その87:ラバウル・ソロモン海空決戦 その7
中根主計中尉は、2年間だけ現役の士官として採用される「短期現役士官」である。
これは、帝国大学出身者など、高等教育を受けた人材を海軍が採用し、不足しがちな主計士官などを補充するために作られた制度だ。
彼自身「陸軍の兵舎の平等」を経験するより、士官になれる海軍の方が楽だと思っていたのだ。
「その結果が、これか……」
彼は運び出された九九式歩兵銃とその弾薬を見つめてつぶやいた。
高波は旧式の三五式歩兵銃(三〇年式小銃の海軍用改造小銃)から、最新の「九九式歩兵銃」への更新が行われたばかりであった。
廃艦同然の被害を受け、座礁した駆逐艦高波であったが、陸戦隊を編成するための小銃の多くは無事であった。
さらに、高波からは使用可能な機銃なども取り外されている。
防弾用の鉄板も、下ろされ応急的とはいえ、陣地の構築が行われている。
それは一応は戦争が出来そうな形にはなりつつあった。
「災難だったな」
中根主計中尉は背後からの声に振り返った。
砲術長だった。確か、鈴木という名の大尉だ。
今回の敵甲巡に対する斬り込み部隊の指揮官を務めることになっている。
中根主計中尉も指揮下に入り、斬り込みに参加するのである。
「任務ですから」
中根主計中尉は短く答えた。鈴木大尉はそんな中根主計中尉を苦笑をうかべ見つめた。
彼は、このような命令を出した駆逐艦長は「鬼畜艦長」と呼ぶべきではないかと思った。
ただ、そのような思いを顔に出さないだけの自制心を彼は持っていた。
「結局、他に手はなかろうってことだな」
鈴木大尉は、中根主計中尉の心中を察したかのように語った。
「そうですけどね」
中根主計中尉にも分かっている。
「それにしても、駆逐艦長の発案は――」
「それ以上言わないのが、士官の嗜みってやつだ」
言いかけた中根主計中尉の言葉を鈴木大尉の言葉が遮った。
「はい。確かにその通りです」
中根主計中尉は、まだ自分のなかに娑婆っ気が残っていたことに複雑な思いを持った。
彼はすでに海戦を二度経験している。
一度目は、潜水艦に体当たりする戦闘だ。
二度目は、敵重巡洋艦部隊に対し単艦で突撃する戦闘だ。
そして、今回、敵に対する斬り込み突撃を行う。
狂気の沙汰だ……
なぜ、こんなことになってしまったのか……
その結論に至る理屈は理解できたが、納得できるかと問われるとそれは別であった。
当初の作戦目的は、座礁したアメリカの重巡洋艦を襲撃し無線機を奪うことだった。
そして、友軍と連絡を取り、救援を求める。
早急に、この島を脱出しなければ、食糧が持ちそうになかった。
艦内から運び出された食料はあまりに少なすぎた。
そして、負傷者も多い。
すでに、負傷者の中から、力尽きる者が出始めている。
中根主計中尉は、このままこの島でジッとしていて友軍が動く可能性はどの程度のものか計算する。
ガダルカナル周辺には敵空母が存在している。
悠長に、船を出して救出するにはあまりにも危険な海域だった。
友軍機は飛んでくるので、高波の座礁には気付く可能性はあった。
ただ、それから、現実に乗員救出まで動きだすのにどれだけの時間がかかるのか。
彼自身、海軍とは巨大な役所であり、弾一つ動かすにも書類が必要であることを思い知っている。
軍隊とは、膨大な書類で動く組織だ。そして、それは戦争になれば、更に増加する。
だからこそ、中根主計中尉のような短期現役士官が必要とされているのだ。
「我々には時間が無いということにつきますか」
「まあ、ドンパチやらかせば、上が動く可能性も大きくなるだろうってことだ」
無線機の奪取はあまりに現実性がないということで、他の士官からも反対意見がでた。
敵無線機の大きさも、操作方法も分からない。また、無線機が搬出されていない可能性もある。
駆逐艦長はこの意見を一応は受け入れる形となった。
しかし、斬り込み隊編成は中止にはならなかった。
結局のところ、現状を放置しておけば高波の乗員は全滅してしまうということだ。
現状を放置しておくわけにはいかないという点では、駆逐艦長の作戦に反対した士官も同じであった。
その結果、アメリカ巡洋艦から、食糧、できれば医療品を奪い取るという作戦が実行されることになった。
更に、ここで戦闘行動を行うことで、友軍に自分たちの存在を明らかにすることも出来る可能性があった。
敵の無線機が無事であれば、その報告がなされるはずだからだ。
そして、この海域の動きを注視している海軍は、高波乗員の存在に気付くだろうということだ。
つまり、ここでの無茶な戦闘行動は、高波の存在を伝えるという意味が大きかったのだ。
その理屈は中根主計中尉にも分かる。
しかし、自分が斬り込み隊に選ばれるというのは、どうにも納得がいかなかった。
駆逐艦長は「物資の管理は君の職務ではないか?」と軽く言った。
敵の物資を奪うことまでも主計士官の任務の範疇に入るのか?
