その78:キ45改 対 グラマンF4F-5

 余剰馬力の大きさは、双発機とはいえ俊敏な機動を可能としている。

 実際に、上昇力は以前乗っていた97戦を大きく上回る。


 このキ45改であれば、米海軍機であっても互角以上に戦えるはずだ。

 菊池少尉は操縦桿を強く握り、そう考える。


「敵F4F、グラマン」


「了解」


 小笠原軍曹の声が伝声管から聞こえた。

 菊池少尉も機種の判別はできていた。

 本土防空隊であった彼にとっては、米軍機と対戦するということが初めてだった。

 97戦時代に、大陸で国民党空軍との空戦は経験している。

 しかし、アメリカ海軍が国民党空軍以下ということはないだろう。

 ただ、こちらの機体も97戦以上の性能を持つキ45改だ。

 しかも、高度の優位はこちらにある。


「敵の上がり(上昇力)がいいですね」


 小笠原軍曹の声が聞こえた。

 確かに菊池少尉もその点は気になっていた。

 彼は南方の各基地で、海軍の主力機である零戦の上昇を何度か見ていた。

 海軍の機体は陸軍より上等なのか、すごく上がりがいいと思っていたのだ。

 このグラマンの上昇力も零戦に引けをとらないのではないかと思った。

 

「一撃を加えて抜ける」

 

 菊池少尉は短く伝えるとフットバーを踏み込む。

 機体はその操作に応え、鋭い機動をみせる。


「なんで、後部機銃を外したのか……」


 ぼやくような小笠原軍曹の声が聞こえた。

 当初、計画されていた後部の7.7ミリ旋回機銃は、実戦配備機では外されていた。

 旋回機銃の命中率は一般に固定機銃の7分の1といわれる。

 しかも7.7ミリの豆鉄砲では威嚇程度にしか使えない。

 威力の少ない、そして当たらぬ機銃を積むより、少しでも軽くして機動性を上げる。

 菊池少尉はそれが正解だと思っている。

 キ45改は戦闘機なのだ。

 小笠原軍曹には悪いが、そんなものはこの機体にはいらない。


「キ45改なら負けない」


 菊池少尉は獰猛な笑みを浮かべその言葉を放っていた。


        ◇◇◇◇◇◇

 

 最大1200馬力を叩きだす、ライトR-1820-40は快調だった。

 以前より200キログラム以上軽くなった機体をグングンと引っ張り上げる。

 3000メートルまでの高度の上昇率は毎分800メートル以上を叩きだす。

 これは、F4F-4の倍に近い。


「敵機、背後に向かっている」


「分かっている」


 バーン中尉の声に、ノット大尉は答える。


「後ろを頼むぞ」


「了解」


 ノット大尉はこちらの背後に回り込むような機動をみせる日本機を見た。


(舐めるなよジャップ――)


 2機の相互援護による襲撃。

 しかも、性能の向上したF4Fだ。

 いかに、ジャップの双発機が高性能であっても――

 仮に陸軍のP-38クラスの性能機であっても、負けるはずがない。


 2機編隊の襲撃ということで、バーン大尉はふとあることを思い出した。

 ジーク相手に、2機が連携しお互い進路を交差させるような機動を行って、対応するという案があったらしい。

 まるで、機織り(ウィーブ)のような機動だ。


 ただ、提案した少佐が、それを実証する実験中に僚機と衝突。

 そして、僚機のパイロット共々、殉職してしまったらしい。

 そもそも、提案した本人が事故を起こすような困難な機動など、今の海軍のパイロットたちに出来るわけが無かった。

 何という名前の少佐だったか……

 まあ、なんとかジャップに勝ちたいという気持ちは分かるが、あまりに実態にそぐわない。

 仮にそのような戦法が採用されたとしても、実施できるのは、限られたパイロットだけだ。

 しかも、常に僚機との衝突の危険と背中合わせなのだ。


 単純な後ろを守り、そして長機の機動についていく。

 それだけでも十分だ。


 上空からジャップの機体が突っ込んできた。速い。

 優位な高度からの機動だから当然だ。

 操縦桿を目いっぱい引く。フットバーを蹴飛ばす。

 空と海が傾き、強烈なGのかかる機動(マニューバ)。


「なんだ! コイツ」

 

