その63:血戦! ポートモレスビー その7

 歩兵第三五旅団長の川口清健少将はいら立っていた。

 その巨躯は怒りでパンパンに膨れ上がりそうだった。


 司令部脇の防空壕は、丸太を格子状に組み合わせ、土の入ったドラム缶を積み上げている。

 短期間で作り上げたにしては、かなり頑強な物と言えた。

 ただ、さすがに狭すぎた。

 川口少将は、その狭く、暑苦しい空間に、閉じ込められるのが我慢できなかった。


 まず、その怒りは上空を飛び、爆弾を落としていく敵の重爆に矛先を向ける。


「精神力で飛行機は落ちないかな……」


「閣下……」


 幕僚がジッと顔を見つめる。

 精神力で飛行機が落ちるなどと、どんな教本にも書いてない。

 バカなこと言ったと、川口少将は反省する。

 この、近代火力戦の世の中に、俺は何を言っているのかと――


 しかし、精神力で敵機が落せればどんなにいいかと思ったのは事実だった。

 帝国陸軍少将ともあるものが、そのような不合理なことまで考えるほど、イライラしていた。


 とにかく、敵の重爆は厄介だった。

 こちらに、対抗手段がないので、いいようにやられている。


 連日の切れ目のない爆撃。

 おかけで、飛行場、鉄道、道路の復旧が全く進まなかった。

 市街、鉄道、飛行場は、あちらこちらに手りゅう弾や缶入りの爆薬を仕込んだ罠が仕掛けられていた。

 上陸して数日は、かなりの被害があった。

 ようやく、罠を撤去したと思えば、連日の爆撃だ。


 重爆10機前後の編隊は、大編隊とはいえないかもしれないが、上陸直後の彼らの活動を著しく制限していた。

 海軍の設定隊という土方人足の集団が「排土車」といって、ちゃちな六輪車を乗り回している。

 滑走路の穴埋めまではできているが、次の日には新しい穴ができる。

 賽の河原で石を積み上げるようなものだ。


 ただ、伐採した木材の運搬や、持ち上げなどにも使えるので、防空壕の設営には役に立っている。

 

 野戦高射砲は無いではないが、数が少なく、砲弾も潤沢ではない。

 輸送中に弾薬船を失ったのが大きかった。

 いくつかの砲は反撃を行っているが、成果は上がっていないようだった。


 山脈の反対側のラエから海軍の戦闘機が飛んでくるが、爆撃阻止には間に合わない。

 敵は去った後だ。燃料の無駄遣い以外の何ものでもない。

 最近になって、ポートモレスビーでも、海軍が水上機を配備する動きを見せている。

 上空から見えないように施設を建設しているが、完成するのはまだ先だ。

 川口少将も、他の陸軍将兵のように、海軍の航空機の性能を認めるのにやぶさかではなかった。

 陸軍側も、航空に関しては、海軍の方が自分たちより数年は進んでいるのではないかと考えていたのだ。

 海軍の航空機であれば、水上機でも上等な性能の機体ではないかと漠然と思っていた。 


 実際は、同じ国の軍隊なのだから大差があるわけがない。

 海軍機は航続力に優れるが、陸軍機は早くから防御思想を取り入れている。

 運用、教育に関してもそうだ。

 陸軍の搭乗員は大陸での戦闘を想定しているので、海上の航法教育を受けていない。

 これが、太平洋方面での作戦に掣肘を加えていた。

 しかし、海軍の単座戦闘機は一部の例外的な搭乗員を除き、夜間飛行が出来ない。

 それに対し、陸軍の空中勤務者は、夜間飛行が、技量甲の評価を得るためには必須だった。

 それは優劣というよりは、想定している敵、戦場の違いに起因するものであった。

 

