その72:血戦! ポートモレスビー その14
「アメ公の大発か?」
松本少尉の言った「大発」は言葉の綾だ。
要するに、日本の「大発」に似たような、輸送に使える小船艇なのかということをこの短い言葉で表したに過ぎない。
「魚雷艇であります。自分は見たことあるのであります」
兵の一人が声を上げた。
おそらく、大発で輸送され後送されてきた弾薬と一緒に上陸した兵だろう。
ミルン湾のラビまではなんとか輸送船を送り込むことができたが、ポートモレスビー近海は危険すぎた。
数回ほど、輸送船による輸送が試みられたが、完全な制空権を有している状況でないこと。
港湾施設が破壊され、荷揚げに時間がかかることで、現在はほぼ不可能と判断されている。
行っても、貴重な船舶を失うだけとなっていた。
よって、ポートモレスビーの輸送は、大発による輸送に頼っている状況だった。
その大発も、魚雷艇に襲撃され無視できない被害がでている。
最近、海軍の水上機が進出し、魚雷艇を追い払うこともあった。
ただ、稼動4機では十分な援護はできなかった。
しかも最近は夜間でもどこからか飛行機が飛んでくるようになっている。
敵も、こちらの水上機に対抗してきているのだ。
厳しい現状は変わらない。
おそらく、兵はその大発から魚雷艇を目撃していたのではないかと松本少尉は思った。
松本少尉の目もほぼ完全に闇に慣れてきた。
ゆるゆるとエンジンを絞って遡上してくる船艇。
確かに、その攻撃的な姿は、大発のようなものではないと思った。
「撃ちましょう。やれますよ」
斉藤軍曹だ。彼の目が闇の中でも光を放っているように見えた。
積極果敢を絵にかいたような分隊長である。
彼がそう言うのは当然ともいえた。
「1隻だけか……」
松本少尉は考える。あの魚雷艇でなにが運べるのか?
15サンチ砲の砲弾は50キロ近くはある。
日本海軍の魚雷の重さは1トンくらいと聞いている。
それを下ろせば、それなりの弾薬を積める。
ただ、その量が中途半端な気がした。
もしかしたら、砲弾ではなく他のなにかを運んでいるのか。
それとも、単なる輸送ラインの哨戒行動なのか。
よく見れば、機関砲のような物で武装しているのだ。
もし、哨戒行動だとすれば、うかつに攻撃するわけにはいかなかった。
攻撃は同時に場所を露見する可能性があることを意味している。
うかつだった。
本来であれば、船が現れる前に、対応を決定しておくべきことであった。
「叩きましょう。哨戒であっても、ここに危険があることを敵に知らせることには意味があります」
弾薬分隊の木村軍曹が意見具申してくる。
その理由も合理性も理解できる。
問題は、敵の予想される反撃に、こちらが耐えられるかどうかだった。
彼らの四一式山砲は1門。それもこのニューギニアでは貴重な1門だった。
土を盛り、倒木と石で周囲に掩体陣地を構築していたが、どう見ても応急的なものだった。
「撃つぞ」
松本少尉は決意した。闇の中に鋭くその言葉が響く。
その言葉を受け、松本分隊長が兵たちに命令する。
不十分な月明かりだけの中で、兵たちが四一式山砲の射撃準備を開始した。
◇◇◇◇◇◇
ベナブル大尉のPTボートは、魚雷を下ろし、大量の機銃弾を積み込んでいた。
更に船体に装備された「ブローニングM2重機関銃」は6門を数えていた。
これは、一時的なものであり、即取り外し可能なようになっている。
内陸部の攻撃拠点への補給資材を武装強化に流用しているだけだった。
その他、船内には同機銃の交換銃身をはじめ、各種の部品が積みこまれている。
医薬品などもあった。
最大で約1トンの魚雷を4本搭載できる。
満載排水量50トンの小船艇であるが、限界まで物資を搭載している。
いってみれば、今のPTボートは海上トラックのようなものであった。
ただ、その装備火力だけは、通常のPTボートを超えていた。
ゆっくりとエンジン音を落として川を遡上していく。
輸送作戦についたのは、ベナブル大尉の船艇だけだった。
他の船艇は、日本軍の大発と呼ばれる上陸用舟艇による輸送の妨害を続けていた。
彼自身、今回の任務にはあまり乗り気ではなかった。
