その69:血戦! ポートモレスビー その12

「確かに、どこかに補給線はあるだろう」


 川口少将は、ニューギニアの地図を見つめ断言した。

 

 浜名少尉は緊張した面持ちで、川口少将を見つめていた。

 彼は、ポートモレスビーに戻ると、司令部に対し状況の報告を行うように命じられた。

 今、彼は川口少将をはじめ、居並ぶ幕僚たちの前で直立不動で立っていた。


 ポートモレスビーからやってきた連絡要員は、無線機を携帯していた。

 浜名少尉は状況を無線で説明。


 敵の防御陣地が容易ならぬものであること。

 この周囲に確実に補給線があること。

 マラリア罹患者が発症し、行動が困難であること。

 当然、敵砲撃陣地の位置はかなり絞り込まれている。


 浜名少尉はごくりと唾を飲み込んだ。思いのほか大きな音がでた。

 手が汗でびっしょりになっている。

 少尉という立場から見れば、少将は雲の上の存在だ。

 通常であれば直接話す機会があるなど考えられない。

 幕僚の視線も突き刺さるように自分に集まっている。


 司令部への報告は本来であれば、直属の上官を通し行われる。

 それが、直接報告せよということになったのは、川口少将の判断だった。


 彼は、大陸戦線で軍需参謀、物資管理を行う参謀を長く経験していた。

 言ってみれば、後方要員の経歴が長い将官だった。

 戦闘部隊が活動を行うためには、補給線の維持が重要であることを熟知していた。


 実は、士官教育において、陸軍の方が海軍よりも補給線の維持ということを重視していた。

 軍艦という一度補給を行ってしまえば、自由に行動できる戦闘ユニットを持つ軍隊と、後方との連絡線の維持が無ければ戦闘力を維持できない軍隊の差だった。


「よくやってくれた。下がってよろしい」


 川口少将は地図から目を上げると、浜名少尉を見つめた。

 少将の大柄な体は普通に見つめられるだけで、威圧される様な感じがした。


「はい! 浜名少尉退出いたします!」


 ビシッと敬礼し、浜名少尉はきびきびした動作で退出する。

 密林内を歩き回っていたという疲れを微塵もみせない動きだった。


        ◇◇◇◇◇◇


 四一式山砲は、重砲を輸送中に失ったポートモレスビーの日本軍にとっては貴重な砲といえた。

 陸軍が使用する砲にはいくつか種類がある。

 この四一式山砲は、連隊砲として、歩兵連隊に装備される砲だ。

 陸軍の主力となる「野砲」に対し、徹底した軽量化を行い、分解することで人力でも移動することが可能なように造られた砲だ。

 陸軍の主力野砲である三八式野砲、同改、九〇式野砲と同じ75ミリ口径。


 しかし、本体は相当な軽量化が行われている。

 三八式野砲改が1トンを超える重量なのに対し、四一式山砲は540キログラムしかない。

 軽くて口径が同じというと、良いことづくめのような気がするが、世の中それほど甘くない。

 軽量化されるということは、それだけ強度に余裕がないということだ。

 当然、強い力で砲弾を打ち出すことはできない。

 そのため、射程距離は野砲に大きく劣る。


 それでも、軽いということは大きな武器だった。特に、帝国陸軍は武器の軽さというものを非常に重視していた。

 交通インフラの未整備な大陸戦線、対ソ連戦を想定していたためである。

 野砲の開発においても、主力となる九〇式野砲に対し「重すぎる!」という意見が参謀本部から出た。

 そして、新たに「九五式野砲」を開発したということもある。

 これは、大量に配備された三八式野砲と弾丸が共用できるというメリットもあったが。


 四一式山砲は非常に軽い砲であったが、それでもそれを分解して密林内を運ぶのは、苦行以外の何ものでもなかった。

 砲身は100キロ以上あり、二人がかりでも重いなどというものではない。

 また、砲弾は3発がワンセットになった箱に収められているが、その重量が30キロを超える。 

 

「砲を組み立て、射界を確保するぞ」


 松本少尉は、疲れ切った下士官兵に命じる。

 泥濘のようになった地面。行く手を遮るトゲのある植物。

 倒れた巨大な古木。

 このニューギニアの地では何も持たずに移動することですら困難だ。

 分解された大砲、砲弾という重量物を持って移動する。


 悪夢のような困難な任務をやってのけた部下たちには、感嘆の念すらわいていた。

 しかし、仕事はこれからだ。

 砲を組み立て、隠ぺいしつつ、射界を確保する。


「ほら、動け! 仕事は終わりじゃねーぞ!」


 第一分隊の分隊長である斉藤軍曹が兵たちに命じた。

 疲労でドロドロになりながらも、十分に合格といえる早さで砲を組み立てていく。


 高地というには、ささやかな場所だ。

 ただ、目標としている河口付近は完全に射界に捉えることができた。


「本当に、来るんですかね?」


 第一弾薬分隊の分隊長である木村軍曹が言った。

 

