その103:漆黒の戦艦殺し 特殊潜航艇 その3
「くそったれ(ファック)! ファック、ファック、ファック、殺すんだぁぁ! ジャーーップーーゥゥゥ!!」
提督の咆哮だ。
その叫びは、彼の座乗する満載4万トンを超える空母サラトガを震わせた。
いや、実際は震わせてないのだが、同艦の司令部にいる人間の多くがそう感じたのである。
潰れたジャガイモか、ブルドックを擬人化したかのような相貌の提督は吼え続ける。
「Damnit(ダミット)! たらねぇ、サル肉が…… サル肉がたらねぇじゃねぇかぁぁぁ…… どういうつもりだテメェらぁぁ?」
ウイリアム・ハルゼーJr中将は、ありとあらゆる罵詈雑言を吐き出した。
そして、それが止まると鋭い眼光で司令部の幕僚たちを見つめた。
嵐のあとの静寂が司令部を支配する。しかし、それは幕僚たちに対し、安寧を提供するものではなかった。
「ブイン、バラレ、ショートランド方面の日本海軍航空基地の無力化には――」
沈黙に耐えきれなくなったのか、幕僚のひとりが口を開く。そしてのどを鳴らし、言葉を飲み込む。
「どうした? 続けろ」
闘犬が笑みを浮かべるとすれば、このような笑みではないかと思わせる笑み。
ハルゼーの表情はそのようなものだった。
作戦目的は達成していた。
日本軍の最前線拠点であるブイン、ショートランド。その航空基地の無力化。
それは、概ね達成されているとみられていた。
戦果確認の偵察、そして現状がなによりもそれを証明していた。彼らの艦隊に対する直接的な反撃は一切なかった。
アメリカ海軍にとって宝石より貴重な空母三隻からなる第16任務部隊。
大日本帝國海軍という、恐るべき敵。その凶悪な牙の届く範囲からの離脱には成功しつつあった。
「ガダルカナル島への補給、およびポートモレスビーに対する艦砲射撃は――」
「成功だろうさ! ああ、くそったれな成功だ! クソまみれの成功か? 分かってんのか! テメェら!」
本当に分かっているのか? という思いでハルゼーは幕僚を見つめる。
護衛空母を囮(おとり)に使うというのは、気に入らなかったが仕方がない。
その結果「作戦目的」は確かに達成したといえた。その点に関しては、彼も認めている。
日本軍に与えた打撃は相当なものだろう。
まず、ガダルカナルへの補給作戦は成功するだろうし、ポートモレスビーに対する戦艦の艦砲射撃も成功するだろう。
これにより、ソロモン、ニューギニア方面における戦況は一気に変わる可能性が高い。
しかしだ――
気に入らなかった。
作戦に投入した航空隊は散々な目にあっていた。
損耗率は全体で30%を超えている。
182機の出撃機に対し、64機の損失を出している。
帰還したものの、修理不能機まで含めれば、機材の被害は更に拡大する可能性があった。
戦闘により落された機も多い。それよりも問題なのは、事故機が続出していることだった。
看過できない問題だった。
戦闘機に限っていうならば50%に迫る損耗率だった。
特に、初めて実戦に投入されたF4U-1チャンス・ヴォート「コルセア」の被害が酷かった。
開戦以来の消耗と、航空戦力の拡大により平均練度が低下する中、熟練者により編成された戦闘機隊だったはずだ。
戦闘による被害だけでなく、無事に空母にもどった機体も着艦に失敗し、被害を拡大した。
F4U―1はその傾向が顕著だった。
決して、練度不足ではない。
彼らの平均飛行時間は1000時間を超える。今の米海軍では望みうる最良のパイロットたちだ。
着艦訓練は問題はなかった。しかし、訓練と実戦は違っていた。
戦闘を行い帰還。その上で着艦することは、単なる着艦訓練でどうにかなる問題ではない。
――あの機体は空母での運用に、根本的な問題があるのかもしれない。ハルゼーはそう考えた。
とにかく、彼らは貴重な戦力だ。その損耗は痛すぎる。
現在、海軍パイロットの平均飛行時間は400時間を切っているはずだ。
