その108:鬼よ我が魂の前に哭け 東部ニューギニア戦線 その2
「問題はだ――」
アメリカ合衆国第32代大統領。フランクリン・デラノ・ルーズベルトは言葉を区切った。
そして、会議の参加者を見やった。ホワイトハウスで週一回行われる情報連絡会議だった。
「合衆国市民、つまり納税者の意識ではない。彼らは望んでいるのだよ。枢軸国の完全なる打倒をこそ望んでいる。中途半端な妥協を彼らは許したりしないだろう」
世論調査の結果は確かにそれを裏付ける。そして、その思いはルーズベルト本人の思いでもあった。
そのことに反論を試みる者はこの会議参加者にはいなかった。
誰に対しても不遜な態度を隠すことのないアーネスト・J・キング海軍艦隊司令長官もその言葉を黙って受け入れる。
「ギャラップ社の調査によりますと、我々合衆国市民の対日戦に対する注目度は、欧州における物を上回っております」
大統領補佐官が、配布した資料を示し、そのことに関する説明を行った。
キング提督は、その説明を乾いた感情で聞く。そんなことは当り前であろうと思っている。
一般市民から見れば対日戦は「今まで面倒みていたちっぽけな国がいきなり牙をむいた」というようなものだ。
ペリーによる日本の開国から、今次大戦までの経緯を全く理解していない者もそう結論するだろう。
合衆国市民の『卑劣な裏切り者への制裁』を求める声は当然のことだった。
先に手を出したのは日本だ。これ以上分かりやすい話はないのだ。
「納税者は、対日戦へ合衆国のリソースをつぎ込むことを望んでいるということですな」
ペーパーを一瞥し淡々とデータが示す結果を口にした。キング提督だった。
「だからこそ、建艦計画は前倒しで実施している。それは、日本を叩き潰すのにまだ不十分かね?」
キング提督は、パラパラをペーパをめくる。
そこには、1943年中に戦力化されるであろう海軍戦力のグラフがあった。
海上の決戦兵力となった航空母艦についていえば、現状は日本が10隻(大型7隻、小型3隻)だ。
対する合衆国海軍は、サラトガ、ヨークタウン、レンジャーの3隻。それに輸送船改造の空母が4隻だった。
改造空母は最大速度18ノットそこそこで、運用限界となる搭載機数は30機前後。
それでも、今の合衆国海軍にとっては貴重な戦力だった。
1940年度の両洋艦隊計画は前倒しとなり、1943年中には6隻の正規空母が戦力化される予定だ。
全て最新鋭の『エセックス級』だ。更に、クリーブランド級軽巡洋艦の船体を利用した『インディペンデンス級』の軽空母は9隻が完成する。
エセックスは33ノットを超える速度を持ち、90~100機の機体の運用が可能な大型正規空母。
インディペンデンス級も30ノットを越え、40機前後の運用が可能な空母だ。
更に、実験的に運用されている護衛空母は週刊ペースで建造が進む計画となっている。
キング提督は「本当なのか?」とその資料を見たときに思った。それぐらい呆れるほどの生産計画だった。
「海上戦力については、これ以上は望めないでしょうな」
軍事的才能にパラメータを全振りした性格破綻者としての評価をゆるぎない物としているキング提督。
その彼が口元に笑みを浮かべながら言った。
「これで、大統領の支持率も盤石でしょうな」
「前週からマイナス5ポイントです。キング提督」
大統領補佐官が数字を挙げる。横目でルーズベルトが補佐官を視界に入れる。
そして、ルーズベルトはキング提督を見つめる。「おまえ、分かっていってるだろう?」という表情でだ。
メガネに手をかけ外す。それを机の上に置いた。
「対日戦で明確な『結果』を出すことを納税者は欲しているのだろう。それは海軍の仕事だが――」
自明のことだというようにルーズベルトは言った。
太平洋における戦争はきびしい状況である。
確かに、空母を中心とした海上戦力は今年中に確実に日本海軍を超える。
