その109:鬼よ我が魂の前に哭け 東部ニューギニア戦線 その3
「原爆? って核爆弾?」
「おう、それだな。って言うかそれ以外に原爆ってあるのかい?」
「核爆弾以外の原爆は無いです」
「まあ、そうだろう」
本物の山本五十六大将が納得したようにうなずく。
今年は1943年。
すでにアメリカではマンハッタン計画が動き出している。史実通りならばだ。
いや、戦争がアメリカにとって史実以上に厳しいことを考えると、前倒しで動いている可能性だってある……
少なくとも1945年には原爆の量産体制に入ると思った方がいい。
広島にウラン爆弾、長崎にプルトニウム爆弾。
人類の歴史で実戦使用されたたった2回の事例。
もし、本土決戦になれば、日本の主要都市に原爆攻撃を行う計画だったことは戦後明らかになっていたはずだ。
「どうしたんだい? 黙っちまって」
「作れる、作れないでいうなら、作れる可能性はあると思います」
「ほう」
「でも、開発を本格的にやるのは、下策かもしれませんよ」
日本でも陸軍と海軍がそれぞれ別々に動いて原爆の研究は行っていた。
しかし、それは基礎研究に留まる物で、実用化を判断できる水準には達していない。
ウランの核分裂を使用するためには、「ウラン235」の分離が必要になる。
天然ウランの中に「ウラン235」は0.7%しか含まれていない。
化学的性質が同じ同位体である「ウラン238」と「ウラン235」を分離させる必要がある。
これが凄まじく厄介だ。技術も金もかかる。
プルトニウムを使うなら、原子炉を作らなければならないし、爆縮レンズを設計しなければいけない。
この設計のノウハウはない。俺も知らん。知るわけがない。概念が分かる程度だ。
日本の核物理学者は優秀だ。世界でもトップクラスの学者がいる。
マンハッタン計画の中核となった物理学者が解けなかった「ゼロ除算問題」を解いてしまった科学者がいたのだ。戦後、彼は送られてきた論文を見て衝撃を受けるわけだけど。
でも、優秀な科学者がいるから核爆弾が作れるわけじゃないし、こういった科学者を必要としている場面は他にもある。
今の日本は目先のやらなきゃいけないことが山ほどあるんだ。
レーダーの開発だってそうだ。これは、必要とされる科学者が大きくかぶる。
「核開発は必要だと思いますが、それでこの戦争をどうにかできるとは考えない方がいいです」
「ああ、そうか―― まあ、妥当なところだろうな」
山本五十六大将も自分の回答をもっていたのかもしれない。
開戦前から「核爆弾」に関する簡単な知識そのものは、海軍首脳に共有されていたみたいだ。
「核爆弾―― つまり原爆を兵器としてこの戦争に間に合わせるのは難しいです。どうしたって、アメリカが先に作りますよ。数も上です」
おまけに、運搬手段もアメリカはもっている。
こっちは、どうする?
仮にできたとしても、戦略爆撃のような使い方はできない可能性が高い。
「ドイツは、なんで作れなかったんだろうなぁ?」
「あの国も短期決戦じゃなきゃ国が持たないって事情があったんじゃないかと思いますよ。それくらい、時間がかかりそうだったんですよ」
この時代においては全く前例のない新兵器だ。
むしろ、戦争に間に合わせてしまった(無理やりだが)アメリカがチートすぎる。
「まあ、原爆の話はこれくらいにしてだ―― どうなんだい? ソロモン・ニューギニアは?」
「報告の通りですよ。ソロモンはともかく、ニューギニア、つまりポートモレスビーは輸送次第。それしかないです」
ポートモレスビーはラビからの細い陸路輸送ラインと、大発による「蟻輸送」でなんとか維持している状態だ。
陸軍から提案のあったブナからの陸路輸送も協力せざるを得ない状況だ。
とにかく付近の制空権を握りきれないのが痛い。
ポートモレスビー周辺は、海流が速く、座礁をまねく岩礁も多い。
敵の攻撃を心配しながらの輸送船航行は難しい。
実際に、昨年の占領後の序盤では、それなりの数の輸送船を喪失している。敵の攻撃や事故でだ。
(それでも史実の商船喪失量に比べれば全然マシなのであるが)
