その80:ラバウル・ソロモン海空決戦 その2

 ひとまず会議が終わる。

 俺はとりあえず、私室に戻る。

 戦艦陸奥に用意されている聯合艦隊司令長官私室は、それなりに豪華だ。

 まあ、大和ほどではないが。


「ソロモンは意外に順調かもしれんなぁ」


 誰もいない部屋で俺はつぶやいた。

 女神様も出てこないようだ。


 ソロモン方面ではラバウルを中心に、その周辺に外廓陣地ともいえる航空基地が設定されている。

 ブイン、バラレ、タロキナだ。

 その他にも、水上機、飛行艇を運用する基地もある。


 ラバウルに対する攻撃に関しては、十分な縦深をとることが可能となっている。

 史実みたいに、被害を顧みず、前のめりに突き進むということはしていない。

 ニューギアでは、ラビ、ポートモレスビーを占領したことで、ラバウルに対する圧力はかなり減っている。

 

 ソロモン方面は正確に言えば「守勢」というよりは「攻勢防御中」と言った感じかもしれない。

 ポートモレスビー周辺を巡る戦況は補給ラインの維持を含めかなり厳しい。

 主導権はなんとか握っているが、いつどうなるか分からない緊張感がある。


 いまだに、ラビまでは大型輸送船も使えるが、ポートモレスビー以降に進むのは厳しい。

 結局、漁船に毛の生えたような小型船や、大発の輸送が中心となっているのが現状だ。

 

 部隊規模がそれほど大きくないので、ギリギリのところで、踏みとどまっているという感じだ。

 航空基地が部分的にせよ活動しだした。

 それも、見通しを明るくしていることは確かだったが。


 ただ、夜間になるとゾロゾロ出てくる魚雷艇。

 こいつらが、どうにもならん。

 水上機で制圧できるかと考えていたが、こちらが揃えられる機数が少なすぎた。

 今以上に機数を増やすには、今以上に補給が出来ないとダメだ。

 要するに、負のスパイラルの真っただ中だ。


 黒島参謀が発案した、対魚雷艇ボート「震洋」は試作ができたらしい。

 ただ、統制自動車用エンジン3基では、24ノットまでしか出ないとのこと。

 40ノット以上でる魚雷艇相手に、対抗できるのか不安が大きい。

 速度は出来るだけ上げる方向で開発が進んではいるけど。


 ニューギニアには完全に蓋をする。

 そうでなければ、1945年まで逃げ切るのは無理な話だ。


「史実の大日本帝国は、よく戦ったんじゃないか……」


 実際に当事者になってみると、身に沁みる。

 後世、色々「ああすればよかった」とか「こうすればよかった」とか言われるが、あのアメリカ相手に1945年まで粘るってのが凄いことだ。

 そりゃ、餓死者を大量に出したり、特攻なんて作戦をやったり、国土が焼け野原になったり批判すべきことはいっぱいある。

 でも、少なくとも弱くてヘナチョコな国では、あそこまで戦えない。


「多分、大きなミスしなきゃ、ここまでは史実でも行けたんじゃないか」

 

 俺がいなくても、ちょっとした運、不運の流れだけでここまでなら、十分にあり得た歴史なんじゃないかと思ったのだ。


 となると、俺って存在は――


 俺はその時、あることに気付いた。唐突に気付いた。なんで、今まで気付かなかったのか?

 俺は「聯合艦隊司令長官・山本五十六」という存在になっている。

 しかしだ。その山本五十六にだって「私人」としての生活がある。

 家族もいる。愛人までいたくらいだ。


 俺にはその「私人」としての山本五十六の記憶がすっぱりと無い。

 この世界にやってきて、ひたすら戦争だけをしている。

 そうだ。まるで、ゲームの画面に向かっているかのようにだ……


「おい! 女神様! いるのか! 女神!! 出てこい」


 たまらず、俺は叫んでいた。

 おかしい――

 俺という存在は、異常だ……

 なんだいったい。

 

『まあ、意外に良くやってるじゃないか』


 不意に声が聞こえた。いや、声じゃない。

 俺の頭の中、声が響いたのだ。

 あのキンキンした甲高い女神様の声ではなかった。


「なんだ…… 誰だ?」


 俺は、自分の中に問いかける様に言葉を発した。

 だが、それに返答は無かった。

 女神様も出てこなかった。

 

