その98:雷鳴よソロモンの空に響け その5

「レーダ情報の通りだ」


 酸素吸入マスクの中でその声が響く。

 エリック・ノット大尉は突き抜けるような蒼空を飛んでいた。

 愛機F4F-5ワイルドキャットだ。

 高度約6000メートル。正確には2万フィート(6096メートル)。

 艦上戦闘機として設計されたこの機体が性能を発揮できる限界に近い高さだ。  


 その空と同じ色をした瞳が、日本機を捉えて。

 まだ距離はあった。


 護衛空母アルガトのレーダが日本機を発見。

 そして、それを叩き落すために出撃したのが、2人の操るF4F-5ワイルドキャットだった。

 1200馬力のR-1820-40エンジン。そして、軽量化された機体。

 開戦以来、太平洋の空で無敵を誇ったジークとなんとか互角に戦える機体だった。


「ダイナですかね? 双発機のようですが」

 

 僚機からの声が電波に乗って聞こえてくる。

 ケビン・バーン中尉だ。

 開戦以来、コンビを組んでいる2人であった。


「いつぞやの、双発戦闘機かもしれない。この距離では分からない」


 護衛戦闘機の輸送中に遭遇した日本の双発戦闘機のことを思い出した。

 さほど手強いとは思わないが、落すには面倒な相手だ。

 彼らは、以前にキ45改と遭遇し、戦闘を行っていたのだ。

 双発機とはキ45改のことであった。

 

「餌に喰らい付かせるなら、無理に落とす必要はないんじゃないですかね」


「ジャップは舌が肥えてやがる。上等な餌じゃなきゃ、食いついてこないぜ」


「上等すぎて、ジャップはゲロと下痢グソまみれになりますぜ」


 餌か?

 クソ野郎が。

 ノット大尉は、自分でも口にしつつも「餌」言葉に唾を吐きたくなる。

 護衛空母3隻をジャップの兇悪な顎(あぎと)の中に突っ込ませるのかよ――

 その思いは、この作戦実施前からあった。まるで喉に刺さった骨のような思いだ。

 胸糞悪い。


 護衛空母アルガトは、アメリカ海軍にとって貴重な存在だ。

 現在、同型艦、もしくはその改造艦が量産に入っている。

 しかし、現在のソロモン海にはたった3隻しか存在していない護衛空母の1隻だ。

 今回の作戦には彼女の2隻の姉妹も一緒だ。


 正規空母機動部隊――

 サラトガ、ヨークタウン、レンジャーを守るおとりともいっていい存在となっている。

 せいぜい18ノットという足の遅い護衛空母を前衛に突きだしての作戦だった。 


「ジャップに捧げるスケープゴート(生贄の山羊)」という自嘲的な声も聞こえていた。

 

 装甲と対空火器に守れた、正規空母が後方。

 薄っぺらな鉄板で造られた商船構造の護衛空母を手前に突き出す。

 戦力の損得勘定じゃ合理的なのかもしれないが、戦っているのは人間だ。

 チェスの駒じゃない。


「生贄の山羊になる気は無いからな」

  

 その言葉が自然に口から漏れていた。


「ジャップ、そのまま来ます。ダイナだ。こんどはやっぱりダイナだ」


 ダイナとはアメリカ軍のコードネーム。

 陸軍の百式司令部偵察機であった。

 1000馬力級エンジンを2基搭載し、時速600キロを超える速度を叩き出す。

 ビルマ方面では「通り魔」と称される高速偵察機だ。

 

 連合国側にとっても、高度5000メートルを時速600キロ以上で飛ぶこの機体の捕捉は困難だった。

 ただ、このときに百式司令部偵察機にとって不運だったのは、高度5000メートルでの飛行であったことだ。

 この機体が最高の性能を出せる高度だった。


 そして、搭乗員に、この機体に対する性能への過信があったのかもしれない。

 しかし、それは永久に確認することができなくなったが。

 

