その92:アメリカ西海岸通商破壊戦 その3

「アメリカ西海岸で商船を狩ることが勝利に結びつくか……」


 山本五十六大将は、右手で顎を隠すように触りながら言った。


 この目の前の歴史上の人物。

 日本の歴史の中に出てくる軍人とすれば屈指の知名度のだよ。

 まあ、本人が右手で屈指すれば5番目。左手で屈指すると3番目になるわけだ。

 ふと、そんなことを思って山本五十六の左手を見る。指が欠損している左手は白い手袋着用だった。


「アメリカの国内世論は最悪ですからね……」


「真珠湾のせいかい?」


「そりゃ、結果的にはそうかもしれませんけどね」


 後世では真珠湾攻撃を下策も下策、最悪の作戦と評する人もいる。

 しかしだよ。そもそもアメリカと開戦したこと自体が最悪なのであって、最悪の中の選択としたらどうなのかって言う思いもある。


 真珠湾攻撃が無かった場合、アメリカが日本の南方作戦を妨害に出たらどうなっていたか?

 フリーハンドを与えられた太平洋艦隊には、色々な選択肢があるわけだよ。

 真珠湾攻撃はアメリカの対日感情を最悪にしたけど、軍事作戦的にはパーフェクトに近いわけだ。

 そもそも、アメリカの軍人がそれを認めてるわけだし。


「アメリカ国民の怒りの矛先が、自国の政府や軍に向かってくれればいいんですけどね……」


「まあ、やらないよりやった方がいいってとこだろ。それしかねぇわな」


 その通りだった。

 実際、アメリカ政府の報道管制能力は半端ない。

 情報に関する手練手管は、日本人の想像の埒外。それは21世紀でも変わらんと思う。

 アメリカ西海岸で商船を国際法にのっとり、沈めていくこと。

 それは、少しでも戦争を終わらせるための環境作りを目指したものだ。

 まあ、いくら商船を沈めても、アメリカ経済に与えるダメージは大したもんじゃない。


 この作戦は、巧みな報道管制下にあってもどうしようも出来ない「人の口」を増やすということが第一の目的だった。

 正々堂々と日本海軍は戦って、アメリカ海軍はそれを防げない。

 そういった場面を多く作ることを狙っている。

 アメリカ本土近くでだ。

 実際のところ、効果は分からんけどね。やらんよりやった方がいい。


「この作戦は、下準備にしかすぎませんからね。来年中に一回、どこかで大きな作戦で勝利をしたいんですよ」


「布哇か?」


「だから、それはやらないと言っていますよね!?」


 俺は思わず立ち上がる。このおっさん、どこまで布哇攻撃が好きなんだよ?


 叫ぶ俺を「二ッ」といたずらっぽい笑みを浮かべ見つめる。

 なに考えてんだ? マジで。

 投機的作戦(ギャンブル)が本当に好きなのか? 中毒なのか?

 

「まあ、未来から来た聯合艦隊司令長官様としても、地味に作戦的勝利を積み重ねるしか方法はないってことかい」


 韜晦するような口ぶりだ。


「それはそうですよ。でもって、作戦的勝利を戦略的勝利にして、それを外交的な勝利に出来るかどうかは――」


「分かってるよ、それはこっちで根回しはするがな」


「それは、本当に頼りにしてますからね」


 女神様の封印を破った山本五十六大将には、軍政面で色々動いてもらっている。

 

 この太平洋戦争。

 主に対米戦争だ。

 こいつを終わらせるのは本当に難しい。

 

 軍事的な勝利を積み重ねすぎれば、マスコミに煽られた日本の国内世論がヒートアップだ。

 日本はアングロサクソンを駆逐し大東亜の盟主となる。

 そしてアメリカに対しては西海岸を分割要求すべしという社説まで出ているくらいなのだ。

 本当にヤバいよ。

 

 しかし、戦術的な勝利についても、おそらく1943年がターニングポイントだ。

 ここで、アメリカにもう一度、大きなダメージを与えれば、1945年まで逃げ切れる可能性も出てくる。

 逆にこっちがやられてしまうと、状況は一気に厳しくなる。

 一度、アメリカに主導権を渡したら――


「しかしだな――」


 俺の思考を山本五十六大将の言葉が遮った。


「この戦争を日本優位で終わらせるのは、始まろうとする戦争を回避するより難しいだろうな」


 コロンと石を転がすようにその言葉を吐いた。


「それを言ってしまっては――」


 そうは言っても俺も同意だった。


「分かってるけどなぁ。こりゃ、難事だぜ」


 この人は――

 未来の知識を持っている俺などより先のことが見えているのか?

