その102:漆黒の戦艦殺し 特殊潜航艇 その2
遠くから遠雷のような音が響く。
爆発音だった。
「早くしろ!」
神田飛曹長が零式水上観測機の上から怒鳴っていた。
普段であれば、整備員に対しそのような態度をとるような搭乗員ではない。しかし、あまりにも状況が悪かった。整備員たちもそれが分かっているのだろう。ただ、黙々と作業を続けている。
ポートモレスビーへのアメリカ戦艦の艦砲射撃。それは完全な奇襲となっていた。
(逃がすわけにはいかん――)
神田飛曹長は零観の操縦席で、ジリジリとした時間を過ごしていた。
すでに、戦艦が去って2時間は経過している。
零式水上観測機、二式水上戦闘機を合計12機。
ポートモレスビーの海軍水上機基地の全保有機だ。
現在、その稼動機は彼らの乗る零観を入れたった三機だけとなっていた。
すでに、二機は出撃している。
彼らの乗機だけが、機体の整備確認が遅れていた。
海軍の水上機基地への砲撃は、それほど激しくなかった。
人員の被害もほとんどない。
それでもだ――
それは、比較の問題であった。
所有機の80%以上が損傷、もしくは廃棄となっているのだ。
航空隊としての戦闘力に関しては大打撃といっていい。
ポートモレスビー基地のあちらこちらで、まだ火の手が上がっている。闇を焦がすかのような炎だ。
おそらく必死の消火活動が行われているだろう。
このまま、燃え続けていれば、夜間爆撃のいい的になってしまう。
戦艦の砲撃だけで、終了だとは思えない。
奴ら(アメリカ軍)は徹底的に手を抜かない。戦争に関する勤勉さは異常だ。
彼は空を見やった。複葉機であるが、U字型に切れ込んだ翼が上方視界を確保している。
月のない星空だけが広がっている。
先ほどまでの砲撃が嘘のような南海の夜空だった。
地上の争いなど無関係と言っているかのように、揺らぐような輝きを放つ星たちがそこにあった。
自分たちは、自分たちの本分を尽くす。それしかなかった。
神田飛曹長は、操縦席で航空チャートを広げた。
手持ちの懐中電灯で照らす。
コンパスを当て、キュッと半円を描いた。
錯綜する情報であったが、艦砲射撃を行ったのはアメリカの新型戦艦であろうと判断されていた。
単純な消去法だ。アメリカ海軍の旧式戦艦群はほぼ全滅状態なのだから。
経過した時間から考えれば、通常航行でも40海里前後。全速で遁走していた場合、50~60海里は離脱している可能性がある。
アメリカ戦艦の最高速度は25~30ノットと推測されていた。
ポートモレスビーを起点としてその半径をもつ円周内のどこかにいるのだろう。
自分たちの担当する索敵線を確認する。
(時間がたちすぎている――)
イラつく心を抑え込む。焦ったところで状況が良くなるわけはないのだ。それよりは、平常心だ。
そして、再び爆発の音が遠くで響いた。
ポートモレスビーの中心部ではまだ火災と煙が上がっている。
この様子では、陸軍の方は酷い状況であろうと思われた。
「陸さんの方が酷い目にあってるんでしょうね……」
後部座席から彼のペアである藤田一飛のつぶやきが聞こえた。
「当たり前だろう」
思わず強い口調の言葉がでてしまい、ハッと思う。
「となると、自分たちだけですね。神田飛曹長」
「あ、ああそうだな。すまん」
藤田一飛が淡々と話を続けたことで、神田飛曹長のささくれていた気持ちがほぐれてきた。
こんなとき、マイペースなペアの存在というのはありがたかった。
「あれ、いい飛行機なんですけどね」
「この状況じゃ、どんな飛行機だって飛べん。飛べない飛行機に意味は無い」
藤田一飛の言う「いい飛行機」とは、最近「屠龍」という陸海軍制式名称が決まった機体のことだ。
元々は、川崎が開発した陸軍ものであったが、利用機種の統合により海軍でも配備を進めている双発複座の戦闘機だ。
ポートモレスビーの陸軍搭乗員(彼らは「空中勤務者」というらしいが)の技量も高い。
海上航法には難があるらしいが、夜間飛行の技量においては、海軍以上の物があった。
実際に、ポートモレスビーに配備されてからは、海上護衛、爆撃機要撃、地上攻撃、海上攻撃と使用されていた。
「まあ、陸軍も掩体を結構造ってましたから、全滅ってことは無いと思いますが」
「そうか……」
相変わらずだった。
藤田一飛は、陸軍の状況までよく知っていた。
