その62:血戦! ポートモレスビー その6
1942年7月――
ニューギア方面の戦況はまさに輸送戦という様相になっていた。
ラエ、サラモア、ブナまではなんとか補給ラインを維持できていた。
米軍の潜水艦による攻撃はあったがそれほど深刻ではなかった。
問題はラビとポートモレスビーだった。
ラビは、船をそこまで到達させることはそう難しくはなかった。
航空攻撃は、オーストラリア北部とソロモン方面からの重爆によるものが中心だった。
B-17が中心で、10機前後の編隊で攻撃を仕掛けてくる。
航行中に被弾する輸送船は滅多にない。しかし、航空攻撃があるというだけで、補給はかなり面倒なものとなっていた。
ラバウル方面からは護衛の戦闘機を出しているが、全航程をカバーできるだけの機材は無かった。
ラバウルでは、同時にソロモン方面から仕掛けてくる、米軍の攻撃も食いとめる必要があった。
ラビへの補給の問題は、港湾施設が復旧していないことだ。
そのため、物資の荷揚げが非常に面倒なことになっている。
どうしても「沖荷役」にならざるを得ない。
「沖荷役」とは、海上に輸送船を停泊させ、艀や大発を使って、物資を陸に届ける方法だ。
輸送船一隻当たり、丸一日かけて800トンの物資を陸に上げるのが精一杯だった。
ラビ周辺までは、概ね制空権を支配していると言っていい状態だ。
効率が悪く何隻もの輸送船が滞留しているが、物資は何とか届いている。
キツイのはポートモレスビーだ。
まず、輸送船による本格的な輸送は厳しかった。
このあたりになると、制空権はどちらにあると言いかねる状況にあった。
大型の輸送船は豪州北部の基地から航空攻撃を受ける。
更に、ポートモレスビーの港湾施設は破壊されており、しかも内陸部からの擾乱射撃を受けている。
大型の輸送船を使った補給は絶望的だった。
それでも、陸軍は自分たちの徴用船(陸軍がA船、海軍がB船、民間がC船)を使っての輸送を試みた。
結果は散々だった。
海軍も周辺基地からの護衛を行ったが、米軍の航空攻撃を阻止できずにいた。
結果として、ポートモレスビーへの輸送は、ラビからの大発輸送になっていた。
いわゆる史実の「蟻輸送」だ。
効率は悪いが、トラックによる陸上輸送よりはマシだった。
そもそも、ラビ、ポートモレスビー間を陸上輸送する道も車両もない。
大発は13トンの物資を搭載して、ニューギニアを海岸線沿いに進む。
それでも、ポートモレスビに展開する設営隊を含む、7000人以上の部隊を維持するのは限界に近かった。
航空攻撃も脅威だったが、それよりも被害が大きかったのが魚雷艇攻撃だった。
航空攻撃を避けるため、夜間に大発を進め、昼間は偽装して停泊するという方法をとっている。
夜間航行中に、魚雷艇の攻撃を受け、多くの大発が沈んでいた。
本来であれば、ポートモレスビーの航空基地を稼働させ、周辺海域の制空権を握る。
魚雷艇の活動もそうすれば排除可能だった。
ただ、ポートモレスビーの基地機能を回復させるための必要物資を送り届けることが困難だった。
制空権を得るためには、ポートモレスビーに物資を届けねばならず、ポートモレスビーに物資を届けるには周辺の制空権が必須だった。
負のスパイラルの真っただ中だ。
「やはり、駆逐艦による強行輸送しかないのではないでしょうか」
黒島先任参謀が言った。
「一つの方法だと思うけど、長く輸送作戦に駆逐艦を縛り付けるのは難しいと思う」
俺は黒島先任参謀に視線を送って言った。
そして、視線をもう一度テーブルに広げられた地図に移す。
ラバウル、ポートモレスビー間は海路で行くと1500キロメートル。
ラバウル、ガダルカナル間の1000キロメートルの1.5倍。
