その90:アメリカ西海岸通商破壊戦 その1

 外を歩くと空気の匂いがどことなく冬を感じさせるようなってきた。

 1942年も残り二か月。

 

 広大なアジア、太平洋戦域では今日も激闘が続いている。

 国内にいるとそんな当たり前のことすら嘘のように思えてくる。

 戦時色はあったが、それはずっと続いていることで、日米戦争が始まってどうのこうのではなかった。

 国内では、物資は不足している。これも、昨日今日に始まったことじゃない。


 そんな中、聯合艦隊司令部の移転が実施された。

 俺のかねてからの願いの一つが実現したわけだ。

 これは史実よりも約2年早い展開だ。

 スムーズに動けたのは、山本五十六(本人)が動いたというのもあるだろう。

 今は、本物と偽物が協力関係を作っていた。


 地球面積の4分の1はあるんじゃないか? というくらいの戦域で展開する大戦争。太平洋戦争とか大東亜戦争と呼ばれる戦争だ。


 そいつを指揮するのは戦艦大和の司令部機能をもってしても十分とはいえない。

 そもそも、帝国海軍は艦隊決戦の一撃で勝利するために戦力を積み上げてきたのだ。

 その前提で造られた機能では、現大戦の実相に合っていない。


 アリューシャン沖海戦で懲りて、早く陸に上がりたかったという「だけ」ではないのだ。


「アメリカ空母3隻が布哇(ハワイ)に出てきたってのかい?」


 ごま塩頭の壮年の男がギョロリとした目で俺を見つめた。

 普段は俺と体を共有している山本五十六だ。

 今は、他に誰もいない聯合艦隊司令長官の私室ということで実体化している。


「大和田通信所の通信解析の結果を信じるならそうです」


 現時点でアメリカの保有する正規空母は3隻。

 サラトガ、ヨークタウン、レンジャーだ。

 アメリカ海軍は小笠原沖で、エンタープライズとホーネット。

 そして、ポートモレスビー沖海戦で、レキシントン、ワスプを喪失している。

 

 残った空母の内、レンジャーは大西洋艦隊所属だ。

 史実では太平洋で戦うのは困難と判断され、大西洋に留まっていた。

 それが、出てきたっぽい。


 レンジャーは、アメリカ空母の習作的な物に位置づけられる艦だ。

 確かに、旧式な面はあるだろうが、70機前後を運用でき29ノットの速度は額面上正規空母といっていい。


「改造空母まで持ち出して戦ってるんだ、レンジャーを温存しておく意味はねーわな」


「そうでしょうね……」


 現時点、空母戦力では完全に日本がアメリカを大きく上回っている。

 蒼龍を失ったが、損傷していた加賀、翔鶴、飛龍が復帰。

 瑞鶴、赤城と合わせ、正規空母は5隻。

 それに、商船改造とはいえ、正規空母に準じた性能を持つ隼鷹、飛鷹の2隻が加わっている。

 2隻で100機近い機体を運用できる。


 その他、龍驤、瑞凰、祥凰の軽空母も健在だった。


「布哇だな――」


 呟きと言ってしまうには、妙に熱のこもった言葉が吐き出された。

 山本五十六が、テーブルの上に広げてある地図を見て言ったのだ。


「無理! 無理! 無理! 無理! 無理ぃぃ!!」


「まだ、何も言っちゃいないぜ?」


 韜晦(とうかい)趣味を露わにするような口調だった。


「第二次布哇(ハワイ)作戦ですか?」


「おう、それだよ。ここまで空母戦力に差があるんだ。こんな機会はもうないんじゃないのかい?」


 確かにそうだ。それは分かる。

 日本がアメリカ空母部隊に対し、数的な優位。

 それも圧倒的な優位を保てるのは、1943年の終わりくらいまでだ。

 史実通りとすれば。

 史実以上にアメリカが動いていた場合、それが早まる可能性もある。

 

 優位な局面を生かし、太平洋の「要石」であるハワイを叩く。

 それは、魅力的な案に思える。

 しかしだ。


「リスクが大きすぎますよ」


「なんでだい? こっちは、そうだな…… 全部で530機以上の艦上機を運用できるはずだ。あちらは300が精一杯だろう」


 頭の回転が早い。俺も計算した。その数は間違いなかった。


「基地航空隊がいますよ。合計したら数的優位は失われます」


「基地航空隊と空母の航空隊を一元的に指揮するのは困難だろう。戦力は単純な足し算はできないぜ」


「そうかもしれませんけど…… これは、何が目的なんですか? 空母ですか? ハワイなんですか?」


「空母だ」


 よどみの無い言葉で山本五十六は言い切った。


「それなら、ハワイに出て行かなくともいい話ではないですか?」


「ニューギニア、ソロモン方面に空母は来るのかい?」


 質問を質問で返された。

 今、本土で整備中の空母が赤城と龍驤。

 その他の空母はトラック諸島へ移動している。


 翔鶴、瑞鶴、飛龍を中心に編成された艦隊がガダルカナルへの海上輸送封鎖作戦を実施中だ。

 加賀、隼鷹、飛鷹、鳳祥、瑞鳳を中心に編成された艦隊は陸上基地と連携して、ポートモレスビーへの支援を行っている。


 今、南方方面では、日米がお互いの首を絞めあうような戦いをしている。


 ポートモレスビーへの輸送は、かなり厳しい状況が続いている。

 ラビからの大発輸送が中心になっていた。


 アメリカはルイジアード諸島に基地を建設。 

 オーストラリア北部、ケレマと合わせ、ポートモレスビーを包囲していた。


 日本側もポートモレスビーの基地機能をなんとか維持している。

 ギリギリのラインだったが。

 それは空母部隊が投入によって辛うじて維持されていた。

 

