その91:アメリカ西海岸通商破壊戦 その2
「アメリカ西海岸通商破壊作戦―― 大盤振る舞いだな」
本物の山本五十六が俺にいきなり問うてきたわけだ。
第六艦隊(聯合艦隊の潜水艦を指揮下にしている艦隊)所属の大型潜水艦。
つまり、伊号潜水艦のほとんどをアメリカ西海岸通商破壊作戦に投入している。
「大盤振る舞い」という言葉の意味は、そのことを指しての物だった。
「この戦争を終わらせる材料を少しでも増やしたいんです」
「そうかい」
山本五十六は短く言った。
それは俺の意見を首肯しているのか反対しているのかよく分からなかった。
本当にその言葉から、本心を読み取るのが難しい人物だ。
この人が「言って聞かせて――」というあの現代に伝わる名言を自分ではあまり実行していないのがよく分かる。
人物の底が見えない。まあ、ニートの俺に底が見えるような人間なわけはないだろうけど。
「ソロモン・ニューギニア方面には呂号を中心に配備しています。十分役に立ってます」
航続力が伊号ほどではない中型の呂号潜水艦は、ラバウル、トラックを基地として、ソロモン方面に配備している。
史実で反省のあった哨戒ラインを作り潜水艦の行動の自由を奪う運用は止めている。
史実ではこの運用の結果、芋づる式に潜水艦が仕留められてしまった。
帝国海軍内部でも、以前から反論があった運用方式だ。これを変更するのはそれほど手間は無かった。
とりあえず、アメリカの補給ラインに一定の掣肘(せいちゅう)を加えていることは間違いない。
「アメリカ相手の通商破壊戦か…… どの程度効果があるのかって話だな」
山本五十六の言っていることは分かる。
例えば、日本海軍が全力をもってアメリカ西海岸で活動したとしても、産業に対する直接的ダメージは微々たるものだ。
狙いはそこじゃない。
アメリカは軍事輸送以外では、船団航行を行っていないはずだ。
東海岸でドイツ軍Uボートの被害が増えたときも、船団護衛はしていなかったはず。
経済的な合理性から考えてもそれは正しい。
船団での運用は手間がかかる。輸送効率が大きく落ちる。
アメリカ経済に致命的と判断されない限り、国内の輸送に船団護衛はないだろう。
もし、それをすれば、潜水艦の被害以上に物資流通が滞ってしまう可能性があるからだ。
リバティ船が揃ってくれば、状況は変わってくるだろうが今はまだ大丈夫だ。
「護衛の無い独航船に限っては正規の手続きで沈めて行く。これが目的です」
「大日本帝国はルールを守る。ドイツとは違うと印象付けるのかい? 今さらな気がするが」
アメリカの対日感情を一気に悪化させた作戦を立案した本人が言った。
しかし、それを今批判するのは後知恵というものだろう。
おそらく、どんな形で開戦してもアメリカは、日本を悪者に仕立て上げただろうし。
「やらないより、やった方がいいですよ。あの国は『フェアであること』を必要以上に求めますから。自分以外には」
「21世紀に入っても、同じかい? あの国は」
「まあ、同じですよ」
「確かに、無限潜水艦作戦は国際法で禁止なんだがな……」
山本五十六は苦笑を浮かべた。
ちなみにいえば、ドイツも最初は無警告の商船攻撃は行っていない。
「停船命令」→「避難確認」→「撃沈」という手順を踏んでいた。
ただ、いつまでもそんな悠長なことができなくなったということだ。
そして、アメリカは日本に対し無制限潜水艦作戦を実施することを宣言している。
しかし、今のところ軍事輸送以外の商船は大きな被害がない。
これは、概ね史実通りだ。いや、史実より大分マシだ。
フィリピン陥落による魚雷不足とMk-14魚雷の不具合の問題は史実通り。
更に、オーストラリアの守勢的な姿勢にも助けられた結果だった。
潜水艦基地の設置をオーストラリア政府が渋っている。
1942年の現在、シンガポール、門司間の資源輸送ルートに関しては、今のところ大きな被害がない。