更に、難所ともいえる水道を通る必要がある。
一度ラビに集結させ、ポートモレスビーへ向かうという案も検討されたが、重爆の攻撃圏内というのがネックとなる。
それに、駆逐艦の大量投入は現実的に無理があった。
アメリカとオーストラリア海軍は、ソロモン方面から駆逐艦を中心とする高速部隊によるこちらの基地に対する砲撃を行っていた。
ラバウルの前方を守るために建設中のブイン、バレラがターゲットになっていた。
ソロモンでは、基地航空隊と、彼我の駆逐艦による衝突が繰り返されている。
駆逐艦を輸送任務に引き裂くのは無理ではないが、厳しいものはある。
「一度、本格的な輸送船団を組み、一気に必要物資を送り込むのが良いかと思います」
宇垣参謀長が言った。
「上空の護衛は? 使える空母が今はほとんどない」
いい案だとは思うが、手持ちの戦力が心もとない。
現在、稼働している空母は赤城、隼鷹、瑞鳳、祥鳳だけだ。
正規空母は、赤城だけ。
他は、損傷の復旧やら整備、電探の設置、対空火力の増強など改装中だ。
健在な空母は全て海軍最大の拠点であるトラックに配備して反撃に対し待機している。
アメリカ海軍の稼働中の空母は1隻のみと分析されている。
おそらくは、ヨークタウンだけ。もしかするとサラトガが復帰している可能性もあった。
大西洋にレンジャーがあるが、太平洋側に移動している形跡はない。
赤城、隼鷹で正規空母とそれに準じる空母が2隻。
後は軽空母だ。
圧倒的優位というわけでもない。
こちらがこの方面で空母を引いてしまうと、また遊撃戦を仕掛けてくる可能性もある。
うかつに動かせない状況が続いている。
となると、頼りは基地航空隊だ。
問題は、基地航空隊と、水上艦艇だけの護衛で輸送船団を守れるかどうかだ。
基地航空隊だけでは、援護の隙間ができる。
オーストラリア北部の基地にはB-17の他にも、B-25やA-20やらが揃ってきているという情報がある。
B-25もA-20も双発の爆撃機だ。
日本海軍の一式陸攻とは設計思想の異なる機体。
頑丈な機体で、低空からの反跳爆撃を行うことができる。
この対艦攻撃力の高い機体が揃っている場所に突っ込むのは「ポートモレスビーの悲劇」という事態を招きそうな懸念もある。
もし、この機体がもっと早く整備されていたら、ポートモレスビー攻略は失敗していたかもしれない。
日本を敗戦に追い込んだ原因として語られる補給戦の敗北。
1943年までの商船の損失は多くが、軍事作戦上で徴用された商船だった。
資源を本土に輸送するラインは、さほどの被害を受けていない。
じゃなきゃ1944年に軍事生産がピークになるという事実を説明できない。
つまり、今最大の問題は、本土と最前線の拠点を結ぶ補給ラインの確保だった。
その中でも、最も優先すべきはポートモレスビーだった。
「そういえば、横須賀に、イタリアから輸入したあれがあったはずだが」
俺はおぼろげな記憶をたどり、確認するようにつぶやいたのだった。
◇◇◇◇◇◇
M59 155ミリカノン砲――
通称、ロング・トム。
最大射程23キロメートル。野戦で使用する陸上砲とすれば、最大級の砲と言えた。
最大65度の仰角で砲撃を続けていた。
雷鳴のような砲撃音が密林の木々を震わせていた。
ニューギニア内陸部。
この拠点には、8門のロング・トムが配備されている。
言ってみれば、巡洋艦1隻が常に艦砲射撃可能な状態になっているようなものだ。
砲弾重量は45キロを超える。
至近距離に落ちるだけで、中戦車すらバラバラにしかねない破壊力を持っている。
砲は、ポートモレスビーから見て丘のような高地の反対側にある。
上空からは密林で視認することは困難だった。
更に、丘の横っ腹に穴を穿ち、砲を隠ぺいすることが可能となっている。