「分からんが、空輸という手段をとってない以上。この河川を利用している可能性は高いだろう」


 まともな地図もなく、名前も分からないこの川は「西の川」と便宜的に呼ばれている。

 安易な名前であったが、文句をいう者もいなかった。


「弾は36発―― 後送されると言ってましたが…… これ、どうなるか分かりませんよ」


 木村軍曹は周囲を見やっていった。

 それは当然理解できる。

 軍馬の利用などできるものではない。人力で砲弾を運ぶとなると当然数は限られる。


「大発の利用はできないんですかね 小隊長殿」


 木村軍曹は言葉を続けた。


「難しいだろう。最近は、船を出すと、即敵の飛行機が飛んできやがる―― 確実に見張られている」


 おそらくポートモレスビー周囲にはかなりの数の、敵監視兵が潜んでいると思われた。

 一部では、密林内で遭遇戦も発生している。

 密林内の移動は苦行ではあるが、密林は敵機からの攻撃も防いでくれる存在だった。

 いま、この場所も、上空からは発見が難しいことは想定される。


「糧秣(食料)は10日分で、砲弾は36発か……」


 独り語ちるように松本少尉は行った。


 糧秣に関しては、帝国陸軍が定めた戦時基本定量というものがある。

 兵1人あたり、米660グラム、麦210グラムを中心に、野菜、肉、みそ、醤油、塩まで規定量が定められている。

 しかし、戦地ではとてもこのような規定は守られるものではなかった。

 また、支給されたとしても、その重さゆえに行軍を更に困難にさせただろう。


 彼らの食料は、米と麦、乾燥野菜、粉末醤油で全て合わせて1日500グラム程度。

 重さでは5キログラムになる。


 兵にとって戦争とは、重い荷物を持って歩くことであると言っても過言では無かった。

 敵と銃撃する戦闘行為の方がよっぽど楽だという感想を持つ者も多い。

 戦闘行為により、一時的に脳が興奮状態となり、疲れを忘れさせるからだろうか。


「なすべきことをなすだけだ」


 松本少尉は自分に言い聞かせるようにその言葉を口にしていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「伍長殿 武藤伍長殿」


「なんだ? 岩崎?」


 武藤伍長は岩崎一等兵を見やった。

 泥と汗にまみれ、汚く汚れている。おそらく自分も似たようなものだろう。


「なんか、あっちで音がしました。敵の遊撃部隊では?」

 

 岩崎一等兵が震える声で言った。


「お前が、気付くような敵なら、台湾軍がとっくに気付いているだろうよ」


「そうですかね……」


 彼は先頭で鉈を振るう高砂義勇兵に視線を送る。

 密林で頼りになる彼らは下士官兵たちの間では「台湾軍」とある種の尊敬を込めて呼ばれていた。


 密林の底。緑の深海は、人の恐怖感を揺り起こすものだった。

 まず、昼間なのに、視界がきかない。

 どこに敵が潜んでいるのか分かったものじゃない。

 特に、岩崎一等兵が臆病だというわけではない。むしろ、戦場ではこれくらい慎重な奴の方が役に立つ。


 武藤伍長、岩崎一等兵の所属する中隊は、密林の中を進んでいた。

 中隊は3小隊からなり、小隊は4つの分隊からなっている。

 彼の分隊は、擲弾筒を装備した分隊だった。

 小隊は擲弾筒装備と軽機関銃装備の分隊に分かれている。

 本来は、軽機が3で擲弾筒が1という割合だが、彼の小隊は自分たちを含め2分隊が擲弾筒を装備していた。


 八九式重擲弾筒。

 帝国陸軍が装備している軽迫撃砲ともいえる武器だ。

 800グラムの専用弾を670メートまで飛ばすことができる。

 火制出来る範囲は、100~670メートル。

 帝国陸軍の中隊が、この八九式重擲弾筒を一斉発射した場合、瞬間的には同規模のアメリカ軍を上回る投射弾量となる。

 威力半径は8メートル以上。野砲に匹敵する威力がある。


 彼らの任務は、敵砲撃拠点を急襲し、砲の破壊であった。

 一部では、このような攻撃部隊は編制せず、補給線の寸断による砲撃の阻害を主張する声もあった。

 実際に、現地偵察を実行した浜名少尉も、そのような方法を意見具申していた。


 確かに、補給線を寸断する方が、効率的であり、こちらの被害も少なくて済む。

 問題は、本当に補給線がそこに存在するのかどうかという点だ。

 河川を利用し、補給を行っているというのは、可能性としては高いものであったが、実際に確認されたものではない。

 そして、それを確認するだけの手間暇をかけるだけの余裕も、無くなりつつあった。


 結果として、補給線と予想される場所への砲の配置と、砲撃拠点への直接攻撃の2つの作戦が同時に実行されることになった。


 大発による細々とした補給はなんとか継続していた。

 水上機の配備で、一時は、状況は好転したかに見えたが、今度は水上基地が執拗な銃爆撃を受ける様になった。


 4機の稼働機の行動は大きく制限されている。

 