これも、1943年以降はどうなるか分からないが。
「現場は辛いかもしれないですけど、やるだけのことはやらないと」
相手が守らないルールをこっちが守るというのは、確かに理不尽な話ではある。
ただ、それは日本にとっては必要なことだ。
通商破壊戦でアメリカに大きなダメージを与えられるとは思えない。
しかし、この作戦はやる。それは、日本の戦争に対する姿勢をアピールするためだ。
まあ、どこまで効果があるかは分からないが。
「まあ、そのために『評点付与基準』も変更したわけだしな」
山本五十六が言った。
「評点付与基準」とは「戦艦・空母撃沈50点、撃破20点」というように戦果に対し点数を与える物だ。
これが、集計されて各艦の「功績査定評価」という成績表になっていく。
当然、艦長などにとっては出世に関わる重要なものだ。
ちなみに、史実では商船は2000トン以上を撃沈で5点。これは魚雷艇の撃沈と同じ点数である。
当時の感覚からすれば、これが至極真っ当に思えたのだろう。
今回は、山本五十六(本人)の政治力を使い、こいつを20点まで引き上げた。
更に5000トン以上は30点にしてある。
大型輸送船の撃沈は巡洋艦と同等の評価にしたわけだ。
他の部門から反発が無かったわけではない。
しかし、輸送船と魚雷艇が同じってのは、いくらなんでもおかしいんじゃね? という考えは当時からあったのだ。
「とにかく、大日本帝国海軍は、清く正しく徹底的に商船を狩るわけですよ。ルールに従って」
山本五十六は俺の言葉を聞いて笑みを浮かべた。
それはどうにも底が見えない笑みだった。
◇◇◇◇◇◇
伊21潜水艦は戦闘態勢に入った。
冷却送風管からは、ゆるゆると湿った風が送り込まれていた。
日施潜航(昼間は潜航すること)を開始する日の出までまだ時間はあった。
「停船命令に従いますかね」
石井軍医長は小さな声で言った。
ジーゼル発動機の音にかき消えそうな声だった。
艦内には張りつめた空気があった。
「まあ、どうだろうな」
先任士官がくたびれた略帽を脱いで頭をかいた。
「逆襲してくる可能性はありますかね」
「独航船だしな。逃げるか停船するかどっちかだな。反撃は無いだろう」
発見されたのは大型輸送船。おそらくは貨物船であろう。
独航船だった。
護衛艦艇は無かった。
独航船に対しては「停船命令」を出したうえで「乗員の避難確認」をした後攻撃することになっている。
艦隊司令部から厳命されていることだった。
帝国海軍は国際法に従い、「人道的な戦争」を行うということだ。
「目標輸送船、停船します」
伝令兵の声が響いた。
その声に艦内の空気が緩んだような気がした。
「停船しましたね」
「ああ、そのようだな。アメさんも、バカじゃないってことだ」
先任士官は石井軍医長の言葉に応えた。
「我が艦は、敵輸送船を捕捉。乗員の安全なる退避を確認した後、攻撃を実施する。各員はその配置にて本分を尽くせ」
司令塔から、艦長の声が響いた。
「魚雷ですか?」
「まあ、魚雷だろう。砲撃は時間がかかるからな。確実に仕留めるなら魚雷だ」
石井軍医長は先任士官の言葉を聞き、魚雷はもったいないような気がしてきた。
彼はちらりと積算電流計を見た。
その目盛りは赤い部分まで矢印が昇っていた。魚雷はいつでも発射できる状態にあった。
「魚雷1本、家1軒とはいうが、砲撃でチマチマやってたら、どんな敵がやってくるか分からん。ここはアメさんの庭先だぜ」
「砲撃では時間がかかりますか?」
「まあ、大変だろう。8000トン以上の大型輸送船だろう。14サンチ砲じゃ結構骨だ」
伊21には軽巡と同クラスの14サンチ砲が装備されている。
しかし、即発射できる砲弾は限られていた。
それを撃ち尽くせば、艦内から新たに運ぶわけだ。
