その107:鬼よ我が魂の前に哭け 東部ニューギニア戦線 その1
年が明けた。1943年だ。太平洋戦争が始まって1年が過ぎたわけだ。
つまり、俺が現代の日本から拉致され、強制的に聯合艦隊司令長官となってからも1年以上が過ぎている。
俺は目の前の資料をパラパラと目を通しながら考えるわけだ。
「今のところは、どうにかなっているってことか」
「どうされましたか? 長官」
黒島亀人先任参謀だった。
「いや、なんでもない」
「そうですか」
今のところ、人事に関しては異動がない。開戦から司令部の主要メンバーは変わっていない。
平時の人事をそのまま戦時でも適用していたのが旧軍だったんだけどね。
人事権は海軍大臣にあるので、最終的なとこはどうにもできないんだけど、とりあえず要望は出せる。
人殺しの特攻兵器の数々を考案した狂気の参謀も、戦況がそこまでいかねば、そんなことは言いださない。
色々思うところはあるが、優秀で頭が切れる参謀なのは確かだった。
日吉にある聯合艦隊司令部では、定例会議が行われていた。
ニューギニア、ソロモン方面の戦況、そしてその対策などなど……
とりあえず戦術的な勝利を積み重ねることで、今のところ戦線は膠着(こうちゃく)状態。
つーか、戦術的な勝利を重ねないと、「戦争」を互角にもっていくことができない。
もうその時点で、この戦争は無理ゲーだ。
貧乏人が金持ち相手に博打(ばくち)しているようなもんだと言ったのは、石原莞爾だったかな?
確かに、その通りの例えだと思う。
国内は「贅沢は敵だ」とか「国債買え」とか「貯金しろ」とか戦時色が濃いのは確かだ。
それでも新年を迎え、国内の空気はウキウキしている感じだ。
統制経済による配給制度で、物資の消費は制限されているはずだが、実態はそうでもない。
金があれば、物は手に入る。史実でもこの時期はそうだったんじゃないかな。
「やはり、補給かね」
宇垣参謀長が言った。手帳を開き、なにかをメモしながらだった。
「ラビ、ポートモレスビー間の陸路輸送はありますが、十分とはいえません」
三和義勇作戦参謀が言った。彼は広げられた東部ニューギニア方面の地図を指し示す。
ラビはルミン湾に面し、今は良港となっている。ポートモレスビーまでの物資集積所だ。
ここまでは、とりあえず物資は届く。しかし、そこから先が問題だった。
「ポートモレスビーの港湾施設の復旧はいつになるのだ」
宇垣参謀長が、イライラした感情を隠すことなく言い放った。
これは、同地を占領してから全く手をつけられない。
とにかく、大型の輸送船を使った輸送が困難だ。
海路では大発(大発動艇)による『蟻輸送』がメインという史実をなぞるような展開。
まあ、無茶をやらないことで、船舶の被害は極限されてはいる。しかし、前線の兵士にとっては同じことだ。
本当は港湾の整備はすぐにでも手をつけたかった――
「航空基地の普及が優先されましたからな。そこまで物資はまわらなかったのでしょう」
黒島亀人先任参謀の言葉は俺の思いを代弁するようだった。
で、宇垣参謀長は黙った。そんなことは分かっていると言いたげな表情だ。
「まあ、制空権を失ったら、終わりだからね」
ポートモレスビーへの戦艦の砲撃。そのダメージは大きかった。
陸軍の滑走路は壊滅。海軍の水上機基地も少なくないダメージを受けた。
それを遮二無二に、復旧させなんとか、敵の航空攻撃を迎え撃っているというのが実態。
「陸軍とは航空隊を増設する方向で話は進んでいるはずだけど。大丈夫だよね」
「問題はないようです」
三和作戦参謀が言った。陸軍は空地分離(航空機とそれを整備支援する部隊の分離)が進んでいる。
それだけ、早い展開が可能になっている。海軍よりも地上運用では小回りが利く。
「結構、やられているらしいですな」
宇垣参謀長がいった。以前のような「陸軍ザマア」という感じは無い。
もう戦争はそれどころじゃないのが分かっているからだ。
ただ、日記の書籍化は戦争が激しくなっても諦めている様子はない。
「ポートモレスビーはとにかく、補給だよ。補給ができれば……」
俺は地図を見る。地図の上ではちょっとした距離だ。指先で測れる。
しかし現実の距離は長大。しかも妨害有だ。クソ――
俺の作戦計画では、もっとポートモレスビーの維持は楽なはずだった。
ラビまで占領しているし。敵の海上戦力は空母を含めかなりすり減っている。
どこでしくじったのか? いや、しくじった訳じゃない。
とにかく、連合軍というか、アメリカ軍は執拗なんだ。
戦術的な勝利をいくら積み重ねても、どんどん袋小路に追い詰められていく。
それが現実だった。
ポートモレスビー占領直後。
アメリカ軍は、ポートモレスビー東方に砲撃基地を造り、擾乱射撃を繰り返した。
15サンチクラスの重砲だ。擾乱といっても、米軍の砲弾は潤沢だった。