 この時代の流れの中に身を置きながらにして。

 俺はそう思いつつ、目の前の男を見た。

 その大きな目で俺を見つめているように見える。本当はどこを見ているのか分からんが。


「ところでだ、アレは造っているのかい?」


「アレですか……」


「そうだよ。アレだよ。分かってるよな」


 本物、山本五十六大将が何を言おうとしているのか俺には分かった。

 やっているよ。無駄じゃないかと思いつつも、やっぱりやってる。

 戦争を終わらせるために、その兵器は重要なパーツだと考えたからだ。

 ただ、間に合うかどうか、それが分からん。


「やってます。伊号の改造も含め、18隻揃える予定ですよ」


 俺は言った。


「ほう、潜水空母機動部隊じゃねぇか。いいねぇ」


 山本五十六大将は嬉しそうに言った。


        ◇◇◇◇◇◇


「駆逐艦ですか」


「哨戒艇じゃないか」


「確かにな。最前線じゃないからな。沿岸警備の哨戒艇ってのが妥当か――」


 狭い艦内に囁(ささや)くような話し声が石井軍医長の耳に入ってくる。


 こちらが見つけた艦艇は「駆逐艦らしきもの」と伝えられたが、本当に駆逐艦かどうかは分からない。

 そもそも、駆逐艦とは最前線で戦う海の猟犬だ。

 最前線から遠く離れたアメリカ本土近くに、駆逐艦がいるのだろうか。

 いたとしても、一線級の駆逐艦ではなく旧式艦ではないかと彼は思った。

 

 音源を探知した伊21はすでに潜航していた。

 潜望鏡深度で周囲を警戒する。

 敵地アメリカ本土が目と鼻の先だ。大型の航空機であれば十分に哨戒圏内に入る。


「音源、右30度―― 感2」


 司令塔に通じている伝声管から、とぎれとぎれの声が聞こえてきた。

 意外に近いじゃないか。


「音源、複数あり――」

 

 聴音兵の声が聞こえてくる。

 敵は一隻ではなかった。

 

「先任士官、敵は――」

 

 先任士官に石井軍医長は声をかけた。


「さっきの商船は電波など出してなかったはずだが…… 網を張られていたか」


 いつも飄々としている先任士官の顔がいつになく真剣になっていた。


「右魚雷戦用意! 92式を使う」


 92式とは92式電池魚雷のことであった。


 大日本帝國海軍は複数の魚雷を太平洋戦争で使用している。

 純粋酸素を使った酸素魚雷として有名な95式酸素魚雷。

 通常の空気魚雷である89式魚雷。

 電池魚雷である92式魚雷だ。


 酸素魚雷の性能は、アメリカの魚雷の倍以上。

 405キログラムの炸薬を充填され雷速49ノットで9000メートルの駛走(しそう)距離を誇る。

 これは、戦争末期にアメリカ軍の運用したMk23魚雷の倍近い性能だ。

 ただ、この魚雷は魚雷調整班に特殊技能が要求され、非常に扱いが面倒な魚雷だった。

 長期にわたる通商破壊作戦では、運用側に大きな負担を強いる兵器といえた。


 伊21は、通常空気式の89式魚雷と電池式の92式魚雷を搭載していた。

 89式魚雷は、45ノットで5500メートル。36ノットなら11000メートル走る。

 そして、電池とモータで動く92式魚雷。これは、30ノットの速度で駛走(しそう)距離は7000メートルだった。

 性能的には一番見劣りがした。ただ、これでも同時代の電池魚雷としては他国の物とそん色はなかった。


 この魚雷も運用、保守が面倒ではあった。保管している間にバッテリーがすぐに上がってしまうという欠点がある。

 しかし、他の魚雷にはない特長もあった。


 磁気信管を持っていることだ。


 鉄で出来た船は磁気を帯びる。その磁気に反応し爆発する信管だ。

 艦底を通過したときに爆発させることができ、炸薬量以上の破壊を敵に与えることが出来る。

 特に喫水線の浅い小型艦艇には、この信管は有効だと考えられていた。


「方位、右25。距離1600。敵速15」


 魚雷発射号令の声が聞こえてくる。復唱の声が響いた。

 魚雷発射のための、データは潜望鏡に連動した92式方位盤が諸元を叩き出し雷撃を行う。

 

「用意、ッテーー!!」


 圧縮空気が発生させる鈍い響きとともに魚雷が発射された。

 92式魚雷2本だった。


「命中しろよ……」

 