 バーン中尉の叫びが耳朶を打つ。

 後方を振り返るノット大尉。

 真っ赤な凄まじく太い火箭が、敵機の機種から伸びてきていた。

 バーン中尉の機体のすぐそばを通過している。

 彼の機体は素早く横転し、降下した。

 マニュアル通りの機動だ。 


「チッ!」

 

 ノット大尉は舌打ちをした。

 今の一撃で明らかに連携が分断された。

 なんで、ジャップは戦闘機に、どでかい機関砲を積みたがるのか。

 ジークも銃撃というよりは、砲撃といったほうがいいような攻撃力を見せる。

 しかし、この機体はそれ以上だ。

 太い塊となった炎の矢を投げつけてきやがる。

 ノット大尉はコクピットの中で呪いの言葉をダース単位で吐きだしていた。


「叩き落してやる」


 機銃発射ボタンに指をかけ、機体を突き上げる。

 45度のバンクから斜め後方に虚空を切り裂くような機動(マニューバ)を仕掛ける。

 唸りを上げるライトサイクロン・エンジン。

 

 獰猛なヤマネコのがその爪を露わにした。


        ◇◇◇◇◇◇


「外した! くそが! 遠すぎたか!」


 九九式20ミリ二号機銃三型、4門がまるで1本の太い槍のような火箭を吐きだした。

 機首に集中配備された大口径機銃だ。


 発射の反動で機体がビリビリと震える。

 しかし、その一撃は外れる。銃撃されたグラマンF4Fは、横転して降下していく。


 以前より直進性の増した20ミリ機銃(陸軍では機関砲)であったが、さすがに距離が遠すぎた。

 

(焦ってるのか、俺は……)

 菊池少尉は思う。

 確かに航空帽の中の髪はいつの間にか汗で湿っていた。

 

「敵2番機離脱!」


 小笠原軍曹の声。


「後方をよく見張れ、空母の動きも注視しろ」


「了解であります!」

 

 ビシッとした声が響いた。

 菊池少尉も頭を振って、敵空母を視野にいれる。

 特に動きはない。これ以上機体が上がってくる様子はなかった。


 こちらが銃撃したグラマンF4Fは、高度を下げ、水平飛行に移っていた。

 かなり下がったので、再び上がってくるまでは時間がかかるはずだ。

 

 銃撃は無駄ではなかったか――

 やはり、機関砲で撃たれるというのは、敵を怖気づかせるものか。

 外しはしたが、結果として2機の連携を乱すことは出来たようだ。

 それは十分に意味のあるものだ。


 菊池少尉は頭を切り替え、先行して飛んでいる方に目標を切り替える。

 高度の優位はまだこちらにある。

 過速になりすぎないように、注意し敵を射撃圏内に――


「なんだ! こいつ!」


 唐突だった。

 グラマンF4Fは、斜めに旋回すると、こちらに向かって反転上昇してきた。

 その機動は、敵ながら見事というしかないものだ。


(トラのを尾を踏んだか――)

 一瞬思う。その考えを振り払うと同時にフットバーを蹴飛ばした。

 機体が横転し、横方向に急速に旋回する。

 この機体が戦闘機であることを十分に感じさせる機動だった。

 以前の97戦のように手足のように自由に動かせるという感じはない。

 強烈な馬力で振り回されるような機動だ。


 低高度にあったグラマンF4Fは、そのまま加速し高度を上げてく。

 菊池少尉は、機体を突っ込ませた。グンと加速する。過速気味かと思ったが、それしか手が無い。

 高度の優位を利用し、加速する。

 位置エネルギーを運動エネルギーに変換するキ45改。

 軽量化された機体により、十分な余剰馬力で、高速機動を行うグラマンF4F。


 南海の空に波形のような機動で2機が絡み合った。

 お互いに優位な位置を取ろうとするキ45改とグラマンF4F。


「敵、背後に来ます!」


 伝声管から叫ぶような小笠原軍曹の声。

 背後を取られた。

 海軍のバカ野郎が。

 なにが、2対1でも楽勝だ。

 お前ら、そんなに強いのか?

