多く連携が取れている。

 

「まずい!」


 神田飛曹長は声を上げ、フットバーを蹴飛ばす。

 戦闘機との空戦を可能とするという常軌を逸した要求性能を無理やり実現した機体。

 複葉、下駄ばきの外見からは想像できないような動きでターンを決める。

 

 そして、大発に突っ込んで行く一団を威嚇する。

 7.7ミリの発射ボタンを押しっぱなししてだ。

 ビチビチとミシン目のように海面を走る。この闇の中、威嚇になっているかも怪しい。


「藤田ぁぁ!! 撃て、とくかく撃て!」


「はい!」


 ドドドドド!


 急ごしらえの九九式20ミリ機銃が弾丸を吐き出した。

 

「やった! 当たった」


 装甲化されているとはいっても、対7.7ミリ程度なのだろう。

 20ミリを喰らったPTボートの航跡がねじれる。明後日方向に走っていく。

 そして、火を噴いた。

 

「まだだ! 撃て!」


 ドドド‥… カタタタッタタタ――


 空撃ちの音が響いた。

 弾切れだ。

 

「ダメかッ!」


 神田飛曹長の視界の端で大発が炎上し始めた。

 貴重な物資。ここニューギニアでは黄金よりも価値のある物資を積んだ船だ。


 炎上する大発。

 その数は次第に増えて言った。


        ◇◇◇◇◇◇


 まるで祭りのようだ――

 生死の交錯する戦場で、月山中尉はそのような思いを持っていた。


 強馬力の発動機が奏でる爆音。波を砕く音。

 太鼓のような機関砲の発射音。

 青と赤の閃光が交錯する。光の帯を引いてだ。


 闇に展開する幻想的な光景ともいえた。

 曳航弾が風を切り裂き、甲高い音を立て着弾。火花を上げ、破壊する。

 アメリカ軍の青いアイスキャンデーのような曳光弾が間近を通過した。

 空気の焼けたような、焦げ臭いにおいがした。

  

「数が多すぎるか…… それに上手い。慣れてやがる」


 敵は何度も大発を襲っている連中なのだろう。

 その手際は歯ぎしりするほど上手い。

 こっちは、味方が少ない上に、翻弄されバラバラとなり、連携することができなくなりつつある。

 数隻のPTボートから集中砲火を喰らい、すでにやられた震洋もあった。


 確かに震洋は、主要部が防御されてはいる。

 しかし、攻撃と速度を重視した設計思想で作られた砲艇だ。

 20ミリ機関砲弾の集中砲火を喰らえば、長時間耐えきれるものではない。

 

 実際、月山中尉の震洋とて、非防御部分は穴だらけにされているのだ。


「敵、大発に向かってます!」


 兵の声。定員は6人の小型艇だ。

 銃弾で倒れた兵がすでに2人いる。


「佐藤、やれるか!」


「撃ちます!」


 ラ式37ミリ機関砲が轟という音を立て、砲弾といっていい弾丸を叩き出す。

 闇の中、舳先がボウっと明るくなる。銃口炎(マズルフラッシュ)とその残像が明滅する。

 佐藤軍曹の背が黒く逆光の中に見えた。


 4隻セットで突っ込んで行ったPTボートの内、一隻が炎上した。

 

「大発からも反撃してます」


 月山中尉もそれは分かった。

 おそらくは重機だ。92式か?

 陸上では破格の遠距離狙撃重機関銃だ。まともに狙われたら逃げ切れない高性能の代物だ。

 ただ、それは陸上の兵隊を相手にした場合に限る。

 海上を疾駆する餓狼たるPTボートを想定した武器じゃない。


「どうした! 速度が落ちてるぞ」


 月山中尉が声を上げた。

 自分の震洋がゆるゆると減速しているのが分かった。

 追尾しているPTボートとの差が開く。

 更に後方からは、距離を詰めてきた奴らが遠慮なく、20ミリ弾を叩きこんできた。


「エンジンから、異音! 出力低下!」


「ここで、お釈迦か! クソ!」


 エンジンはまだ力強い轟音を上げていた。

 しかし、どうも出力自体は落ちているようだった。


 震洋の2基のエンジン。

 ドイツ製の水冷航空機エンジンを流用したものだ。

 2基合計で2000馬力以上を発揮し、40ノット以上の高速で引っ張りまわす。

 ただ、運用限界は2基合計で1600馬力。そのように制限されていた。


「やはり全力で振りまわすのは無理か――」


 数に優る敵を翻弄するため、限界までエンジンを酷使した。

 そのツケが一気に噴き出したのだろう。


 カタログ性能で45ノットを謳うアメリカの魚雷艇PTボート。

 その速度に対し、互角以上の機動をみせていた震洋であったが、それはかなりの無理をしたからだ。


 この水冷エンジンの全力運転には限界があった。

 そもそも、日本の工業力ではかなり歩留まりが悪い生産しかできないでいたのだ。


 工業国として歴史の浅い大日本帝國の欠点は工作機械の精度が低いこと。

 国策として、工作機械メーカを育成していたが、高精度を要求される機械装置が制作できる工作機械の実用化は十分にできていない。

 中程度の性能を持つ工作機械は出来てはいたが。


 しかし、だからこそ、震洋という砲艇にエンジンが供給されたという面もある。

 低い歩留り。航空機には使用できないレベルのエンジンが供給されていたのだ。

 