彼は、与太話まで含め雑多な情報を収集することでは、抜群の才能を持っていた。
神田飛曹長は、陸軍の航空基地の掩体がどうなっているかなどの詳細までは知らなかった。
「それにしたって、この状況じゃ飛べるわけがない」
「そりゃ、分かってますけどね」
水上機であり滑走路の影響がない自分たちですらこのざまだ。
たった一機の出撃に右往左往だ。
陸軍機がこの状態ですぐに飛び立てるわけがない。
滑走路がズタズタにされているだろう。その点に関しては、楽観的な思いは一切抱くことができなかった。
計器、エンジンの点検が終わり、燃料の補給が完了した。
問題は無い。
整備員が木製の梯子をおりて機体から離れていく。
そして零観は、は墨のような色を見せている夜の海に引きだされた。
エナーシャハンドルが回転させられる。
「コンターク」
慣性でエンジンの起動がかかる。
排気口が濃い息を吐くように、排気を吹きだした。
瑞星一三型エンジンが軽快な唸りを上げ、住友ハミルトンの三翅プロペラを回転させる。
離床875馬力の小型エンジン。その安定性はお墨付きだ。
神田飛曹長は手信号で発進合図をいれる。
「あれ? 陸軍機が」
「え?」
伝声管から藤田一飛の声が聞こえた。
神田飛曹長も反射的に、ポートモレスビーの内陸部に視線を向けた。
まだ消火しきれていない炎を背景に、黒い礫のようなものが上昇していくのが確認できた。
確かに航空機に見えた。
「バカな―― 陸さん、飛べるのか?」
三菱製エンジンの奏でる音に、神田飛曹長のつぶやきが混じりこむ。
だた、それは一瞬だった。
それが陸軍機であろうが、なにかの誤認であろうが関係ない。
今は機体の操作に集中すべきだった。
ヌルヌルと黒く光る海面を零式水上観測機が滑走していく。
緩やかにターンをして、離水のための滑走に入る。
複葉の引き締まった機体がふわりと宙に舞った。
燃えるポートモレスビーが眼下に見える。
「逃げ切れると思うなよ」
神田飛曹長は、操縦桿を強く握りしめていた。
◇◇◇◇◇◇
「ブイン、ショートランド、ラビからも、索敵機が上がっています」
四月一日(わたぬき)二等兵曹長が艇長である早川少尉に伝える。
「そんな大きな声で言わないでも聞こえる。詳細は?」
特殊潜航艇・甲標的丙型改二の内部は狭いなどというものではない。
普通に会話すれば、十分に聞こえるのだ。
四月一日二等兵曹長も昂ぶっているのだろう。
気持ちは理解できる。
ただ、気持ちが空転して雑になってしまうことは避けたかった。
「ブインからは4機、ショートランドから3機、ラビは2機です」
ポートモレスビーからは3機上がっているという報告は受けている。
濃密とはいいきれないが、少ないともいえない。微妙な数だ。
「え?」
「どうした」
通信を受け取った四月一日二等兵曹長が妙な声を上げた。
「早川艇長。陸軍も索敵に出たようです。1機です」
「陸軍機が?」
言っている四月一日二等兵曹長も、意味がよく分からないという顔をしていた。
陸軍機が海上索敵をできるなど初耳だった。
「通信は、どこから?」
「ポートモレスビーの海軍司令部です」
「そうか…… まあ、確かそう言った話があったような気もするな」
「そう言った話とはなんでしょうか?」
「陸軍も海上索敵を行って、組織間の情報伝達を一元化して整理するとかなんとかなぁ…… いや、陸軍の索敵か…… 本気にしてなかったが」
海軍の軍人にとって、陸軍の飛行機は海の上を飛べないというのは、常識のようになっていた。
海軍の飛行機乗りがそれを吹聴して、組織に広がっていったものだ。
確かに、最近までの陸軍は、海上索敵など任務の外側であった。
そもそも、陸軍の機材は対ソ戦に備え、開発されたものである。
洋上飛行など想定されていない。
ただ、そのような状況の中でも、陸軍には戦争の状況に合わせ、なんとか運用や教育を変更するだけの余力があった。
人員面で海軍を圧倒していた陸軍の方が、そのあたりの柔軟性を残していたといえる。
また、陸軍側に「海軍の航空技術は優れている」という特に根拠のない、思い込みがあったことも有利に働いた。
少なくとも、ニューギニア方面における陸軍航空隊は、海軍の協力により海上索敵が使い物になるレベルになっていた。