 昼間の爆撃が終わると、砲撃の開始だ。

 毎日、毎日デタラメな時間に砲撃が開始される。

 一回の砲撃の量はさほどでもないが、デタラメで予測不能の間隔で砲撃されると、神経的に参ってくる。

 実際、一過性の爆撃よりもこちらの方が堪える。

 15センチ級(陸軍はサンチなどという惰弱な言い方はしない)と思われる野戦重砲は厄介だった。


 これに対しては、捜索隊を送り込んで場所の特定を急いでいる。

 場所さえ、特定できれば、排除する手段はいくらでもある。


 そして、一番の問題は、物資集積地との連絡線が遮断される寸前であることだ。

 ラビとポートモレスビー間の連絡線の維持が厳しい状況になっている。

 今は辛うじて、大発で輸送ができている。それとて、かなり限定されたもので、海上では敵魚雷艇により何隻も沈められている。

 今は、健康に問題が出るほどの栄養失調の兵が出ているわけではないが、すきっ腹を抱えていることは間違いない。


 なんで、自分はこんな狭苦しい防空壕で身を縮めていなければならないのか……


「殺してやりたいな――」


 川口少将が殺意を覚えるのは、敵なのか連絡線を維持できない無能な上層部なのか、よく分からなくなってきた。

 軍刀を握る手に力が入った。


 川口少将が、捜索隊から敵砲撃拠点の概算位置の報告を受けたのは、爆撃終了後3時間後のことであった。


        ◇◇◇◇◇◇


「横須賀の魚雷艇は、生産も進まず、完成したものはすでに配備済です」


 黒島先任参謀がどうしますかと、訊くような感じで言った。

 

「そうか……」


 俺はそれしか言えない。


 イタリア製の魚雷艇を輸入し、日本でもそれをコピーする形で製作はした。

 開戦前に数隻が完成していたはずと思ったが、すでにマーシャル方面に配備した後だった。

 史実では、ミッドウェー占領後の配備が計画されていたはずだ。

 

「呉には陸軍の高速艇をコピーした船艇があったかな……」


 小型高速艇の開発では、実は陸軍の方が海軍より進んでいた。

 海軍はこの分野で、陸軍に技術提供を受けていたくらいだ。


「数がありません…… 数を揃えようにも、エンジンの量産が困難です」


「難しいか」


「難しいでしょうね。数隻ならば、手持ちをかき集めることで確保できるかもしれませんが、焼け石に水でしょう」


 黒島先任参謀の言うことはもっともだった。数が揃わない兵器など意味はない。

 日本軍が対魚雷艇用の船艇を確保できるようになるのは1943年末だ。

「カロ艇」という小型の駆潜艇から派生した船艇を開発する。

 しかし、史実ではこの時期、対魚雷艇限定などと、贅沢なことなど言っていられなくなる。

 結局、船団護衛とかで全滅してしまう。


 俺は、腕を組んで考える。


「やはり、対魚雷艇兵器は重要ですかな」


「未来…… まあ、俺のいた世界の史実では、魚雷艇対策ができなかったために、かなり補給作戦がまずいことになる。今回も島嶼戦が中心だ。魚雷艇対策は必須だろうと思う」


「やはり、そうですか。この黒島の睨んだ通り」

 

 キラリと瞳を光らせ、黒島先任参謀が言った。

 後ろ手になんか持っているね。

 なにそれ?


「ん? なにか対策はあるのか?」


「兵器は性能よりも、戦局に間に合い、数が揃えられることが重要なのですね?」


「ああ、そうだ。性能を追いかけすぎて、間に合わない兵器は意味はない」


 俺は、正体を明かしてから、色々自分の考え方を教えている。

 それは、表面上受け入れられているように思う。

 なにしろ、今は勝っているのだから。

 勝利以上に、説得力のある材料はない。


「これをご覧ください! 短時間で製作でき、予算も少なく、しかも訓練も楽! 大量に配備できます!」


 黒島先任参謀は、テーブルの上に図面を広げた。

 そこには、武装したボートの三面図が描かれていた。

 なんか、このシルエット、俺、見たことあるんだけど……


「小型のモータボートに、連装25ミリ機銃を装備。トラック用の統制エンジンを2基装備し、約150馬力を確保します。速度は、計算上30ノット以上」


 これ、先端に爆薬とは積んでないよね?

 大丈夫だよね。

 なんか、史実にこれそっくりなモータボートがあったんだけど。


「これならば、即量産体制に入れます。短期間で数を揃えることが可能です」


「敵は40ノットだぞ。火力も増強の余地がある。おそらく37ミリ、1943年以降は、40ミリ以上の機銃の装備が可能になる。対抗できるか」


「1対1では困難でしょうな」


 黒島先任参謀は当然ではないかという顔で言った。


「じゃあ――」


「数ですよ。数を集中すればいいのです。こちらは、せいぜい3トンの大きさです。町工場でも量産できるものです。確かに敵より10ノットは劣勢ですが、陸軍の装甲艇や、大発などより大分マシです。武装は強化の余地が十分あります」


「まあ、そうだけどね」


 黒島先任参謀の発案した、武装モータボート。


「震洋」と名づけられる、対魚雷艇兵器の誕生がこの日決定した――


 火薬を積んで敵船の横っ腹に突撃することのない、まともな兵器として。


        ◇◇◇◇◇◇


「日本軍のトウキョウ定期便はいつも通りかね」

 