 震洋に高性能であるが、信頼性の低いエンジンが提供されているのは、ある意味日本の工業力の限界点を見極めた結果であるともいえる。

 あまり調子のよくないエンジンを最初からあてがわれているのだ。

 そして、それを承知で戦うしかない。与えられた物で本分を尽くす。それが帝国軍人であった。

 少なくとも、戦える兵器であることは間違いないのだから。


 月山中尉は信念としてそう思っている。

 戦いに至れり尽くせりがあるわけがない。

 そして、勝――

 彼の思考が途切れる。激痛でだ。


「ぐッ!!」


「中尉殿!」


「大丈夫だ、破片がかすっただけだ」


 肩だ。服が裂け、そこから血が噴き出していた。

 

 佐藤軍曹は37ミリ機銃を連射している。

 また、一隻が炎に包まれる。


 数だ――

 この震洋は勝てる。

 だが、数が――


 月山中尉がそう思った瞬間だった。

 彼の視界が真っ赤に染まった。


「中尉! 月山中尉!」


 彼の名を呼ぶ兵の声。すでに彼はその声を聞くことはできなくなっていた。

 永遠に。

        ◇◇◇◇◇◇


「ニューギニア打通――」


「はぁ…‥」


 ブナから内陸に進行し、サンポ、パパキと物資集積所というか、拠点の建設は続いている。

 更に内陸に進み、標高400メートルのココダの海軍基地。

 ここには、電探基地を造るということで、海軍も資材を送りこんでいる。

 

 中根主計中尉はそのココダを出発し、山を登っていく。

 ブナからココダまでもトンでもない山道と思っていたが、ココダを出てからは完全に登山になっていた。

 それも、プロの登山家レベルではないかと思ったのである。


 そして、やっと着いた拠点だった。

 標高はすでに1500メートルを超えている。

 

 簡素な造りの小屋のような場所。

 そこが、最前線とも言うべき場所だった。


 そして、彼は海軍からの連絡将校として、彼に出会ったのだった。

 今、目の前に座っている中佐だ。

 

(中佐っていえば、巡洋艦の艦長クラスじゃないか)


 彼は海軍の組織的に当てはめて、中佐と言う階級を判断した。

 丸いメガネの奥に、鋭い双眸の男。

 ただ、そこに存在するというだけで、威圧されそうな雰囲気を持っていた。

 彼の軍でのキャリアが警報をならす「コイツもタダものではない。超危険」とだ。


「『だつう』ですか……」


 中根主計中尉は唐突に出てきた「だつう」と言う言葉の意味が分からずオウム返しした。


「そうだ。そのためには、陸海の協力がなくてはならぬ」


「そうですね」


「この不肖、辻政信。聖戦にこの命を捧げている。命7つくらいだ。7回生まれ変わっても全部捧げるぞ。ああ? どうだ? 主計中尉?」


 いきなり意味不明だった。先ほどの警報が脳内でさらに大きな音を立てている。

 初対面でここまで、危険を感じさせる上官は初めてだった。

 ガクガクと膝が震える。


「ぬぅ…… 震えているのか? 中尉よ」


 ぎゅと軍刀を握りこみ、メガネの奥から鋭い視線で覗き込む。


「いえ、違います。あの、実際ここでは、工事の監督と、物資の管理を――」


「そんなものはいいのだぁぁ!!」


 ビリビリとした絶叫。いきない立ち上がった。


「いいか? そんなものは、自分たちでなくともできる。問題は工事を妨害する敵の存在だ!」


「はい?」


「遊撃戦だ―― いいか? 密林の遊撃戦だよ…… 殺すんだよ。皇国に仇成す、不遜なアングロサクソンと土人を殺す――」


「は…‥ それこそ、専門の……」


 自分は主計士官なのである。こんなニューギニアで密林戦をするような人間ではないのだ。


「ああ? キサマ、英語はできるのだろう。敵性語のぉぉぉぉ!!」


「あああ、一応、できますが……」


「それが理由だ。敵を尋問できる人材がいないのだ」


 中根主計中尉は「ふぅ~」と息を吐いた。

 捕虜の尋問。その役目をやれと言っているのだろう。

 であれば、自分は戦闘するというわけではない。 

 今までのことがあったとはいえ、あまりにも悲観的になっていた自分をおかしく思った。


「ほう…… 笑うか? いいぞ。いいぞキサマ。見どころがある!」


「そうですか? 笑ってましたか?」


 中根主計中尉は、少ししまったと思った。

 

「よし、明日から、キサマも遊撃隊として出る。狩るんだ! 米豪連合軍のゲリラを壊滅させる!」


「はぁ? 私は捕虜の尋問――」


「捕虜? 捕虜ってなに? そんなものは、帝国陸軍にはないんだけど? 尋問したら殺すんだよ」


 彼は平然とそう言って、嬉しそうに中根主計中尉の顔を覗きこんだ。


 このとき、中根主計中尉は理解した。

 自分が抗(あらが)う事のできない運命の流れに乗っている事。

 そして、どうやらそのどん詰まりに流されてしまったことを。

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