その86:ラバウル・ソロモン海空決戦 その6

「グラマンか、やはり空母がいるのか」


 井本大尉はゴマ粒のようにしか見えない敵機を見つめてつぶやいた。

 その事実は重大なことであった。

 ただちに司令部に打電された。


 しかし、彼らの任務は空母攻撃ではない。

 また、今から空母を探し、攻撃することは出来るわけがなかった。


「敵の高度は5000くらいか」


「そうですね」


 副操縦士が彼の言葉に答えた。

 こちらの高度は6000メートルだ。

 高度の優位はこちらにある。


 そして、護衛の零戦隊は、まだ動きを見せていなかった。

 一式陸攻の周りを固めるように飛び続けていた。

 それは、ありがたかった。

 彼は出撃の前に戦闘機隊の指揮官となった男と会った。

 冷静な男だと彼は思った。

 出撃前に簡単な打ち合わせを行っただけだが、その男は「絶対に守り切ります」と言った。

 一見、優男に見えたが、その目には、強い意思を示す光があった。


 鈴木少佐だ。

 井本大尉はその零戦指揮官が約束を果たそうとしているのが分かった。


「全機高度を上げる。対空戦闘準備」


 彼は無線に向かい声を発する。 

 一式陸攻18機。彼はその指揮官であった。


 彼の機体内でも機銃の発射準備が整えられていく。

 単機はともかく、18機の編隊の防御火力はそれなりのものだ。


 その最新鋭の一式陸攻は仮称14型といわれ、燃料タンク周辺の防御が強化されている機体だった。

 海軍の航空決戦戦力の中核とみなされていた、陸上攻撃機――

 太平洋上の航空基地から発進し、長大な航続力を生かし、敵主力艦を葬り去ることを目的に開発された機体だ。


 しかし、実戦は思わぬ結果となっている。

 いや、この事実は、日米戦前に分かっていたことなのだ。本来であれば。


 今、海軍航空本部総務部長となった大西少将は、大陸戦線での戦訓から、防御の重要性を主張していたと聞く。

 そもそも、この一式陸攻が、防御力の無い、96式中攻の問題を解決するために、開発されたという側面もあった。

 大西少将は、開発段階から、執拗に防御力強化を訴え続けた。

 しかし、それはメーカー技術者の反対によって潰されていった。

 

 そして、今大西少将は積年の恨みを晴らすかのように動いていた。

 海軍の航空行政を取り仕切る立場となった彼は、陸攻の即時改造。防御力の強化を実行に移した。

 

 井本大尉は、その点に対し実戦部隊の長として複雑な思いを抱いている。

 快調な音を立てる火星エンジン。

 このエンジン2基で合計2900馬力だ。

 飛行機は、馬力以上の性能は引きだせない。そういったリアリズムの権化のような機械が飛行機だ。

 彼はそう理解していた。実戦の中で、そのような理解に至っていた。

 