情報の一元化に関しては、情報伝達の遅れにより、空母攻撃の機会を逃したことが戦訓として反映されていた。
「後は、呂号潜水艦と、我らが頼りってことか」
「位置的には自分たちが一番可能性あると思います」
四月一日二等兵曹長の言葉は正しいが、早川少尉は、安閑とはしていなかった。
戦艦攻撃といっても、艦隊は戦艦だけではない。
丸裸で戦艦を運用するようなバカな真似をアメリカ海軍がするわけがない。
十分な数の駆逐艦などの護衛艦に守られていると考えるべきだ。
また、ブインを攻撃したという空母と合流された場合やっかいだ。
潜水艦にとって、航空機は天敵といえる。
小型潜水艦ともいえる「甲標的丙型改二」にとってもそれは同じだ。
そして、四月一日二等兵曹長が「自分たちが一番可能性ある」というのは理由がある。
自分たちの警戒位置が、アメリカ戦艦が奴らの空母の航空機護衛圏内に逃げ込む最短ルートに最も近いと思われたからだ。
それは戦果を上げる可能性もあるが、最も危険なルートであるともいえた。
怖じ気づくわけではない。
ただ、下手なことをして、戦果を上げずに死ぬのが怖かった。
無駄死にはごめんだった。
自分たちの無駄死には、甲標的という兵器を運用する組織全体の問題となりかねない。
戦果があるが、無駄死にが多い兵器ということで、今後の実戦投入に反対する意見も少なくは無い。
特に航空主流派からの風当たりは強かった。
波が静かなのが、救いだった。
甲標的丙型改二の洋上航行力は限定されたものだ。
本来であれば、洋上ではせいぜいが8ノットである。
しかも波が高ければ、それだけ行き足も鈍る。
今は、波が低いため司令塔だけを水面上に出して航行できた。
15ノットで移動中だ。
ただ、それでも速度という点では不安がある。
「とにかく、敵を追いかけていたら攻撃は難しい。奴らの帰還ルートで、待ち伏せできればいいが」
早川少尉はすでに何度となく言っている言葉を繰り返した。
そのためには、情報だ。索敵情報が必要だった。
今のところ、有力な情報は一切入って来ていない。
「ジーゼルで発電しながらの航行ですからね。浮上中も熱がこもりますね」
艇内の熱で汗まみれとなった顔で四月一日二等兵曹長が言った。
小型艇ながら、冷房機が備え付けてある。
その冷房機はフル回転しているはずであるが、艦内で発生する熱を完全に吸収するに至っていない。
早川少尉は温度計を見た。
「なんだ、35度もないじゃないか」
「艇長の感覚はおかしいですよ」
「そうか」
四月一日二等兵曹長は、汗をほとんどかいていない早川少尉を別の生物を見るような目で見た。
浮上中はジーゼルエンジンを回し、電池に充電しながらモータを回す。
日本海軍の一般的な潜水艦のように、浮上中はジーゼル、潜航中は電池でモータを回すという完全な切り替えシステムにはなっていない。
一般的な潜水艦が洋上で20ノット以上を出せるのに対し、甲標的丙型改二はその半分がやっとだ。
司令塔だけを出すような航行をして、15ノット。
それとて、よほど波が静かでないとできない方法だ。
しかし、いったん潜れば、甲標的丙型改二は世界最速の潜水艦となる。
日米のというより、この時代の潜水艦の水中速度は最大で8ノット程度。
その中で、甲標的丙型改二は水中18ノットという破格と言っていい速度を発揮できる。
ただ、それが発揮できるのは数海里であり、電池はあっという間に空になるが。
「早川艇長! 来ました! 敵情です! ドンぴしゃです。待ち伏せできます」
四月一日二等兵曹長は続けて、詳細な敵情を把握し早川少尉に伝える。
「サウスダコタ級2隻を含む艦隊だと?」
早川少尉は言った。妙に喉が乾燥しざらついた声になっていた。
「かなり、警戒が厳しいかと――」
「だろうな」
天佑なのか――
それとも、死地に向かうのか――
それは、早川少尉には分からなかった。
そして、それはどちらでも構わなかった。
彼はその顔には獰猛な笑みを浮かべていた。
戦果を上げ、生きて帰る。なにがあってもだ。
「潜望鏡深度まで潜航する」
甲標的丙型改二は、その身を静かに沈降させていった。
■参考文献■
世界の傑作機 No.136 海軍零式水上観測機
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