最悪、現有戦力を全部すり減らし、日本海軍がほとんど無傷だとしてもだ。
あまりにも、悲観的で、現実的な想定ではないが――
「で、あるならば――」
キング提督が口を開けた。
ルーズベルト大統領はその先の言葉がわかっている。
「太平洋方面の陸上兵力、航空兵力の増強かね? それは無理だ」
「そうですか」
そのやりとりで終了だった。
ニューギニア、ソロモンで釘付けにしている日本軍に大ダメージを与えるための戦力。
ポートモレスビーへの砲撃の成功。そして、ガダルカナルへの大規模輸送の成功。
それにより、同方面における戦闘で、アメリカ・オーストラリア連合軍は、一息つける形になった。
ただ、それは敵を追い落とすというより、こちらが追い落とされないようになったというだけの話だ。
オーストラリア政府の中には、対日恐怖症が蔓延している。
対抗不能な海軍力、航空戦力を持った侵略者が玄関(ニューギニア)まで迫っているのだ。当然と言えた。
彼らは積極的な攻勢よりも、本土防衛を最重要としている。
『ブリスベン・ライン』だ。南東の人口密集地以外を切り捨てるという本土決戦プランだ。
本土の大部分を放棄しても、オーストラリアとしての国家を維持するという計画なのだ。
オーストラリアという国家。そのリソースはその防衛線構築の準備に割かれていた。
これは、潜水艦を使った通商破壊戦にも影響が出ていた。
オーストラリア南西部、パースの近く『フリーマントル』に潜水艦基地はある。
あるにはあるが、母港としての支援体制は十分でなかった。
軍事作戦輸送に対するそこそこの戦果は上がっていたが、日本本土に向けた資源輸送ラインを寸断することまではできないでいた。
「とにかく、欧州戦線を重視する基本方針は変わらない」
ルーズベルトはふてぶてしい態度で自分を見つめるキング提督を見つめて言った。
「そうですな。連合国の足並みを崩せるものではない。トーチ作戦後、北アフリカにおけるドイツ軍の抵抗は激しい物があります」
ルーズベルト大統領の言葉を引きつぐように、ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長が言った。
トーチ作戦――
1942年11月に実施された北アフリカのモロッコとアルジェリアへの上陸作戦。
上陸自体は成功する。
当たり前だ。ドイツ軍にはそれを阻害できるような大規模な海軍力を持っていない。
しかし、上陸後の進撃はとん挫していた。柔らかく言えば停滞。厳しく言えば撃退されたということだ。
ドイツ軍の強力な機甲部隊を中心とする、優秀な兵力の前に連合国の地上戦力は苦戦していた。
その状況は年が明けても変化はない。
すでに、大規模な増援を実施し、強力なドイツを打ち破るための準備は進んでいる。
圧倒的な数。
アメリカ合衆国の軍隊には戦術はないが「算術」だけは腐るほどあると口がさない声も聞こえてくる。
その一部でも太平洋に回してくれれば、均衡は崩れる可能性はあるが……
両面作戦の困難さだ。それに突き当たっている。
キング提督の結論も結局はそこに行きつく。
航空部隊の人員の拡充。
地上部隊、上陸戦専用部隊の拡充。
やるべきことはまだ多くある。
キング提督は、パラパラとペーパをめくる。
ふと手を止めた。
Manhattan Project――
そこには、そう書かれていた。
◇◇◇◇◇◇
「陸海軍、政府、官と民を一体化させた終戦のための組織ですか――」
「そうだな。そんなようなもんだよ」
俺の問いに、本物の山本五十六大将が答えた。
聯合艦隊司令長官の私室。
偽物というか、無理やり聯合艦隊司令長官をやらされている俺と本物・山本五十六大将だけだ。
女神様は、司令部内のどこかに遊びにいった。難しい話は嫌いなのだ。
見つかったら、またここに運ばれてくるのだろう。
