その100:【閑話】戦闘爆撃機「紫電改」開発物語
「やはり、二式飛行艇の陸上機化がよかったんじゃないかなぁ」
「今さら、どうにもならないだろ」
「この会社も受注が減ってくんじゃないか」
「まあ、今のところは、練習機(赤とんぼ)の受注が増えてるけどな」
「そんなの、先が見えているぜ」
社員の立ち話を菊原静男技師は耳にしていた。
トイレの中だった。
この会社――
神戸にある川西航空機だ。
海軍のお抱えメーカであり、伝統的に水上機の製作には定評があった。
第二次世界大戦における、世界最優秀の飛行艇と評価される「二式飛行艇」通称「二式大艇」も同社の設計、製造によるものだ。
日本で唯一ともいえる実用4発機を造り上げた技術力は決して低いとはいえない。
飛行艇という構造上のハンデ(下部を水密構造にするため、重量の増加、空気抵抗の増加がある)をものともせず、他国の4発機と同等以上の性能を誇る機体だ。
今では、海軍の航空機戦力の中でなくてはならない存在となっている。
しかしだ。
水上機、飛行艇に依存する経営体質は、企業から見れば、非常に危険(リスキー)だった。
海軍専門のメーカであり、陸軍に機体を供給することはできない。(川崎が逆に陸軍専門メーカ)
それは、今まで友好関係を作っていた海軍との仲をダメにする危険もあった。
川西という会社は悩んでいた。
このままでいいのか? ということだ。
水上機、飛行艇には強力な競争相手はいない。
しかし、受注も限られる。
海軍はメーカを守るために、穴を埋める様に練習機のライセンス生産を発注してくる。
そして、単価の高い二式飛行艇の受注も続いてはいる。
それでも、川西が危機感を持つのは正しかった。
まず、川西は運が悪かった。
水上戦闘機として開発指示があった「十五試水上戦闘機」は、零戦の改造による水上戦闘機「二式水上戦闘機」の成功で中止。
海軍からはその見返りに、大量の練習機の発注をもらいはしたが、それはどう考えても明るい未来が見えてこない。
社内の士気も下がっていく。
そんな中、川西で検討されたのは、二式大艇の陸上機化、新型の攻撃機の開発、そして「十五試水上戦闘機」を母体とした戦闘機の開発だった。
川西龍三社長、前原健治副社長は、二式大艇の陸上機化を主張。
橋口義男技師長は、新型の攻撃機の開発を主張。
そして、菊原静男技師は「十五試水上戦闘機」を母体とした戦闘機の開発を主張。
それぞれが主張し、激論が交わされた。
そして菊原技師の案が採用された。
試作設計段階で中止となった「十五試水上戦闘機」を陸上機に変更するという案だった。
海軍も、負い目があったのか、それを即時了承した。
「仮称一号局地戦闘機」の開発のスタートであった。
二式大艇の設計主務者である菊原静男技師を中心に全社を挙げ、開発にまい進していた。
それは、ある程度の成功をおさめた。
折しも、改造された中島の「誉」が提供されることになる。
また、100オクタン燃料を前提とすることも決定。その燃料も徳山燃料廠から供給された。
(一号局戦が出来れば、一気に挽回できる)
菊原は社内にある不安は自分の機体で一掃できると信じていた。
事実、1942年中に初飛行にこぎつけた機体は満足いく結果を出していた。
最高速度、時速620キロメートル。上昇力は6000メートルまで6分05秒。
目標の数値には少し届いていないが、十分に水準を超える性能だった。
機械的な細かなトラブルはあったが、それは試作機なら当然だ。
熟成させれば、十分に一線級の戦闘機になる。
菊原はそれを信じていた。
「菊原君、ちょっといいかな」
トイレから出ると、彼は声をかけられた。
上司である技師長の橋口からだった。
「ちょっと来てくれないか?」
菊原は橋口と一緒に歩く。
その先は社長室だった。
「社長室ですか?」
「そうだよ」
軽く言う上司だった。
なにかあったのか。
彼は、ドアを開ける。
まず視野に飛び込んできたのは社長の川西の顔だった。
もはや不機嫌を通り越し、これぞ「仏頂面」の見本というレベルでこっちを見ていた。
もう一人いた。
副社長の前原だった。すさまじく青い顔をしていた。
人間の顔色がここまで青くなることがあるのかと感心してしまった。
なにがあったのか――
菊原は最悪の想定を頭の中にいくつか挙げていく。試作機でパイロットが殉死したのか――
彼が尋ねる前に、社長が綴じられた紙の束を差し出した。
「これを見たまえ」
見たくもないという感じでそれを菊原に渡した。
「え? 『仮称一号戦闘爆撃機要求仕様書』ですか?」
「そうだ」
「なんです、それ?」
「しらんわぁ!! 海軍が、海軍がぁぁ――、いきなり突きつけてきたんだぁ!」
こめかみに血管を浮き上がらせ絶叫する社長。
ビリビリと部屋の空気が震えた。
彼は、はぁはぁと息をきらし、椅子に深く座った。
「いいから、目を通してみろ」
菊原はその仕様書を読む。まず、冒頭で衝撃を受ける。
「え! 『一号局戦』を改造するんですかぁぁ!! 爆撃機にぃぃ!」
「そうだな」
「なんで!? 一号局戦に問題が――」
「そうじゃない。菊原君」
副社長前原が口を開いた。
「タイミングが悪すぎた……」
喉の奥から絞り出すようにそれだけを言った。
彼は元海軍の空技廠のトップを務めた技術士官だ。
「くそがぁぁぁ!! 中島の次は、三菱かぁぁ! 舐めやがって!」
「社長! 冷静に! 冷静に!」
川西は先代社長・川西清兵衛の時代に所長だった中島知久平と喧嘩別れをしている。
その中島知久平が社長となった中島飛行機は陸海軍から受注を受ける我が国でも一二を争う航空機メーカとなっている。
「なんですか、いったい。三菱って……」
菊原は状況が分からず、呆然としながら訊いた。
いったい何が起きているんだ?
「三菱の試作戦闘機が、凄まじい性能を叩き出してしまったんだよ」
「え? それで、三菱……」
川西、そして菊原技師は運が悪いとしか言えなかった。
本来であれば、誉を装備した川西の戦闘機が本命であり、無理やり火星エンジンを搭載した三菱の戦闘機は予備的な位置づけだったはずだ。
しかしだ――
そんな事情は顧みず、精神を削りながらも 川西の前に立ちはだかった男がいたのだ。
いや、本人は別に川西など眼中に無かったのであるが。
それは、零戦の設計者である三菱の堀越二郎だった。
本来であれば「誉」実用化までのつなぎ的な戦闘機と考えられていた二式局地戦闘機・雷電。
要求性能を下げたにも拘わらず、狂気と妄執に取りつかれたかのような設計を行い、とんでもない戦闘機を作りだしてしまった。
最高速度は互角以上、上昇力では6000メートルまで5分30秒と完全に上だった。
しかも、機械的なトラブルが多かった(試作機だから当然)川西機に比べ、三菱の機体は安定していた。
エンジンが自社製の火星であるというのもメリットだっただろう。
九二オクタン燃料でも、この性能を発揮できるのも強みだ。
川西の「一号局戦」が九二オクタンを使用した場合、その性能はまず達成できない。
となれば、燃料事情の面からも、三菱の機体に軍配が上がってしまう。
もし――
この「雷電」の開発が遅延しているか、要求仕様程度の性能であったなら、川西の機体は日の目を見たであろう。
純粋な戦闘機としてだ。
川西機体を評価する声もあった。
「包絡線形自動空戦フラップ」。
Gを検出し、最適のフラップ角度を自動的に開くシステム。
高翼面荷重の機体に、恐るべき旋回性を達成させるものだ。
更に、「操縦腕比変更装置」。
速度による航空機の舵の効きを一定にするシステムだ。
航空機は速度によって舵の効きが変わってしまうという問題がある。
高速時の場合に合わせると、低速での舵の効きが悪くなる。
逆に低速時に合わせてしまうと、高速では舵が重くなりすぎたり、ちょっとの操作で機体が敏感に動きすぎたりする。
