その65:血戦! ポートモレスビー その8

 陸奥の司令部として使用している部屋はやはり狭い感じがする。

 この狭い空間が、世界史上最大の戦域となる大戦争の行方を左右する中枢部の一つだ。

 室内の扇風機は、夏の蒸れた空気をかき混ぜる。

 その風の音だけが室内に響いていた。


 俺は視線をテーブルの上で固定する。

 正確に言えば、その上にある地図だ。

 ニューギニア、オーストラリア北部、ソロモン方面の地図。

 地図の上には、各地の日本側と連合国側の戦力が書かれた厚紙が置いてある。


「あまり良い状況ではありませんな――」


 黒島亀人先任参謀の言葉が沈黙を破った。

 一斉に、幕僚の視線が彼に集中する。当然、俺も彼を見た。

 彼の次の言葉を待った。


 しかし、黒島先任参謀は、ジッと地図を見つめ、そのまま黙った。

 沈黙の時間が過ぎていく。


 1942年も半分以上が過ぎ、季節は完全に夏になっていた。

 

「もっと分かりやすく言ったらどうだね?」


 宇垣参謀長が不機嫌な顔のまま、黒島先任参謀を見やる。

 黒島先任参謀は、チラリと視線を動かすが、意に介さず沈黙を続ける。

 おそらく、その独特の思考回路が、何かしらを考えているのだろうとは思う。

 なんだか知らないけど。

 

 とにかくだ。

 簡単に言ってしまえば、太平洋方面の戦線は完全に膠着していた。

 それはそれで、俺の考えていた戦略の道筋からは外れてはいない。

 ただ、それは問題が全く無いということを意味してない。

 むしろ、問題は山積みといってよかった。


「制空権が握りきれないな」


 俺の小さな呟きに、沈黙していた黒島先任参謀が反応した。


「航空戦力の損耗が大きすぎましたな」


「だが、勝ったのは我々だ」


 宇垣参謀長は事実を確認するかのように言った。

 それは正しい。

 勝ったのは日本海軍だ。


「ポートモレスビー沖海戦」では、アメリカ海軍に大損害を与えている。これは間違いない。

 更に、戦略目標だったポートモレスビーとラビの占領にも成功した。

 

「我々は、あまりに背伸びをしているのかもしれません」


 三和参謀が地図を見つめながら言った。

 国力の限界を超えた場所での戦闘。それに勝利しても、自分たちの負担をさらに増やし首を絞めていく。

 そう言った現実を彼は言ったのかもしれない。

 ただ、そんなことは分かっている。

 そもそも、アメリカ相手に戦争始めたことが、国力の限界を超えた無茶なんだ。


 詰むことが分かってる戦いをズルズル引き伸ばして、国際環境の変化を待つ。

 他力本願の方法であるが、今の日本に出来るのはそれしかない。

 そして、今ここでは、出来ることを精一杯やっていくしかないんだ。


「情報部の解析では、アメリカ海軍の残存正規空母は2隻だ」


「ポートモレスビー沖海戦」でワスプ、レキシントンを沈めた。

 ヨークタウンとサラトガは取り逃がした。

 サラトガにはかなりの損害を与えたが、アメリカの工業力を考えると早期に復帰してくるだろう。

 あちらだって、稼働空母1隻などという危険な状態を長く続ける気はないだろう。


 もしかしたら、護衛空母や軽空母の建造を前倒しにして戦力を再建してくるかもしれない。

 大西洋にいるレンジャーを太平洋に回す可能性もある。

 今のところ、そのような動きは掴んでいない。

 しかし、それはアメリカが、それをやっていないということを保証するものではないんだ。


「我が方は、赤城、隼鷹、そして龍驤、瑞鳳、祥鳳があります。空母では我々が上です」


 渡辺参謀が言った。それは事実だ。

 確かに空母戦力では、現在アメリカを完全に凌駕している。

 

 逆に言えば、アメリカは貴重な空母を絶対に出してこないということだ。

 しかも、こちらから攻めて決戦を強要できるほどの優位はない。

 

 こちらの損害を考えなければ、ソロモン方面などに投入することもできるだろう。

 しかし、こっちはもうこれ以上の空母喪失は避けたい。


 貴重な空母を投入して、得られる重要拠点が無い。

 少なくとも、今の戦力で攻めていける拠点はどこにも存在しなかった。


「空母はトラックで待機だ。敵の出方を待ったほうがいい」

 

