その66:血戦! ポートモレスビー その9
「捜索隊が敵砲撃拠点を発見しました」
川口清健少将は腕を組んだまま、幕僚の報告を聞いている。
今、ポートモレスビーを「占領中」の彼らを悩ませている擾乱砲撃。
その砲撃拠点の概算位置が分かったという報告があった。
司令部は市街地の無傷の家屋を利用している。
かなり大きなものだ。
市街の家屋の多くは無傷だった。
連合国側も撤退時に破壊するという選択肢があっただろう。
ただ、おそらくは時間がなかったこと。
そして、トラップを仕掛け、こちらに被害を出させ、神経戦に巻き込むことを狙ったのだ。
ポートモレスビー市街の建物にはかなりの量のトラップが仕掛けられていた。
少なくない被害を出しながらもその排除は完了していた。
「正確に発言しろ。概算の位置が分かっただけだろう」
彼は幕僚の発言に対し叱責の色をにじませた言葉をぶつけた。
「はい! 訂正します。敵砲撃拠点の概算位置を特定したのであります」
彼は幕僚を一瞥すると、黙ったまま、ニューギニアの地図を見やった。
そこには、報告のあった砲撃拠点が記されている。
しかしだ。
この地図自体がどうにもならないものだ。
日本軍はニューギニアの正確な地図を持ち合わせていない。
そもそも、ここが戦場になることなど帝国陸軍は想定していなかったのだ。
マレー、スマトラなど南方方面の地図は、開戦前に駆け込みで各地から収集した。
帝国大学が資料を集めているという名目で買い付けたものが多数ある。
その中に、ニューギニアの地図など無い。
川口少将も知らないことであるが、オーストラリアですら完全に正確な地図を持っていないのだからどうしようもない。
その地図は海岸線の書かれた海図に航空写真を貼り合わせ、周囲で判明している高地を書きこんだだけのものだ。
それでも、無いよりはだいぶましだ。
そもそも、正確な地図を作ろうにも、雨が降れば河が出現し、その地形が変わってしまう。
海岸線以外は凄まじい密林に包まれ、海の底のようなものだ。
スマトラの密林も経験したが、全く次元が違っている。
「海軍は動いているのか?」
川口少将は口を開いた。
「はい! 海軍の水上機が上空を偵察しております」
彼は一応満足そうに頷いた。
ポートモレスビーの飛行場は2か所ある。
しかし、両方とも擾乱砲撃と、爆撃により使用できる目途が立っていない。
ようやく海軍が水上機を派遣し、一応の上空警戒が出来るようになっている。
ただ、命令系統が一本化されていないため、自分たちの都合のいいように水上機を動かすというわけにはいかない。
彼らは、主に海上補給線の確保のために動いていた。
それでも、面倒な命令系統を通し、なんとか砲撃拠点の偵察に動かしている。
言葉で言うのは簡単だが、海軍の戦力を動かすのは凄まじく手間がかかる話だ。
陸軍内部ですら、歩兵部隊が航空支援を受けるためには、航空軍に連絡を入れ、その上で航空戦力を動かす必要があった。
それゆえに、陸軍では手軽に動かせる航空戦力として「軍偵察機」という機材が整備されている。
九八式直接協同偵察機という機体が存在する。
それが、陸上部隊と連携し、支援するために造られた機体だ。
荒れた飛行場でも使用できるし、限定的ではあるが爆撃能力もある、ある種の万能機だ。
川口少将はその存在を知っているし、それを欲してはいたが、現状では無理な話であることも理解していた。
「まずは、コイツを叩き潰さねばどうにもならんな」
川口少将はそう言うと、人差し指でグリグリと地図をこねる。
その場所は、砲撃拠点があると思われる場所だった。
◇◇◇◇◇◇
「アメリカの秘密基地ってどんなのですかね?」
藤田一飛の声が風とエンジン音に混じって聞こえてきた。
「さあな、それを確認するために俺たちが飛んでいるわけだからな」
神田一飛曹は周囲を見張りながら答える。
眼下の風景はある意味ゾッとするものだ。
緑の多い土地というのは、人間に安心感を与える物だろう。
すくなくとも、茫漠とした荒地や砂漠、海のど真ん中よりは。
しかしだ。
このニューギニアの緑は、人の恐怖感を呼び覚ますものだった。
上空から見て一面の緑。その緑が海のように広がっている。
こんなとこに、パラシュート降下したらどうなるのか。ゾッとする。
「神田一飛曹。ニューギニアは人食い人種がいっぱいいるらしいです」
「ああ、そうか」
この藤田一飛はどこで仕入れてくるのか、こういう与太話をキャッチするのが早い。
始末に悪いのは、全てを与太話と断定できないことだ。
中には、一部真実を含んでいる場合があるので、油断できないのだ。
彼らの乗る零式水上観測機は、巡航で4時間の航続力を持つ。
徹底して、周辺を偵察する計画となっていた。
さらに、3番(30キロ爆弾)も2発搭載している。
艦艇に対する攻撃力としては、鼻くそみたいな爆弾だが、陸上施設に対してなら大口径砲以上の破壊力がある。
「このあたりか?」
「そうですけどね。何もありませんね」
ポートモレスビーから見て南の高地。
その反対斜面に砲撃拠点が存在するというが、全く痕跡が判別できない。
相当な砲撃を行っているはずなのに、どうやって補給を受けているのか?
