その104:漆黒の戦艦殺し 特殊潜航艇 その4

 早川少尉は腕時計を見た。時間は思ったより早く経過している。

 ポートモレスビー沖の外洋を航行する特殊潜航艇をとりまく状況は刻々と変化していた。

 焦りがないわけではない。しかし、焦ってみたところでどうにかなる問題では無かった。


 早川少尉は狭い艇内にいながらも、戦場を俯瞰(ふかん)するかのような感覚で思考を続けていた。

 すでに、敵戦艦の所在が判明して2時間以上が経過している。

 彼らの座乗する特殊潜航艇はすでに予定海域に到着しようとしていた。

 待ち伏せによる戦艦攻撃である。


 しかし、戦艦発見の報により攻撃に入ったのは、彼らだけでは無かった。

 すでに、少数機による夜間航空攻撃が実施されたようだった。

 ただ、その攻撃の結果が全くの不明だ。

 

(航空隊は全滅したんじゃないか――)


 そのような不吉な考えが頭をよぎった。

 攻撃が成功したにせよ、失敗したにせよ一切の報告がないことはあり得ない。

 あるとすればだ――


(バカな――)


 彼は首を振って、その思いを否定しようとする。

 航空攻撃を知らされたとき「手柄を横取りされる」と思った自分を責めたい気持ちになってきた。


(全滅と決まったわけではない)


 自分の思い違いであればいいと彼は思った。

 それは、正直な気持ちだ。


「敵が、進路を変更した可能性はありますかね――」


 四月一日兵曹長が言った。

 ダラダラと大汗をかきながら、制電盤(せいでんばん)を操作している。

 大型化し、外洋作戦が可能になった特殊潜航艇であったが、乗員ひとりにかかる負担は大きい。

 

「その可能性は少ないだろう」


 頭を切り替え彼は答えた。


 攻撃を受けたことにより、進路を変える可能性は少ないと早川少尉は考えている。

 むしろ、急いで当初の退避進路を進むのではないか。

 自分が指揮官であってもそのような判断を下すだろう。

 余計なことをする必要はない。作戦目的は達成しているのだ。安全の確保が最優先だ。

 そして、最も安全なのは、最短距離を出来うる限り高速でつっきることなのだ。


「夜間攻撃はもうできないだろうしな」


 彼は言葉を続けた。


 こちらの航空基地は、空母の艦上機による奇襲で身動きがとれなくなっている。

 海軍の陸攻を集中配備しているのは、ソロモン方面である。

 今回、敵の攻撃を受けていないラビには、大型の攻撃機の数が揃っていない。

 ニューギニア方面に配備されているのは、陸軍の爆撃機が中心だ。

 夜間の艦艇攻撃は出来ないだろう。


 そのような状況の中でソロモン方面から、なけなしの陸攻を出して攻撃したのではないか。

 早川少尉は、夜間攻撃をそのようにとらえていた。


「海が凪(な)いでいるのが幸いですね」


「確かにな」

  