粗雑で野卑なように見え、ハルゼーは精緻な頭脳の持ち主だった。そのような数字も頭に入っている。
ハルゼーは、罵倒語を吐き出すだけで海軍中将になったわけではない。
「ナチのフォッケが投入されたとの情報が上がっています」
その幕僚の言葉をハルゼーは苦々しい思いで聞く。
開戦以来、毎度おなじみの報告だったからだ。
真珠湾攻撃では、メッサーシュミットや、ドイツ人パイロットの目撃報告が上がっている。
生きのこったパイロットの証言を頭から否定するわけではないが、戦場での錯誤は当たり前におきる。
日本人を「サル」といって憚(はばか)らない彼であったが、敵としての戦闘力については高い評価をしている。
「奴ら(日本軍)は強い」ということに関して、ハルゼーは微塵も疑っていない。
もはやそれは信仰に近いものがあった。本人は否定するであろうが――
「フォッケか…… 可能性は否定しないが、ジャップの新鋭機である可能性の方が高い」
フォッケとは「フォッケウルフ・Fw190」のことだ。
ドイツ空軍(ルフトバッフェ)の新鋭機だ。
その総合性能は連合国で運用されている全ての機体を上回るとされていた。
イギリスのスピットファイヤーを子ども扱いする機体だ。
ただ、フォッケは欧州ですらレアな機体といえる。
実戦で使用できる数の機体を欧州から南太平洋まで運んでくるとは考えづらい。
ナチも楽な戦争はしていないはずだ。
ヒロヒトへプレゼントする余裕はないだろう。
最新鋭のF4U-1チャンス・ヴォート「コルセア」を子ども扱いした戦闘機。
認めたくはない結論ではある。しかし、それはジャップの新鋭機だろう。
最高速度400マイル(時速644キロ)を超える新鋭機だぞ!
くそったれめ! ハルゼーは脳内で悪態をついた。
彼は右手のひらで、顔を押さえていた。
内心の憎悪。ジャップに対する憎悪。それはどす黒い業火だった。
それが、彼を突き動かす。
ゆっくりと、ハルゼーは右手を顔から離した。
露わとなったハルゼーの表情を見た幕僚たちは息を飲んだ。
人外の何かが憑りついたかのような眼光。
ハルゼーという存在が周囲の空間をゆがませているような錯覚を覚えた。
そして、見た者が、その生涯で忘れることが不可能な笑み。いや、それは本当に、笑みなのか――
ハルゼーの歪んだ、口元がゆっくりと動いた。
「――ジャップを殺せ。もっと殺せ。いいか―― 殺すんだ―― サル肉を量産しろ――」
低くどす黒く、そして刃のような呟きがその口から漏れていた。
◇◇◇◇◇◇
「まだ安心はできんか……」
ウィリス・A・リー少将。第64任務部隊の司令官であった。
戦艦ワシントンに座乗する彼は小さくつぶやいていた。
降るような星が見える南太平洋の漆黒の夜空。吸い込まれそうになるほどの深い闇。
その空の下を、二隻の戦艦を中心とする艦隊が進んでいる。
戦艦ワシントン、そしてサウスダコタ。重巡洋艦4隻、駆逐艦10隻の艦隊だった。
二隻の戦艦は16インチ(40センチ)口径の主砲。三連装砲塔とし三基九門備えた最新の戦艦である。
真珠湾とアリューシャンで沈められた旧式戦艦とは全く次元の違う性能をもっている。
水上戦闘であれば、日本海軍のどのような戦艦であろうとも負ける気はない。
リー少将はその点において確信に近い思いを抱いている。
「『モンスター』よりも飛行機と潜水艦だ――」
情報部からは、18インチ(46センチ)以上の主砲を積んだ「モンスター」と呼称される戦艦の存在が報告されている。
日本海軍がそういった巨大戦艦を造り上げたかどうか、それに関しては半信半疑だ。
全滅に近い被害を受けたアリューシャン沖海戦で確認されたというが、戦場伝説である可能性もある。
とにかくだ――
今、彼らの艦隊が注意しなければいけないのは航空機、そして潜水艦だった。
現在22ノットの速度を維持している。
巡航中の艦隊の航行速度としては、異例ともいえる速度だ。旧式戦艦の最高速度に近い。