もし、日本軍が重砲を用意し、こちらに撃ってきても破壊することは物理的に不可能だった。
戦艦による艦砲射撃でもそれは困難だ。
そのように計算して造られているのだから当然ではあった。
「コイツで、ポートモレスビーのサルたちを皆殺しにできればいいんですが」
「そう簡単にはいかんだろうよ――」
ホール一等兵の願望とも思える言葉に、ウィットモア軍曹は冷静に返した。
M1919水冷機関銃の機銃座で、ホール一等兵は吸っていたタバコを踏みつぶした。
ポートモレスビーの放棄が決定してから、多くの物資兵器がこの小さな拠点に持ち込まれていた。
ここは、ジャップにポートモレスビーを使わせないという目的のためだけに造られた場所だ。
自分たち以外にも、機銃座は、砲を囲むように存在していた。
密林内には、聴音マイクが設置され、日本軍の接近を確実にとらえることが出来ると考えられていた。
今のところ、それを証明する機会はなかった。
補給は河川と、擬装した道路により維持されていた。
輸送用のボートで拠点近くまで物資を運び、上空からは見えないように偽装された道をトラックで移動する。
ここには全部で300人もいない。
少人数であることは、補給の負荷を少なくはしていた。その分、ロングトムの砲弾を多く運べることになる。
砲撃音の中に、異音が混じっていた。
ウィットモア軍曹は辺りを見た。
「おい、野戦電話だ――」
機銃座に設置してある野戦電話が鳴っていたのだ。
ホール一等兵がそれを取った。
彼は電話に出るとだた「了解」とだけ答えた。
「軍曹、敵です。ジャップの奴らが、接近してます。マイクが音を拾いました」
ウィットモア軍曹はホール一等兵の言葉を聞くと少しだけ、その眉を動かした。
「俺たちも、仕事かな――」
彼はそう小さくつぶやいた。
◇◇◇◇◇◇
「くそ、上手い事、高地を使ってやがる――」
浜名少尉は呻くようにつぶやく。
海図と航空写真を貼り合わせて作った雑な地図に、分かった情報を書き込んでいく。
敵重砲の場所は特定できた。
ポートモレスビーの中心部からは直線距離で15キロ以上離れている。
敵の砲撃はやはり15センチ級の重砲だ。
密林の中の丘のような地形。
ポートモレスビーから見て反対側に砲が設置されているようだった。
彼は士官学校は出ていない。少尉候補者から昇進した、たたき上げの士官だった。
「突撃して砲を爆破しますか?」
井上軍曹が声をひそめて言った。
浜名少尉は拳を作りそれを顎に当て考える。
「砲がむき出して置いているとは思えんな――」
真っ当な判断だった。
砲の周りには当然、歩兵の侵入を許さないように、陣地が築城されているはずだ。
目視ではそのことろは分からないが、あると考えるのが普通だ。
(無線機が壊れてなければ――)
考えてもしょうがないことを浜名少尉は思う。
熱帯雨林の気候は容易に、電子機器である無線機をオシャカにしていた。
彼は、4人の高砂義勇兵の内2人を呼び、伝令として本部に戻るように命令した。
彼等の能力であれば、短時間でポートモレスビーまで戻ることが可能であろう。
1人では不測の事態も起こりかねない。2人であればその可能性も少なくなるだろう。
「まずは、ここで待機だ―― 司令部に情報を伝えることを優先とする」
彼は20人ほどの部下に命じた。
砲撃の音が響いた。
およそ、1分間に1発のペースで撃ってくる。
奴ら、どこに補給線を確保しているのか……
浜名少尉は、どうにも、一筋縄ではいかない相手のような予感がしてきた。
そして、その予感は概ね正しいものとなるのであった。
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