 早川少尉は、四月一日兵曹長の言葉に同意する。


 海が荒れていないことは、まさに僥倖(ぎょうこう)といえた。

 60トン程度の排水量トンで予備浮力の少ない特殊潜航艇だ。

 荒れた海での水上航行は、非常に困難となる。

 大きな改造を加え、外洋航行性能を上げた「特殊潜航艇・甲標的丙型改二」といっても限界はあった。

 元々の発想が「人間の乗る魚雷」のようなものである。


 150馬力の五一号丁型ジーゼルエンジンは快調に動いている。

 当初は1機だけだったが、乗員を削減する代わりにエンジンは2機搭載している。

 これにより、水上速力も大きく向上していた。


 ジーゼルエレクトリック方式(ジーゼルエンジンで発電機を回して、蓄電しながら、モーターを回す方式)の機関は減速歯車などもなく、音も比較的静かである。

 まるで航空機のキャノピーを思わせる司令塔だけを海面に出し、18ノット近い速度での航行を続けていた。


「二本の魚雷で戦艦を仕留められますかね?」


「新型信管が額面通りの性能なら可能性は無くはないな」


「新型信管ですか、艦底起爆式の――」


「ああ、本当に艦底で起爆するなら、大型艦だって危うい」


 早川少尉はそう言いながらも、絶対の自信をもっていたわけではない。

 半ば、願望も混じっている。その自覚はあった。

 いくら、新型の信管といっても、たった二本の魚雷なのだ。

 普通であれば、たった二本の魚雷で戦艦を仕留められると思えない。


 特殊潜航艇に搭載している九七式酸素魚雷は炸薬350キログラム。

 航空魚雷の炸薬が約200キログラム。

 水上艦艇用の酸素魚雷が約500キログラム。

 この魚雷の炸薬量はちょうどその中間レベルである。


 威力不足というわけではないが、1発2発で大型軍艦を沈めることのできる魚雷ではない。

 常識的に考えればだ。


 しかし――


 この九七式酸素魚雷には、他の魚雷にない大きな優位点があった。

 それが「艦底起爆信管」だ。

 磁気感応式の信管である。


 大雑把にいって、鉄の持つ磁性を探知し、誘導電流により信管を作動させるものだ。

 この魚雷は命中しなくとも爆発する。

 艦底を通過すれば、その瞬間に爆発するのだ。


 魚雷はなるべく水深が深い位置で当てることで威力が増す。

 それは、水深と水圧が比例するからである。


 艦底起爆魚雷による破壊は通常の魚雷とは破壊システムが大きく異なる。

 通常の魚雷は、爆発時に周囲の海水が四方に弾けエネルギーを吸収する。

 海水は擾乱(じょうらん)されるだけだ。 


 だが、艦底起爆魚雷は、爆発の瞬間、海水が押し退けられ、艦底に空間が生じてしまう。

 その結果、海水による浮力を失い、構造材に大きな負荷がかかる。

 そしてだ、その空間には海水が再び戻ってくる。凄まじい破壊エネルギーを秘めてだ。

 それは、大質量の海水のハンマーだ。

 天高く伸びる水柱のエネルギーが、破壊エネルギーに転化されるようなものだ。

 下手したら船首から船尾に伸びる最重要構造材である竜骨(キール)すら折りかねない。


 各国が艦底起爆システムの開発を行っているのはそれなりの理由があるのだ。


 350キログラムの炸薬をもつ97式酸素魚雷改二は、艦底起爆信管を備えていた。

 二式起爆装置だ。九二式電池魚雷に装備されつつあるが、この魚雷自体があまり人気がない。

 酸素魚雷が高性能すぎるからだ。


 ただ、商船攻撃には値段の安い九二式電池魚雷の方がコストパフォーマンスはいい。

 手間がかからないわけではないが、酸素魚雷よりはメンテナンスも楽だ。


 実際、西海岸の通商破壊戦を行っている潜水艦の一部では使用しているらしい。

 酸素魚雷と電池魚雷のどちらを選ぶかは、艦長の自由裁量にまかされていた。


 特殊潜航艇の魚雷に磁気信管が使用されているのは、魚雷の威力不足をカバーするためでもあった。

 また、細かな深度調整が必要なくなるのもメリットだった。

 艦底で爆発させることだけを考えるならば。


 現在、爆雷にも搭載する方向で研究が進んでいるが、そのことについて早川少尉が知っているわけはなかった。


「上をみてくる」


 早川少尉はそういうと操縦室上部にあるハッチにむかった。

 ジャイロによる自動航行装置のスイッチをいれてある。

 これも乗員の負荷を軽減する装置だった。航空機の「自動操縦装置」に似たようなものだ。

 たったふたりで数日間の作戦行動をするのだ。こういった装置は必須だった。


 特殊潜航艇・甲標的丙型改二は、当初五人の搭乗が想定されていた。

 しかし、テストを行う中で居住性の悪化が洒落にならないレベルであることが分かったのだ。

 5日の連続作戦行動を目標にしていたが、せいぜいが3日が限界だったのだ。

 それであるならば、そもそも人数を増やす意味もないことになる。


 結果として、搭乗員は2~3人で運用可能とし、それを支援するための各種装置が備え付けられたのだ。

 この改造に関しては、聯合艦隊の上の方からも指示があったらしい。

 早川少尉は細かいことまでは知らないが、珍しくまともな判断であると思っている。


 ハッチから四囲を見た。黒く染まった海原には何も見えなかった。

 まるで、世界から切り離されたような錯覚に陥りそうだった。

 

        ◇◇◇◇◇◇


「大した攻撃じゃなかったな」


 フランコ上等水兵は、ヘルメットの中に手をつっこみ頭をかきながら言った。

 その手には、まだボフォース40ミリ対空機銃の発射の振動が残っていた。 


「まだ来るかもしれないぜ」


 ベニー上等水兵は言った。


 少数の日本の双発機による夜間攻撃は撃退した。

 それでも、対空警戒態勢はまだ解除されてはいなかった。

 長時間の警戒は、神経を疲れさせる。いっそまとめて日本機に来てもらいたいとベニー上等水兵は思った。

 

「赤さびW」の愛称で呼ばれる戦艦ワシントン。フランコとベニーは、その機銃手であった。

 