可燃物でも積んでいない限り、1門の14サンチ砲で大型輸送船を手早く沈めることはできそうになかった。
先任士官の言う通りだった。艦長から「魚雷発射準備」の命令があった。
操舵手が艦の揺れを抑えるため、細かく舵をとっていく。
艦首に固定された魚雷発射管を持つ潜水艦にとって、艦の動揺は攻撃失敗の原因になりかねない。
2サイクルのジーゼル機関の音だけが響く。
そして伝令の「乗員退避、確認」の声が聞こえた。それは司令塔から発令所まで伝わる。
「魚雷発射用意――」
「テッ!」
腹の底に響くような声だった。
刃物でなにかを切り裂くような音とともに、魚雷が発射された。
「1本…… 2本…… ですか」
「確実を期すためだろう」
魚雷は2本発射された。
通常商船攻撃に使用する魚雷は1本である。
ただ、大型船に対してはそのような原則を破り複数の魚雷を発射することもあった。
「大型輸送船の撃沈は、巡洋艦撃沈と同じ評価になるからな」
「そうですか」
石井軍医長は言った。
この作戦に就く前に、撃沈した艦船の種類によってつく評価点が改正されたという話をチラリと聞いていた。
ただ、それがどういった意味でなされたものかは彼には分からなかった。
彼は時計を見た。秒針の針がやけにゆっくりと1秒を刻んでいる気がした。
ドーン――
ドーン――
重く響く音。
「魚雷命中確認!」
伝令の声だった。
艦内が一瞬歓喜の色につつまれる。
各所から「撃沈か!」「やったか」「万歳」という声が上がった。
「我が伊21潜は、敵8000トン級、輸送船を撃沈。各員戦闘配置のまま」
重く静かな艦長の声が響いた。
◇◇◇◇◇◇
「武士道というヤツですかね」
石井軍医長は言った。
「国際法にのっとっただけだよ」
先任士官は何でもない風に言った。
伊21では、退避した輸送船の救命ボートに対し怪我人の有無、必要な物があるか確認をした。
そして、多くは無かったが、医薬品と食料を与えた。
石井軍医長の言う「武士道」とはそのことを指していた。
日本は1936年に「潜水艦戦闘行為議定書」を批准している。
商船を攻撃するのは停船命令に従わなかった場合だけという決まりがそこでなされている。
当然、アメリカも批准しているが、アメリカはなりふり構わず「無制限潜水艦作戦」実施を宣言した。
すでに、伊21は敵輸送船の攻撃海域から離脱していた。
黎明までそろそろというところだった。
日が昇れば潜航することになる。
アメリカも必死になっているはずだ。
目と鼻の先で日本の潜水艦が暴れまわっているのだ。
そのまま、黙っているとは思えない。
輸送船を攻撃する前に感じていた、妙な胸騒ぎはまだ残っていた。
「軍医長、食事の準備ができました」
彼の思考を従兵の言葉が遮った。
潜水艦の生活はどこに行っても、日本時間が基準となり食事が出される。
今は、朝食なのか昼食なのか晩飯なのか彼は混乱する。
メニューを見れば、分かる事であったが。
粉末味噌で作った味噌汁が出てくれば、朝食だ。
生鮮食料品はとっくに尽きており、食事のおかずは、缶詰ばかりだ。
日本国内であれば、缶詰は高級品だ。
しかし、潜水艦の中では中々食が進むものでは無かった。
軍医長として船員の食事のバランスを考えるのも仕事であった。
彼は、米をバターと一緒に炊くなど、工夫をして食生活に変化をつけようとした。
当初は好評だったバター炊き込み飯も今はやっていない。
好評だったのは最初だけで、それが続くと、評判は最悪になったからだ。
最近は元の米に戻っている。
彼がマッシュルームの缶詰を手にとったときだった。
聴音室から声が上がった。
「右舷より音源。感あり」
「また、獲物かい?」
先任士官がとぼけたような口調で言った。
それは、伊21にとって死闘の開始を告げる言葉となった。
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