反論すべき言葉は思い浮かぶが、怯懦(きょうだ)と思われずに反論する方法が思いつかなかった。
(くそ、こんどこそ安全な後方の根拠地あたりに転属を願う)
中根主計中尉は、固く誓う。
この斬り込みで自分が死んでしまうという想定は無い。
その意味で彼は、とことん自分の運命に対しては楽観主義者であったのかもしれない。
生きることを諦めないという意味では、かなりしぶとい人間だった。
しかし、作戦自体は厳しい。
敵は甲巡(重巡洋艦)だ。
乗員は1000人近くいるのではないかと思っている。
それに対し、小銃で武装した20人足らずの戦力が突撃するのだ。
あまりにも、無謀であることは確かだった。
「状況は厳しいです」
彼は胸の中の色々な思いをただそれだけの言葉で表現した。
「まあ、そういうことだな」
鈴木大尉は答えた。
そして、懐からタバコを取り出した。「光」だ。
くちゃくちゃに潰れた箱だ。
鈴木大尉は、中根主計中尉にも勧める。
「自分は吸いませんので」
「そうか……」
鈴木大尉はタバコに火をつけ、それを吸い込んだ。
「しけっちまった味がするな」
彼は紫煙とともにその言葉を吐いた。
◇◇◇◇◇◇
重巡洋艦ミネアポリスでは、座礁した艦からの物資の運び出しが行われていた。
機関が停止。発電も出来ない状況になったのは、高波と同じであった。
食料品の多くが海水につかり、生鮮食料品の大部分がダメになった。
肉、野菜などは運び出され、腐ってない部分をそぎ落とし、全てスープにしてその日のうちに消費した。
意外に豪華な食事であったが、「死刑囚の食事」を連想した乗員も少なくは無かった。
「艦載機の無線機が無事だったのは幸運だったな」
ミネアポリスの艦長は言った。彼の頭には包帯が巻かれていた。
頭の傷というのは深手に見えることが多い。
彼は頭部に裂傷を負っていたが、血が止まりさえすればどうということもなかった。
彼の言葉は、本来の意味では正確ではなかった。
搭載していた艦載機は飛行機としてはスクラップとなっていた。
当然、そのままでは使用できる無線機は無かったのである。
しかし、4機の機体の部品を集めることで、なんとか使用可能な無線機が出来た。
「救援に向かう」という返答は得たが、細かな内容については、連絡が無い。
艦の無線機は、完全に破壊されてしまっている状態だ。
使用可能な無線機があったというだけでも幸運と思わねばならなかった。
「600人近くの人間がいますからね」
士官の1人が言った。
要するに、これだけの人数を救い出すにはそれなりの準備が必要だという意味だ。
ミネアポリスには700人以上の乗員がいた。戦闘により100人以上が戦死。その数倍の負傷者が出ている。
まともに動けるのは300人前後というところだった。
「ガダルカナル基地に近いのが、救いと言えば救いか……」
ミネアポリスの艦長はそう口にしておいて、内心では本当に救いかどうかの疑念も浮かぶ。
基地からの航空機運用が可能になれば、状況は大きく変わるだろう。
しかし、現在のガダルカナルは、補給に苦しむ第一海兵師団がいるだけだ。
魚雷艇が少数配備されているらしいが、魚雷艇でこの人数を脱出させるのは大変だ。
15隻以上は必要になるだろう。
他にも駆逐艦、潜水艦を使用した方法が思いつく。
しかし、どれにしたところで、今のアメリカ海軍にとっては貴重な戦力だった。
重巡ミネアポリスは、駆逐艦高波が同じ島に座礁したことを知らなかった。
自身の戦闘行動に必死で、戦力外となった敵駆逐艦など構っていられなかったからだ。
2艦が座礁した場所は離れており、少なくともその場所から、敵艦を視認できることはなかった。
先に座礁した高波は、後からやってきたミネアポリスの存在を知っていた。
しかし、ミネアポリスは高波の存在を知らなかった。
この意味は非常に大きかった。
兵が駆け足で、艦長のところまでやってきた。
敬礼をして、彼は報告する。
「通信がありました。救出部隊が来ます」
ミネアポリスの艦長は通信兵の報告を聞き、ねぎらいの言葉をかけた。
兵はまた、駆け足で戻っていく。
我が祖国は絶対に、国民を見捨てたりしない。
そのことを彼は誇りに思った。
しかしだ――
「魚雷艇で、夜間収容になるのか――」
40ノット以上の高速が出せる魚雷艇で、夜間の内に救出を終わらせる。
これはこれで、合理的な結論だとミネアポリスの艦長は思った。
ただ、ミネアポリスに装備されていたボートは大部分が損傷し、まともに使用できるものが少ない。
駆逐艦での救出であれば、このような問題は発生しなかっただろう。
魚雷艇による救出は、こちらの負傷者の多さを考えると、かなり手間のかかる作業にはなりそうだった。