「最初からシカゴ・ピアノなんか捨てちまってコイツにしておきゃよかったのにな」


 フランコ上等水兵は、星空の下で滑るような黒い砲身をみやった。

 銃身というよりは、砲身だ。


 彼らの操る機銃は最新鋭の対空機銃であった。

 ボフォース40ミリ対空機銃だ。

 以前までアメリカ海軍の主力対空機銃だった28ミリ対空機銃(通称:シカゴ・ピアノ)とは次元の違う性能だった。


 Mk28、5インチ両用砲が高射射撃システムと信管調定の問題で火制できない3000メートル以内の敵機を攻撃できる。

 シャワーで水を撒くように、40ミリ口径の鉄塊を放つ凶器だ。

 28ミリ対空機銃では空白となったエリアに無慈悲の弾丸を叩きこむ。

 この対空機銃を装備した艦艇には、死角はなくなっていた。


 少なくとも空からの攻撃に対しては――


        ◇◇◇◇◇◇


「航行に支障なしか」


 リー提督は安堵の色をにじませた言葉を吐いていた。


 日本の双発機による夜間攻撃を撃退した。

 4機を撃墜した。至近弾1発だったが、被害らしい被害はでていない。


 現在艦隊は22ノットの速度で航行中だ。

 この速度であれば、潜水艦の追尾を受ける心配がなかった。

 自艦の騒音でこちらのパッシブソナーも使うことはできないが、潜水艦の攻撃を困難にすることの方が重要だった。


 彼の指揮する戦艦「サウスタゴタ」、「ワシントン」を中核とした第64任務部隊は、日本機の攻撃を受けた。

 最初の敵機との接触から、間をおかずやってきた攻撃機だった。

 少数機による夜間雷爆撃だ。

 毎度おなじみのベティだった。キチガイじみた航続力をもった双発の攻撃機だ。


 夜空を照らす吊光弾を投下。

 そして、海面ギリギリを飛行し、魚雷を放つ攻撃機。

 高空から、徹甲爆弾も投下してくる。


 練度の高い、雷爆同時攻撃。それも夜間攻撃だ。

 今の米海軍にこれだけの攻撃を行えるパイロットが何人いるのだろうか?

 リー提督は、自軍の苦境を思わずにはいられなかった。


 それでもだ――

 航空攻撃をしのぎ、勝利をしたのは自分たちだという思いがある。

 それが、一時的で局所的な勝利だとしてもだ。


「とにかく、今の航路を維持していく。日の出までに奴らの航空攻撃圏内から離脱する」


 リー提督はあらためて確認するかのように幕僚たちに言った。

 少数の大型機で、夜間雷爆同時攻撃を仕掛けてきた。

 すでに、こちらの位置は露見している。

 今は、夜の闇が自分たちを守ってくれる。

 しかし、夜が明けたらどうなる? そのときに、奴らの勢力圏内をウロウロしていたら――


 先ほどの攻撃の際、火だるまになった攻撃機が、体当たりを狙って突っ込んできた。

 ゾッとした。

 ジャップは天皇のために、自分の命を捨て、昆虫のようにひたすら攻撃をしてくるのだ。

 こんなキチガイじみた相手と戦っているのは太平洋の自分たちくらいなものだ。

 しかも、ただのキチガイじゃない。強力な兵器をもったキチガイどもだ。 


 大西洋ではドイツのUボートにさえ気を付けていればいいのだから気が楽だ。

 こっちは、海上に展開されるありとあらゆる兵器が襲ってくるのだ。


 今にも、凶暴極まりない空母機動部隊がこちらに向かっているのかもしれない。

 凄まじい破壊力をもった酸素魚雷(ロング・ランス)を搭載した水雷戦隊も跋扈している。

 狡猾きわまりないタナカという男に指揮された水雷戦隊だ。


 今のところ機動部隊も水雷戦隊もこの海域には存在しないはずだった。

 情報部の言うことを信じるならばだ。

 日本海軍の暗号については、解読が進んでいるという話を噂で耳にしたことがある。

 暗号に関する情報は最高機密だ。漏れ聞く噂だけで、それが本当かどうかはリー提督も分からない。

 ただ、今回の作戦に関して言えば、今のところ大きな齟齬がなく進んでいる。

 噂は本当なのかもしれない。


(今は関係ないことだ)


 暗号解読が出来ていようが、出来ていまいが、自分たちは自分たちのできることに全力を尽くすだけだった。

 夜間の内に、ハルゼーの機動部隊の防空圏内に入り、ヌーメアまで戻らなければならない。

 ポートモレスビー砲撃という、敵の牙をかいくぐり戦果を上げた部下たちだ。

 無駄に死なせるわけにはいかなかった。

 ただでさえ、海軍将兵の消耗は洒落にならないレベルになっているのだ。


「まだ、油断はできん」


 リー提督は海と空が黒く溶け込む夜の水平線を見つめてつぶやいた。

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