「道路みたいなものが確認できたら、報告してくれ」
神田飛曹長は言った。自動化の進んでいる米軍のことだ。水陸両用車で補給を行っていてもおかしくない。
近くには比較的大きな河が流れている。
ここを遡上すれば、結構近くまで進める。
「あれ?」
藤田一飛が声を上げた。
「どうした?」
「色が変です。右です。前方30度。枯れてますよ。葉が枯れてます」
「え?」
神田飛曹長は、フットバーを蹴り、機体を傾け大きく旋回する。
確かに、藤田一飛の言うとおりだった。
河原に面した森林の一部が枯れていた。よく見なければ分からないが、確かに周りとは違う雰囲気があった。
ただ、それが上空から道路が発見されないための欺瞞かどうかは確証はない。
彼は、事実のみを司令部に報告するように、藤田一飛に命じた。
判断は、偉い人がやってくれればいい。そのために、高い俸給をもらっているのだ。
零観は、その航続力の許す限り、偵察行動を行った。
それ以上、めぼしい発見は無かった。
地上から位置が特定できたとしても、上空からの攻撃は困難ではないかと思った。
密林の底から砲撃されたのでは、上空からでは正確な場所が分からない。
また、掩体が用意されていれば、さらに爆撃での破壊は困難になってくる。
上空に居座ることで、砲撃を阻害することは可能だが、ポートモレスビーにある機体は、自分たちも含め4機だ。
しかも、任務はこれだけではない。本来であれば、海上補給線の警戒が主任務になのだ。
神田飛曹長がそろそろ帰投しようかと考えたときだった。
「左50度方向、敵機! 敵機です!」
藤田一飛が叫んだ。
神田飛曹長は、その方向を見やった。キラリと銀色に輝く機体。こちらより高度が高い。
完全にかぶられている。
敵機はグングンと近づいてくる。
「なんだ? あの凧みたいな機体は」
神田飛曹長の第一印象は「凧」だった。双胴の液冷機。
後に多くの海軍搭乗員に「メザシ」と呼ばれることになる異形の戦闘機。
P-38であった。
変な形をした機体であったが、その機動は速かった。
この零観は、敵戦闘機との戦闘も可能とされていたが、実際はかなり厳しい。
相手が、爆撃機や攻撃機であれば、優位に戦うことができるが、戦闘機相手では分が悪い。
神田飛曹長が知ることのない事実であるが、P-38は最高速度が時速630キロを超える。
1942年時点、太平洋最速の戦闘機といってよかった。
一方、水上機としては破格の高性能といっていい零式艦水上機であるが、本格的な戦闘機と比べられるものではない。
その最高速度は370キロ程度。
確かに、旋回性能を生かした格闘戦になれば、敵の1線級戦闘機と戦うことも可能だ。叩き落すことさえできる可能性があった。
ただ、それは多くの幸運がこちらに味方した場合に限るだ。
その点、神田飛曹長は、零観を高く評価していたが、限界も知っていた。
無理なことは絶対にする気はなかった。
彼はまず、爆弾を捨てる。
黒い礫のように爆弾が緑の海に吸い込まれるように落ちていく。
そして、ささやかな爆炎を上げた。
上昇するのは危険だった。神田飛曹長は、敵の機動からその性能を類推する。
双発機…… 軽爆撃機の一種か?
