その96:雷鳴よソロモンの空に響け その3

「3時方向、距離9000! 30ノット以上で突っ込んできます」


 レーダー手が叫ぶ。

 闇に支配されたソロモン海。

≪ニューヨークライナー≫と呼ばれる駆逐艦によるガダルカナルへの輸送艦隊。

 軽巡ヘレナを旗艦とし、駆逐艦8隻により編成されている。

 駆逐艦は全て最新鋭といっていいフレッチャー級。

 5インチ両用砲を5門装備、533ミリの魚雷発射管10基、約37ノットを誇る超一級品だ。

 更に、SG(シュガー・ジョージ)、SC(シュガー・チャーリー)のレーダーを装備。

 単艦としての汎用性の高さにおいては、日本の最新鋭駆逐艦である「陽炎型」「夕雲型」以上だ。


 しかし、夜間における対艦水上戦闘。

 これに限っていえば、帝国海軍(インペリアル・ネイビー)を相手にするのは自殺行為に等しい。

 レーダー装備の最新鋭艦だとしてもだ。

 少なくとも、1942年も終わろうとしている現時点での米海軍の認識は共通していた。


「積み荷を捨てろ! 反転! 牽制攻撃を行いつつ退避」


 艦隊司令の命令が艦隊に伝えられる。

 駆逐艦の甲板、所狭しと積み込まれた、多くの補給物資が投棄された。

 固定ワイヤが外され、ドラム缶がバラバラと海上に散乱する。


「運よく流れ着く物資があるかもしれんがな……」


 物資の投棄を指揮していた士官の1人が呟く。

 その呟きは駆逐艦の作りだす風の中に掻き消えていく。


 この怯懦(きょうだ)とも思える行動。これも現時点ではどうにもならなかった。

 開戦からアメリカ太平洋艦隊はすでに、40隻以上の駆逐艦を喪失していた。

 そのうちの半分以上が、このソロモン海域の戦闘によるものだった。

 いかに汎用性の高い、駆逐艦であろうとも、輸送任務をしながらの戦闘は想定外だ。

 本来であれば、大型輸送船による輸送が必要だった。


「くそが! 駆逐艦は輸送船じゃねぇ!」


 物資を廃棄している誰かの言葉だった。

 口には出さないが、その言葉と同じ思いを抱えるものが大多数であった。


 現在、ガダルカナルに展開する海兵隊は、約1万人。

 その島を無血占領して4か月近くが経過している。

 飛行場を造り上げ、ソロモン方面の日本軍に一定の圧力をかける。

 この計画は大きく狂っていた。


 同地を占領する第一海兵隊。

 米海軍とっておきといっていい水陸両用の精鋭部隊だ。

 この太平洋において想定される島嶼戦では、欠かすことの出来ない戦力。

 その貴重な戦力をこの地に投入したことが、米軍にとっての大きな蹉跌(さてつ)であった。


 日本海軍の戦力をこの地に誘引し、インド洋方面にいかせない。

 欧州におけるトーチ作戦を支援するという目的で実施された性急な作戦だった。

 確かに、日本軍の戦力の誘致には成功していた。

 それは、ある意味では戦略的な読みの正しさを証明するかに思えた。

 ただ、その読みの正しさが、「勝利」であるかどうかというと議論の分かれるところであろう。


 対ドイツ、欧州反攻の生贄の山羊(スケープゴート)としては第一海兵隊はあまりにも貴重過ぎた。

 そして、それを助けるため、米海軍はジリジリと出血を続けていたのだった。


 ソロモン方面でガダルカナル島への補給は困難を極めていた。

 当初成功を収めていた、駆逐艦による輸送≪ニューヨークライナー≫も阻害されることが多くなった。

 日本の空母機動部隊がガダルカナル周辺海域に進出。

 ほぼ、輸送船を使用した輸送は不可能だった。

 現在、周辺海域で2群が確認されている機動部隊。

 そのどちらに対しても、排除は困難であったのだ。


 アメリカの抱える空母戦力は、護衛空母4隻にすぎない。

 本来であれば輸送部隊のエアカバーを作るべきところが、日本機動部隊の存在により、行動が制限されていた。

 突出すれば、捕捉され撃滅の危険があった。

 

