その97:雷鳴よソロモンの空に響け その4

「しかし、油がもったいなさすぎる……」


 日吉の聯合艦隊司令部にある司令長官私室。

 出来合いの建物を改造したものだが、当然広い。

 で、その広い部屋のでっかいテーブルに広げた地図を見て頭を抱える俺。


「きゃはははは! 来るのか? アメ公の空母が、また叩き潰してやれ!」


 実体化した女神様が高笑いとともに叫ぶ。

 短く切ったはずの髪が、また伸びているし。まあ、人間じゃないからいいけど。


「どうすんだい? このタイミングは偶然かい?」


 本物・山本五十六大将が訊いてきた。


「分かりませんが、最悪に近いですよ」


「ここにきて、分散運用が裏目に出たな。敵の戦力復旧時期を見誤ったのかもしれんぜ」


「でも、それで基地航空隊の整備ができたし、ガダルカナルの米軍の活動も抑えられたし……」


「広域な戦場で守勢になるってことは、あぶねェな」


「それは、分かりますけど」


 だから、布哇攻略ですか?

 ジッと見つめる俺に、本物・山本五十六大将は黙って見つめ返す。

 軍事作戦に関しては、俺の責任だ。本物さんには、組織内部の政治的なところで動いてもらっている。


 本物・山本五十六大将の言うことは分かる。

 太平洋のような広い戦域では、攻撃する方が主導権を握りやすい。

 どこを攻撃するかの自由を持っている。防御する側はどうしても、それを待ち構えてからのアクションになる。


 だから、再三主張していた「第二次布哇作戦」というのも一定の理はあった。

 しかしだ、日本が戦力をかき集めて優位な状況で布哇を攻略したとしても、そこで艦隊戦力がすり減ったらどうにもならない。

 仮に、アメリカが布哇放棄を決定して、無傷に近い形で占領したとしても、補給が持たない。

 ソロモン方面の補給で手いっぱいの状況なんだ。

 

 とにかく、タンカーが無い。

 なるべく民需用に割り振って、国内への物資輸送を優先させているので、史実よりヤバい。

 軍事輸送に関しては民需輸送分を維持するようにやりくりが史実以上に厳しい部分もある。

 布哇作戦なんかしようものなら、民需からごそっと船を徴用しなきゃいけない。つーか、それやったら経済的にじり貧がドカ貧になる。

 

 一応、油田地帯とトラック基地、本土と三角輸送を行っているので、トラック島の重油備蓄は、史実よりマシかもしれない。

 だから、機動部隊3つを同時運用できていたわけだけど。


「いつまでも、機動部隊を分散して配置させておくわけにはいくまい。状況は変わった」


「分かってますけどね――」


 本物・山本五十六大将の指摘はもっともだ。

 しかし、ソロモン方面に圧力をかけ続けるのも重要だ。


「基地航空隊だけで、十分仕事ができるんじゃないのかい?」


「地上航空基地単独で、空母に対抗するのはかなり厳しいですよ。いきなり全部機動部隊は下げられません」


「まあ、そうかもしれんがな」


 史実では空母戦力ではなく、地上航空戦力に期待した日本海軍。

 しかし、基地の運用能力が低く、アメリカ空母の前に歯がたたなかった。

 ソロモン方面の基地は、ラバウルを始めブイン基地も、掩体壕を造り、リヤカー・ブルドーザーもかなりの数を持ちこんでいる。

 レーダーも優先配備しているし、高角砲や機銃もそれなりに送り込んだ。

 史実よりは、抗堪性(こうたんせい)は上がっている。

 

 というか、そういったことが出来たのは、機動部隊が張り付いてこのエリアの航空優勢を確保していたからだ。


 ソロモン方面に配備してある3群の機動部隊。

 それは、重要な戦力だ。

 

 しかしだ――

 戦略環境の変化以外にも作戦行動を制約するものがある。

 3群の機動部隊が消費する燃料が半端ない。

 いくら、トラック基地の燃料事情がマシになっているとはいっても限界はある。

 それに、メンテナンスだって必要だ。


 すでに、龍驤、瑞鳳、祥鳳の軽空母を中心とする部隊はトラックに帰還中だ。

 軽空母とはいっても3隻集まれば100機近い機体を運用できるので、相当の戦力だ。

 