ただ作戦全体をみたときに、これを誰かがやらねばならないことは理解できた。
正直言って自分がやるのは、ゴメンこうむりたかったが。
「どうも、やな予感がする」
彼は上空を見上げた。まず警戒すべきは航空機であった。すでに味方のPTボートの中にはジャップの水上機による被害が出ていた。
鈍重な水上機とはいえ、PTボートにとっては危険な相手と言えた。
暗い夜空には何かが飛んでいる気配はなかった。
「こちらもグラスホッパーくらいは飛ばせんのか?」
誰に言うともなくベナブル大尉は言った。
グラスホッパーとは弾着観測や偵察に使用できる航空機だ。
低速ではあるが、短く荒れた滑走路でも運用が可能だった。
とにかく、どんな機体であっても飛んでいるという事実は2次元面にいる地上部隊、水上部隊にとっては嫌なものなのだ。
ベナブル大尉は知らないことではあったが、現在、豪州軍の協力を得て内陸に航空基地が造成中であった。
米軍の上層部も決してそのことを考えていないわけでは無かった。
一連の作戦が有機的に連携し、日本軍を泥沼に引きずり込む。
決して、インド洋方面、ビルマ方面に戦力を広げさせないことが連合国全体としての合意事項であった。
「なんだ!」
海面を何かが叩く音とともに、水柱が上がる。そして間を開けず、遠雷のような響きが耳に届いた。
「ジャップの砲撃!」
狙いはかなり正確だった。
「反転する!」
ベナブル大尉の判断は早かった。
口径からして、3インチクラスの野砲。
いったい、どこから撃って来ているのか?
PTボートは急反転し、川を下って行く。
輸送任務を放棄することであったが、日本軍の妨害にあった場合の判断は、艇長であるベナブル大尉の自由裁量の内であった。
「よく見ろ! 砲撃拠点を探せ」
続いて水柱が上がる。
曲射弾道ではない。かなり低伸する弾道が海面を叩いている。水柱の上がり方が違う。
高地からの撃ちおろしか?
「あそこです! 艇長! 砲煙です」
夜の闇の中、辛うじて砲煙が確認できた。音の方向も大きくずれていない。
立て続けに水柱が上がる。
「通信だ! 内陸砲撃拠点に向け打電しろ! 平文でいい! すぐにだ!」
ベナブル大尉は叫ぶ。
通常であれば40ノット以上の快足を誇るPTボートであるが満載した補給物資と夜間の河での航行という点がそれを不可能にしていた。
ゆっくりと川を下って行く。
バーンと破壊音が響いた。
船首に命中弾が出た。
そのまま斜めに貫通して、そして信管を作動させた。
木製の船体であったこと。砲弾の信管感度が今一つ鈍かったことがPTボートにとってはラッキーだった。
「被害は!」
「船首部から反対側に盲弾が抜けました。弾が出て行ったことろから浸水です」
「なんでもいい、ぼろ屑でも、てめえのキ〇タマでも何でも詰めて、水を止めろ!」
ベナブル大尉は叫んだ。
すでにPTボートに対する砲撃は止んでいた。
射角がとれなくなったのだろうか。
理由は分からないが、ありがたい話だった。
ベナブル大尉は、黒く影だけをみせる対岸の高地を見やった。
おそらくあそこからの砲撃だ。
まあ、今日はいいだろ。ただ、もう場所も大方分かっている。
後は、叩き潰してくれるはずだ――
◇◇◇◇◇◇
万歳の声が高地には響いていた。
敵の船を沈めそこなったとはいえ、撤退に追い込んだのは十分に勝利だと言えた。
この戦闘で消費した砲弾は12発。
残りは24発となっている。
砲弾は後送されるということになっているが、いつになるかは分からない。
そして、敵が1回の輸送失敗で諦めるとも思えない。
松本少尉はそれほど浮かれる気分にはなれなかった。
砲撃を行えば、夜間とはいえ、少なからず場所を露見する。
松本少尉は斉藤軍曹に命じ、砲の分解と隠ぺいを命じた。
もし、昼に敵が輸送作戦に出た場合、砲撃が困難となることを承知の上だった。
まず、敵はこちらの方の排除に出る。
松本少尉には確信に似た予感があった。
◇◇◇◇◇◇
満足な地図もなく、密林を中隊規模で移動するのは、限界に近い。
もし、これが大隊規模であったら、部下を掌握することなど不可能であろう。