「いくぜ、叩き落す!」


「了解!」


 2機の濃紺に染められた山猫が、爪をむき出しにして空を駆け下りる。

 角ばった翼が風を切り、獰猛な唸りを上げているようだった。

 1000メートルの高度差。

 その位置エネルギーは、機体性能の持つ速度差を無意味なものとしていた。


 そして―― 数分後。

 護衛空母アルガトのレーダー室では3機の反応が2機になったことを確認していた。


        ◇◇◇◇◇◇


「新司偵が、やられたみたいだな」


 どこで聞きつけたのか分からないが、鷲宮二飛曹が言った。

 搭乗員待機所だ。他の人間には聞こえないような声だった。

 未熟練者(じゃく)が多い部隊だ。

 味方がやられたなんて話は出撃前に聞かせるもんじゃない。

 鷹羽二飛曹だって、聞いていい気分にはならない。


「逆にいえば、そっちに空母がいるってことだろ」


「まあ、そうなるか」


「そうなるさ」


「それにしても、新司偵が落されるとはな。あれ、陸さんの最新鋭機を、海軍でわざわざ借りて使ってんだろ」


 鷲宮二飛曹は胸ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。

 鷹羽二飛曹にも1本渡した。


 新司偵とは「百式司令部偵察機」のことであった。

 時速600キロを超える速度。シベリア奥地を偵察する目的で開発された十分な航続距離。

 それは、太平洋の航空戦においても、非常に有効だった。

 事実、このブイン基地の新司偵は、何度も偵察を成功させていた。

 アメリカ陸軍の主力機であるP-40Eなぞ「ウスノロ」と言っていたくらいだ。


「アメ公も新型機をもってきたんじゃないか?」


 鷹羽二飛曹はもらったタバコを口に咥えて言った。


「どうだろなぁ。ペロハチか。アイツは真っ直ぐなら無茶苦茶速いぞ」


 ペロハチとはアメリカ陸軍のP-38戦闘機だ。

 欧州で「双発の悪魔」と呼ばれることになる、傑作戦闘機であったが、1942年の太平洋においてはいいとこ無しだった。

 それは、機体性能というよりは戦い方の問題が大きかったのであるが。

 最高速度はカタログ値で時速640キロ以上を叩き出している機体だったが、日本軍機得意の格闘戦に巻き込まれ、大きな被害を出していた。


「ペロリと食えるP-38」という意味で「ペロハチ」というあだ名がついていた。


 ただ、降下する機体を撃墜と誤認することも多かったのであるが。


「どちらにせよ、それは陸軍機だろ? 空母に積んでこない…… ってこともないか……」


「アメ公は無茶するからな」

 

 二人は同時に、東京空襲を思いうかべていた。

 陸軍の中型爆撃機であるB-25を空母に載せて、奇襲を仕掛けてきた作戦だ。

 それを考えたら、奴らはなにをしでかすか、分かった物ではなかった。


「どっちにしろ、俺たちは留守番だけどな」


 鷲宮二飛曹は、紫煙とため息を同時に吐くようにその言葉を漏らす。


「雷電の足がもう少し長けりゃなぁ……」


「そりゃ、贅沢すぎるってもんだろ」


 雷電は迎撃戦闘機であり、基地防空が専門の機体だ。

 敵空母発見の一報を聞いたときに、沸き立った気持ちが今は大分萎んでいる。


「251空がみんな食っちまうんだろうな……」


 鷹羽二飛曹がぼやく。


「第一航艦も動いているらしいぜ」


「機動部隊の奴らか…… もういいだろ、アイツら、そろそろこっちに獲物回せよな」


「また、お茶を挽くのかね……」


 だが――


 彼らのボヤキは現実の物にはならなかった。

 それが、彼らにとって不運なのか幸運なのかは分からない。

 しかし、日本海軍にとって、大きな誤算となったことは確かであった。


        ◇◇◇◇◇◇


「結構、やられてるじゃねーか……」


 ブイン基地は騒然としていた。

 第一飛行場に帰還してきた251空の第一中隊。

 零戦53型、36機が出撃。

 一式陸上攻撃機が12機が雷装6機、爆装6機で攻撃を実施した。


「空母は沈めたって話しだが…… 本当に勝ち戦だったのか?」


 鷲宮二飛曹の言う通りだった。発見された空母は3隻。

 その内の2隻を撃沈、1隻大破という戦果を上げていた。

 

 しかしだ。

 零戦も4機の喪失。

 陸攻に至っては、7機が基地に帰ってこなかった。

 帰ってきた機体もボロボロになっている。


 開戦時から脆弱性を指摘され、聯合艦隊本部からも緊急改修を要請されていた一式陸攻。

 今は、タンクにゴムを貼り、操縦席に防弾を施している。

 しかし、それをもってしても、双発機による対艦攻撃は高くつくものだった。

 特に、世界最高水準の対空攻撃力を持つアメリカ艦隊に対しては。


「おい、こっちに降りてくるぜ」


 一機の零戦が、第二飛行場に滑り込もうと高度を下げている。

 プロペラの回転も力が無いように見える。

 ふらふらと安定しない飛行だった。


 それでも、なんとか、飛行場に滑り込んだ。

 整備員が駆け寄る。


 鷲宮、鷹羽二飛曹も待機所を飛び出していた。

 降りてきた零戦に駆け寄っていく。


 カウリングが油でどす黒く光っているのが分かった。

 風防も油で真っ黒だ。よくこれで着陸できたものだ。鷹羽二飛曹は感心した。


 胴体には12.7ミリ機銃の弾痕がミシンの目のように穿たれている。

 機体強度と防御力が上がった53型でなければ――

 搭乗員が機体から降りてきた。

 大きな怪我をしているようには見えない。 


「関口、関口じゃないか!」


 鷹羽二飛曹が声を上げていた。彼の同期の関口二飛曹だった。

 

 関口と呼ばれた男は、その声の方向を気だるそうに見やる。

 

「鷹羽か…… ヤバいぞ、この戦―― 奴ら戦闘機だけで3倍いる。落しても落としてもやってきやがる」


 彼は右肩にマフラーを巻いていた。白いマフラーが真っ赤に染まっている。

 

