その79:ラバウル・ソロモン海空決戦 その1
「陸海軍の通信体制の整備は可及的速やかに対応を実施するということで……」
宇垣参謀長の発言が続いている。
ここは、戦艦陸奥の聯合艦隊司令部、作戦室だ。
問題は陸海軍の情報共有のまずさから、敵の空母を逃がしてしまったことだった。
まず、ポートモレスビーに進出した陸軍航空隊の哨戒活動中の1機が敵空母を発見。
その情報が海軍航空部隊に到着したのが4時間後。
電信情報がどこで滞留したのかは、今後の調査次第だ。
しかし、情報の優先順位について、陸海でなんの摺合せもしてないというのが問題だった。
「空母発見」という海軍にとっては最重要と思われる情報が陸軍内の情報整理の中で埋もれてしまったのだろう。
結局、日没直前にポートモレスビーから出撃した水偵隊、ラバウルから陸攻隊、ラビからの二式大艇。その全てが接敵に失敗。
敵空母を完全に見失ってしまっていた。
「少なくとも米軍はこの方面に空母を配備したという事実は確認できたわけだ」
俺は地図を見つめて言った。
ポートモレスビー沖海戦で、今や稼動中のアメリカ空母は1隻になっている。
大和田通信所の情報解析データによれば、そいつはヨークタウンだ。
こいつは、80機以上を搭載できて33ノット以上を発揮するバリバリの正規空母だ。
ただヨークタウンは現在真珠湾方面にいるらしいのだ。
「アメリカの新型空母ですかな…… エセックス級――」
黒島先任参謀が、最悪の想定を口にした。
史実では1942年末に1番艦が就役する、第二次世界大戦におけるアメリカ最優秀空母。
それが「エセックス級」だ。
史実では、大破して喪失寸前までいった艦はあったが、沈没した艦はない。
制海権・制空権が完全に米軍の方にあって、じっくり修理できる時間的余裕があったというのもある。
それを差し引いても頑強な空母であろう。
トップヘビー気味である点が指摘されてはいるが、空母としての完成度と言う点では、完成時では世界最高の空母だろう。
「いくらなんでもそれは早すぎるだろうと思う……」
俺は色々と考えた末言った。
1942年末に就役する空母の工期をいきなり5か月近く短縮して完成するのは、いくらアメリカといえど、考えづらい。
「となると、軽空母ですか」
三和参謀が言った。
彼が言っているのは史実の「インディペンデンス級空母」だ。クリーブランド級の船体を利用した軽空母。
艦隊用空母として十分に活動できる性能を持つ。史実の就役は確か1943年の初めごろか……
ただ、船体が小さい分、工期の圧縮は可能かもしれない。
「可能性はあるが、断定はできない」
相次ぐ空母喪失に対し、アメリカが工期を繰り上げ、軽空母を先に送り出してくる可能性はあると思う。
それにしても、陸軍の報告が「空母」というだけで、他がよく分からない。飛行甲板にびっちり飛行機を並べていたらしい。
となると輸送任務だ。
「護衛空母の可能性が一番高いのではないかと思う」
「護衛空母ですか…… まあ、それなら案ずるほどのこともありませんな」
宇垣参謀長はそういうと、手帳に何か書いた。俺には手帳と言うよりネタ帳にしか見えなくなっている。
とにかく、俺の頭の中の結論としては、「護衛空母」というのが一番正解に近いのではないかとは思っている。
戦時商船改造型の空母は、これから週刊ペースで出てくるわけだ。
1隻1隻の性能は雑魚だ。18ノットの速度に30機前後の搭載機。
防御力も低い。
性能的には、宇垣参謀長の「案ずるほどのことはない」ってのは分かる。
しかしだよ――
コイツが10隻集まったらどうだ? 運用機は300機になる。
今、こっちで作戦行動中なのは、ラバウルを起点に、活動している赤城、隼鷹、瑞鳳、祥鳳の4隻だ。
搭載機は160~170機くらい。