 祈るような声だ。先任士官だ。

 時計の秒針がやけにゆっくりと動いている気がした。

 10秒が経過した――

 15秒、20秒――

 

 石井軍医長はざらつく喉でゴクリと唾を飲み込む。その音がやけに大きく感じた。

 誰もが黙っていた。


「来ます! 敵、スクリュー音! 複数。急速接近!」


 聴音兵が叫んだ。

 外した――

 魚雷は外れたんだ。

 くそ。戦争はそう簡単にはいかないということか。


「深度80、急速潜航だ! 対爆雷防御! 各員配置」


 司令塔から艦長の叫ぶような命令が聞こえてきた。


「ネガチブ注水 ツリム前部に500。ダウン5度! 掴まれ」


 操舵手の叫びと同時に伊21が急速に艦首を下にして海底に向け突っ込んで行く。

 それは魚雷が外れた事実を確実な物とする動きだった。

 敵は反撃に出てきた。数は不明。しかし複数であることは間違いない。


 石井軍医長は深度計がグルグル回っていくのを見た。

 今、この伊21が深く沈降していくことを示すものだ。


「深度50」


「近い! 音源が急速に! 感3! いや4――」


 操舵手と聴音兵の声が交錯する。その瞬間だった。

 ドンという衝撃波が艦を揺らしていた。まるで巨人が潜水艦を掴み振り回したような感じだった。

 蛍光灯の照明が落ちた。一瞬で闇になる。


「非常灯! 非常灯! 被害報告!」


 非常照明がともる。闇の底を弱々しい光が辛うじて照らす。


「前部海水パイプが破損、浸水!」


「バルブを閉めろ! 急げ!」


 艦内には、怒声混じりの命令と復唱が交錯していく。


 石井軍医長は戦慄していた。

 ただ身を固くし近くの柱のようなものを強く握り締めるだけだった。

 生まれて初めて爆雷攻撃を受けたのだ。

 自分たちの乗っている潜水艦という船が鋼の柩であることを実感した。


「ダメだ」


 彼は小さくつぶやく。自分に対する言葉だった。

 彼は頭を振った。悪い考えを浮かべても良いことなど何もないのだ。


 シュシュシュシュシュシュシュシュ――


「なんだ?」

 

 石井軍医もその音に気付いた。

 自然と音の方向に顔を向けた。上だった。


「直上、敵直上です。また来ます。爆雷来ます!」


 そして、再び炸裂音が響く。海水が爆発したのではないかと感じるほどだ。

 艦がビリビリと揺れ、シュ――っと空気が漏れるような音が聞こえてくる。

 薄闇の中、神経を削りに来る音だった。


「更に潜る! 深度90まで行く」


「危険です。先ほどの攻撃で艦が損傷をしている可能性も」


 伊21の潜航深度の限界は100メートル。 

 しかし、それは絶対ではない。

 安全係数は取られてはいるが、爆雷攻撃を受けた後にそこまで潜るのはかなり危険のある選択だった。

 

「このままでは、どの道やられる! 急ぐんだ」


 伊21はメインタンクに海水を流し込んでいく。浮力を失い沈降していく。

 その間も爆雷攻撃は続いた。艦は揺さぶられながらも深く静かに潜航していった。


「深度90――」


 操舵手の声だった。

 伊21の設計限界に近い深度だった。

 電源はまだ回復しないのか、薄暗い非常灯のままだった。


「敵は――」


「感あり。まだ我々を追っています」


 爆雷攻撃は続いていた。

 ただ、先ほどのように「攻撃」として艦にダメージを与えるものではなくなっていた。

 急速に深度90まで潜ったので、敵は深度調停が出来なくなっているのかもしれなかった。


「浸水の状況は?」


「現在、浸水止まっています。ビルジの浸水、推定10トン」


「電源復旧は?」


「もう少しです。一部電池が破損しましたが、復旧は可能です」


「そうか」


 司令塔では現在の状況の把握が行われていた。

 

 石井軍医長は粘つくような汗を出している額をぬぐった。

 暑い。明らかに艦内の温度は上がっている。


「艦内温度、37度か――」


 彼は薄暗い明かりの中、温度計を確認する。

 艦内は人間の体温を超えていた。


 密閉された潜水艦の内部はだいたい温度が高い。

 南方方面では軽く40度を超えることがあるらしい。


 破損した電池が反応しているのではないか――

 石井軍医長はそう思った。

 

 気が付くと爆雷攻撃は終わっていた。

 しかし、生存をかけた彼らの戦いは今から始まるといってもよかった。

 生き残るための本当の戦いはまだこれからだった。

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