「翔鶴、瑞鶴、飛龍」の第一航空戦隊と「加賀、隼鷹、飛鷹」の第二航空戦隊にしても、そろそろ限界に近い。

 おそらく、第二航空戦隊は近々に下げざるをえないだろう。

 飛鷹の機関の調子が悪いという報告も入っている。

 隼鷹と飛鷹は、商船改造空母なのだが、2万トンを超え、50機近くの運用能力をもった「ほぼ」正規空母だ。


「しばらくは、第一航空戦隊と基地航空隊に踏ん張ってもらうしかないか」


 空母戦力では国内で整備中の赤城を含め、日本側が圧倒している。

 アメリカの稼働空母は、正規空母1隻で、後は護衛空母が多くて4隻という分析だった。

 それに基づいて、機動部隊を3つに編成し、ガダルカナル方面の交通遮断と、モレスビーへの補給線維持のエアカバーをやらせている。

 

 しかしだ。

 損傷していたヨークタウンが復帰して戦力を回復したらしい。おまけに、史実では大西洋に引っ込んでいたレンジャーが出てきたようだ。

 今のところ、ハワイ方面に留まっているという電波諜報分析が出ている。

 大和田通信所の人員は優秀だし、確度はかなり高いとは思う。


 しかし、その大和田通信所の一部から、欺瞞の可能性も捨てきれないという追加情報が出てきた。

 現在、詳細については精査中だが、敵の動きに間に合うのかどうか分からない。

 ポートモレスビー沖海戦で、敵も相当慎重になっていると考えるべきだ。


「黒島先任参謀の言うように、トラック基地に来るのか?」


 地図を見つめ考えた。

 トラック基地には零戦が80機以上展開している。前線への輸送のため一時的にトラックに留まっている戦力を除いてだ。

 まあ、あくまでも定数なので、稼動機に関してはその60%から70%と見るべきだろう。

 爆撃機。攻撃機は一式陸攻を中心に40機ほど。九七式艦攻や九九式艦爆も配備されているが、空母への優先配備のため数は少ない。


 ソロモン方面の要石というより、この戦争における日本の最重要基地。

 しかし、前線に戦力を絞り出すために、それほど戦力を展開できない。

 非常に危険だと言えば、危険なのだが、今はどうにもできない。


 アメリカが日本の戦力の「元栓」を閉めに来たら、かなり厳しい状況だ。

 史実の「トラック空襲」を思いだし嫌な気分になる。

 1944年のアメリカ機動部隊の空襲で、トラック基地は完全に機能を失ってしまったのだ。

 その再来を1942年中にやらかすわけにはいかない。

 

 第三航空戦隊が、トラック方面に戻っているが、軽空母中心だ。

 早々に、機体だけでも陸上に上げて、戦力を補強するか?

 100機前後の戦力補強はバカにできない。


「確度の高い情報が必要だな。敵空母の動向はなんとしてもつかまないと」


 俺の願いは、その日の午後に叶った。

 アメリカ正規空母、機動部隊が見つかった。

 奴らはソロモン海に出現した。

 

        ◇◇◇◇◇◇


「いよいよ、お出ましかい……」


 呂34潜水艦は潜望鏡深度を保ち潜航していた。


 潜望鏡を覗き、口の端を吊り上げながら呂34潜水艦長はつぶやいた。


 アメリカ機動部隊を発見したのは、彼らであった。

 ソロモン方面で、交通遮断作戦に投入されている潜水艦戦力の中心は中型の呂号潜水艦だった。

 1000トン前後の船体であるが、運用実績は良好な成功した潜水艦だった。


 潜水艦の運用も、散開線から散開面への転換、潜水艦行動海域の制限解除が行われていた。

 戦力的に許される範囲で、縦深配備が取られ、その効果は上がっていた。

 アメリカ側にとって、ガダルカナル方面への輸送に「ニューヨークライナー」と呼ばれる駆逐艦輸送を強いられる一因となっていた。

 