「搭載ボートの、点検を行え。修理可能な物は、出来うる限り修理する」
彼は部下に命じた。
◇◇◇◇◇◇
「ガダルカナルの占領ね……」
「軍令部では、そのような意見が台頭しています」
黒島先任参謀が言った。
アメリカ軍が侵攻してきたガダルカナル島。
史実ではここで血みどろの戦いが陸海空で続けられ、被害で言えば日米ほぼ互角の戦いとなった。
アメリカも何度も瀬戸際に追い込まれ、撤退を考える寸前まで追い詰めたこともある。
しかし、結局日本にとっては、この島は遠すぎた。
もし、ちょっとした歯車のかけ違いで日本が占領できたとしても、それを維持するのは難しかっただろうと思う。
そもそも、ガダルカナルで消耗戦をしなければいけない理由など何もないのだ。
現在、基地の整備も進んでいないアメリカ軍を叩ける状況にある。
このまま、敵に出血を強いる方が、ずっと効率的だ。
『まあ、そう言う考えが出てきて当然だろうな』
俺の脳内で本物の山本五十六がつぶやいた。
『アメ公など叩き潰して、糞マリーンなど、全員地獄に叩き落してやるのだ!』
女神が脳内で絶叫する。うるさいよ。考えに集中できないから。
「却下だ。ガダルカナルまでの補給は今の聯合艦隊では無理だ」
「そうですな」
黒島先任参謀は頭の回転は速い。その点の定量的な理解は出来ていた。
史実では、戦争末期に狂気の特攻兵器を創案する彼であったが、まともな戦略環境では、十分に有能な参謀だった。
ただ、彼に作戦を立案させると、あまりにも細かい作戦を立てるので要注意だ。
「しかし、空母部隊が再建されれば、それを遊ばせておくわけにはいきますまい」
宇垣参謀長が言った。相変わらず手帳を広げ何か書いている。
君の日記のネタのために、空母決戦するわけにはいかないから。
「数だけ揃っても、航空隊はまだ錬成の途上だ。作戦には耐えられない」
日本の正規空母は7隻に対し、アメリカは2隻。
小型の空母まで含めれば、その差がさらに開く。
『なあ、もう一度、真珠湾やるかい?』
脳内の山本五十六が言った。からかってるのか?
そんな、機材と人員の消耗が激しそうなことできるわけがない。
まるで、俺を試すかのような言葉だ。
「空母部隊は錬成がなったら、ソロモン、ニューギニア方面で、交通遮断作戦に投入する。特に、ガダルカナルを封鎖する」
史実のガダルカナル戦でもアメリカが、苦戦したのは日本海軍の空母部隊による、ガダルカナルへの交通遮断だった。
空母がそこに存在するというだけで、輸送が極めて困難になるのだ。
これをやれば、今ならアメリカに対抗する手段はない。
『確かに、あちらさんが嫌がりそうな手だ。性格が悪いな――』
『もったいないのだ! 空母はもっと、敵艦にぶつけてバンバン敵艦を沈めるのだ! 輸送船狩りなどつまらんのだ!』
俺の脳内がすごく煩くなった。どーなんだよこれ。
これから進める、軍令部や、海軍省相手の仕事、本当にきちんとやってくれるのか?
大丈夫なのか?
『ま、軍事作戦はオマエさんにまかせるよ。俺は、俺で色々動くからな』
まるで俺の思考を読んだように、本物の山本五十六が言った。
とにかく、大日本帝国がこの戦争を史実よりマシな形で終わらせるのは、時間が必要だ。
そして、ドイツが敗北した時点で、かなりの戦力を維持している事。
これが必須なんだ。
ソロモンで、相手に出血を強いれば、それだけで時間が稼げる。
第一海兵師団を、釘付けにできる。または、部隊として壊滅できれば、その意味は大きい。
その時間を使って、島嶼の内戦防衛ラインを固めることが可能になるんだ。
「インド洋への投入を検討する声もありますが?」
渡辺参謀が言った。
「意味は無い。却下だ」
本当は意味がある。
イギリスが苦境に陥り、ドイツが粘ることが可能になる。
そうなると、ドイツの敗戦のタイミングが遅れるかもしれない。
日本の都合ではあるが、ドイツにはとっとと負けて欲しいのだ。
少なくとも史実のタイムテーブル通りには。
その後のソ連と西側諸国の対立が欧州で顕在化することが日本の利益になるからだ。
いや、利益になるように政治的に動く必要がある。
このタイミングは早ければ、早いほどいい。
欧州戦線で大量の血を流したソ連は、過大な要求をしてくる。
周辺国家を衛星国として、不気味な存在として欧州に影響を与える。
後はもう、軍事作戦のレベルじゃない。
いかに、政治的な決着点を見つけるかどうかだ。
国内外に問題は山積みだろう。
しかし、この状況を軍事的にまずは作りださないとどうにもならない。
俺はただ、それを目指してやっていくしかないのだった。
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