「ちゃんと躾けておいてください」と文句を言われるかもしれないが、今はいない方がいい。
「可能なんですか?」
「それは『この戦争を終わらせることが可能なんですか?』と同じ意味の質問だぜ」
何とも言えない太い笑みを浮かべ『目玉』と形容すべき大きな眼をこちらに向ける。
全てが見透かされているような錯覚に陥りそうだ。いや、別に隠すことは、なんもないけど。
「うーん…… 必要性は分かるんですけど。間に合うんですか? どんな計画で実施するんですか?」
どこの国でもそうだが、陸軍と海軍は仲が悪い。
大日本帝國も当然、仲が悪い。
というか、海軍の陸軍嫌いが根深い。
組織的に小さいが、予算規模はでかいという海軍という組織。
歴史的には、陸軍の下部組織だったときもある。
組織防衛の意識から生まれた陸軍に対する警戒心・反発はかなり強い。
陸軍にしたところで『日本の海軍は強い』と認めつつも、組織としての本流は陸軍であるという姿勢は崩そうとしない。
それに、貧乏が拍車をかけるわけだ。不足する予算・物資を奪い合い、血みどろの戦いを行う。
「既存組織を使うしかねーだろうな」
「既存組織?」
「総力戦研究所だ。そこを牙城にする。この戦争を終わらせるためのな」
総力戦研究所。
第一次世界大戦以降、戦争は変質した。
軍と軍との戦いだけではなく、
国家の技術、資源、生産力とあらゆるものを振り絞った戦いになった。
総力戦だ。
その研究のために、作られた組織「総力戦研究所」。
有名なのは、開戦前に日本の敗戦。それもその流れまでほとんど当てたという伝説だ。
この組織は、確か終戦直前まで組織はあったはず――
その組織を使う?
できるのか?
「それから――」
「はい?」
「原爆ってやつは、日本でもこさえることができるのかい?」
山本五十六は逃げることのできない真正面から俺のことを見つめていた。
◇◇◇◇◇◇
「今夜ぐらい、そろそろ来そうな気がするな」
月山中尉は前方を見た。西日を受けながら進む大発の行列。
37隻の大発が今回の輸送作戦では使用されている。
(しかし「蟻輸送」とはよく言ったもんだ)
海岸線近くを最大8ノットの速度で進む大発。
その行列を「蟻」と表現した奴は詩人か小説家になる才能があるんじゃないかと思った。
「俺たちはなんだろうな? 佐藤軍曹」
不意に月山中尉の口からその言葉が出ていた。
「陸軍・船舶工兵として本分を尽くすだけであります」
「そうだな」
月山中尉は苦笑を浮かべた。まさにその通りだ。
アメリカ軍の魚雷艇。それは蟻輸送の天敵だ。
月山中尉も佐藤軍曹も、装甲艇で護衛に任務にあたっていたが、アメリカの魚雷艇には全く歯が立たなかった。
速度が違いすぎた。
装甲艇も成功した兵器だ。いい兵器であるが、それは上陸作戦で敵のトーチカなどを砲撃で叩き潰すための船だ。
40ノット以上で高速移動する魚雷艇に弾を当てるのは至難の業だ。
「こいつなら、やれそうだな」
「37ミリの『ラ式機関砲』であれば、アメ公の魚雷艇など海の藻屑であります」
艇の舳先の方には太い砲身のドイツ・ラインメタル社製の対空機銃が鎮座している。
「そうなってくれればいいがな」
震洋と呼ばれる彼らが乗っている小型艇。
水冷の航空機用エンジンを2基搭載。
40ノット以上の速度を叩き出す高速艇だ。これは訓練でも分かっている。
ちなみに、最高速度を出すと、外に出て立っていることが不可能になる。
無風状態でも風速20メートル以上になってしまう。
だから37ミリ機関砲の砲座は体ごと動かして操作するようになっている。
背中にバンドを回して固定し、体を動かすことで操作ができる。操作性は悪くない。
ただ、高速を出したときの射撃はまだ十分に訓練できていなかった。
十分な弾丸が無いからだ。これは、航空機の射撃訓練不足と同じだった。
月山中尉は知らないことであったが。