 聯合艦隊司令長官の私室には、俺の声だけが響いていた。


        ◇◇◇◇◇◇


 ソロモン、ニューギニア方面の戦域を担当する南太平洋地区司令本部。

 ニューカレドニアのヌーメアがその拠点となっている。


「ニューギニア方面はともかく、ソロモン方面は良いとはいえないな」


 ゴームレー中将は、そのエリアの地図を見つめ冷静に言った。

 ニューギニア方面とソロモン方面。

 その状況は好対照を成していた。


 ニューギニアでは攻め込んでいるのは日本軍だ。

 当初より放棄の予定であった、ポートモレスビー、ラビが占領された。

 そして、アメリカ、オーストラリア連合軍は、地上で遊撃戦を展開しつつ、補給路を断つ戦術に出ている。

 これは、オーストラリアが政治的な理由で大兵力を出せないこと。

 日本が企図しているであろう、オーストラリア本土への侵攻を遅らせる狙いで実施されていた。

 要するに、ポートモレスビーを日本の策源地として機能させないことが最大の狙いだ。

 その上で、この地への補給線を寸断することで、日本に大量出血を強いる。

 その狙いは、概ね計画通り進んでいると言えた。

 

 ムルア島、ルジアード諸島には、秘密裏に基地が建築されている。

 ケレマ基地も整備されつつある。

 後1月もあれば、ポートモレスビーは完全に包囲され孤立状態となる。


 ポートモレスビー沖海戦では、日本機動部隊に壊滅的な打撃を与えたと信じられていた。

 ただ、その後の情報分析の結果は混乱していた。

 ワシントン(海軍省)では空母4隻を撃沈と判断していたが、ハワイの太平洋艦隊司令部では、せいぜいが2隻と判断している。

 

 ゴームレー中将としては、前者を信じたい気持ちはあった。ただ、彼としてはそのどちらであっても、味方の戦力が少ないということは変わらない。

 基地航空隊が中心戦力にならざるを得ないのだ。


 その結果が、ソロモンでの苦境になっている。

 ニューギニアでは攻め込んだ日本を迎撃するという形で優位に闘っているが、 ソロモン方面は逆だ。

 欧州方面の作戦に連動する形で、無理やりな攻勢に出ている。


 なんでも英国のチャーチル首相が「アメリカが日本をけん制し、インド洋方面にでてこないよう、釘付けにしないかぎり、大英帝国は戦争の将来を保証できかねる」と言ってきたらしい。


 もし、日本が豪州攻略(アメリカはそう分析していた)ではなく、西に目を向けた場合、イギリスが危機的な状況になる可能性はある。

 長く、大西洋で勤務していたゴームレーにはイギリスの苦境も理解はできた。

 要するに、今このソロモンで行われている攻勢は、日本海軍をインド洋方面に向かわせないためのものなのだ。

 