この問題に対する回答は、まず零戦が実現した。
零戦に装備されている、剛性低下方式のワイヤーは広い速度域で、一定の舵の効きを保証していた。
川西の開発した「操縦腕比変更装置」も別アプローチでこの問題を解決したものだ。
つまり「このまま開発を止めるのはもったいない」ということだ。
しかし、上の方からは機種の統合整理の命令がきている。
そのため、中止された開発もある「十七試艦上戦闘機」などはその代表だ。
「出来るかね? 菊原君」
橋口技師長が静かにいった。この人だけは落ち着いている。
元々、この人は「攻撃機開発」主張していたなぁとチラッと思ったが、それだけが理由じゃないだろう。
彼は、パラパラと仕様書をめくる。
「速度は350ノット(約時速648キロ)以上ですか……」
「誉と100オクタン燃料なら可能だろう」
「まあ、無理ではないと思いますが」
一号局戦は、短期間での完成を目指したため、各所に無理なところがあった。
元々が水上機であった部分で本来は改造すべき部分もいくつか手を付けていない。
それを考えると、一号局戦には、まだ伸びシロがあった。
「複座ですか!」
「爆撃機だからな。そうなるだろう」
菊原技師は頭の中でざっと計算する。
今の無駄をはぶく。その代わり1名多く乗せる必要がある。
重心位置も変更になるだろう。
どうなのか――
爆弾搭載量は800キロ――
将来的には、1500キロの搭載を可能とすること?
そんな爆弾が、海軍にあるのか?
爆弾搭載量は、燃料搭載量との交換になる。
このあたりは、2000馬力を出す誉の力を信じるしかない。
そして彼は「空戦能力」のところで目を止めた。
いかにも書いてあることが曖昧だった。
この部分の海軍の仕様はいつも無茶なのではあるが、今回は無茶というより曖昧だ。
「しかし、これ曖昧ですね。『敵戦闘機に対し優位に立てる空戦能力を持つこと』ってどう理解すればいいんでしょうかね」
菊原は思ったことをそのまま言った。
「水上戦闘機で、陸上戦闘機に負けぬことと指示されるよりはマシだろう?」
「まあ、そうかもしれませんがね」
菊原は、上司の言葉を受け苦笑しながら言った。
流れてしまった「十五試水上戦闘機」の要求仕様だ。
完成しても、達成など出来る物では無かっただろうと思う。
会社としては痛いが、零戦改造の水上戦闘機を運用するのが正解だろう。
専門の機体を造っても、陸上機を超えるのは無理だ。
「どうなんだ? 菊原君」
彼の思考を社長の声が遮る。
彼の顔を覗き込むようにして身を乗り出してきた。
菊原は手で頭をかいた。その間も明晰な頭脳はあらゆる可能性を同時並行で考えていた。
武装は?
量産性は?
メンテナンス性は?
「陸上4発機以上」の性能を叩き出した二式大艇を生みだした男の頭脳だ。
しかも彼は、日本の機体設計者としては珍しく、整備性、メンテナンス性にまで神経を使う。
二式大艇はその高性能を評価されるが、機体各所に施された整備性の良さも、現場で評価されている。
「どうなんだ?」
黙っている彼に再び、川西社長が訊いた。
「まあ、出来ると思いますよ。色々とクリアしなければいけない課題はあるかもしれませんが」
静かではあるが、彼は強く断言した。
「いいねぇ! いいぞ菊原君! キミこそが天才だ! 三菱も、中島も、いずれは追い抜く! この川西が日本のトップメーカになるのだぁぁ!」
社長の川西が吼えた。
三菱、中島をあくまで敵(ライバル)視する川西社長であった。
しかし、その後、この3社に愛知を加え、エース設計者が集結する日が来ることを彼は知らない。
それは、レシプロ機の時代が終焉を告げる日でもあった。
■参考文献
[歴史群像]太平洋戦史シリーズ24局地戦闘機紫電改
最強戦闘機 紫電改(丸別冊)
アナタノ知ラナイ兵器4 こがしゅうと
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