その106:混迷の太平洋戦争、過ぎ去る1942

「無傷で帰さなかっただけマシなのか……」


 陸地に上がった聯合艦隊司令本部で、俺はため息交じりの声を出した。

 聯合艦隊司令長官の私室だ。今この部屋には俺しかいない。

 女神様も、本物・五十六もいない。


 豪華な造りのイスに寄りかかり天井を見あげた。

 静かな部屋だ。


 ポートモレスビーに艦砲射撃を仕掛けてきたアメリカの戦艦の内1隻をなんとか仕留めた。

 特殊潜航艇の殊勲だった。ああ、またマスコミが「軍神」とかいうのかな……

 まあ、活躍した人たちは立派なんだ。それを褒めるのは悪いことじゃないんだけど。


 沈んだのはサウスダコタ級かノースカロライナ級だ。まあ、どっちでも大勢に影響はない。

 むしろポートモレスビーの被害が心配だ。


 つーか、どうなんだろうなぁ。マジで。

 戦艦1隻を失うことは、普通の国なら大ダメージだ。

 しかし、アメリカという国にとってはどうなのか。

 

 無限の生産力をもつチート国家――

 俺は、敗戦後の日本の教育を受け、どれだけ生産力・国力に差があったかのデータを知っているんだよな。

 しかしだ、本当に無限の生産力なんてありえない。

 

 俺は手元の資料を見た。

 開戦以来、確認されている主な戦果と現状の予測戦力が書かれている。


 まずは正規空母だ。

 開戦時に保有していた空母は、レキシントン、サラトガ、エンタープライズ、ヨークタウン、ホーネット、ワスプ、レンジャーの7隻。

 小笠原沖でエンタープライズとホーネットを沈めた。


 ポートモレスビー沖で、レキシントン、ワスプを沈めた。

 サラトガも仕留めたと判断されていたが誤認だった。サラトガは何回も沈めたって報告が上がってくるけど沈まん。しぶとい。


 よってアメリカの現有空母戦力は、サラトガ、ヨークタウン、レンジャーの3隻だ。

 今回、ソロモンの最前線であるブインに奇襲をしかけてきた機動部隊はこの3隻だった。

 他に護衛空母もある。30機くらいを運用できるので、かなり侮れない。

 今回の作戦では前衛に突き出してきた。史実とは逆だ。


 そして戦艦だ。主力を空母に譲ったといっても、使い方次第じゃ凶悪な兵器であることは変わらない。

 いや、単艦の破壊力では、今でも最強の兵器だ。攻撃レンジに入ってきたら手におえない。


 真珠湾とアリューシャン沖で、合計6隻以上の戦艦を沈めている。

 そして、今回1隻沈めている。現有戦力は旧式戦艦が2~4隻。

 新型のサウスダコタ級かノースカロライナ級は1942年の間に何隻か就役しているが……

 確か5~6隻だったか?

 今回、2隻の投入ということは、残りは大西洋艦隊か?

 このあたりの戦力按分は、アメリカの都合もあるだろう。


 戦艦の持つ偉容、存在感、プレゼンスはまだ大きい。巨砲を並べた鋼の巨艦は平べったい空母より説得力がある。

 政治的な判断か…… 大西洋重視という姿勢をアメリカ海軍も見せねばならない。

 どーなんだ……


 1942年も終わる。開戦して1年以上が経過しているのだ。

 ここにきて、もはや情勢は俺の知識でどうにかできるレベルを超えつつあった。


「くそ、泣きごといってらんねぇんだよ!」


 俺は反動をつけて、バンと机を叩く。手が痛い。ジンジンした。


 無職ニートの軍ヲタの俺。何かあるか?

 まだ、俺の中に、知識チートになるような何かはないのか?