 彼は日本本土攻撃を仕掛けてきた、米空母に対する攻撃を経験している。

 それは、この一式陸攻という機体が対艦攻撃を行うには脆弱すぎるという事実を彼に突きつけていた。

 30機の編隊で無事基地に帰ってこれたのは、たった6機だった。

 そして、帰ってきた機体の中にも死傷者は多くいた。


 その後、大西少将の主導により、陸攻の改造計画が急速に進んだ。


 急きょ改造された一式陸攻は、その性格を大きく変えていた。

 まず、インテグラルタンクの廃止。外側をゴムに包まれたはめ込み式のタンクとなった。

 更に、炭酸ガス消火装置の追加。

 操縦員席には、前部に50ミリの防弾ガラス。

 後部には、12.7ミリの装甲板が張られている。


 なんでも、この改造に当たっては、陸軍の97式重爆が参考にされたらしい。

 陸軍の方は、すでに防御装備を重視していたとのことだ。


 この防御の充実は構わなかった。歓迎すべきことだと井本大尉も思っている。

 しかしだ。

 そのために、失った物も多かった。

 まず、航続距離と爆弾搭載能力だ。


 現在、この機体は25番(250キロ爆弾)を2発搭載している。

 以前の一式陸攻が、800キロ航空魚雷を積んで攻撃出来たレンジまで飛ぶには、現在では250キロ爆弾を1発搭載するのが精一杯だった。

 機体の防御力強化は、この機体を非常に効率の悪い兵器に変えていた。

 同じ馬力であれば、防御を強化すれば、何かが悪化する。

 それを解決できる魔法のような手段などなかった。

 全てはリアリズムの中に縛られた存在だと彼は考える。


 爆弾を減らせば、燃料を搭載でき航続力が伸びる。

 燃料搭載量を増やせば、航続力が伸びるが、爆弾は搭載できない。

 このリアリズムは、防御の強化であっても同じだ。


 もし、ラバウルからの攻撃であれば、250キロ爆弾1発しか積めないという状態だったろう。

 ショートランド島のバラレに基地が整備されてなければ、とてもではないが、ソロモンで運用できる機体ではない。

 効率が悪すぎる。


 しかもだ。

 この機体の評価が今一つな理由がまだあった。

 ラバウルから攻撃を仕掛けている以前のままの一式陸攻も、ガダルカナルへの爆撃にはそれほど大きな被害を出していないのだ。

 戦闘機隊の奮戦により、被害が少ないという原因があったとしても、そのような分析はなされない。


 単純に、新型、旧型の比較と言う話に帰結する。それは「大差ないじゃないかという主張に説得力を持たせる」のだ。

 そして、彼自身も陸上基地への爆撃任務であれば、高高度性能に優れる一式陸攻はそれなりに身を守れるとは思っている。

 アメリカ戦闘機の上昇力が例外を除き、今一つであること。

 高高度性能もそれほど高くないことが理由だった。

 ただ、それでも今後の陸攻の開発は、このような防御が必須であろうとは思う。

 今は、戦場と機体特性が上手くかみ合っていないだけだ。


 この周囲を護衛する2号零戦(32型)にしても、1号零戦(21型)より搭乗員の評判はいい。

 中には「これに乗ったら、もう1号零戦には乗れないな」とまで言う搭乗員もいるらしい。

 その性能の上昇した理由の幾分かは、搭載燃料を減少させたことにある。


 つまり、島嶼間が長距離となる航空戦では、使い勝手の悪い機体という評価になりかねなかったのだ。


 要するに戦場の実情に合わねば、どのような性能も意味はないということになる。

 兵器もまた機械装置であり、仕様で想定された環境以外では、何かしらの齟齬が生じる。

 それは当然のことであった。

 

 ただ、今後の戦場は防御の無い、鈍重な機体は生き残れない。

 そう井本大尉は考えていた。その意味では、この陸攻は応急改造的ではあったが、正常進化の機体だ。


 その思考を遮る声があがる。


「妙に、上りがいいような気がします。あのグラマン」


 副操縦士の言葉だ。

 井本大尉も同じ感想を持った。

 ゴマ粒のような大きさのグラマンが、大きく距離を詰めている気がした。

 新型機なのではないか?

