その77:新型F4Fと護衛空母
「見つかっちまったかッ」
吐き捨てるように、トンプソン司令は言った。
そして、帽子をかぶった頭を手で押さえた。
鳶色の瞳が帽子のつばに隠れる。
彼は、この戦闘機輸送隊の司令官であった。
すでに、日本機は視認できる距離に入っていた。
双発機だという報告が入っている。
おそらくは、ベティ(一式陸攻)か……
トンプソン司令は推測する。
クソのようにガソリンを積んで、貧乏くさい音を立て、飛び回るジャップの「ベティ」はアホウのように航続距離が長い。
その分、かなり脆いという話を聞く。
しかし、ソロモン方面では多くの味方が、このベティに沈められている。
厄介な機体だ。
最初に敵を発見したのは、SC(シュガーチャーリー)レーダだ。
50海里(約90キロ)先で発見した。即、欺瞞航路を取った。
「やはり、先に戦闘機を出すべきだったか……」
トンプソン司令は誰に言うともなくつぶやく。
発見される危険性があったのだから、先に戦闘機をだして脅威を排除すべきであったかもしれない。
しかし、この空母でカタパルト発進して、戦闘行動ができるパイロットは2名だけだ。
それも、進出した先で戦闘機部隊の中核となる人材だ。
ここで、失うようなリスクを犯せない貴重な人材だった。
ただ、その躊躇が艦隊全体に大きなリスクを招く結果となっていた。
戦場ではなにが最上の判断であるのかなど、分からない。
としても、十分に失策といえるのではないかという思いが、頭の隅にあった。
「我が艦は輸送任務中です。司令の判断は間違いないと思います」
副官が彼に言葉を掛ける。
トンプソン司令は、まだ潮気の薄い若い士官を見つめる。
「全ては結果次第だ。任務を遂行できるかできないか、それだけが問題だ」
この1機に発見されたことにより、ニューギニア西方にあるジャップの基地からの攻撃が想定される。
さすがに、ラバウルからは遠すぎるとは思うが、油断はできない。
彼は地図を確認する。海図に陸上基地の位置、想定戦力が書きこまれているものだ。
ラエ、ラビ、ブナ、サラモア、そしてポートモレスビーか……
現在確認されている、日本軍の航空基地だ。
以前まで水上機の運用に止まっていた、ポートモレスビーであるが、少数機が進出してきているとの情報があった。
あの機体はポートモレスビーから来たのかと、一瞬思う。
しかしだ。
現在も、ポートモレスビーに対するこちら側の攻撃は続いている。
ベティのような大型機を運用できるまでは、復旧していないはずだった。
となると、別の基地からだが、日本軍のバカみたいに几帳面な哨戒飛行は、時間と範囲が決まっている。
まるで、機械のように正確に、決まった範囲を決まった時間に哨戒しているのだ。
この場所で、哨戒中のベティに見つかるのは想定外であった。
ポートモレスビーで大型機の運用が可能になったという情報は入ってなかった。
日本軍が他の秘密基地を作ったなどという想定はもっとあり得そうになかった。
情報部のミスか……
ポートモレスビーの日本軍は意外に整備されてきてる可能性もある。
だが……
トンプソン司令は頭を切りかえる。
奴がどこから来たのかは関係ない、
そして、今の時点でポートモレスビー基地のことを考えてもどうしようもないのだ。
とにかく、発見されたということは、次に来るのは、奴らの編隊だ。
早急に奴を叩き落とし、できるだけ発見されないように努める。
幸い、日没までの時間はそれほど長くはない。
「ケレマに対する戦闘機輸送は絶対に成功させなければいけない」
この「護衛空母アルガト」に搭載している戦闘機66機をだ。
そして、無事にヌーメアに戻ること。
トンプソン司令はそれだけを考えていた。
いや、今それは64機になったことをその目で確認した。