 出来るのは、ガダルカナル基地に対する後方からのエアカバーくらいだった。

 ブイン方面からくる、日本軍機に対抗するのが精一杯というところだ。


 結局、成功率が低いと分かっていても、駆逐艦による輸送を継続するしかなかった。

 今のままの戦力では、という但し書き付でだが。


「絶対に、ジャップの駆逐艦に横腹を見せるな!」


 艦隊司令部からの命令が飛ぶ。もはやそれは、ソロモンで戦う米海軍にとっては当たり前以上の常識であった。

 レーダーによる優位は無かった。

 それ以前に、アメリカ情報部では、日本艦隊は、こちらと同レベルのレーダーを備えていると判断をしていた。

 事実はそれに反していたが。


 日本側の夜戦遂行能力の高さは、徹底的に見張り能力を上げるという方法で達成されていた。

 人外レベルの名人を造り上げること。

 日本海軍における夜間見張り員の能力は、人の限界を超えるレベルにまで磨き上げられていた。

 それは、闇の中で敵を発見するということに限定するならば、ほぼ互角の能力を持っていた。

 人を最先端の光学探査装置にしてしまったようなものだ。


        ◇◇◇◇◇◇


 第二水雷戦隊、旗艦である軽巡「五十鈴」。

 5500型と一般に言われることになる汎用性の高い軽巡洋艦だ。

 14サンチ砲7門を持つ、水雷戦隊旗艦用の艦だ。


 ソロモン海の波濤を砕き突っ込んで行く。

 作りだす波が夜光虫の光を帯びている。


 相次ぐ近代化改装により、重量は増え、速度は低下している。

 太平洋戦争開始時点では、陳腐化しているといってもいい。

 それでもまだ、実用に耐えることができたのは、誕生時から持っている高速性能故であった。

 かつて36ノット以上を誇った快速は、重量増加により低下していたが、それでも33ノットを叩き出すことができた。


「つまらんな」


 その言葉とは裏腹にその提督の口元には笑みが浮かんでいた。

 今、アメリカ海軍が最も恐れる提督。

 第二水雷戦隊司令官、田中頼三少将だ。


「最近は向かってこなくなりましたね」

「手強くなったといえば、そうなのかもしれんな」

「毎度毎度、逃がすほど甘くはないがね」


 副官の言葉に、田中少将は答えた。


 敵艦隊はまっしぐらに逃走していく。

 逃げていく艦隊を捕捉して撃破することは困難だ。

 海戦という物は、お互いに敵を攻撃する意思があって初めて成立する物だ。


 逃げていくアメリカ駆逐艦隊に対し、砲撃が開始される。

 アメリカ側も撃ち返すが、お互いに当たらない。

 魚雷を使用する位置関係にもならない。


「後は第一五、二五駆逐艦隊の仕事だ」


 田中少将はそう言った後、全艦に反転を命じた。

 深追いをする気はなかった。


 第十五、二五駆逐艦隊は、第二水雷戦隊旗下の駆逐艦隊だった。

 各三隻、合計六隻の陽炎型駆逐艦の戦力が分離して動いていた。

 敵の逃げた先、おそらくどちらかの駆逐艦隊が捕捉できる。


 下手をすれば、各個撃破されかねない用兵だった。

 だから、こちらも一撃離脱だ。

 反航状態からの酸素魚雷の一撃。合計24本。

 高性能炸薬500キログラムを搭載した「青白い殺人者」だ。


        ◇◇◇◇◇◇


「なんだと! 前方にもジャップが!」 

 

 レーダー手の報告は司令部を驚かせていた。

 奴らは、この海域に何隻の駆逐艦を持ちこんでいるんだ?

 レーダー手の報告では確認できたのが3隻。

 しかし、それが全てである保証はどこにもない。


「くそ! タナカか! またタナカか! 奴は悪魔か!」

 

 帽子を叩きつけ、仇敵の名を連呼する。

 司令部に、敵の距離、方位、速度のデータが入ってくる。

 このまま、突っ切って逃げるしかない。


「戦闘準備だ! 一撃をかけて離脱する」

「この距離では魚雷は使えません。接近しますか?」

「ジャップの駆逐艦に接近する?」


 司令官は「オマエはなにを言っているのか分かっているのか?」という顔で言った。

 

「いえ、このまま直進すべきです」


 そんな部下の言葉を聞き流す。それどころではない。


 横っ腹を見せて、日本の駆逐艦に接近するなんてスズメバチの巣に手を突っ込む様なもんだ。

 勇敢と無謀を取り違えてはいけない。

 

 38口径5インチ両用砲が、レーダーによる諸元を受け取る。

 砲塔を回転させ、砲身を構えた。


 初弾はアメリカ海軍から発射された。


        ◇◇◇◇◇◇


「駆逐艦2隻」


 第十五駆逐艦隊からの報告を聞いた田中少将は言った。

 ただ、事実を事実として受け止める言葉だった。

 24本の酸素魚雷で2隻の駆逐艦を仕留めた。

 これが、割に合うのかどうかは、微妙なところであろう。

 0よりはマシといったところだ。

 直属の艦隊上層部は、とにかくアメリカの船が沈んだかどうかが大事なのだ。

 補給作戦を阻害する意味が分かっているのかどうか疑問だ。


 ただ、今回使った手はもう使えないだろうと考える。

 当然、アメリカも考える。

 冷静に対処されれば、こちらがやられる危険な作戦だ。


 実際に、第十五駆逐艦隊も無傷というわけにはいかなかった。

 闇の中でもアメリカの砲撃精度はそこそこ高かった。

 やはり、レーダーかと田中少将は思う。

 彼もレーダー。つまり「電探」の装備を要請していた。

 帝国海軍もそれを持ってはいる。

 ただ、生産数が少なく今は戦艦、空母などの大艦に優先装備されている。

 駆逐艦まで廻ってくるのはいつになるか分からなかった。


「さあ、次はどうするか――」


 彼の頭の中に4つほどの案が浮かび、2つが問題ありとされ却下された。


「敵の空母―― 動きがあるというが…… さて」


 アメリカ海軍の天敵とされている恐怖の提督は、その言葉を口の中で転がしていた。

 戦場の環境は常に変化する。

 その変化を捉え、有効な手段をとることが、指揮官の役割である。

 そのために彼は存在しているのだ。


 ソロモンの黒い海をその瞳が見つめていた。

 