 その考えが一瞬頭によぎる。ただ、情報部門からはそのような報告は入っていない。


 今回のアメリカ軍の補給作戦により、周辺で空母が活動している可能性は指摘されていた。

 その空母に、新型機が搭載されている可能性はゼロではなかった。


「中翼ですね。相変わらずのグラマンF4Fにしか見えませんが……どうも、機動が速い気が……」


 副操縦士が困惑したような声で言った。

 彼は視力に優れていた。その彼が特に機体の外見に変化を見つけられない。

 やはり、以前と同じグラマンだろう。


 ただ、井本大尉はその機動になにか、不気味な物を感じていた。


「頼むぜ」


 彼は視界に映る、日の丸の翼を持った戦闘機を見つめてつぶやいた。


        ◇◇◇◇◇◇


 一式陸攻が高度を上げてきた。

 零戦も高度を上げていく。

 一式陸攻は、双発爆撃機としては、かなり高高度性能の良い機体だと聞いている。

 実際、8000メートル以上から侵入することで、敵戦闘機の攻撃を振りきることを何度か見ている。


「まあ、対艦攻撃じゃそうもいかないけどな」


 清水少尉は接近してくるグラマンを見つめ、歯を食いしばり、操縦桿を握りしめる。

 自分の中の凶暴な何かが、自分を食い破り、敵にそのまま突っ込んでいきそうになる。

 そんな、自分をまた、冷めた目で見ている自分もいた。


 性能が上がったこの零戦32型を思う存分、ぶん回してやりたい思いはあった。

 しかし、中隊長の命令は絶対だった。

 陸攻を守るため、空間を空けないこと。 

 直掩方式というヤツだ。

 その空間に迫ってきた敵機を追い払えばいい。

 逃げる敵ならば追う必要はないということだ。


 機数に余裕があれば、制空部隊と直掩部隊を分けることも出来た。


「いいか。落とすより、落されるな。生き残り、飛び続けることが戦闘機搭乗員としての本分だと思え」


 普通であれば怯懦(きょうだ)に思える言葉であった。

 実際、制空戦闘に比べ、陸攻に張りつく、直掩戦闘による護衛は、戦果を上げにくく、戦闘機搭乗員には評判が悪かった。

 一方、陸攻の搭乗員には後者が歓迎されていた。

 

「いくら戦闘機を落しても、陸攻を落されたら負けだと思え」


 中隊長の口癖のようなものだった。

 清水少尉の中に、反発はないではない。

 自由自在に飛び、敵を叩き落すことが戦闘機の役割だ。


 しかし、軍人として見た場合、この中隊長が言うことには説得力があった。

 実際に、今までも一式陸攻を守りきり、被害を最小限に抑えていたからだ。


 直掩は消極的に見えるが、それは怯懦とはかけ離れた作戦だ。

 それは分かる。清水少尉の操縦桿を握る腕は、汗をかいていた。


 鈴木少佐の指揮は鋼(はがね)の意思を持った指揮官のみが実施できるようなものだ。

 安易に、攻撃はしない。空中を自在に飛び回り、敵を叩き落すような搭乗員は少ない。

 今では、ジャク(未熟練者)が搭乗員の中心だ。

 今残っている熟練搭乗員はなぜか、本土教員配備に就くことが多かった。


 爆撃機の防御方法として、鈴木少佐はとにかく、味方機により空域を占拠する方法を選ぶ。


 それは、自分の持ち場を離れることを許さず、下手な技量のものでもなんとかできるものだ。

 2機一組の編隊空戦も絶対であった。

 任された空域を2機一組で守りきる。敵機を寄せ付けないというものだ。


 戦い方は自然に受け身とならざるを得なかった。


 グラマンは迫ってきていた。

 下から突き上げるような勢いで向かってきている。

 グングンと距離が詰まっていく。しかも、前進するこちらの後ろに回り込む機動を見せている。

  

「どうする気だ? 中隊長さん」


 頑なに一式陸攻の護衛を優先し、全機をへばりつかる。

 24機が緩やかな4機編隊、そして強固な2機編隊で、陸攻の周りを囲んでいる。

 敵機はおそらく30機前後。戦闘機の数としては互角といえた。


 清水少尉は焦れてきた。

 とにかく、かかってくるなら早く来ればいい。

 彼は周辺空域を再度見張る。

 

 現在視認している以外に敵機は確認できない。

 別働隊が上空から、襲ってきたら、目も当てられないことになりかねない。

 ただ、突き抜けるような上空に敵機は確認できない。

 なぜか、そのことに少し残念な思いが湧いてくる。


「早くかかってこい――」


 彼の張りつめた精神は、もはやギリギリのところにあった。


 撃ってきた。

 おなじみの12.7ミリ機銃の曳光弾が一直線に伸びてくる。

 相変わらずの弾道特性の良さだった。


 彼はフットバーを蹴った。

 自分の護る空間、そこでグラマンを仕留めるためにだ。


        ◇◇◇◇◇◇

 

 清水少尉は20ミリと7.7ミリを同時に叩きこむ。

 太い曳光弾の火箭と、細い火箭がグラマンに吸い込まれていく。

 アルミの外板が吹き飛び、ボコボコと大穴があいていく。

 20ミリ炸裂弾頭は、機体のどこに命中しても、敵機に大ダメージを与える。

 この零戦32型で100発入りの弾倉になったのはありがたかった。

 実際には、90発に抑えられていたが、前に型に比べれば1.5倍以上の弾数だ。


 すでに多くの敵機が戦域を離脱していた。

 今のところ、陸攻隊に脱落は無い。被弾した機体はあったが、18機揃って作戦行動が可能だった。


「手強くなってないか―― グラマン」

 