 敵機は徐々にその数を増やしてきており、どちらともつかなかった制空権は、徐々に日本軍にとって雲行きが怪しいものになりつつあった。

 ラバウル、ラエからの航空支援は行われているが、ラバウルはソロモン方面からも圧力を受けており、全力をポートモレスビーに向けられなかった。

 また、ラエ基地は奮闘していたが、搭乗員、機材の消耗は無視できない物となりつつあった。


「とにかく、早く敵さんと撃ちあった方が楽だな」


 武藤伍長は耳をほじくりながら言った。耳の中にまで汗が入り込んでいた。


「確かに、そうかもしれませんね。少しでも弾を撃てば軽くなりますから」


 岩崎一等兵はそう返事をした。

 確かに、彼の体は装具の重みでひん曲がりそうになっていた。


 今、密林の底を這うように進む、武藤伍長や岩崎一等兵にとっては、戦略状況など知る由もない。

 彼の最大の関心は、この重い装備をなんとかしてくれということだった。

 その次に、敵の状況がどうなのだろうと考えることだ。


 彼らは、ただひたすら重い装具を抱え、緑の深海を喘ぐように進むしかなかった。

 その先に、なにがあるのかということさえ、良く知らされていなかった。


        ◇◇◇◇◇◇


「陸軍側からは色よい返事はなしか……」


 俺は予想していた通りの報告を聞いてつぶやいた。


「航法に自信が無いのでしょうな。大陸、ビルマ方面で手いっぱいということを言っていますが」


 黒島先任参謀が言った。

 

「そんな、役に立たぬ陸軍の飛行機など生産停止にして、全部海軍機にすべきです!」

 

 宇垣参謀長が言った。そして、手帳になにか書いた。陸軍に対する呪詛でも書き記しているのだろうか。


 海軍中央部では、ニューギニア方面に陸軍航空隊の派遣を要請していたが、陸軍側はそれを渋っている状況であった。


 現在、ポートモレスビーでは、砲爆撃を受けながらも、必死の作業で、飛行場の復旧を行っている。

 見かけはちゃちなリヤカーのように見えた排土車も、砲爆撃で出来た穴を埋める作業には十分以上の貢献をしていた。

 その他にも、転圧のローラを引かせるなど、この安っぽい機材は色々と使うことが出来た。


 戦地からの報告で、予想以上に使える機材であることが分かった。

 大日本超積載車両工業の下山田社長には更に発注量を増やしている。

 あの、丸メガネの社長は結構やり手なようで、中小、零細工場をまとめ上げ、リヤカー型排土車の量産を成し遂げつつあった。

 まあ、物が物だけに、小さな工場でも作れるのは大きい。単純な構造だし。


「飛行場の利用はできそうだけど、飛行機が無いか……」


 ポートモレスビーの2つの飛行場の内、東側の飛行場が、なんとか使用できそうになってきた。

 内陸からの擾乱砲撃さえ、止めることができれば、戦闘機の運用は可能になるとのことだ。

 その砲撃拠点に対する、攻撃も行われる予定だと陸軍からは報告が入っている。


 砲爆撃を食らいながらも、頑張った現地設定隊には頭が下がる。

 後は、陸軍がなんとか、砲撃拠点を排除してくれればいいだけのはずだったんだけどね……


「空母艦上機の転用をして――」


「それは、避けた方がいい」


 渡辺参謀とは何度もこのやりとりをしている。

 空母機の転用は、軍令部からも提案があった。

 しかし、今は空母部隊の再建が最優先だ。

 彼女たちが満足に飛行機を持っていないのでは、今後の戦略上非常に危険だ。

 すくなくとも、一定水準以上の練度のある航空隊は維持しないといけない。


 空母部隊の再建は最優先で行われる必要がある。

 

 だから、海軍には余裕がない。航空機も搭乗員も余裕がない。

 とにかく、搭乗員の大量養成を行ってはいるが、まだ効果が出るのは先の話だ。

 これだって、航空派の士官を増やすことに、組織内に大きな抵抗を受けながら実現したことだ。


 最優先すべき空母部隊の再建。

 ソロモン方面から圧力を受けるラバウルでの航空戦の激化。

 搭乗員養成はまだ途上。


 結果として、最前線となったポートモレスビーにある航空戦力は水上機4機というのが現状である。

 ラエの航空隊を前進させることもできるが、それでも支えきれるかどうかは分からない。

 それだけ、ポートモレスビーに対する圧力は高くなっている。

 しかもそれは、数的な不足の問題を解決してない。

 

 

 飛行場の利用が可能になった段階で陸軍の航空隊を進出させたい。

 飛べる機体でありさえすれば、なんでもいいという気分になってくる。


「陸軍とは粘り強く交渉すべきだ。最悪、こちらから交換材料を出してもいい」


 俺は、以前提案して却下された交換材料の話を出した。

 幕僚たちが顔をしかめる。


「ひっぺがした山城の装甲板を陸軍の鉄資材として譲渡してもいいんだ」


 戦艦の装甲板で航空隊が出てくれるなら安い物だ。

 改造中の山城の装甲板はかなりの優良な鉄資源だ。

 陸軍にとっては、非常にありがたいものだろう。


 俺は、本気でそう考えているのだった。

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