カタパルトから緊急発進した、新型のF4Fワイルドキャットだ。
2機のワイルドキャットが、吸い込まれるように蒼空に向かって上昇していた。
「さすが、新型ですね。上りがいい」
副官の言葉だった。確かに、その機体は今までにない上昇を見せていた。
ただ、その見事な飛行をする機体、その2機の損失が確実になったのだ。
この空母は、飛行甲板まで輸送する戦闘機で埋まっている。
カタパルトで飛ばせはするが、着艦はできない。
「彼らの救出には万全を尽くせ」
トンプソン司令は護衛についている、第一次大戦の生き残りの旧式駆逐艦にも通達を出す。
パイロットだけは絶対に救わねばならない。
彼らは何よりも大切な存在なのだから。
◇◇◇◇◇◇
「護衛空母アルガト」のオーティズ艦長は、艦をオーストラリアに向かうように見せかけるように航行させている。
しかし、どこまで効果があるかは分からないと思っていた。
トンプソン司令の判断が遅すぎる。
輸送部隊だからといって、中途半端な人材を送り込んでいるわけではないだろう。
ただ、甘い。
2機の戦闘機の損失、いやパイロットを損失することになっても、即攻撃すべきだった。
66機が64機になることを恐れ、パイロットを大事にし過ぎた結果、この護衛空母そのものが危機に瀕している。
彼を愚かな指揮官であるとは思わない。ただ、どうにも土壇場での判断が甘いように思った。
欧州で輸送任務の経験を積んでいるという話だが、潜水艦だけを警戒すればいい大西洋とはわけが違う。
日本の機体はとんでもない距離を飛んで牙をむいてくるのだ。
欧州の戦場では絶対にあり得ないような陸地から離れた海域まで飛んでくる。
商船改造の護衛空母といっても、今のアメリカ海軍にとっては宝石よりも貴重な存在だ。
オーティズ艦長は、この種の艦が戦争の流れを決めるのではないかと思っている。
護衛空母アルガトは、C3型貨物船を改造した空母。
イギリスに貸与(レンドリース)したアヴェンジャー級空母の発展改造型となる。
最高速力は18ノット。搭載できる機体は24機だ。
輸送任務であれば、無理やり搭載もできるが、運用限界は30機にも達しない。
今、この空母をベースに更に量産性を高めた空母が造られていると聞いている。
「そのうち、一週間に1隻が就役するからな」
知り合いの士官がそのようなことを言っていた。
あながち冗談ではないかもしれない。
ルーズベルト大統領は、ラジオで「巨大戦力を作り、日本のファシストを叩き潰す」と宣言していた。
正直、海軍の士気は高くない。
真珠湾で太平洋艦隊の戦艦部隊が全滅。
その間、日本はあっという間に南方資源地帯を占領した。
フィリピンは陥落し、陸軍のマッカーサーは現地に留まりゲリラ活動で抵抗を続けている。
まあ、逃げ帰らなかっただけ、立派な奴だとは思うが、戦争全体を見れば、損得はどうなのかとも思える。
アメリカ陸軍は、完全に欧州戦線に目が行ってしまっている。
そして、政治的な決断で、東京空襲というリスキーな作戦を実施。
その結果、有力な正規空母2隻を喪失した。
エンタープライズとホーネットという、世界最強ともいえる空母の姉妹だ。
更に、政治色の強い作戦を繰り返す。
ソ日国境の島を戦艦部隊で砲撃した。
その作戦自体は成功したが、真珠湾で生き残った戦艦もほとんど全滅だ。
そして、護衛空母2隻が失われた。護衛空母アルガトの異父姉のような存在の空母だ。
一番生々しい傷。
この珊瑚海で、起きた海戦。
まだ、二か月しか経過していないんじゃないか。
レキシントンとワスプがやられた。
そして、サラトガは生き残りはしたが、満身創痍だ。
その時点で、空母と呼べるのは、ヨークタウンだけになった。
このポートモレスビー沖海戦が終わった後、栄光あるアメリカ海軍の稼働空母は事実上ゼロとなった。