 それでも、清水少尉は、今回の戦いに不気味な物を感じていた。

 今でも、速度、上昇力、加速、火力、機動性――

 戦闘機として重要な項目では零戦が優位にあるように思う。

 しかしだ。

 その差が、確実に縮まっている気がした。

 彼の機体も、胴体に何発か12.7ミリを被弾していた。


「やつら、機体を軽くするため、武装を減らしたのか――」

 

 空戦の中で、清水少尉は気付いていた。

 いつもは翼が火を吹いたように火箭を浴びせるグラマンF4Fの機銃群。

 しかし、あの機体は火力が減らされている。

 機銃は6門から4門になっているようだった。


 その分、機動性は零戦32型に近い物があった。

 21型だった場合、かなり危ないかもしれない。


 彼は周囲を見やった。

 24機の零戦は3機欠けている。

 落とされたのか、はぐれたのか、今の時点では分からない。

 

 一式陸攻は編隊を崩さず、ガダルカナルのルンガ泊地を目指していく。

 戦闘自体は完全な勝利だ。

 

 ただ、もしこれが以前の一式陸攻だったら、護衛が21型であり、しかも制空護衛を選択していたならば――

「もし」や、「かもしれない」は戦場には無い。それは分かる。


 しかし、一つ何かが狂っていたら、大被害を受けていたのはこちらだったのではないかと言う気がした。


        ◇◇◇◇◇◇


「友軍機が勝ったみたいですね」


 中根主計中尉は上空を見上げていった。

 青黒いグラマンは既に空に無く、飛んでいるのは日の丸の翼だけだった。

 

「そうか」


 高波の駆逐艦長は潰れた帽子をここでもかぶりっぱなしだった。


 大破した駆逐艦高波は、ガダルカナル沖の小島、サボ島に座礁していた。

 現在は、とにかく使えそうな物資を陸揚げし、敵襲に備え、陸戦隊の編成を行っている。

 その、物資の管理は、中根主計中尉の仕事だった。


 彼は、高波に装備されていた機銃も分解し、陸に降ろさせた。


 そして食料だ。

 米だけはなんとか、それなりの量を確保できたが、他は何もないといっていい。

 緊急時の保存食や乾燥野菜が気休め程度にあるだけだ。


 軍隊の上陸というよりは、完全に遭難だった。

 こんな、訳の分からん小島に長くいる気はない。


 味方の偵察機は何度も上空を飛んでいる。

 高波が座礁してここにあることは分かっているはずだ。


「早く救援が来るといいのですが……」


 中根主計中尉はつぶやくように言った。

 陸上勤務を希望していたが、ロビンソン・クルーソーみたいな遭難は勤務といわない。


「無線は、通じないのか?」


 高波の駆逐艦長は何度も確認していることを再度繰り返した。


「無理です。緊急のジーゼル発電機はなんとかなりましたが、無線は全く使用できません。復旧のめどもないとのことです」


「じゃあ、奪ってくるか――」


「は?」


 この目の前の潰れた帽子をかぶった男は何をいっているんだ?

 中根主計中尉は凝固したまま、彼を見つめていた。


「やつらの、甲巡もこの島に座礁したはずだ。無線の陸揚げくらいしてるかもしれんぞ」


 中根主計中尉は「正気なんですか?」と言う視線をこの駆逐艦長に向けた。

 なぜか、この上官が海上戦闘中と変わらず、ウキウキとしているような気がした。

 

「中根主計中尉、斬り込み隊を編成するぞ。目的は敵無線機の奪取だ。即、選抜をしてくれ」


「あ…… はい」


 上官の命令には「はい」しかない。

 いやまて、あまりに狂った命令には従わなくていいという規定もあったか……

 しかし、あれは陸軍だったか?

 そもそも、この命令が狂っているという客観的根拠はなんだ?


 生来頭の回転の速い彼は高速であらゆる可能性を同時並行で考える。


「無線を使える者が動けんからな」


「そうですね」


 何気ない言葉に相槌を打つ中根主計中尉。

 海上戦闘で負傷し、通信部門の人間で満足に戦闘できるものなどいなかった。

 いや、高波全体を見渡しても、五体満足な人間が少ないのだ。

 

 それに対し、相手は甲巡だ。1000人くらいは乗っている軍艦だ。


「ああ、キミも斬り込みには、同行だから。緊急事態だからな。無線が分かりそうなのは、他におらん――」


 有無を言わさぬ言葉だった。

 中根主計中尉には、その言葉が不条理の彼方から聞こえてきているような気がした。

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