ソロモン方面で、敵補給線を叩くことに専念させていて、成果はそこそこ出てはいる。
しかし、週刊護衛空母が護衛に就きはじめたら、そう簡単に戦果は上がらなくなる。
ああ、多分、海軍航空隊の本能として、商船よりも「護衛」とはいっても「空母」第一目標にするだろうなぁとも思う。
護衛空母が配備され出すことを考えると頭が痛い。
いや、この先、もっと頭が痛くなるわけなんだが。
「軍令部からは、FS作戦、再開の声が上がっています。翔鶴、瑞鶴の戦線復帰時期を見越してですが」
亀島先任参謀が探る様な目でこちらを見つめる。
「ソロモンで攻勢? 無理だろ」
「無理ですね」
俺の意見を首肯する黒島先任参謀。俺を試すかのような質問だったんだな、やはり……
ソロモンの空海では、日米が投入可能な戦力の中で、激闘を続けている。
お互いに戦艦部隊が傷つき、空母も消耗。
そこで、行われているのは重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦などの高速艦艇による打撃戦。
そして、島嶼の航空基地によるぶん殴りあいだ。
更に、その後方の補給ラインをお互いが寸断すべく、動いている。
潜水艦、仮装巡洋艦。
こちらは、正規空母まで投入し、補給ラインと島嶼基地を遊撃戦的に叩いている。
日本海軍は、なんとかラバウルの前哨基地ともいえるブイン、バラレ、タロキナに基地を設定したところだ。
ラバウルを起点に縦深のある航空基地が出来つつある。
史実では滑走路だけ造って、掩体などの施設や補修設備がないため、地上で損耗する機体が非常に多かった。
掩体壕の整備、機体の整備、造修の工作部隊も送り込んでいる。
飛行艇も配備して、搭乗員救出には、力を入れさせている。
このため、補給もかなり大変なことになってはいるが、制海権、制空権内の輸送であるので、今のところは大きな破綻はない。
アメリカもツラギ、ガダルカナルに上陸した。史実とそう変わらない日程だ。
1942年8月現在――
史実では、ウォッチタワー作戦が発動され、日本軍が設営を進めていたガダルカナルの飛行場が奪われた。
そこから、血みどろの消耗戦に突入。海と空ではほとんど互角の殴り合いをしたわけだ。
一時期はアメリカを土俵際まで追い込んで、ガダルカナル撤退まで考えさせた。
しかし、結局日本軍は大量の餓死者を出して、1943年2月に撤退。
ここでの戦闘が、太平洋戦争の行方を左右した天王山と言われている。
この戦いで日本海軍は航空戦力を消耗してしまう。
1942年8月から1943年4月までで、月間平均約400人の搭乗員を失う。
更にだ、1943年11月「ろ号作戦」をやった月には700人以上の損失を出しているわけだ。
こんな、消耗をしながら、よくマリアナ沖海戦で、空母機動部隊を再編できたな、と思うくらいだよ。
ちなみに、機材の消耗も負けず劣らずだ。戦闘よりも事故損失などの非戦闘時の損失が半分以上だが。
で、今回はやらない。こんな航空消耗戦はやらない。
絶対にやらない。
ガダルカナルに基地を造りたいという現地部隊の要望は即時却下した。
ポートモレスビー攻略でそれどころではない、ということもあったし。
その結果、アメリカはガダルカナル、ツラギに無血上陸。
というわけで、今は、それらの基地が機能する前に、ガンガン攻撃を仕掛けている最中だ。
史実ではラバウルから、零戦を飛ばし、搭乗員を疲弊させた。
今回は、ブイン基地が既に整備済だ。史実程の負担もなく連日ガダルカナルに攻撃を仕掛けている。
21型より格段に性能の上がった32型を使えるのも大きい。
翼端は丸く再設計したので、史実の52型の推力式単排気管がない物に近い形に仕上がっている。