「大発の蟻輸送は、魚雷艇の妨害で厳しいらしいが」
「対応措置は講じましたけど。どうなるかはまだ分からないです」
「黒島の考えたあれか――」
「そうです。震洋です」
すでに、ニューギニアのラビには「震洋」が送られている。
大発と同じく陸海軍で共同で使用する砲艇。
アメリカ海軍の魚雷艇、PTボート用の切り札ともいえる。
駆逐艦レベルの護衛をつけたいところだが、狭い海域での乱戦になると駆逐艦でも運用が厳しい。
12.7サンチの主砲は、魚雷艇を狩るにはでかすぎるし、重すぎる。
一応、駆逐艦による進路の警戒は行っているが、滅多にひっかかることはない。
「とにかく、建築機材、資材、それに滑走路の整備、拡充―― それが最優先です」
「陸軍の航空隊も足止め状態だからなぁ」
山本五十六大将の言う通りだった。
陸軍は、新鋭の三式戦闘機「キ61」、つまり「飛燕」を運用する部隊の投入を決定していた。
しかし、敵戦艦の攻撃。そして、オーストラリア北部、ケレマ方面からの航空攻撃が続いている。
現状では、その部隊を運用支援出来るだけの体制がポートモレスビーにないのだ。
「とにかく、輸送作戦の成功。まずは輸送船による輸送ができるだけの環境を作らないといけないんです」
ニューギニアは切り捨てられない。
ニューギニアを失えば、一気に連合軍は、フィリピンに来る可能性がある。
地図を見れば一目瞭然だし、実際史実ではそうなった。
そうなれば、資源地帯と日本の間は完全に輸送路を絶たれる。
「負けられねェな…… ここは」
「いいえ、ここじゃなく、常に負けられないんですよ。こっちは――」
天下の山本五十六相手に俺は何を言っているんだ?
思わず、口から出てしまった言葉に、俺自身が困惑する。
「まあ、そうだろう。この戦争はそういうもんだ」
山本五十六大将は淡々とそう言った。
◇◇◇◇◇◇
「あと二日か…‥」
月山中尉はつぶやいた。
ブナからポートモレスビーへの大発による「蟻輸送」。
あと二日でポートモレスビーに到着する。全てが問題なければだ。
37隻の大発に、護衛の「震洋」が6隻。
途中からは夜間のみ移動である。時間がかかるが仕方なかった。
制空権の確保が万全でないからだった。
ラビやポートモレスビー、その他ニューギニアには陸海軍の航空隊が存在している。
そもそも、ラビ占領は、ポートモレスビーへの海路輸送の安全を担保するためだった。
ただその航空隊も、連合軍のオーストラリア北部にある航空隊との戦いで消耗を続けている。
つまり、この海域の安全を担保できるまでの力がないということだった。
月山中尉は上空を見た。
夜間は、ポートモレスビーにある海軍の水上機が上空警戒を行っている。
「どこにいるんだろうな……」
エンジン音だけが聞こえる。排気炎もカバーかなにかで隠しているのだろう。
機種はおろか、どこを飛んでいるのかすら分からない。ただ、近くにいることだけは確かだ。
その数は一機か二機だろう。
上空警戒の空白を開けないため、少ない機数をやりくりしているのだと聞いている。
連合軍は今のところ、夜間航空攻撃を仕掛けてはこない。
本格的にそのような攻撃が行われたら、対応は極めて困難になる。
夜間は魚雷艇による攻撃が中心だった。
彼らはその戦果に満足し、あえて危険の多い夜間航空攻撃を行っていないのか――
月山中尉はそのようなことを考えた。
ポートモレスビーに展開する日本の地上戦力は、川口清健少将が指揮する歩兵第35旅団の約5,000名。
そして、ラビに展開している横須賀、佐世保の特別陸戦隊から分派された約1,000名。
軍属を含めても合計で一万には届かない数であった。
日本陸軍の場合、兵士が一日に必要とされる糧秣(食料)は戦時基本定量として定められている。
精米660グラム、精麦210グラム、肉類210グラム、生野菜600グラムなど。
その他、食塩、砂糖、味噌、醤油などで合計1,900グラムを超える。
つまり、この一万人はなにもしないでも、食糧だけで19トンを消費することになる。
大発の積載量は約10トンだ。