 自分で言っていて、どうかと思う。

 それは、あからさまな艦隊保全主義だった。


「消極的に過ぎるのではないでしょうか?」


 渡辺参謀が異を唱えた。長身の彼が俺を見つめる。威圧感がある。

 俺は正体を明かしたが、彼らの対応はさほど変わっていない。

 どうも、山本五十六という人間に、未来の人間が憑依して、神託しているという理解のようだ。

 それは、ほとんど正しいのだけど。

 彼らからは、俺は山本五十六に見えるわけで、中々態度を変えにくいというのがあるのだろう。


「今の戦力で豪州北部に突っ込ませるか? 危険すぎるぞ」


 豪州北部の基地などに痛撃を与えて離脱するという戦法はとれるかもしれない。

 でも、それでどうなる。

 敵は、淡々と被害を回復するだけだ。

 やらないよりやった方が、成果はでるかもしれないが、数か所の基地を今の空母戦力で叩いたところでどうにもなならない。

 あまりに、一過性の物だ。


 戦艦による艦砲射撃も検討したが、移動距離が長すぎる。

 これは気付かれないはずがない。

 日本にはアメリカみたいにリスク度外視の作戦はとれない。

 人命重視なんじゃなく、失ってしまうと補充の戦力がないからだ。


「とにかく、ポートモレスビーの基地機能を回復させないと話になりませんな」


「となると、一時的にせよ、制空権の確保。限定的でも構わないので――」


「すでに、特設水上機母艦により、二式水戦、零観の配備を進めておりますが」


「たかだか、数門の砲で基地が機能しないとは、陸軍は弛んどるのではないでしょうか」

 

 幕僚の会話が止まる。宇垣参謀長の陸軍批判で静かになった。

 やはり、そこでみんな納得している部分があるのだ。


 なんというか、状況が不味くなってくると、お互いにお互いを責めるのは史実と同じだ。

 今頃は陸軍も「海軍の戦に巻き込まれた! 補給くらいきちんとせんか!」と言っているかもしれない。


 ポートモレスビーの基地機能をマヒさせている大きな要因となっている砲撃。

 それを行っている連合国の内陸部の拠点は、陸軍になんとかしてもらうしかない。

 こちらも、駆逐艦、巡洋艦による奇襲的な砲撃を行ってはいるが、場所がしっかり特定できないので、効果が無い。

 また、分厚い密林は航空攻撃も困難にしている。

 ラエ、ラバウルからの攻撃も成果を上げていない。

 ポートモレスビー基地の陸上部隊との連携が取れないのが痛い。


 やはり、陸上拠点の確保は陸軍だ。こちらは支援はできるが、限界がある。

 船は陸には上がれないんだ。


「とにかく、制空権の確保ですな――」

 

 黒島先任参謀が言った。今、ポートモレスビー周辺の制空権はどちらともつかない状況にある。

 ラエから零戦を飛ばすことは可能であるが、ずっといられるわけじゃない。

 内陸部の砲撃に合わせ、ホーン岬には複数の基地が設定されており、連日B-17の空襲がある。


 しかし、ポートモレスビーの基地機能を回復させれば、それで終わりかというとそうもいかない。

 そこから先も厳しい道のりだ。


「航空機の生産状況はあまり進んでないね……」


 俺は手元の書類を見た。

 今年7月までの零戦の生産は425機だ。

 三菱と昨年末から生産を開始している中島で合わせて月産80機というペースだ。


 これだけの航空機を作れる国は世界でも数少ない。

 明治維新から3世代。その驚異的な発展は奇跡といっていいかもしれない。


 だが、相手にしている国はチートなんだ。

 その数少ない国の中でも断トツのNo.1の生産力の国なのだ。

 なんでこんな国と戦争になってしまったのか……

 まあ、今さら言っても仕方ないけど。


 ただ、航空消耗戦になるとね。

 ひと月分の生産数なんて数日で吹っ飛ぶ。

 今回の勝ち戦ですら、これの倍くらいの零戦を失っているんだよ。

 戦闘だけじゃなく、事故機とか、あの人殺し提督の無茶苦茶運用で。

 まあ、アレなかったら、空母が沈んでいたかもしれないけど。


 やばいよ。これ、どーすんだよ。


「2号零戦も先月より生産を開始しております。来月には配備も可能となります」


 三和参謀が書類を見ながら言った。


 2号零戦とは零戦32型だ。

 エンジンを栄21型に強化。

 馬力は約200馬力アップ。2速過給機で高高度性能が上がっている。

 更に翼端を切り落とし、横転性能と速度性能の上昇を狙っている。

 そして、苦情の多かった20ミリ機銃の搭載弾数は100発まで増やしている。

 