「空母の動きばかりに気にし過ぎていたか……」

 

 護衛空母を囮にして、正規空母で奇襲。それすら陽動で、戦艦でポートモレスビー砲撃――

 アメリカもなりふり構わず、こっちの弱みをついてくる。

 

「失礼します」


 声が聞こえた。渡辺安次参謀だ。

 

「不遜(ふそん)なのだ! 神である我が身の首の後ろを持つな! 放せ!」


 甲高い少女の声も聞こえた。あまり聞きたくない声。

 ヒロイン級のアニメ声優のような声なんだけど。


 俺が「入れ」と言って入ってきたのは、やはり、渡辺参謀だった。長身の男だ。

 彼は、いやな物をぶら下げていた。やはりである。

 女神様だ。なんか、悪さをした子猫をつまみ上げているような感じだ。

 いや、子猫ならまだ可愛いか……

 

「手を放せ! 女神に対しその振る舞い、罰が当たるのだ。神の罰が当たるのだ!」


 バタバタと手足を振りまわしている女神様。ちなみに罰を与えるような力は持っていない。「罰を当てる」と言わないのは正直だ。

 なんか「絶対無敵! 聯合艦隊!」とプリントされたトレーナーを着ている。

 相変わらず、どこで買ってくるのか謎だ。

 言動だけではなく、見た目すら女神らしさがなくなってきているのが悲しい。


「長官、女神様をあんまり司令部内でウロウロさせないでください。仕事ができませんよ。ちゃんと躾けてください」


「ああ、すまん」


「士気の鼓舞なのだ! 撃滅だ! アメリカを早く撃滅するのだぁ! 西海岸上陸! アメリカ本土決戦なのだぁ!」


 女神様絶叫。頭痛がするんだけど。お願いだから静かにして。


「女神様、戦争遂行は大変なんです。士気の鼓舞は、暇なときにしてください。今はいいです。士気ありますから」

「むッ! あるのか? 士気」

「あるよな? 渡辺参謀」


 いきなり話を振られた渡辺参謀。一瞬の間を置いてビシッと敬礼する。


「あります。士気はあります」

「ほらね、女神様。だから、大人しくして、お願いですから」

「うむぅ~ であるか―― では、しばらく休むとする」


 そう言うと女神様は光の玉になって、すっと俺の中に吸いこまれていった。

 このような異常な状態を、聯合艦隊司令部が許容しているのはどうかと思う。

 目の前の渡辺参謀も平然とそれを見ている。みんな慣れてしまっているんだろうな。


 不条理な女神などに構っている暇などない。

 今は国家の存亡をかけた戦争の真っ最中なのだから。


「まんまと、やられたか――」


「敵も一筋縄ではいきません。勝負は何手先まで読むか、読みあいです」


 渡辺参謀は将棋大好きな参謀なのだった。


「暗号だな」


「暗号ですか」


 通信解析、アメリカや中立国の報道を解析することでアメリカ空母の動向はかなり正確に把握しているはずだった。

 史実でも、アメリカが「自分たちの暗号が破られているのでは?」と疑念を持つぐらい正確にだ。

 一方で、こちらの暗号は破られている。暗号表の更新で解読できない期間を作ることはできる。

 ただ、それは根本的な問題解決になっていない。

 作戦内容を読まれる可能性が常にあるということだ。


「やっぱり、暗号が漏れているって事実は痛いか……」

 

「そうですね。勝っていることで、かえって対策ができません」


 渡辺参謀の言う通りだった。

 戦闘における勝利が、暗号を破られているという主張に対する強い反駁(はんばく)になっていた。

 日本海軍の機械式暗号は確かに、当時最先端の技術を使っている。強度は高い。最高水準だ。

 しかし、それは解読できないとイコールじゃない。


 暗号解読とは、全文を一字一句間違いなく解読できるというものではないし、その必要もない。

 ある程度読めた状態で、敵の動きを解析するというものだ。

 史実でもそんな感じでアメリカの対日情報解析は進んでいた。

 しかし、暗号解読ができたからといって100%敵の動きが読めるというわけでもない。


 日本語の誤訳で読み間違えたり、暗号表の更新時期によって解読不能になったりする。

 そもそも、完全に読めるなら、史実の日本はガダルカナルからの撤退すらできなかっただろう。


 アメリカも錯誤をする。完ぺきじゃない。

 しかし、それは暗号を読まれても「一向に構わん!」ということではないんだよ。

 

 そして、問題は暗号だけじゃない。

 

「どうするかねぇ」


 思わず声が出てしまう。


「どうするのかとは?」


「戦争。この戦争、どう終わらせるかってことだけどね」


「それは、もう一人の長官が動いているのでは」


「そうだけどさぁ……」


 本物の山本五十六と俺は対外的には同一人物ということになっている。

 別行動をとっても、浦安のテーマパークに生息するネズミのように同時に2か所には出現しないことになっている。

 だから、俺は私室にこもっているわけだ。このことは、聯合艦隊司令部と海軍上層部の一部にしか知られていない。


 山本五十六大将の軍政家としての能力は無茶苦茶高いと思う。

 開戦以来の聯合艦隊快進撃も後ろ盾になる。

 なんか、終戦に向けた組織づくりをしているんだという話だが……

 俺もまだ詳しい話は聞いていない。


「渡辺参謀」

「はい、長官」

「戦争を終わらせるのはどうすればいい?」

「勝つのではなく? 終わらせるですか?」

「そう。負けるのは論外。とにかく終わらせるってことだ」


 俺は長身の参謀に訊いた。


「我々は、勝利を積み上げることしかできません」

「戦術的勝利の先に、戦争の終わりがくると?」

「そう信じております」

「大変な話だよね。それ」

「そうですが、我々にはそれしかできません」


 要するに戦闘で負けない。

 勝利する。徹底的に勝つ。

 そのうち、アメリカが戦争を止めようと言ってくるだろうという話だ。

 その可能性をゼロとはいわないが、凄まじい無理ゲーだよ。それは。

 アメリカの戦力は来年、1943年あたりから急速に膨張してくる。


「我々の勝利はアメリカ世論に厭戦気分を作り上げます」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 対日感情は最悪だ。

 アメリカ国民は、日本に対する復讐心で燃えている。 

 それは、対ドイツ感情よりも悪い。

 極端に言えば、いいドイツ人はいるが、いい日本人などいないという空気ができているのだ。

 当時のギャラップ社の調査資料を俺は見たことがある。


 史実でのアメリカの戦死者は約28万人。

 欧州で18万人、太平洋で10万人。

 投入された兵員数を考えると相当死んでる。

 それでも、へこたれない国だ。


 戦後も日本は人員殺傷を最優先目的にして、アメリカの戦意をくじけばよかったという主張があった。

 有名な歴史学の教授なんかもそう主張している。

 でも、どうなんだ?

 メガデスで戦争を止めさせるには、何人殺せばいいんだ?

 50万人?

 100万人か?

 で、こっちが無傷で? ありえん。 


 確かに勝ちまくって、人的被害を拡大することで、アメリカの世論が厭戦的な方向に向かう可能性もあるかもしれない。

 でも、それは相手次第の話だ。

 アメリカ政府としては日本の現体制が崩壊するまで戦争をするだろう。

 

「現体制か……」

 

 大日本帝國という存在が日本国となりアメリカにとって少なくとも軍事的には無害な国家となった史実。

 その目標は開戦時点で設定されている。アメリカでは開戦と同時に日本をどうするかの戦後処理について検討に入っている。


 もし、アメリカがそれを最終目標としているならば、どうすべきなのか?

 日本以上の軍事的脅威。そして、日本がアメリカの味方になる状況を作る。 

 冷戦の利用。ソ連の利用――


 しかしだ――

 間に合うのか? そこまで粘れるのか?


 日本は東南アジアの資源地帯を押さえた。

 それを運ぶための商船は今のところ最低限は維持できている。

 そのため、最前線では攻勢に出ることはできない。

 おまけに、最大の基地であるトラックですら油不足だ。

 空母機動部隊は3個あっても、それを存分に動かす油がない。

 いや、油はあるんだけど、基地まで輸送できるタンカーが不足している。これが正解だ。


 前線に潤沢な油を送りこむためには、民需を絞り込む必要がある。

 それは出来ない。


「大東亜共栄圏」という言葉は立派だ。

 しかしその経済力は大日本帝國を支えるほどに大きくは無い。

 いずれ、凄まじいインフレと下手すれば、餓死者すら出しかねない場所だ。

 植民地としてモノカルチャー経済に組み込まれ、商品作物はあるが、肝心の米がないとかな。

 フィリピンなんて正にそうだ。


「陸軍が大陸で大きな作戦を行うようですね」

「ああ、重慶攻略だっけ?」

「そのようです」

「大陸か……」


 中国か……

 蒋介石率いる国民党政府と毛沢東の共産党軍。

 今は共闘して日本と戦闘を続けている。

 で、日本としては、汪兆銘の政権を正式な中国政府としているわけだ。


 つまり中国は同盟国であり、敵国でもある。

 国民党の軍閥の中には、平気で陸軍と取り引きしている存在まである。

 グチャグチャだ。


 で、そのグチャグチャな大陸での戦争が、そもそも日米戦争を招いたというわけなのだ。


「大陸かぁ…… 蒋介石、毛沢東…… あれ…… まてよ」


 俺は記憶を必死に掘り起こす。何かあったんじゃないか?

 

 何かがあった。もしかしたら、この戦争のカギになるなにかが、中国大陸にあったんじゃないか。

 パズルはまだバラバラだ。だけど、そのピースが目の前に出てきそうな気がしていた。


        ◇◇◇◇◇◇


 その顔は一見、温厚な布袋さんのように見える。

 しかし、そのたれ目気味の瞳の奥に尋常ではない光があった。

 禍々しいといっていい光だ。

 当時の日本人としては巨体といっていい肉体。

 

「油がないか……」


 その男の口がゆっくりと低い声を出した。

 

「山口司令、駆逐艦はもう限界です」


 幕僚が恐る恐ると言った声で告げた。


 空母翔鶴の艦橋だった。

 空母翔鶴、瑞鶴、飛龍、3隻の空母を基幹とする機動部隊。

 第二航空戦隊の司令部だった。

 

「トラックにもどる」

 

 純白の柄の軍刀。それを握る手に力がこもったのが分かった。

 細かくプルプルと震えている。


 山口多聞少将――

 第二航空戦隊の司令官である。

 戦意、闘志というものを濃縮して、結晶化したような精神の持ち主。

 あまりに容赦のない訓練から人殺し多聞丸の異名を持つ提督だった。


 その提督をもってしても「油がない」事実はいかんともしがたい。

 精神力で空母は動かないからだ。


「この戦、なんとかせねばならんな……」


 前線における燃料の不足。

 航空機燃料はまだ足りていたが、艦隊を動かす重油は慢性的に不足していた。

 重油がないわけではない。

 あるのだ。

 ボルネオの資源地帯を押さえ、そこの製油所には重油がある。

 しかし、それを前線に運び込む、タンカーが決定的に不足していた。

 

 開戦時に徴用していたタンカーは、当初の約束通り、民需用に返還していた。

 それが、前線基地における燃料の不足を招いていた。


 その現状を山口多聞は知っている。そして、それを許容しなければ戦えない自分たちの国の限界も知っていた。

 その上での「なんとかせねばならんな」という言葉であった。


 200機を超える艦上機を運用する機動部隊は北上を開始した。


「叩き潰してやる…… 必ずだ」


 山口多聞少将は、口の中で小さくその言葉をつぶやいた。

 それは、誰に対しての言葉であるのか分からなかった。


■参考文献

兵器と戦術の世界史 (中公文庫)/ 金子 常規

容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー) /ジョン・ダワー

毛沢東 日本軍と共謀した男/遠藤 誉

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