 ラバウルを中心拠点とした大日本帝国の強大な航空要塞に対し攻勢を仕掛ける。

 本来であれば、ニューギニア方面だけに、戦力を集中したいところなのだ。

 それだけでは、日本のインド洋進出を止めきれないという読みがワシントンからは出ている。


「ウォッチタワー作戦」は、そういった欧州最優先の文脈の中で実施されている。


 当初なかったガダルカナル侵攻は、滑走路最適用地を発見したことにより追加された。

 ガダルカナル島を占領し、航空基地を建設。最初は問題は無かった。

 なんせ、日本軍はここまで進出していないのだ。


 ガダルカナル侵攻によるメリットはある。

 ラバウルをB-17の爆撃圏内にいれること。

 そして、ニューギア方面の基地建設を間接的に援護すること。

 ラバウルの前衛航空陣地ともいえる、ブイン、バレラを戦闘機の航続距離内にいれること。

 オーストラリアとアメリカの交通線を確保するチョークポイントにもなる。


 ただ、欧州情勢に合わせ、性急に行われたガダルカナル侵攻は、現在かなり厳しい局面を迎えている。

 補給路の維持が極めて厳しくなっていた。

 要するに、ニューギニアにおける日本の苦労をアメリカが味わっているのだ。


 日本海軍の高速艦艇、巡洋艦、駆逐艦による攻撃。そして、異常に足の長い日本の航空機は、ガダルカナルへの海上輸送を困難としていた。

 正規空母が使用できない状況も痛い。

 今、アメリカ海軍が使用できる空母はハワイにあるヨークタウンだけだ。

 海戦直後の、2隻の正規空母消耗で、前倒しで空母建造は進んではいるが、それでも、海軍がそれを使えるようになるのは数か月先の話だ。

 突貫工事で、イギリスに貸与するために造られたC型商船改造空母が増産された。


 最大18ノットで30機以下の運用しかできない空母だ。

 それでも上陸部隊の海上護衛なら何とかできるはずだった。

 無いよりは何倍もマシと言える戦力だ。


 今、その空母がゴームレー中将の下に3隻あった。

 1隻は、ケレマへの航空機輸送も成功させていた。


「陸上基地からの攻撃で、ジャップを締め上げる。そのためには、なんとしても補給を成功させる」


「今回は、幾重にも艦隊を配置しています。航空支援も十分に実施しています」


 幕僚が姿勢を正しゴームレー中将に言った。

 それは正しい言葉であっただろう。

 ガダルカナル輸送の護衛には、護衛空母2隻が投入されている。

 今のこの方面におけるアメリカ海軍にとっては精一杯の戦力だ。


「レディ・サラが復帰すれば、状況も変わるのだろうがな」


 望んでも仕方ない言葉が彼の口から出た。

 現在、生きのこっている正規空母サラトガは大破状態で、まだ戦線には復帰できない。

 たった1隻の稼働正規空母であるヨークタウンを、強力な日本海軍の前に差し出すわけにはいかなかった。

 少なくとも、現状ではだ。


「頼りは、やはり巡洋艦、駆逐艦、潜水艦、魚雷艇か――」


 そして、ガダルカナル沖では、その頼りとすべき戦闘艦艇たちが、激闘を行っていた。


        ◇◇◇◇◇◇


 アメリカ海軍のガダルカナルへの輸送作戦は、昼間はラバウルからの航空攻撃。

 そして、日本海軍の水上艦艇、潜水艦の無茶苦茶ともいえる攻撃で、実施が困難となっていた。

 1万人の海兵隊がガダルカナルに上陸。日本からの反撃を考えた場合、この戦力でも最小限と考えられるものだった。

 上陸初日に、ラバウルからの一式陸攻(ベティー)、零戦(ジーク)の戦爆連合の攻撃。

 そのときに、投入された護衛空母は3隻。全てに戦闘機を搭載して迎撃戦闘を行ったが、結果は悲惨であった。

 「F4F-4ワイルドキャット」では零戦(ジーク)に対抗できないことがここでも明白になった。

 結果として、多くの輸送船が炎に包まれた。


 そして――


 夜間には、日本海軍の第8艦隊が無茶苦茶な突撃を仕掛けてきた。

 結果として、前衛となったアメリカ、オーストラリアの護衛艦隊は日本海軍の捕捉に失敗。

 一気に包囲を突き破られ、20隻の輸送船のうち8隻が沈められた。

 

 ただ、この日本海軍の攻撃も、幻の敵空母、基地航空隊を恐れ、一撃を加え離脱するという形に終わった。

 日本国内では存在を確認した、敵艦隊との戦闘を避け、輸送船だけを狙ったことも、一部では批判の声が上がっていた。

 アメリカにとっては、むしろそうして欲しかったくらいだ。

 

 アメリカにとっては、大被害ではあったが、約40%の物資が揚陸できていた。

 これを「たった40%」と考えるか「40%も」は立場によるだろう。

 ただ、建築資材の多くが失われた中、上陸した彼らは必死で基地の建設を行っていた。

 その後、駆逐艦による細々とした補給だけが実施されている。

 

 アメリカにとっては、日本をソロモンに釘付けにするためにも、ここに巨大な基地を造る必要があった。

 そのためには、大規模な補給が必要だったのだ。


 アメリカ海軍は再び大規模輸送計画を発動する。


 補給を成功させたいアメリカ海軍。

 それを阻止したい日本海軍。


 ニューギニアと完全に攻守交代の状況でその戦闘は開始されていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「左舷砲雷戦準備!」


 高波の駆逐艦長が声を上げた。

 12.7サンチ連装砲が低い音を立て動いていく。

 4連装魚雷発射管が意思を持ったように動く。


「敵、甲巡4! 駆逐艦5!」


 見張り員の声が響く。

 距離が近い。この距離は近代海戦ではインファイトもいいところだ。


 チカチカと敵が光った。しばらくの間が空きソロモンの闇に雷鳴のような響きが生じた。

 敵の砲撃だった。

 警戒隊として突出した高波に砲撃が集中する。


 闇の中、黒々とした水柱が次々と立っていく。

 当たらない。


「敵さん、測距は悪くないが、方位がイマイチだな」


 高波の駆逐艦長は潰れた帽子を斜にかぶり、不敵な笑みを浮かべた。

 彼はチラリと、旗艦五十鈴の位置について思う。やはり単縦陣の中央か。


 作戦会議において、各駆逐隊司令(駆逐艦は3隻で駆逐隊となり、そこに司令が存在する)と第二水雷戦隊司令官の田中頼三少将で意見の違いがあったことは知っていた。

 田中少将は伝統である旗艦先頭の原則を破り、自身の座乗する軽巡五十鈴を一番安全と思われる中央に配置した。

 駆逐艦司令からは、それは士気に影響するという声がでていたのだ。

 事実、士官の中にはあからさまに、田中少将をののしる者も存在した。


(あの人は、あまりにも合理的すぎる)

 

 高波の艦長はそう思う。人が感情の無い戦争機械であれば、田中少将の主張は正しいと思うのだ。

 旗艦が真っ先に突っ込んで、指揮機能を失ってしまっては、戦いなどできるわけがないからだ。理屈では分かる。

 しかし、日本海軍ではそんな無理、無茶を乗り越え、先頭を突き進み、そして指揮をとることが、旗艦の務めであると考えられている。

 一種の「ドグマ」であろうと思う。

 しかし、そしきがその共同幻想を信じているなら、それをスポイルするのは、デメリットも生じることも確かだ。


「まあ、そいつを埋め合わせするのが、俺たちの仕事だがな」


 彼は誰に言うともなく、そう言った。その声は誰にも聞こえる物でもなかった。 

 彼自身は田中少将を優秀な指揮官であると考えていた。

 

 高波の主砲も火を噴く。艦橋に補強されている七ミリ厚の防弾板がビリビリと震える。

 この艦の主砲である50口径12.7サンチ連装砲は対艦打撃力においては一級品だ。

 帝国海軍が、一部に駆逐艦の主砲を全て高角砲にすることに踏み切れなかった理由。

 それは、対艦攻撃能力が大きく落ちてしまうことが懸念されたからだった。


 平射状態で毎分10発。秒速900mを超える鋼鉄と火薬の塊を叩きだす。

 昭和初期に設計された砲であるが、今もって駆逐艦の対艦砲としては一級品だ。

 米英の駆逐艦が、この砲に対抗できる駆逐艦を作れるようになるまで10年以上かかっている。

 

 同時に、鋭い刃物で柔らかい物を斬ったような「シュパッ」という音。

 酸素魚雷。

 93式酸素魚雷が空気圧に押され、どす黒い海面にダイブした。

 61サンチの他国にはない巨大サイズの魚雷。

 純粋酸素を使い機関を燃焼させ、恐るべき高速と航続距離を達成。しかも夜間であれば、その航跡を視認することは極めて困難だ。


 蒼白い殺人者――

 ロング・ランス――

 改造を重ね、後期には雷速50ノットを超えることになる、チート能力の魚雷。

 TNT火薬の1.3倍以上の爆発力を持つ弾頭火薬が500キロ以上。

 

「日本の駆逐艦には決して横腹を見せるな」


 それ以外の有効な対抗策を戦争が終わるまで、アメリカ軍に取らせることが無かった日本海軍の恐るべき刃。

 その8本の刃が海中を突き進んでいた。 

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