 確実に性能がアップしているにも関わらず、32型は史実では評判の悪い機体だ。

 性能は向上したが、航続力が落ちたのが原因だった。

 その航続力不足がこの機体の史実での評価を歪めた。


 そもそも零戦の航続力は異常だ。

 この32型でも、他国の戦闘機よりも長い航続力を持っている。

 それでも、ラバウルからガダルカナルへの攻撃には使用できなかった。

 せっかくの高性能機が、たまたま、その時期の作戦のため「欠陥機」扱いになってしまった。


 更に、堀越二郎不在中に、翼端をばっさり切り落としたもんだから。

 この人が超怒り狂ったというのもある。

 彼の美意識に反したらしい。

 戦後も著書で散々書いていた。そう言ったのも影響あるかもしれない……


 だが、今回はそんなことはない。

 その空中性能は確実に21型を凌いでいる。


「十四試局戦改はどうなんだろう?」


「試作機の性能は素晴らしい物があります。今年中には量産に入れるのはないでしょうか」


 機体の方は順調なようだ。

 しかし、いかに高性能な機体だって、運用、支援体制が整備されてなければ戦力にならない。

 戦争はカタログ性能の比べっこじゃない。

 いかに航空基地の支援体制を万全のものとするのか。それが絶対になにより優先されることだ。

 そして、数を揃えること。多少の性能差など数の優位の前には無力だ。


「やっぱり、補給なのか……」


「そうです。そして、そのために、制空権、制海権を確保することです」


 黒島先任参謀が俺を見つめて言った。


 基地機能の維持には補給線の確保が必須。

 補給線の確保には制空権、制海権の確保が必須。

 制空権、制海権の確保には、航空優勢の確保が必須。

 航空優勢の確保のためには、基地機能の維持が必須。


 俺は、終わることに無い永久ループの中にいるような気分になった。

 どーすりゃいいの?


        ◇◇◇◇◇◇ 


 浜名少尉は塩の錠剤を口にいれ、水筒の水で流し込んだ。

 ドロドロした汗が体中を流れているのが分かる。


 密林を進んでいた彼の部下の内3人が高熱を発症。

 マラリアだった。

 予防薬のキニーネは配布されていたが、凄まじい苦みのために飲まない兵がいた。

 彼らも飲んでいなかったのだろう。


 浜名少尉の率いる斥候隊は、敵拠点の概算位置を特定していた。

 そして、ポートモレスビー本部への連絡のため、密林に慣れている高砂義勇兵2人を向かわせていた。

 彼らは台湾の少数民族であり、その身体能力は驚異的なレベルにあった。

 台湾の山岳地帯3000メートルを超える山地を生活の拠点としている少数民族だった。

 

 連合国をして、「モンスター」「密林のスーパーマン」と恐れられた日本兵を遥かに上回る能力をもっていた。

 

「少尉殿、渡河可能な地点があります」


 井上軍曹の報告を聞いて、浜名少尉は「そうか」とだけ答えた。

 アメリカ軍は丘のような高地の反対斜面に砲陣地を築いている可能性が高い。

 ただ、現時点では、それ以上のことは分からなかった。


「渡河すべきです。少尉殿」


 強い調子で井上軍曹が言った。


「司令部からの連絡を待った方がいいだろう」


 司令部に連絡がいけば、おそらくはもう少しマシな戦力が派遣されるはずだ。

 今のこの部隊では威力偵察もできない。


「渡河先の状況も確認すべきでしょう」


「理屈は分かるがな」


 浜名少尉とて、井上軍曹の言っていることが分からないわけではない。

 士官学校出たての経験のない少尉ではないのだ。

 彼は、熟考するかのように、口元を手で押さえた。


 どうすべきか――


「自分と山田兵長で、索敵にでます。自分たちが渡河します」


 井上軍曹の言葉の中に、強い決意を感じた。

 確かに、このまま本部との連絡を待ち、なにもしないというのも芸が無いのは確かだ。

 渡河地点先の情勢が全く不明というのも、あまりに仕事が中途半端だろう。

 

「無茶はしないこと。戦闘は避けろ。絶対にだ」


 浜名少尉は言った。


 この密林の中、敵が無警戒でいるはずはない。

 何らかの形で、自分たちを待ち受けているはずだ。

 ポートモレスビーで数多くみられた、ブービートラップの類が密林内にあるかもしれない。


「田中を連れていけ、密林内の行動だ。彼の力が必要だろう」


 田中というのは日本名。スバニという名のアミ族の男だった。

 赤銅色の肌、精悍で彫の深い顔をしている。

 落ちくぼんだ眼窩は、明らかに日本人ではない民族の特徴を持っていた。

 その男が、すっと前に歩み出た。


「では、浜名少尉殿、井上軍曹以下、2名、敵砲陣地の索敵にかかります」


 軍隊のメンコの数(メンコとは軍隊で食べる食器のこと。軍歴が長いことをメンコ数が多いという)を重ねただけのことのある隙のない敬礼を見せる井上軍曹。

 彼らは渡河可能地点に向け進みだした。

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