「森は兵を飲む」と古来の兵法から言われているが、それどころではない。
原始の密林なのだ。
末端の兵にとっては、自分たちが今、どこにいて、どこを目指しているのかさっぱり分からないのだ。
それでもどうにかこうにか、目的とする敵砲撃拠点近くまで接近できた。
武藤軍曹は塩の錠剤を口に放り込み、水筒で流し込んだ。
密林の底の湿った空気と、自分の汗で体中がねっとりとした感じがしていた。
更に太ももには、熱帯性潰瘍ができかけていた。痛みを感じる。
ただ、そのような弱みを見せることは、帝国陸軍では禁忌であった。
軍隊は階級と命令で動く。それはどこの国でも同じである。
しかし、特に陸軍。徴兵制を行っている陸軍は、その国の社会の縮図を作り上げていく。
帝国陸軍は定められた規範、規則を重視する形を表面上とりながらも、下士官兵の関係はいわゆる「親分子分」の関係に近い物があった。
親分である下士官は兵に弱みなど見せられないのだ。命令だけで兵はついては来ない。
無駄に軍歴の長くない武藤軍曹はそのことをよく知っていた。
彼らの中隊は密林内で大休止に入っていた。
座りこめば、名も知らぬ小さな毒虫が遠慮なく襲ってくる地である。
下手に座りこむこともできない。
武藤軍曹は、灌木に腰かけ、タバコを吸っていた。
タバコは湿気をすってろくでもない味になっていた。
「明日の夜突撃なんですよね」
「ああ、そうだな」
岩崎一等兵の言葉に頷いた。
目標としている高地は見えていた。
後は迂回し、側面から突撃をかけるというだけだ。
密林の中を行く、苦行とも明日には終わる。
そのとき、砲声が響いた。
密林の木々が震えるような砲声だった。
「始まりやがったか」
口元に笑みを浮かべ、武藤軍曹は言った。
自分たちの進路は間違ってなかった。
ポートモレスビーに擾乱射撃を行っている拠点は彼らのすぐそこにあった。
◇◇◇◇◇◇
鋼鉄の暴風のような砲撃だった。
それは正確にこちらを捉えているとはいえなかったが、至近に砲弾の落下は続いていた。
今のところ、被害はない。
「やはり、砲の隠ぺいは正解でしたな」
松本少尉を見やって、斉藤軍曹は言った。
少尉は軽くうなずくような動作をした。
彼らは密林内に一時的に撤退していた。
「弾着観測機まで飛ばしてやがる……」
悪態をつくように斉藤軍曹は言った。
砲撃に先立ち、彼等の上空には米軍のカタリナ飛行艇がずっと居座っていたのだ。
そして、しばらくして砲撃が開始された。
もし、高地に展開したままであれば、少なくない被害を受けたことが想像できた。
それだけ執拗な砲撃だった。
「15センチ級の重砲は腹に響く。なあ、軍曹」
「そうでありますな。少尉殿」
「ここから、敵に砲弾を撃ち込めないか?」
「それは無理であります。少尉殿」
四一山砲は軽い構造との引き換えで射程距離が短くなっている。
ここから敵の砲撃拠点の砲撃など無理だった。
そもそも、それが出来るなら、補給線の寸断などという方法はとらない。
「まあ、いい。届かなくてもいい」
「はい?」
「この砲撃が終わったら、砲を組み立てる。そして一発だけ撃ちこめ」
松本少尉は狡猾とも言っていい笑みを浮かべ言った。
「はい? 撃つのでありますか? 届かぬ弾を」
「砲が破壊されてないことを教えるだけでいい。それで十分だ」
要するにここに砲が健在であることを示すことで補給線に掣肘を加える。
そのためなら、届かない砲撃1発は安い物だ。
お返しの砲撃が予想されるので、早急に転地する必要はあったが。
M59 155ミリカノン砲――
通称、ロング・トムと呼ばれる口径155ミリ、45キロの砲弾を撃ち出す重砲。
そして、四一式山砲――
本体が軽量化され、75ミリの砲弾を撃ち出す砲。弾体重量は榴弾で約6キロにすぎない。
性能・威力の比較としてはお話にならない砲だ。
おまけに数も違うのだ。
砲弾の数にいたっては、比べる方がどうかしている。
この様な中、その砲の奇妙な撃ちあいが始まろうとしていた。
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