これは、陸軍が部隊を派遣して、どうにか無効化はできたようだった。今のところ、大規模な砲撃は無い。
ただ、それが収束すると同時にケレマからの航空攻撃が開始された。
北部オーストラリアからの攻撃と合わせ、攻撃はかなり熾烈なものとなっている。
今思えば、ケレマ基地を整備するまでの時間稼ぎだったのかもしれん。
「ラビからは陸路と蟻輸送だけですし、蟻輸送の大発は、魚雷艇の攻撃で大きな被害を出してますからね」
「魚雷艇対策か……」
そうだ。魚雷艇だよ。これも厄介だ。
天候によっては運用できない航空機よりもある意味厄介だった。
アメリカ軍は魚雷艇をある種の「砲艇」として使っていた。
最近では40ミリクラスの機銃を搭載して攻撃してきている。
45ノットの高速で海面を走り回る魚雷艇は大発を武装化しただけでは対抗できない。
魚雷艇は、輸送任務についている大発の天敵だった。
ラビの東側、ルイジアード諸島に魚雷艇基地があるらしいのだが、まだ発見には至っていない。
「長官、魚雷艇対策は目鼻がつきそうです」
黒島亀人先任参謀が、どこか浮世離れした笑みを浮かべ俺に言った。
仙人参謀―― その異名がなぜか思い浮かんだ。
◇◇◇◇◇◇
「佐藤どうだ。こいつは?」
「はい。中尉殿、海軍の機材は贅沢すぎなのであります」
「そうか」
「戦闘機のエンジンをふたつも積んでいるのであります」
「まあ、そんだけ速いんだろ。40ノット以上でるんだろ。本気だせば」
「海軍の教範にはそのように書かれているのであります」
「実戦でどこまで引っ張れるかだな」
月山中尉は自分が指揮する船艇の舳先をみやった。
そこだけは、陸軍の兵器が載っている。
ドイツのラインメタル社の37ミリ機銃をライセンス生産した「一式(ラ式)37ミリ機関砲」だ。
昭和16年にドイツから10門と弾丸1万発を購入。
その後、国内で独自開発していた37ミリ機関砲と一本化され小倉造兵廠で生産が始まっている。
まだ、それほど数のない貴重品といっていい兵器だ。
更に言えば、この船艇自体も貴重品だ。陸海軍の共用兵器として採用されたばかり。
まだ受領して日が浅い。訓練での全力運転は数えるほどしか行っていない。
彼らは陸軍の船舶工兵だった。船舶工兵とは陸軍内の船舶の運用を行う兵士だ。
帝国陸軍は世界で最も船舶を保有している陸軍なのだ。
周りは海に囲まれ、兵や物資を送るには船が必須だ。
しかもだ。
海軍は、そういった「輸送」に関しては興味が全く無い。皆無。艦隊決戦一筋の組織なのだ。
船舶工兵ということで、海軍との接点もあり、海軍の知り合いもいる。
月山中尉の海軍に対する理解はかなり偏りがあったにせよ、ある面で真実を突いていた。
海軍の任務は、陸軍が上陸作戦を行う海域までの護衛。
乱暴にいってしまえば、そこから先は海軍の責任ではありませんということだ。
上陸中、揚陸中の海域の護衛任務は、陸軍の担当になる。
だから、月山中尉のような船舶工兵が必要だった。
ただ、最近は海軍も考え方が少しは変わって来たのかもしれない。
この機材がそういった変化のひとつともいえる。
「高速艇・震洋か……」
彼は口の中で転がすようにつぶやいた。この小型艇の名だ。
乗員は6人。12トンの船体。木材と鉄板の複合構造になっている。
エンジンや燃料、乗員を守るための装甲板がある。
以前に月山中尉、佐藤軍曹が乗っていた装甲艇とは違った。
ある種、水上戦車のようなフォルムを見せていた装甲艇にくらべ、洗練された姿となっている。
月山中尉にはそれが「陸軍は野暮ったい」と言われているような気がした。
この震洋の性能を認めるのはやぶさかでは無かったが。
「しかし、戦闘機のエンジンをふたつか」
ドイツから導入した液冷エンジン。陸軍でも新鋭戦闘機に搭載するエンジンだという。
だから、この船に乗っている機関士は、航空隊から派遣された者だ。
その兵の話では『陸海軍でエンジン生産を統合して、品質を上げる。その中で、調子の悪い奴をこっちに回した』とのことらしい。
そういった話を聞いてなければ、彼も「贅沢だ」と感じたかもしれない。
「アメさんの、魚雷艇に対抗できるか――」
月山中尉はかつて、自分たちを叩きのめしたアメリカ魚雷艇のことを思った。
今回の作戦でも奴らはやってくる。
装甲艇では歯が立たず、打ちのめされるだけだった高速の餓狼(がろう)たち――
長く付き合った装甲艇に対する思入れの強さのせいかもしれない。この船に対し色々と思うところはあった。
ただ、我々が奴らに勝つには、どうやらこの船で行くしかないようだ。
それは、月山中尉にも分かっていた。
ポートモレスビーへの補給作戦は2日後に迫っていた。
◇◇◇◇◇◇
ここがニューギニアであることを忘れるほど空気が冷たかった。
空気が薄い。細く高い尾を引くような風の音が耳朶に届く。
すでに、敵はここから退却したのではないか?