        ◇◇◇◇◇◇


「地上視界はまあ、仕方ないか」


 ブイン基地の第二飛行場。

 雷電座乗する鷹羽二飛曹だった。

 1800馬力のエンジン。火星エンジンは直径も大きい。

 地上にいるとさすがに前方視界は零戦ほど良いとはいえない。

 ただ、空に上がってしまえば、特に不満はなかった。

 離着陸も、零戦ほど簡単というわけではないが、逆にその辺りの難しさが「玄人仕様」という感じで悪い気はしなかった。

 彼は自分の腕に自信があったからだ。


「しかし、コイツは邪魔だな。なんで、こんなとこにあるんだ?」


 コンコンと彼は、目の前に取り付けられた防弾ガラスを叩いた。

 操縦席の中、しかも照準器と搭乗員を分割するように取り付けられたものだ。

 いかにも、やっつけ仕事で取り付けましたという感じがしないでもない。


「どうしました」


 機体点検中の整備員が鷹羽二飛曹に声をかけた。

 油まみれの手で機体を触るが、文句を言う気はない。

 整備員を敵に回すアホウな搭乗員は生き残ることができないからだ。


「このガラス板はやっぱり邪魔なんだが。どうしても駄目なのかな取り外しは」

 

 彼は丁寧に懇願するような口調で、整備員に言った。

 厚さ70ミリの防弾ガラス。

 正確にはガラスではなく、アクリル系の樹脂をつかったものだ。


「またですか?」

「だって、邪魔でしょ。これ、見てよ。照準器と俺の間にあるんだぜ?」

「隊長の命令ですよ。ダメですよ」

「じゃあ、これ外に付けるとかできない?」

「現地の対応じゃ…… まあ、検討してみますけど」

 

 呆れた声の整備員に、懇願を続ける鷹羽二飛曹。

 後方の鉄板については諦めたが、前のガラスは納得できなかった。

 風防ガラスの外側にくっつければいいんじゃないかと思った。


 実際、それは検討されたが、曲面の防弾ガラスを作ることが難しく見送られたことだった。

 ただ、風防ガラスの前面も平面ガラスにすれば、解決することではあったのだ。


「こいつは悪くないんだけどな。よくできてると思うな」


 鷹羽二飛曹は、操縦桿にあるボタンを押しこんだ。

 翼にあるフラップが生き物のように動く。

 そして、翼に対し16度の角度で止まった。

 

「まあ、なんせ翼面荷重が170以上ですからね。これがなければ、着陸がもっと難しくなると思いますよ」

「だろうなぁ」


 それは、主翼に備えられたフラップだった。

 ボタンを押すことで展開され、16度で固定する。

 この状態で、旋回戦闘に入れば、最新の零戦53型に近い性能を発揮できる。

 零戦53型の速度は約310ノット(574キロ)。

 雷電は335ノット(620キロ)以上を発揮できる。

 この速度差で、旋回性能が近いというのは、驚異と言っていい。

 そのカラクリは、このフラップのためだった。


 彼は指をボタンから離した。

 自然にフラップは収納される。


 飛行中は速度の変化により、ボタンを押してもフラップが収納されるようになっている。

 これは、開発中止になった十三試双発陸上戦闘機(史実の月光)のパーツを流用したものだった。

 いっそ、ボタンなど押さないで、スイッチをいれれば、最適のフラップ角度をとる装置があればもっといいかと思った。まあ、そんな理想的なフラップは早々できないだろうと思ったが。


「悪くないな」


 鷹羽はニヤニヤしながら言った。

 まあ、言いたいことはあったが、基本的に彼はこの雷電を気に入っていた。


「おい! 鷹羽! 大変だぞ」


 声だ。鷲宮二飛曹だった。開戦以来腐れ縁の戦友だった。

 いつの間にか、機体の後ろからやってきていた。

 なんとなく、ムッとする。不意を突かれた感じがしたからだ。


「なんだ? 鷲宮」


「空母だ! アメリカの空母が見つかった」

「え?」


 ソロモンの空は風雲急を告げていた。


■参考文献

末期の其他兵器集 こがしゅうと(イカロス出版)

歴史群像太平洋戦争シリーズ No.7 ラバウル航空戦 学習研究社

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