「攻撃はしないのですか。潜水艦長」


「ああ、無理だな。角度が悪すぎる」


 潜水艦長は腰に下げていた手拭いを取って、顔を拭いた。

 顔をこするだけで垢がボロボロと落ちる。それが潜水艦乗りだ。

 司令塔に落胆の空気が流れた。

 それを感じた潜水艦艦長は言葉を続けた。


「追尾を続ける。攻撃は可能であればだ―― 優先は追尾し続けること」


 そういいながらも、呂34の水中最高速度は8ノット少々。

 しかも、そんな速力を出したらたちまち電池が干上がる。

 彼は、18ノットで進む敵機動部隊を長時間追尾するのは困難であろうと思ってはいた。


「発見した角度が今一つだったしな。まあ、空母を見つけたということだけでも殊勲甲だろう」


 乗員を元気づけるように潜水艦長は言った。

 実際にそうなのだ。

 この発見がなければ、その後の展開は、大きく変わっていたかもしれないからだ。


        ◇◇◇◇◇◇


「諸君、キミたちは選ばれた者だ」


 アメリカ空母の中でも歴戦の生き残り、サラトガの格納庫に声が響いた。

 サラトガ戦闘機航空隊の指揮官フィアリー少佐だ。


 ソロモンの波濤を突き進む巨大な鋼の航空基地。

 満載排水量トン4万を超える世界最大の空母。

 姉妹であるレキシントンが沈んだ今、この地球上で最大の空母であった。

 更に、中型だが、完成度においては世界最高水準のヨークタウン。

 過渡期の空母として、実験的な側面を持つが、70機前後の運用能力を持つレンジャーが続いていた。


 1942年が終わろうとしている時点。

 アメリカ海軍が振り絞った最後の鉄槌ともいえる存在。

 合計250機以上の運用が可能な、空母機動部隊だった。


「今回の作戦、負けることは許されない。そして、勝利するために、我が祖国は万全の準備を行ってきた。諸君らに与えられた機体もそうだ」


 直立不動で立つ彼らの視界内にその機体があった。

 濃紺色に染められた機体。特徴的な構造をもった翼は折りたたまれ、濃灰色の裏面を見せている。


『いかなる陸上戦闘機にも勝利できる艦上戦闘機』として開発され、今ここに搭載されている機体。


 F4Uコルセア――


 試作機の段階で400マイル(時速644キロ)を超える速度を叩き出している。

 鉄塊のような巨大な三翅プロペラを、2段2速過給機付のR2800エンジンがぶん回す。

 出力は最大で2000馬力。

 翼端に向かい、8度30分の角度で持ちあがっている逆ガル型といわれる翼の構造。

 野心的な設計の機体。航空先進国であるアメリカの造りだした最新鋭戦闘機であった。


 十分な装甲と12.7ミリ機銃6門の重武装というアメリカ機の基本コンセプトを踏襲。

 太平洋戦争の戦訓を反映し、航続距離は計画よりも伸ばされている。


「コイツなら、ジーク(零戦)に勝てる! しかし、侮るな! いいか絶対に単機戦闘は行うな、相互支援を確実に実施しろ! 常にチェックシックス(後方を見張れ)だ!」


「イエスサ―!」


 F4Uは、艦上戦闘機として開発されたが、その癖のある操縦感覚のため、艦上機での運用は厳しいと見られていた。

 しかし、もはや贅沢はいってられなかった。

 海軍主力のF4F-5(徹底した軽量化で機動力上げた機体)でも、ジークの最新型には分が悪かった。

 以前の重いF4Fよりは生存性が高いと評価されてはいたが、「勝てる」という評価までは達していない。

 F4Uコルセアの戦隊は、高練度の搭乗員が不足する中、選抜された者たちによって構成されている。

 日本海軍の戦闘機隊に斬り込み、大きなダメージを与えることが期待されている。

 

「とにかく、速度を落とすな。高度の優位を利用しろ。いいか、奴らにケツにつかれたら、パワーダイブだ」


 いまだ、零戦の実機を手に入れることの無かったアメリカではあったが、戦いの中で、零戦の戦い方の特徴は掴んでいった。

 残骸の分析から、機体強度はさほどではないということは推測されている。


「パワーを生かして縦の機動で翻弄しろ! F4Uは、我が祖国が生み出した世界最高の戦闘機だ! 勝てる! 諸君なら勝てる!」


 彼らの攻撃目標は、日本軍の最前線基地として、ガダルカナルに圧力を加え続けているブイン基地であった。

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