 バレンタイン少佐は片方の眉だけを吊り上げ言った。

 物を訊くときの彼の癖だった。


「莫迦みたいに正確です。恐ろしいほどですよ」


 ロブソン少尉は書類を見ながら答えた。


「トウキョウ定期便」とはこのポートモレスビー南西の内陸部に位置する密林内の基地で使用されている言葉だった。


 厳密に時間を守り、上空を偵察する日本の偵察機に、若干の諧謔を込め呼んでいる名だった。

 小型機がラビ。大型機はラバウルから来ていることが分かっていた。

 ラビだけではなく、ラバウルのあるニューブリテン島にも、コーストウォッチャーズが配備されている。

 オーストラリア軍により、戦前から構築されていた、密林内の情報収集システム。

 現在、その情報は、オーストラリア軍、米軍で共有されていた。


「航空偵察によりここが露見する可能性はあると思うかね?」


 バレンタイン少佐は幕僚たちを舐めるように見つめながら聞いた。


 書類を開いていたロブソン少尉は黙って下を向く。


「可能性は低いでしょう」


 幕僚の1人が答えた、彼の腹心ともいえる副官のプポ中尉だった。


「根拠は?」


 彼は、間髪入れず、発言の根拠を求めた。


「我々の拠点はジャップの航空偵察に対し、ほぼ完ぺきな隠ぺいを実施しています。今まで発見されておりません。同様の偵察作戦が繰り返されているという前提において、被発見の可能性は低いです。また、日本軍が途中でルーチンを変更する事例はまだありません」


 プポ中尉はよどみなく答えた。大学で数学を研究しており、開戦と同時に軍隊に入ってきた変わり者だ。塹壕の中で「整数論」の本を読む変人だ。

 バレンタイン少佐はその変わった性格も含め、彼を評価していた。


「なるほどね」


 満点ではないが十分満足の行く回答が部下から出たことに満足した表情をした。


 バレンタイン少佐に対し、優秀な軍人であるという評価は多かった。

 ただ、それに倍するほどの敵を作っていた。


 口論になると相手に対し、先回りして逃げ道を封鎖してから徹底的に論破する。

 ディベートの包囲殲滅の実践者であった。

 頭の回転がよく、他人も自分と同じように「論理こそ最重要な物である」と考えている人間特有の性癖だった。

 当然、部下にもそれを求める。


 彼はこぶしを作り、それを口にあて、思案気な姿勢をみせた。


「まあ、いいだろう。おそらく、敵は陸上から来る。ジャップを歓迎する用意はできているのだね」


「当然です。少佐。サプライズパーティになりますよ」


「ほう――」


 一見すると人懐こそうな笑みを浮かべるバレンタイン少佐。

 しかし、その目の奥は笑っていない。


「聴音マイクを密林内に設置。接近するジャップを逃すことはまずないでしょう」


「敵が、全力攻撃を仕掛けてきた場合、寡兵の我々は対処できるかね?」


「密林内は大規模な兵力の一斉投入を制限します。敵がマレーで行ったような迂回浸透は不可能な布陣を引いてあります」


「まあ、いい。あと2か月だ―― それまで持ちこたえればいい」


 バレンタインはウキウキとする感じで言った。

 これから、楽しいイベントが始まるのを待つ子どものような表情だ。


 いささか、変人といっていいバレンタイン少佐はこの状況を楽しんでいた。


 彼は、負け戦にこそ、戦争の本質があり、指揮官の真価が問われると主張していたのだ。

 嬉々として、負け戦を想定した図上演習を行うことでも有名だった。

 特に、包囲され、補給途絶など、絶望的な状況設定を好んだ。

 戦争屋、戦争技術者。

 

 彼に対する肯定的評価の多くはそのようなものだ。

 否定的評価となると、こんなものではない。罵詈雑言に近い。


 彼はこの配置を全く気にしていなかった。

 むしろ嬉々としていた。

 彼はこの戦争を心底楽しんでいた。ある種の戦争中毒者だった。

 この世界で最も文明から遠く、病原菌とジャップにあふれかえった島で生き生きとしていた。


 そして、その異常ともいえる資質は、この密林の拠点に関してはいい影響を与えていた。

 兵たちの士気が回復していた。

 さらに、実際にポートモレスビーの日本軍が、この拠点の擾乱砲撃でまともに機能していない事実。

 それも、彼らの士気を上げる要因になっていた。


「諸君、我々はジャップに更なる地獄を見せてやるためにここにいる。2か月後、奴らは煉獄の炎に焼かれることになるだろう」


 プポ中尉は預言者のような上官のセリフに、苦笑いを抑え込むのに必死だった。

 しかし、神託は実現する。いや、自分たちがさせるのだと思っていた。

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