「弾不足は、どうにもならんか……」
開戦前にドイツから購入した1万発の37ミリ弾は貴重品だ。
国内で弾丸も生産されてはいるらしいが、まだ数が少ない。
今回の護衛についている震洋は6隻だ。
大奮発と言っていいだろう。
しかしだ――
敵はおそらくその倍か、それ以上だろう―― 高性能の魚雷艇PTボート。
陽が沈む――
南洋の特徴である黄昏時のない唐突な光と闇の世界の交代。
あっという間に周囲を闇が支配し、海の色が墨汁のように見えてくる。
「とにかくやるしかないってことだな」
月山中尉の声が闇の中に溶けていく。
◇◇◇◇◇◇
「まだ、先なのか? あとどれくらいだ?」
呼吸がキツイ。肺が悲鳴を上げていた。
中根主計中尉は「なんで徒歩なんだ?」と思いながらも、とにかく二本の脚を交互に動かす。
そうすると、とりあえず体は前に進むのだ。
「まあ、明るい内には着くと思いますが……」
陸軍の伍長だ。娑婆では小学校の先生をしていたとのこと。
帝国大学から、短期主計士官として海軍に入った彼からすれば、比較的会話のしやすい相手だった。
「そうか……」
中根主計中尉は空を見あげた。青空、雲が全く無い。突き抜けるような真っ青な空だ。
まだ、陽は高いのだ。
「無理はさせたくありませんが、夜間の移動は危険です」
伍長は言った。
中根主計中尉よりも重い装備を身に着け、長い三八式歩兵銃を持っている。
それでも、その顔に疲労の色は無かった。
「なに? 危ないの? クマとか出るのか? 猛獣とか?」
「いえ、米豪の遊撃戦部隊が、夜になるとウヨウヨしてます。原住民が案内するので厄介ですよ」
「そうか……」
遊撃部隊と聞いて、中根主計中尉は息を飲み、周囲を警戒する。
同時に「冗談じゃねェ!」という思いに駆られる。
「海軍の設定隊は、いつ追及してくるのですか?」
「あ…… ああ、3日後の予定だ。自分はそれに先立って。陸軍との連絡、調整をするわけだが……」
長い話をするのは息が切れる。気が遠くなってきた。
陸軍用語の「設定隊」を海軍では「設営隊」と言うと指摘する余裕もない。
確かに、陸上勤務を希望したのは自分だ。
しかし、ニューギニアの密林の獣道を、ヒィヒィ言いながら、登るのは海軍士官の仕事なのか?
彼はそう思ったのだった。もはや、汗もでない。塩がそのまま、皮膚から噴き出てくる感じだ。
ニューギニアのブナからポートモレスビーまでの陸上輸送路の完成。
なにが、どうしてこうなったのか、この計画は海軍も協力することになったらしい。
よほど、陸軍に政治力のある者がいたのではないかと、彼は考えた。
とにかく海軍からは、機材と設営隊が派遣されることになった。
その物動(物資の融通)関連の調整を行う任務で彼はここに赴任したのだった。
(まあいい。今までの狂った上官みたいなのには、もうさすがに当たらないだろう――)
彼は疲労の中で、その思いにすがる。
特設砲艇では、潜水艦に体当たりを喰らわせるキ〇ガイ艇長。
駆逐艦高波では、敵艦隊に単身で魚雷攻撃を仕掛け、艦を陸上に乗り上げた後、敵への夜間襲撃を命じるような艦長。勇猛というより何かのタガが外れている。
両者ともよく言えば、軍人として戦闘意欲旺盛な存在だ。
しかし、世の中には道理というものがあるのだ。
そんな無茶な戦ばかりする上官の下では確実に白木の箱に入る。
本職の軍人ではなく、いわゆるエリートである彼にとって、それはあまり望ましい未来ではない。
いや、きっぱり断りたい未来だ。
「伍長、指揮官は…… どんな方なん…… だ?」
中根主計中尉の質問に、ぐんにゃりとした顔でしばし無言のままの伍長。口を開けた。
「あ…… 自分の口からはなんとも……」
彼は、嫌な予感しかしなかった。
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