欧州にレンジャーがあるが、あちらではあちらの仕事がある。
だから、俺たちも――
いや、この護衛空母こそが、ここで失われてはいけない戦力なんだ。
もし、自分であれば、即攻撃を実施し、反転してヌーメアに戻る。
日本機の勢力圏内に入るのは危険すぎる。
しかも、あのベティがポートモレスビーから飛んできたとしたら――
オーティズ艦長は無言でトンプソン司令を見つめていた。
その、胸の内にある思いは決して口には出さなかった。
◇◇◇◇◇◇
F4Fパイロットのエリック・ノット大尉は油圧式カタパルトの加速に歯を食いしばる。
南の突き抜けるような青い空に、グラマン鉄工所製のF4F・ワイルドキャットが撃ちだされた。
続いて、ケビン・バーン中尉のF4Fが同様にして撃ち出された。
『おい、あれはベティか?』
こちらに向かって飛んでくる双発機を目を細めて見つめるノット大尉。
無線でバーン中尉に確認する。
『小さい。軽爆か?』
2人ともベテランとして何度もベティ(一式陸攻)を戦場で目撃している。
今、こちらに向かってくる機体は、どう見てもベティには見えない。
バーン中尉は、機体識別表を思い浮かべる。
たしか「ダイナ(百式司令部偵察機)」という機体があったのではないかと思いだす。
『ダイナじゃないか?』
『ダイナ? なんだそれは』
ノット大尉の方は、バーン中尉より、機体識別表を覚えていなかった。
そもそも、無駄に種類が多すぎるのだ。
日本は、資源も工業力も少ない割には色々な種類の機体を造る国だと思っている。
『まあ、ベティじゃないってことは確かだな』
ノット大尉はそう言うと、護衛空母と連絡をとる、「接近中の機体はベティではなく新型機の可能性あり」と伝える。
彼らを乗せたF4Fは軽快な機動で上昇していく。
F4Fワイルドキャット。
しかし、その中身は、零戦に追いまくられていたF4F-4ではなかった。
ノット大尉は機銃発射テストを行う。
ブローニング12.7ミリ機銃が火を噴く。
機体が振動し、4本の火箭が青い空に直進していく。
この機体の搭載している機銃は4門に減らされていた。
その分、1門当たりの搭載弾は増えている。
「F4F-5」というワイルドキャットの新しい血族。
本来、エンジンをR-1820-40に換装し、信頼性をアップするはずだった機体が不採用となり、その結果、その枝番がこの機体に振られることになった。
今までのF4F-4とは全く別の機体になっているといってもいい。
カタパルト発射後、海面から突き上げる様に上昇した2機のヤマネコ。
1500メートル付近までの上昇効率は、配備が始まったばかりの零戦32型と互角以上。
「なんで、コイツを早々に用意できなかったのか」
ノット大尉はコクピットの中でつぶやく。
その理由は、色々な形で耳に入ってきた。
本当かどうかまでは分からないが、有りそうな話だった。
欧州での戦訓を聞き入れたのが失敗だったということだ。
きっかけは、イギリスに貸与したF4Fだった。
同国が戦訓の反映を要求してきたのだ。
恵んでもらった物に、文句をつけるイギリス人も大したものだが、それを素直に聞き入れる我が国もどうかと思う。
いわく、防弾板が無ければ、戦闘機ではない。
いわく、機銃が4丁では、火力不足だ。
その他、様々な要求がなされ、その結果生まれたのは「F4F-4」だった。
現在の海軍の主力機だ。
ジャップの卑劣なアタックで太平洋で戦争が始まった。
その結果、イギリス人の言っていた、欧州の戦訓とやらは、クソの役にも立たないことが分かった。
決して、方向性は間違っていないだろうとは思う。
欧州という戦域の中ではだ。
ただ、ここは太平洋であり、戦っているのはナチじゃない。ジャップだ。