この速度であれば、潜水艦による攻撃は困難である。
ただ、こちらも、この速度では自艦の出す雑音のためソナーの使用ができなかった。
「レーダー情報、異常はないか」
「異常ありません」
士官の返答を聞き、リー少将は小さくうなずく。
電波の目が闇の支配する空を走査している。
現在、機影は確認されていない。
対空見張レーダー。SC(シュガー・チャーリー)が先ほど、日本機と思われる機体を探知していた。
それは、こちらを視認する距離まで迫ることなく、遠ざかっていった。
油断はできない。
日本海軍の航空機の航続距離は、かなり大きいことが分かっている。
単発機ですら、相当な距離を飛んでくる。
また、日本軍の航空機がレーダーを装備している可能性もある。
自分たちがもっている物を、相手が持っていないと考えるより、持っているという前提で行動する方が安全だ。
彼が、そう考えていたときであった。
「司令! 機影です。敵機らしきもの――」
司令部にレーダー室からの情報が入った。
距離は70キロ。方位からして、日本軍機であることは間違いない。
「反応から、単機の小型機と思われます。進路をこちらに向けています」
「索敵機か――」
ブイン方面、ポートモレスビー方面の航空基地には痛撃を与えている。
即応できるとは考えづらいが、単機の索敵機なら、無理くりなんとかするかもしれない。
奴らは平気で無茶苦茶をする。
彼は現在位置と、日本海軍の拠点の距離関係を確認するため、チャートを見た。
「ハルゼーの艦隊との合流を急ぐべきか」
結論は同じだった。現状における最良の選択は、味方空母部隊の傘に入る事だ。
夜間攻撃があった場合、艦隊の対空火器でしのぐしかない。
おそらく、小規模な夜間攻撃ならばそれは可能であろう。
ポートモレスビーへの砲撃は成功したが、彼らの艦隊の戦いはまだ終わってはいなかった。
◇◇◇◇◇◇
「どこに行きやがった」
「まだ、そんなに遠くにいってないはずです」
「そりゃ、分かってはいるがな」
菊池少尉は後部座席の小笠原軍曹に答えた。
伝声管を通してだ。
ポートモレスビーに展開していた陸軍航空隊で離陸できたのは、彼らの乗る屠龍だけだった。
陸海軍共用されている双発戦闘機。
いや、戦闘機というよりは「万能機」といった方がいいかもしれない。
その任務は、空戦だけではないからだ。
今の彼らのように海上索敵も任務の内であった。
かつての陸軍航空隊であれば考えられないことだ。
海軍の空中勤務者(彼らは搭乗員と呼ぶらしい)の協力で海上航法と索敵の任務もこなせるようになっていた。
その貴重な航空中隊が、敵戦艦の艦砲射撃で壊滅に近い被害を受けた。
機材の被害以上に、支援設備、燃料、滑走路の被害が甚大だった。
「離陸促進装置が無事だったのは奇跡ですね」
「まあ、飛べたのは自分たちだけだがな」
離陸促進装置とは、海軍でいうところの「射出機」。要するにカタパルトである。
陸軍航空戦力は、敵航空基地の殲滅を目的とする「航空殲滅戦」を目的として整備されてきた。
最前線における未整備の基地からでも航空機を運用するため、独自にカタパルトの研究を行っていた。
それは、大陸で運用試験を行い、ポートモレスビーに持ち込まれたものだった。
「中尉殿!」
「いたか――」
同時だった。彼らは漆黒の海上に食塩を細くまいたような航跡を確認していた。
「でかいな」
菊池中尉が呟く。戦艦は2隻かそれ以上いるのではないか。
すでに小笠原軍曹は打電を開始していた。
「ワレ センカンヲフクム テキカンタイ ハッケンセリ――」
敵に対する復讐を宣告する電子の言霊が南海の空に響いていた。
■参考文献
あゝ疾風戦闘隊―大空に生きた強者の半生記録 新藤 常右衛門
(陸軍カタパルトについてはここからです)
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