そのせいかしらないが、最高速度は史実の時速544kmから軽く550kmを超える機体になった。
21型の弱点だった、横転性能の悪さもかなり改善している。
機銃の弾数も100発に増えている。
基地の整備。
支援体制の強化。
機材の充実。
無理な作戦は実施しない。
出来ることはやった。
補給は大変だが、それはアメリカも似たようなものだ。
俺は知っている。あちらも、それほど楽な戦争はしてないことを。
少なくとも1943年までは……
とにかく、アメリカに徹底的な人的被害を与えること。
それが、ソロモン方面における航空作戦の目標だ。
「ソロモンではこっちの出血を最小限にする。とにかく敵に出血を強いることだ」
俺は再三言っていることをここでも繰り返した。
「しかし、あまりに防御的な姿勢は、敵を勢いづけ、士気が落ちる可能性も……」
宇垣参謀長が言った。無表情な顔の裏に「見せ場がないと日記の内容が盛り上がりに欠けるんですが」とあるような気がした。
まあ、そう見えただけだけど。
◇◇◇◇◇◇
ソロモン海の闇の中、船首の波が海面を明るく染めている。夜光虫だった。
高速で進む艦隊の起こす波が光を帯びている。それはある種幻想的な光景だったかもしれない。
第二水雷戦隊。
日本海軍の研ぎ澄ました刃ともいえる存在だ。
敵の戦艦のどって腹に魚雷を叩きこむため鍛えられた切っ先。
その敵主力艦攻撃能力では、世界でも比肩するモノが無い強力な水雷戦隊だ。
しかしだ――
本来、彼らが獲物とすべき戦艦は、ほとんどが、海の底か、ドックの中にある状況だった。
(これも、また一つの戦い方か)
闇をジッと見つめる男はそう思った。
第二水雷戦隊司令官、田中頼三少将だった。
大正期に造られた5500トン型の軽巡五十鈴の艦橋に坐していた。
新鋭の駆逐艦9隻を率いて、単縦陣での航行だった。
彼らの目的はアメリカ軍が建設中の、ガダルカナル基地に対する砲撃だった。
12.7サンチ砲×54門。
14サンチ砲×6門(片舷発射)
陸上砲撃で考えれば、かなりのものと言える。
すでに、重巡以下の艦艇による艦砲射撃は何度も行われていた。
通信傍受の結果、アメリカ軍はこの高速艦艇による砲撃を「東京エキスプレス」と呼んでいることが分かっている。
敵ながら、センスのある名前だと田中少将は思った。
五十鈴が波をかぶり大きく揺れた。
艦首が波で洗われる。
「駆逐艦の方がスイスイ進むな」
「まあ、最新鋭ですから」
田中少将の言葉に、副官が答えた。
確かに前衛として進んでいる3隻は夕雲型の最新鋭駆逐艦だ。
実際に、凌波性能では、この5500トン型の軽巡は今一つだった。
水雷戦隊旗艦としての性能不足から、新しい軽巡洋艦が整備されているとは聞いている。
しかし、海戦の様相に適合しているのかという思いが彼の中にあった。
軽巡や駆逐艦は飛行機の一発の爆弾で戦闘力を喪失する可能性がある。
中々、戦争というのは、当初考えていた通りにはならぬものだと思う。
その思考が電話手の叫ぶ声で遮られた。
「高波より緊急電! 敵です! 敵艦隊、50度、距離8000!」
五十鈴の艦橋内が緊張感に包まれる。
多くの要員がその方向を見やった。しかし、濃い闇しか見えない。
鍛えられた見張り員だからそこ、その距離で見つけることが出来たのだろう。
「全軍突撃――」
田中少将は命令を下した。そこには何の気負いもない。まるで、八百屋に買い物を頼む様な口調だった。
ただ、その顔にかすかな愉悦が見えた。
間近にいた副官だけが、その表情に気付いた。
恐るべき・田中――
ソロモンを巡る海戦で、アメリカ海軍にそう称されることになる田中頼三。
その、恐怖の提督が動きだした。
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