「肩か……」


「ああ、貫通銃創だ。動かん」


 右腕をブランとさせたまま、彼はフラフラと歩きだす。

 搭乗員が肩を貸す。軍医と衛生兵を呼ぶ声が響く。


「空母だけは、仕留めた…… 貴様らの仕事は奪っちまったかもな」

 

 振り返り、虚ろな目で彼はそう言った。口元に壮絶な笑みを浮かべていた。

 

「お、おう、そうか――」


 鷹羽二飛曹はその言葉をにわかに信じられなかった。

 嫌な予感がした。帰ってきた味方が勝ったと思えなかった。

 来るのかもしれない。

 まだ来るのではないか――


 サイレンが鳴った。

 同時に基地のスピーカーから大音量で声が響いた。


「南西海域より敵艦載機、ブイン基地向け接近中。距離10! 規模100機以上!」


「バカな…… 空母は……」


 関口二飛曹が絞り出すような声で言った。


 その声を、鷹羽、鷲宮二飛曹は背中で聞いていた。

 彼らは愛機に向け全力で走っていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「運がいい―― 本当に運がいいとしか言えない」


 護衛空母アルガトのオーティズ艦長は、安堵の色の濃い言葉を吐き出していた。

 それは、聞く者に戦場に似つかわしくない響きを感じさせたかもしれない。

 しかし、彼の本心から出た言葉であった。


 カタパルトで撃ちだされた戦闘機は合計75機。

 戦闘機の全力出撃だ。

 敵はその半分もなかっただろう。

 

「奴らは、操縦桿を握った悪魔どもだ……」


 オーティズ艦長は口の中だけでその言葉をつぶやく。誰にも聞こえない声だ。

 日本軍の航空隊と戦った多くのアメリカ兵が感じている事だった。

 

 現れたジークは情報部から報告のあった新型であろう。

 F4F-5の防空陣はあっさりと突破された。

 双発のベティが突っ込んできた。


 海面を這いずるような高度で放たれた魚雷は僚艦2隻を海の底に叩きこんだ。

 更に、この艦にも、2発の爆弾と、1発の魚雷が命中した。


 幸運だったのは、魚雷が不発であったこと。

 爆弾は、おそらく信管調定のミスだ。商船構造の船体後部を突き抜け、爆発しなかった。

 ジャップの爆弾は、装甲板をぶち抜いてから爆破する。

 薄い鉄板が逆に、この艦を救ったともいえる。


「一人残らず救え! いいか! パイロットは絶対に救いだせ」


 彼の視界の中にも、緊急用の筏で漂流しているパイロットたちが見えている。

 確かに、機体は多く失った。

 しかし、パイロットは救える。

 防空戦であったこと。それも幸いだったのかもしれない。


 護衛空母2隻喪失――

 そして、戦闘機50機以上を喪失した。


 たがしかしだ――


「今回は、勝ち逃げを許さないぜ、ジャップ――」


 周囲を走り回る駆逐艦をオーティズ艦長は決意のこもった瞳で見つめていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「タリホー! ジャップだ! ジャップの戦闘機だ!」


「なんだ? ありゃ、おい? ワイルドキャットじゃねーか? あれジャップか?」


「ジークじゃねぇな…… 鹵獲機か」


「いや、低翼機だ。ジャップの新型機だ!」


「新型? 上等だぜ、いいねぇ! サルのくせに、空飛びやがって、今すぐ叩き落してやるぜ」


 電波に乗って、ならず者にしか思えない声が飛び交う。

 先陣を切って飛んできた機体だった。

 

 F4Uコルセア戦闘機。

 アメリカ海軍が繰り出してきた最新鋭の機体だった。

 2000馬力の出力で、巨大な3枚プロペラを回転させている。

 その推進力は、この機体を時速640キロ以上で機動させる。

 逆ガルの翼は、見る者に凶悪な殺意を放っているように感じさせるのではないか。


 それはアメリカ航空技術の生み出した、世界最速の艦上戦闘機。

 掛け値なしの高性能機であった。

 

        ◇◇◇◇◇◇


「グラマンじゃねぇぞ!」


 鷹羽二飛曹が言った。

 その思いは、雷電を操る搭乗員全員が感じていたことだった。


 翼が直線ではない。

「W」の文字を描くような、肩をいからせたならず者のような翼。


「奴らも新型ってわけだ。面白いじゃねェか」


 鷹羽二飛曹は操縦桿を握る。

 1800馬力を叩き出す火星エンジン。

 その冷却のための空気を吸い込む強制冷却ファンが甲高い金属音を上げる。

 まるで、そのパワーを担保するかのような音だった。


「突っ込んで、敵編隊をバラバラにする。各機、ペアを崩すな」


 中隊長機からの声が響いてくる。

 無線の問題のあった日本海軍であったが、運用体制の整備と、搭乗員教育により、実戦で使用できる水準になっていた。

 ただ、雑音は多い。話しが聞き取れるには十分ではあったが、ずっと聞いていると鼓膜が痛くなりそうだった。


「頭を取るぞ」


 グンッと隊長機が加速する。

 高度の優位を確保するという意味だった。


 上昇しながら加速するということが可能なのか?

 雷電が速度を上げ、空に駆け上がる。


 ソロモンの青い空に、雷鳴が響いた。

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