一瞬、その考えがよぎる。しかし、その機動は爆撃機にしては、俊敏すぎた。
戦闘機だ。
彼の経験が敵の正体の一部を突き止める。
おそらくは新型機だ。会敵経験のある米海軍のF4Fよりかなり速い機体に思えた。
「2個もエンジン積みやがって、ぜいたくな戦しやがる。相変わらず」
悪態をつくように彼は言った。
彼は日本海軍と陸軍でそれぞれ別々に双発戦闘機を開発していることなど知らないのだ。
敵機は機首をこちらに向け、突っ込んできた。
反射的に操縦桿を倒す。マイナスGで内臓が浮き上がる。何度やっても嫌なものだ。
それでも低空を這うように退避するしかない。
神田飛曹長は瞬時にそう判断していた。
プロペラで木の枝を叩きそうなくらい高度を下げていく。
こうすると、高度の優位は使えなくなる。下手に突っ込めば、自分が密林に突っ込んでしまう。
瑞星875馬力エンジンが、軽快な音を上げる。エンジンが快調なことは救いだった。
ガシャガシャと後ろで音がする。藤田一飛が、7.7ミリ機銃を操作していた。
そうだ。逃げてばかりじゃない。こちらにだって反撃の牙はあるんだ。
敵は1機だった。
偵察任務か。これが複数機であれば、絶望的な状況だ。相手が1機であればなんとかなる。
神田飛曹長は、首筋にチリチリした感触を覚えた。
その瞬間ためらわず、フットバーを蹴飛ばす。機体を横滑りさせた。
高度維持能力の高い複葉の零観は、滑るように密林上空を機動する。
先ほどまで、彼がいた場所に太い火箭が突き抜けていく。
空気の焦げた匂いが感じられるほど近くだった。
タタタタタタタタ――
軽快な音が響いた。
藤田一飛が7.7ミリを発射した。チラリと振り返る。
敵に比べてどうしようもないほど細い火箭が伸びている。
全然見当違いの方向だ。
それでも、撃たれていると言う事実が敵を慎重にさせたのかもしれない。
すっと距離が空いた。
神田飛曹長はスロットルを叩きこむ。
とにかく、逃げる。ポートモレスビーまで逃げ切る。
それしかなかった。
◇◇◇◇◇◇
高砂義勇兵の田中が蛮刀を振るう。
竹のような植物。トゲの多い、嫌らしい木が切断されていく。
高地を目印として、背後に回っていく。
井上軍曹は地図を確認し、現在位置の見当をつける。
時計を確認する。
すでに、陽光は大きく西に傾いているはずだ。
ただ、密林の底ではそれすらもよく分からない。
無理をする気はない。
とにかく、敵の場所の特定。少なくとも前衛陣地の存在の有無が確認できればいいと思っていた。
そもそも、敵拠点にどの程度の兵力が存在するのかも現時点では不明なのだ。
砲はおそらく8~10門。15センチ以上の重砲である。
これを運用し、更に守りを固めるなら、それなりの兵力が必要だと思っている。
井上軍曹にはその見当がつきかねた。
ただ、勘として500人前後の部隊ではないかと思っていた。
田中が動きを止めた。
そして、伏せる様に合図を送る。
全員がその場に伏せた。といっても3人しかいない。
「こんなところに……」
密林はそこで終わってた。
背の低い灌木がある草原といってもいい場所が広がっている。
井上軍曹の視線は一か所に釘付けになっている。
機銃陣地だった。
それは土嚢を積み上げた機銃陣地だ。
おそらくここが敵拠点の前衛部分なのか。
木々の間から身をひそめじっと見つめる。
「米兵か?」
軍人とは思えないだらしない歩き方で、銃を担いだ男が、機銃陣地に向かってきていた。
こんな、奴らが敵なのか?
自然と井上軍曹の口が笑みの形となってくる。
太陽はすでに沈みかけている。
ここ赤道に近いポートモレスビーには、夕刻の薄暗がりの時間がほとんどない。
まるで、スイッチを切り替えるかのように、闇夜となる。
この時間帯に、ここを発見したのは僥倖以外の何ものでもなかった。
彼は、手を伸ばし確認する。手りゅう弾はある。
各自2発だ。一応軍属という身分の田中は持っていないが、全部で4発。
敵を目にした井上軍曹の中に、ムクムクとした功名心に似た何かが浮上してくる。
あの機銃を鹵獲できるのではないか。
「日が沈んだら、行くぞ」
井上軍曹は小さくつぶやいた。
漆黒の闇はすぐそこまで迫っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます