その71:血戦! ポートモレスビー その13
日本軍のポートモレスビーに対する擾乱砲撃を行っている拠点。
密林の奥、上空からは隠ぺいされ、高地の反対斜面に作られた砲撃陣地を中心に構築された拠点であった。
第一次世界大戦で生まれたドクトリンに従った極めて巧妙な砲配置である。
敵の砲撃は高地が障害となり実施が不可能。
更に、斜面に掩体壕を掘ることで、抗堪性(こうたんせい)を高めている。
その司令部となっている天幕内では、早口の英語が乱れ飛んでいた。
「日本軍の本格的な攻撃の前触れととらえるべきです」
「しかし、ジャップが大部隊を動かしたという状況証拠はありません」
実際、密林内に放っている偵察隊、そしてコーストウォッチャーズからは、そのような報告は上がっていない。
ただ、それは日本軍が動いてないことを保証するものではなかった。
「こちらの兵力はたかだか300だ。大隊規模(1000人前後)の攻勢を仕掛けられたら、防げるのか?」
「ですから、大隊規模の戦力を抽出する余力は日本軍に無いんですよ。奴らは、基地の復旧に必死だ」
「確かに、ジャップは基地の復旧に力を削がれているようではあるが…… 大隊規模の抽出が本当に無理なのか?」
部下たちの混乱ともいっていい状況を、バレンタイン少佐は見つめる。
その口元に浮かんだ笑みを隠すため、テーブルに肘をついた状態で、口の前で指を組んでいた。
明らかな笑みがその口には浮かんでいる。
先日、日本の斥候隊と思われる少数部隊が、この拠点内に侵入してきた。
マイクロフォンがその存在を捉え、機銃弾幕が張られた。
ただ、そのときに消費された弾丸に対し、殺せたジャップはあまりに少なかった。
たった1匹だ。
バレンタイン少佐の副官のプポ中尉は、敵の人数を5人以下であると計算していた。
突撃破砕射撃の前に、死者が1人と言う事実は、そもそもやってきた敵が少ないという結論だった。
バレンタイン少佐はその考えに同意していた。
まさか、たった一人でここまで来たということもないだろう。
おそらくは分隊かそれ以下の人数による偵察であると推測できる。
密林に張り巡らされた、マイクロフォンによるシステム。日本軍の足音を捉え、場所をプロットするものだ。
ただ、ここに来て、運用上の問題が発生したのだ。
熟練した兵ならともかく、にわか仕込みの兵では、音におびえ、日本軍の規模が正確に把握できないということだ。
また、この基地には、マイクロフォンの音で、敵の規模が分かる熟練兵も存在しない。
この日本軍の行動が、米軍拠点に混乱をもたらしていた。
(マイクロフォンの配置を見直す必要があるか)
敵の数を把握できるような、配置。実際に人間を動かし、少数部隊のときの音の聞こえ具合を訓練させるか――
いくつかの案が浮かぶが、それはさして優先順位の高い物では無かった。
今回の日本軍の行動は絶対に本格的なここへの攻撃に繋がってくる。
それだけが明確な事実だ。それ以外はない。
楽しい状況だ。バレンタイン少佐は思う。ウキウキしてくる。
戦とは、このような予想できぬことが起きるからこそ、楽しい――
ただ、愉悦が占めていたのは彼の脳内の一部だった。
その他の部分は、冷め切っていた。そして、高速で回転する。
彼の脳のニューロン回路は、日本軍がこれから取るであろう、行動について10パターン以上のシミュレーションを行った。
そして、日本軍が取りうる最善の策について、その候補を2~3まで絞り込む。
「大隊規模の突撃は持ちこたえられないのか?」
不意にバレンタイン少佐は言葉を発していた。
熱気を孕んだ論争の場の温度が急激に下がる。
彼の視線は、機銃陣地の責任指揮官に向けられていた。
「撃退は可能です。1回だけであるならば。さらには――」
「よろしい」
問題は分かっていた。機銃弾の備蓄の問題だ。
敵が1回の決戦を求めてくるならばいい。
しかし、敵の状況はどうだ?
大隊規模の兵力を出せるかどうかは微妙な状況だ。
もし、五月雨式(さみだれしき)に突撃を繰り返された場合――
兵力の分散逐次投入は下策である。
しかし、自分たちの置かれている状況は、むしろ分散逐次投入をされてしまう方が厳しい状況にある。
「機銃弾の補給は要請しておく」
彼は問題を把握し、解決法を提示する。
擾乱射撃用の砲弾の備蓄は、すでに作戦終了までの期間を満たす定数に達している。
補給が順調に行われたからだ。
ただ、基地内にはすでに少なくない数のマラリア罹患者が出ていた。
致命的なほどではないが、交代要員を要請する必要もあった。
合わせて、弾薬、機銃の補給を受けるべきだろう。早い方がいい。
これからだ。
バレンタイン少佐は思う。
この猖獗(しょうけつ)を極める地獄のような地で、楽しいパーティを始めるのだ。
彼は体の芯から湧き上がる愉悦で震えそうになる体を必死で抑え込んでいた。
彼は戦争を愛していたが、それを大っぴらに見せないだけの節度は持っていた。
◇◇◇◇◇◇
「自動車道を建設するのだ! 一気にニューギニア打通! 皇軍不敗の作戦である!」
丸メガネの参謀が、テーブルに広げられたニューギニアの地図に、鉛筆でビュっと線を引いた。
一瞬で、ブナとポートモレスビーがつながる。地図の上、鉛筆の線で。5センチくらい?
「どうやってですか? 参謀殿」
小岩井少佐は思わず質問していた。
「皇軍の精神力は世界一ぃぃ! 皇軍に不可能はないぃぃぃ! なせばなるのだ! 貴様! 軍人精神が足らぬのか!」
狂犬のような目を丸メガネの奥から光らせ、大本営からの派遣参謀が叫んだ。
確かに、ポートモレスビー陸路設定が、大陸命となったからには、やるしかない。
それは、軍人であるのだから、分かるのだ。
しかし、小岩井少佐としては、その方法を考えるのが参謀の仕事ではないかと思うのだ。
「ココダという土人部落まで、160キロメートル。5000人で伐開を行えば、一人32メートル。トラックが通れる道幅を3メートルとすれば、96平方メートル! さらに、ここに精神力を掛ければ、10日だ! 1日9平米ちょっとの伐開などどうということもなかろうがぁぁ!! 3メートル×3メートルだぁぁ!」
一瞬にして計算してのける、士官学校主席卒業のその頭脳。
なぜ、精神力を掛けるのか、意味が分からないが、計算の早さだけは確かだった。
「いや、辻参謀殿、それは……」
そもそも、工事を行うにしても、そこで働く人間は飲まず食わずでは動けないのだ。
それに、この密林を1人で1日9平米も伐開できるわけがない。
この辻政信中佐という参謀は、マレー作戦を成功させ、「作戦の神様」という評価もある。
ただ、小岩井少佐から見たら、ほとんど狂人の戯言にしか聞こえなかった。
彼は堀井少将に視線を送った。少将は黙って話を聞いているだけだった。
少将は50に近いか、出ていたはず。大佐であれば定年で予備役になっていたはずの将官だ。
理路整然とした思考のできる指揮官であったが、この狂人には何を言っても無駄と思っているのかもしれない。
「しかし……」
幕僚の一人が口を動かした。だが、その言葉は辻参謀に遮られる。
「不肖、この辻政信、参謀の身でなければ、自分でもやる。自分であればその倍でもできる。なんなら、自分も数日やってみせてもいい」
言い切ったよ。この参謀……
問題なのは、この辻と言う参謀は本当にそれをやりかねない体力を持っていることだった。
今回、調査のために出発していた横山工兵大佐の調査隊を、数日遅れで追従。
あっという間に、それに追いつき、マラリア罹患で消耗した兵を背負って帰ってきたのだ。
平然としてだ。
「あれは…… 人間じゃない。超人だ……」彼の密林内での行動を生で見た工兵隊からは、そのような声も聞こえてきていた。
「しかし、密林内には敵の遊撃部隊が、かなりの数存在していると報告が、更に補給体制も――」
我慢できなくなって、小岩井少佐は発言してしまった。
「大陸命である! 敵が出たら、撃滅あるのみ! 無敵皇軍の不敗伝説をここでも作るだけの話である!」
軍刀に手を掛けプルプルと震えながら、絶叫する辻参謀。
今にも、軍刀を抜きそうな勢いだった。
しかし、研究であった「ポートモレスビー陸路設定作戦」が報告を待たずして、なぜ大陸命になったのだろうか。
小岩井少佐はその点が腑に落ちなかった。
「厳しい工事になりますよ」
横山工兵大佐がつぶやくように言った。無理とは言わない。工兵としての意地が言わせたのかもしれない。
彼は優秀な工兵大佐だ。陣地築城に関しては、天才的ともいえる評価を得ている。
ただ、どうしても技術者的な視野の限界を感じさせていた。
「厳しい? 当たり前だ! 厳しくない戦などないのである!」
「ココダまで160キロ、手前3分の1はなんとか自動車が通れます。地盤の補強は必要でしょうが。その先3分の1は人馬がなんとか通れます。そして、最後の3分の1は完全に獣道です」
「なんだ? 全行程ではないのか! たったそれだけの工事なら、あっという間ではないか!」
いや、横山大佐は、技術者として「厳しいですよ≒不可能です」と説明しているのだ。
ただ、辻参謀の脳内では、そんなことは関係ない。
常に前向きでなければ、大日本帝国の参謀は務まらないと思っている。
「大陸命だ。やるしかなかろう」
堀井少将の言葉が結論だった。
結局、なにがどうあろうと、ブナからポートモレスビーの陸路打通は決まったことなのだ。
「実際に、この辻は密林を直接見ているのである! 体験しているのである! 自分が可能であると判断しているからには、絶対に可能なのである!」
丸メガネの奥の瞳を輝かせ、辻参謀は吼えたのであった。
尚、大本営から「ポートモレスビーへの陸路研究はどうなっている?」と照会がくるのはまだ先のことであった。
◇◇◇◇◇◇
「確かか!」
松本少尉は兵からの報告を聞くと、天幕を飛び出す。
密林は完全な闇で閉ざされていた。
飛び出したはいいが、その瞬間、全く方向感覚を失ってしまう。
それくらいの闇だった。
生い茂った樹木が完全に月明かりを消し去っていた。
闇の底にポツンと放り出されたような錯覚を覚える。
しばらく呆然とする中、手を握られた。
「少尉殿、こちらです」
闇に眼の慣れた兵の誘導で、先に進む。
密林の切れ目に立った。
顔に当たる熱帯の夜気が少しばかり、温度を下げた気がした。
彼は上空を見上げた。
月は満月からは程遠い状態であったが、それでも漆黒の闇よりはマシであった。
淡い月の光が川面で反射している。
辛うじて川があることが確認できた。
「どこだ!」
彼は怒鳴るように言った。
多少マシになったといっても、その闇が彼の心を苛立たせていた。
「今、ゆっくりと遡ってきています」
斉藤軍曹の声だった。人がいるのは分かったが、誰が斉藤軍曹なのか分からない。
彼は川の方向を見つめる。
徐々にではあるが、闇に目が慣れてきた。
「あれか……」
松本少尉は川の上で動く物体を確認した。
それは、確実に友軍の船ではなかった。
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