小岩井少佐は、地図を確認しながら考えをまとめる。焦って結論を出す必要はなかった。
現在地の標高は1500メートルを超えているだろう。2000メートル以上ある可能性もある。
なにせ、地図の正確性には問題があったからだ。
ほとんど獣道といっていい場所。道路といってしまうのはあまりにも過大な表現だ。
彼は上空を見あげる。どこからか聞こえる風の音だけが空にある様だった。
敵の軽飛行機は飛んできていない。
グラスホッパーとよばれる、アメリカの軽飛行機。狭く荒れた地面でも運用できる機材であると聞いている。
連日彼らの上を飛び回っていた機体が、今日は飛んできていない。
「中佐殿。辻参謀」
小岩井少佐は、先頭で精力的に兵たちに指示を出している参謀に声をかけた。
「なんだ! 小岩井少佐。敵か? 敵かぁぁ!」
目を血走らせ、獰猛な笑みを浮かべ、ずかずかとこっちにやってきた。
カシャカシャと日本刀や装具が当たる音がした。
「いえ、そうではなく。兵たちにも休憩を」
「そんな、時間か? まだ日が高い」
辻中佐は、休憩という言葉にすごく「意外」そうな顔をした。
そもそも、そういった概念がこの世に存在しているのを初めて知ったような顔だ。
「敵は来ないのか? 今日は、ゲリラどもは――」
「今日は気配がありませんね」
辻中佐は踵を返し、兵たちに小休止を命じた。
根本的なところで無茶苦茶をやる参謀ではあるが、兵や下級の士官に対しては妙に優しいところがあるようだった。
なんと評価していいか分からない男――
それが、小岩井少佐の偽らざる思いだ。
「オーレンスタンレー山脈を越えて、ポートモレスビーに陸路を作るか……」
小岩井少佐は、辻中佐が遠くに行ったのを確認してから独りごちた。
ポートモレスビーへの補給の状況は厳しい。それは知っている。
北の海岸に位置するブナから南のポートモレスビーまで陸路を完成させる。
間には標高3000メートル以上のオーレンスタンレー山脈がある。
なんとか、ココダまでは、そこそこの道路ができた。
それは辻中佐の執念と兵たちの献身的な努力で作り上げたものだ。
しかしだ。
この道路が完成したとして(完成する見通しは立ってないが)いったいどこまで補給を助けるのか。その点に関し小岩井少佐は疑問を抱いていた。
現地住民を協力者に仕立て上げた、米豪の遊撃部隊との戦闘も続いている。
奴らは上空からこっちの動きを見ていやがる。
「少佐殿! 本部より連絡です」
兵が、敬礼をして報告する。話を聞いた小岩井少佐は怪訝な顔をした。
「海軍の連絡将校? なんだそれは」
兵に訊いたところで分かるわけがなかった。彼はその情報を伝令しにきただけなのだ。
海軍から派遣された連絡将校が、ここに来る。
その意味を彼は考えた。
まさか、海軍も本気で「ニューギニア打通」を考えているのか?
「小休止終わりだ!」
辻中佐が兵たちに指示を出している。
本当は中佐とか参謀がやる仕事ではない。
しかし、彼は生き生きとしてそれをやっている。
後方でふんぞり返って、弾の下を決してくぐろうとしない士官よりは、勇敢なのかもしれない。
ただ、それは参謀としてはどうなのかという思いもある。
「海軍から来る人も災難だな――」
彼は心底、その不幸な人物に同情した。
■参考文献
日本陸軍の火砲「機関砲 要塞砲続」著:佐山次郎
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