 菊池少尉は、この状況になぜか海軍に対する怒りがわいてきた。

 自分たちの腕が海軍に劣るわけがなかった。

 しかも、自分が操っているのは、バリバリの新鋭機だ。

 南方に配備された海軍の主力機である零戦よりも速いし、武装も強力だ。


 操縦桿を倒す。気もちの悪いマイナスGで胃が持ちあがる。

 フットバーを蹴飛ばし機体を横転させる。

 空と海がひっくり返る。

 2000馬力のパワーダイブ。

 スロットルを限界まで叩きつける。

 エンジン回転数を示す針がギュンと動く。


 機体がギシギシと軋み音を上げる。

 構わなかった。


「敵! 撃って――」


 ガガガガッ――


 機体が震え、小笠原軍曹からの伝声管の声が途切れた。

 菊池少尉は振り返った。

 敵のアイスキャンデーのような曳光弾がこちらを包み込んでいた。


「無事か! 軍曹!」

「大丈夫であります!」


 更に機体が震えた。

 翼のエンジン付近。アルミの外板が砕けて飛んでいくのが見えた。

 ガンガンと機体に命中している。

 射撃が上手い。

 まだ、距離はあるはずなのに、敵の弾丸は容赦なく当たっている。

 まるで、こちらの行く先を読んでいるかのような射撃だ。


「もう一機! 来ます!」


 軍曹の声と同時に、再び銃撃だった。

 ガガガガ、と機体が震える。

 先ほど、降下して離脱したF4Fが追い付いてきたのだ。


「うおぉぉぉ!!」

 

 機体を更に深い角度で降下させる。

 グルグルと高度計が回る。 

 海面が近づく。

 思い切り操縦桿を引く。降下で得た速度で反転上昇を行った。

 菊池少尉には、もう2機を相手に戦う気はなかった。

 逃げ切る事しか頭にない。


 海面高度で2基のエンジンが唸りを上げた。

 敵はまだ銃撃を行っているが、命中弾はでなくなっていた。

 徐々にではあるが、距離が離れていく。


 降下してからの水平飛行で速度は600キロ近くを出している。

 海面近くでこの速度は破格のものだ。

 翼がギシギシと言っているが、このキ45改はそれに耐えた。

 

「敵、反転していきます」


 小笠原軍曹の声を聞き、菊池少尉は肺の中に溜まっていた空気を一気に吐き出していた。

 そして、濃厚な空気が肺の中に流れ込んでくる。


「強いじゃないか」

 

 アメリカ海軍の戦闘機は強い。

 2対1の戦いなどとんでもない話しだった。

 何とか逃げ切れたのも、このキ45改の速度と、機体の頑丈さによるものだ。


「大丈夫か? 軍曹」


「危なかったですね。背中の防弾板にガンガン弾が当たってました」

  

 菊池少尉は小笠原軍曹の元気でおどけた様な声を聞いて安心する。

 とりあえず、負傷することもなかったようだ。

 13ミリの防弾板など、無駄に重いだけと思っていたが、撃たれてみるとありがたさが分かった。

 外袋式ではあるが、積層ゴムで固められた防弾タンクも有効なようだった。

 あれだけ銃撃を食らって、火を噴くことはなかった。

 

 なんだか、キ45改の防弾機能の試験を行っただけのような気がしてきた。

 菊池少尉の口元に諧謔を含んだ笑みが浮かぶ。なんとも、ふざけた話だと思ったのだ。


「使い方次第か……」


 頑丈な機体で速度もでる。

 双発機としては、破格ともいっていい運動性を持っている。

 しかし、まともに敵戦闘機とぶつかるのはあまり効率の良い機体ではないのかもしれない。

 確かに空戦は「できる」のだ。それは分かる。

 しかし「できる」と「勝てる」の間には大きな隔たりがありそうな気がしていた。

 

 キ45改は、一式戦2型と同じエンジンを2つ持っているのだ。

 一式戦と同じことをしても意味はない。


 この機体には、この機体の馬力と頑丈な構造を生かした使い方があるはずだろうと思う。

 ただ、菊池少尉は、まだその明確な答えを得ることはできなかった。


 菊池少尉は小さくなりつつあるアメリカ空母を見た。

 最低限、こちらの仕事はした。

 後は、海軍の仕事だ――


 キ45改は蒼空を飛ぶ。

 菊池少尉は自分たちの基地であるポートモレスビーへと機首を向けた。

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