とにかく、「ジーク」という信じられない機体が欧州戦線に無いことだけは確かだ。
F4F-4の倍の上昇力を持ち、まるで消えるような機動力をみせる。
最高速度も確実にジークが上だ。とくに巡航からの加速は半端じゃない。
降下速度だけは、重い分こっちが速い。
しかし、降下するってことは、撃墜されないかもしれないが、撃墜もできないということだ。
生き延びる方法であって、戦う方法ではない。
とにかく、このジークと戦うにはF4Fは重すぎるんだ。
1200馬力にしか過ぎない機体に、あれもこれも乗せるというのは無茶な話だ。
確かに、操縦性は素直で、空母への着艦もそれほど心配はない。
一通りの特殊飛行もこなせる。
だが、それだけの機体だ。
重い鎧をつけ、飛びまわれるだけのパワーがある機体じゃない。
ノット大尉は、このF4F-5が気に入っていた。
機銃が6丁から4丁に減らされた。
防弾板は取り外された。
タンクの防弾構造のみが残っている。内袋式の積層ゴムによる防弾タンクだ。
全体で200キロ以上は軽くなっている。
防弾板の取り外しは結構、紛糾したと聞いた。
ただ、ジークは2門の機関砲を備えている。
せいぜい、7.7ミリ弾に対応しただけの防弾板など意味はない。
それは、極めて海軍らしいといえば、海軍らしい決断だ。
自分の持つ砲に耐えられる装甲を持つというのは、戦艦、巡洋艦などの設計の基本だ。
要するに、戦闘機も同じだろうということだ。
それ以下の装甲なら、意味が無い。
そもそも、敵の機銃弾が簡単に貫く防弾板など意味はないんだよ。
「ただでさえ、最近はひよっ子ばかりなんだ。鈍重な機体じゃ、生きて帰れない」
アメリカ海軍の航空隊において、最も危機的な問題は、パイロット不足だった。
すでに、ノット大尉、バーン中尉のような、日本機との実戦経験のあるベテランが少なくなっていた。
まだ、開戦して1年も経過していないのにだ。
特に、戦闘機パイロットは非常にまずい状況になっている。
艦爆はまだマシ。雷撃機乗りは戦闘機と似たような状況だ。
とにかく、空母と同時に失われてしまったパイロットも多い。
ニューギニア、ソロモン方面でジークにやられた仲間も多い。
戦場の自然環境の過酷さも、仲間を次々に削ってくる。
パイロット大量養成のため、ベテランが大量に教官配備されたのも、前線でのパイロット不足を加速させていた。
数が少なくなったベテランは、各飛行隊に分散配備されるような状況だ。
ちょうど、自分たちのようにだ。
今、敵機の迎撃にノット大尉、バーン中尉という最上級者2名が出撃するという事実がそれを証明している。
もし、ここで、自分たちが死ねば、64人のひよっ子が残るだけだ。平均飛行300時間にも満たないパイロットたち。
ノット大尉は、グッと操縦桿を握りしめる。
開戦前には、1年以上の飛行経験が戦闘機パイロットの最低水準だった。
中には3年以上の経験を積んだ者もいた。
それがどうだ? 今はもう、数えるほどだ。
確かに数は拡大している。頭数は増えている。
しかし、量の拡大は、当然、質の低下を招く。
分かる。それは避けられない。おそらく、ジャップだって同じ悩みを抱えているはずだ。
「お前らは、違うのか?」
ノット大尉はどんどんと接近してくる双発の機体に問いかける様につぶやく。
どうみても、ベティではない。確実だ。
『ダイナではないですね。新型の軽爆かも』
電波に乗ってやってきたバーン中尉の声が鼓膜を叩く。
次の瞬間だった。
その機体が、ターンをした。
軽爆の機動ではあり得ない鋭い機動。
『あれは、戦闘機だ! 爆撃機じゃない!』
バーン大尉は叫んでいた。
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