計算上毎日二隻の大発が到着しなければ、食料は尽きるということになる。
単純な数学。いや、算術レベルの話だった。
そして、食糧の不足という問題は、机上の計算だけはなく、現実のものとして浮上していた。
すでに、現地では食事量の制限が開始されている。
37隻の大発が漆黒の海をかき分け粛々と進んでいく。
それに積まれた物資は約370トンだ。
中型の輸送船の半分にも満たない。
しかし、復旧中のポートモレスビーにとってはダイヤや金塊よりも貴重な物資といえた。
今回は特に基地機能の復旧と拡充のための機材・資材が中心となっている。
この輸送に成功すれば、港湾機能が充実し、輸送船による輸送の道が開ける。
ただ、それはまだ先の話だ。成功したとしてもだ。
しばらくは、このような蟻輸送。そして陸路の細い輸送に頼るしかないだろう。
「だから、俺たちがここにいる」
見張りの兵からは異常なしの報告が入る。
なにかあれば、おそらくは上空の海軍機が動くだろう。
その点で、月山中尉は、心強いものを感じていた。
波濤が夜光虫により光る。静謐(せいひつ)を感じさせる光。死者の魂の光のようにも見えた。
月山中尉は、双眼鏡で周囲を警戒する。
海と空の境界は闇に混ざり、それを見つける事すら困難になっていた。
ただ、その闇が彼らを敵航空機の攻撃から守っていると信じられた。
震洋。
夜の海を跳梁するアメリカの魚雷艇に対抗するため急きょ製造された砲艇だ。
12トンの船体に、37ミリのラ式機関砲を搭載している。
エンジンは水冷の航空機用エンジンを二基搭載。
最大で2000馬力近い出力を発揮する。調子が良ければだ。
運用上は1600馬力が定格とされている。
それでも、震洋は40ノットを超える速度を叩き出すことができた。
月山中尉が事前に目を通していた「戦訓詳報」からの情報では、敵の魚雷艇は20ミリ級の機関砲を複数備えている。
速度はほぼ互角の40ノット以上。機関の安定性という面では、もしかしたら敵が上かもしれない。
しかし、火力と防御力では震洋が優越しているのではないかと彼は考えた。
ラ式37ミリ機関砲は、728グラムの砲弾を初速840メートルで叩き出す。
毎分180発のレートでだ。
主要部には1.7センチの装甲板が張られている。
「ん!?」
月山中尉は上空を見あげた。
エンジン音だ。上空警戒の海軍機のエンジン音が変わった気がした。
「離れていく…‥ 来たのか」
彼はつぶやくように言った。
「戦闘準備! 各員! 戦闘準備!」
叩きつけるように彼は命令する。
唐突に空が明るくなった。
「照明弾?」
闇の支配していた空に鮮烈な光の塊がゆらゆらと揺れていた。
上空警戒の海軍機――
零式水上観測機の投下した照明弾だった。
「いやがる…… なんて数だ――」
仄かに照らし出された闇の底。
そこに、鋼の牙をもつ餓狼の群れが映しだされたのを見て彼は息を飲んだ。
「突撃する! 数20! 打電だ!」
「打電完了!」
敵は約20。こちらは6隻。
少ない数で、守らなければならない。なんとしてもだ。
月山中尉は前方を見た。ラ式37ミリ機銃。この震洋のメインウェポン。
前方に設置されたラ式37ミリ機関砲には、佐藤軍曹がいる。
中尉の副官として、装甲艇時代からの付き合いとなっている。
砲手としてはとびきり優秀な男だ。
海軍の機体が盛んに降下して機銃掃射を行っていた。
ただ、敵も一気に増速した。
どうも海軍機の腕は悪くないようだが、機銃が豆鉄砲(7.7ミリ)ではないかと思われた。
PTボートも最近は主要部は防御している。
特に、砲艇として運用されている物は、魚雷を積まない分、武装と防御が強化されていたのだ。
「撃ってきやがった!」
太い火箭が漆黒の闇を切り裂き吹っ飛んできた。
青白い尾を引く曳光弾。
何発かが、ガンガンと装甲部に命中する。
そして、何発かが非装甲部に当たり、大穴を開ける。
その構造材を残骸に変えていく。
『佐藤! 撃て! 撃て!』
伝声管を通じ、月山中尉の声がとどく。
佐藤軍曹は引き金を引く。
ラ式37ミリ砲が火を噴く。
ドドド! ドドド! ドド!