 陸軍は今のところ、ポートモレスビー撤退の意思は見せていない。

 それどころか、ブナからの陸路建設の動きもあるようだ。

 これによって、密林を舞台にしたアメリカ、オーストラリア軍との遊撃戦が頻発してるらしい。


 一方でソロモン方面ではこちらが有利だった。

 ガダルカナルを占領したアメリカ海兵隊を人質にしているような状況だ。

 アメリカ海兵隊は1万を超える兵力を投入したのはいいが、かなり補給では苦しんでいる。

 今では、駆逐艦や魚雷艇を使用した輸送が実施されていた。 

 正規の輸送船は、日本の空母が遊弋している海域に近づくことができないでいた。


 要するに、お互いが、お互いの首を絞めあって、我慢比べをしている段階になっている。

 ここで、空母を引き抜いたら、そのバランスが崩れかねない。

 しかも、ハワイに空母が出てきたのだ。その行先はほぼ、ソロモン方面だろう。


「空母は出てきます。アメリカ空母はソロモン、ニューギニアに出てきますよ」


 俺は言った。

 その言葉を山本五十六(本人)黙って聞いていた。


「で、話しは変わるがな」


 山本五十六はごま塩頭をかきながら、話題を変えてきた。

 その本心が全く見えなかった。


「なんですか?」


「潜水艦だよ」


 覗きこむような目で山本五十六は俺を見つめていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「三直見張り員発令所へ」

 

 伝令の声が狭い艦内に響いた。

 見張り員が動きだす。当直交代であった。


 当直に就く者はホウ酸水で目を洗う。洗眼用のコップが用意されているのだ。

 洗眼の終わった者からラッタルを上がり艦橋に向かう。

 そして、交代で一直の見張り員が下りてくる。

 

 戻って来た者は残らず目が真っ赤であった。

 双眼鏡の跡が目の周りにくっきりとついていた。

 そして、彼らもホウ酸水で目を洗った。


 見張り員の仕事は、潜水艦にとって生死を分けるものだ。

 誰一人として手を抜く者などいなかった。


 軍医長である石井軍医中尉はその様子を見つめていた。


 彼は艦の湿度を測る。それは90%を超えていた。かなり高い。

 気温はさほど高くはないが、湿度の高い臭気のこもった滑った空気はたまらないものがあった。

 しかし、それは仕方ないものであった。

 潜水艦とはそのようなものだからだ。

 潜航すれば更に環境は悪化していく。


 だから、各潜水艦には軍医が配置されている。

 乗員の健康維持が重要であること、そしてそれが軍医無しでは困難だからだった。


 伊21。

 巡潜乙型と呼ばれる潜航排水量で3000トンを超える大型潜水艦。

 水上速力は23ノットを超え、航続力は16ノットで1万4000海里(約2万6000km)を誇る。


 漸減要撃作戦という対米決戦ドクトリンに基づき造られた潜水艦だった。

 敵主力艦に水上航行で先回りし、魚雷を叩きこむという潜水艦の専門家から疑問の声がでるような運用を想定され造られた艦だった。


 ワシントン海軍軍縮条約の縛りは既になかった。

 その中で建造された潜水艦であった。

 しかし、それは用兵側の要求を全て実現したものではなかった。

 軍縮条約が無くなっても、「予算」という縛りは存在しているのだ。

 

 当初水上速力は26ノット。艦首8射線の魚雷発射管の装備が要求されていた。

 これを実現するのはあまりに高価な艦となってしまう。

 それでなくとも、潜水艦はトン当たりの単価が最も高い艦なのだ。

 性能は一回り程低く抑えられ完成した。

 

 しかし、それでもこの潜水艦は優秀であった。

 抜群の航続力は、広い太平洋海域での柔軟な作戦に対応可能であった。

 今回の「アメリカ西海岸通商破壊作戦」のような任務でもだ。


 当初予定されていた敵主力艦への追従攻撃ではない。

 アメリカ本土に近い海域で徹底した通商破壊戦をしかける。

  

「軍医長、そろそろ獲物を見つけたいものだな」


 先ほど一直の見張りから降りてきた先任士官だった。

 彼はヤカンからコップに水を注ぐと、一気に飲んだ。

 喉が水を味わっているのがよく分かる。本当に美味そうに飲む。

 青白い蛍光灯の光がその姿を照らす。汗が光る。


「先ほど、このあたりに大型輸送船が航行中との情報が入ったようです」


「ほう――」


 戦機は熟そうとしているのかもしれない。

 現在、アメリカ西海岸の海域では、日本海軍潜水艦。特に大型の伊号潜水艦が集中的に配備されていた。

 伊21の他に10隻以上の動いているらしい。

 石井軍医長は詳細までは知らない。


 張りつめた弓の弦のような空気が艦内に満ちていた。

 何かが起きるのではないか?

 石井軍医長には理由のない予感があった。


「敵輸送船らしき艦影―― 1!」


 司令塔からの伝声管から潜水艦長と思われるかすれたような声が聞こえてきた。


「スクリュー音源、右90度 感一」


 続けて、狭い艦内に聴音手の声が響く。

 先任士官は食器棚の脇にコンとコップを置いた。


「さあ、祭の開始ってわけだ――」


 先任士官は静かに言った。

 ジーゼルエンジンの音にまぎれて消えて行くような声だった。

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