初速840メートル/秒で弾きだされる鋼と炸薬の牙。
あっという間に弾倉の8発が消費される。
「弾だ! 早くしろ!」
同機関砲は、本来であれば陸軍の陸戦用重機関銃と同じ「保弾板」による給弾システムを持っていた。
弾丸の製造、供給体制の弱さ、冷却問題など、様々な要因が原因だ。
しかし、海上での運用には難点がありすぎた。
よって、震洋に搭載されている物は弾倉形式に改造されている。
それでも、15キロを超える弾倉の交換は困難を極める。特に高速移動中の震洋の上では。
ボン!!
「なんだ!」
佐藤軍曹は爆発音の方向を振りかえった。
味方だ。味方の震洋が吹っ飛んでいた。
装甲化されているとはいえ、燃料はガソリンだ。
引火すれば12トンの船体などひとたまりもない。
どす黒い海面の上を送り火のように燃える震洋――
これで、5隻か―― 敵は?
『佐藤! しばらく撃つな! とにかくひっかきまわす。敵を大発に近づけなくする!』
伝声管から月山中尉の声が聞こえてきた。
同時に、グンッと加速する。震洋の航空機用水冷エンジンが唸りを上げ、船体を軋ませる。
その間も盛んに敵は弾丸を放ってくる。
20ミリの徹甲弾か?
佐藤軍曹の目の前の防盾にも、ガンガンと弾丸が当る。
『中尉殿! まだですか!』
佐藤軍曹には、不思議と恐怖感はなかった。焦燥だけがあった。
グングンと敵は大きくなる。
石を投げても届くのではないかという距離だ。
『撃てます! 中尉殿!』
『まだだ! しっかりつかまっていろ! 兵にも伝えろ!』
伝える必要もなかった。高速で機動中の震洋の上。
兵たちはすでに手じかなでっぱりにしがみ付いている。
「うぉ!!」
震洋が傾いた。大きく。まるで横転するのではないかと思うくらいだ。
腸に震えがくるような無茶苦茶な機動だった。
『軍曹! 撃て! 撃つんだ!』
佐藤軍曹はラ式37ミリ機関砲を発射する。
敵はすぐそばだった。しかも、敵の斜め後方についていた。
敵の集団を突き抜け、一気に回りこんだのだろう。
まるで、戦闘機の空中戦のようだと、彼は一瞬思った。
ボーン!!
爆発した。
今度は敵のPTボートだった。
さらに数隻が火を噴いた。
僚艇も高速機動しながら、37ミリ砲を放っていた。
「火力は勝っている。こっちが上だ」
ラ式37ミリ機関砲は、明らかに敵魚雷艇の機関砲より破壊力があった。
しかし、それでも数が多すぎた。
PTボートの中には、震洋との戦闘を避け、一直線に大発に向かって行くものもあった。
しかし――
そのような動きをして、乱戦の中を離脱すると、上空からの機銃掃射を受けた。
零観だった。
夜間、敵味方の入り乱れた乱戦の中では、誤射の恐れもあり攻撃ができない。
だが、大発に向かえば話は別だ。
豆鉄砲といわれる7.7ミリ機銃であるが、上空から良いように撃たれれば、そのダメージはバカにならない。
防御を強化してあるといっても、限界がある。基本木製のボートなのだ。
「守りきれるのか――」
戦いは火力と防御力に優越した震洋が優位に進めているように見える。
しかも、偶然ではあるが、海軍機との役割分担がうまくかみ合っていた。
「いけるのか――」
そう思った瞬間だった。
大発の一隻が爆発した。
爆発自体は大きくはない。しかし、一気に炎が舞い上がる。
そして赤々とした血のような色の炎を上げて燃えていた。
どす黒い海面が赤く染まっていく。
餓狼との戦いはまだ終わりでは無かった。
■参考文献
丸2007年11月号「高速魚雷艇」特集海上奇襲/潮書房
第二次世界大戦ブックス 高速魚雷艇-神出鬼没.海のギャング-/実松 譲 (著), ブライアン・クーパー (著)
東部ニューギニアの戦線「鬼哭の戦場」/久山 忍
原子爆弾/山田勝也
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