その61:血戦! ポートモレスビー その5

 珊瑚海から陽光が消える。

 南海の空は、陽が西に沈むと間をおかず、闇が支配する時となった。

 残照というものが殆どないのだ。


 ベナブル大尉は西の空を見つめる。水平線には、かすかにオレンジの光が残っているだけだ。

 海面はどす黒さを増し、彼の指揮するPTボートの作る波濤だけが白さを際立たせていた。


「奴ら来ますよ。毎度おなじみの艀での輸送です」


 通信士の言葉に、ベナブル大尉は思案気な表情のまま静かにうなずいた。

 彼の率いる魚雷艇はすでに何度か日本軍の輸送ラインの攻撃に成功していた。

 奴らは、ラビからポートモレスビーの輸送に小型の艀のような船艇を使ってくる。

 

 自分たちの任務はその小型艇を沈めて、日本軍の補給を阻害することだ。

 それは今のところは上手くいっていた。

 ただ、いつも不安はつきまとう。


 今回も上手くいくのかということだ。

 敵だって、こう何度もやられれば、対策を考えるはずだ。

 奴らだって莫迦じゃない。

 いや、莫迦どころか、戦争にかけてはほとんど無敵の民族だ。

 珊瑚海では空母部隊が一矢を報いたとはいえ、こちらのダメージも大きかったと聞く。


 東洋の戦闘民族、ヒロヒトに忠誠を誓い、死を恐れぬ悪魔の集団。

 ベナブル大尉の想定する敵とはそのようなものだった。

 

 PTボート。

 Patrol Torpedo Boat――

 直訳すれば、哨戒魚雷艇ということになる。

 一般的に魚雷艇と呼ばれる。

 

 航空機用水冷パッカードエンジンをデチューンした機関は50トンの船体を40ノット以上で引っ張りまわす。

 取るに足らないような小さな船艇であるが、その戦闘力は高い。

 大型の輸送船、軍艦さえも食いちぎる牙を持っている。

 その名の通り、高速を生かし、近距離から魚雷を放つために造られた船だ。


 しかし、この高速性は、小型ながらも魚雷艇に大きな冗長性、発展性を与えていた。

 ベナブル大尉のPTボートはまさに、その発展系といえるものだった。

 

 ポートモレスビーへの輸送に小型舟艇を使用することの多い日本軍の作戦に合わせ、彼のPTボートは改造されている。

 まず、本来であれば4本の搭載が可能な魚雷。それは全く搭載していない。

 その代わりに37ミリ砲が搭載されている。陸軍の対戦車砲。

 すでに、欧州戦線では「ドアノッカー」と呼ばれ、戦車相手に使える砲ではなくなっている。

 しかし、太平洋戦線では十分以上に仕事が期待できる砲だった。


 その砲を艇首に増設している。

 更に、12.7ミリ連装機銃は1基から2基に増設。後部の7.7ミリ機銃は12.7ミリ機銃に換装されている。

「魚雷艇(トピードボート)」というよりは「砲艇(ガンボート)」というべき存在となっていた。


「狩りの時間だ」

 

 ベナブル大尉のPTボートを含めた4隻の魚雷艇は闇の支配する南海をスルスルと進みだした。


        ◇◇◇◇◇◇


「いました! 奴らの船艇です!」


 見張りの声が響いた。

 ベナブル大尉は双眼鏡を手に取りその方向を見た。

 小さな、波濤がいくつか確認できる。数を確認する。全部で12だ。


 奴らも苦しいのだろうな。

 日本軍はポートモレスビーを占領した。

 しかし、それはこちらの戦略的な撤退作戦の罠にはまったようなものだ。

 実際、奴らは十分な補給ラインの確立ができないでいた。

 大型の輸送船を使用した補給は、内陸に秘密裏に設定された、重砲により阻害できた。

 さらに、そのため日本軍によるポートモレスビーの航空基地化は進んでいない。

 制空権はお互いにどちらにあるとも言い難い状況にあった。


 密林に覆われたニューギニアでは陸路輸送は困難を極める。

 今のところ、日本軍の補給ラインはこの小型艇による輸送に依存していた。


 ベナブル大尉は注意深く、周囲を観察する。

 もし、自分が日本軍の立場であれば、どうするか。

 もう、何度か補給作戦は失敗している。

 それも小艦艇の攻撃であることは分かっている。

 いくつかの選択肢はあるが、一つが上空護衛だ。

 複座以上の航空機であれば、夜間飛行もできる。

 実際に、日本軍はそれを可能とする機材と練度の高いパイロットを揃えている。

 

 彼は部下に上空をよく警戒するように命じていた。

 自身も、どこまでも続くような深い闇の色をした空を見つめる。

 耳を澄ます。五感を研ぎ澄ます。

 上空には敵機はいない。

 彼はそう結論する。

 

 もう一つの可能性。

 あの艀のような小型艇が武装しているかもしれないということだ。

 敵としても、一番手軽にできそうなことではあった。

 小さいとはいっても、そこに重機関銃の1つ2つは設置できそうだった。

 そして、重機関銃の弾丸は、木製のPTボートにとって無視できない脅威となりうる。

 

 ただそれは、対抗策が簡単だ。あまり接近しすぎないことだ。

 こちらの12.7ミリ機銃、37ミリ砲は日本軍の重機関銃の有効射程の外側からの攻撃を可能としている。

 問題はない。


 エンジンはギリギリまで絞り込み、音を立てずに進んでいる。

 攻撃レンジに入ったら、一気に増速。

 高速を持ってて混乱させ、ありったけの弾丸を叩きこむ。

 なんと、優雅で簡単な仕事か。

 未経験者大歓迎。

 ジャップのサル肉を作るだけの誰にでもできる仕事だ。


 ベナブル大尉は、乾いたくちびるを舌でなめた。

 塩辛い味がした。いいね、これが海軍の味だ。


「全速だ! サル肉製造の時間だ! チャージ!」


 艇長であるベナブル大尉の声に、機関士が全力運転に切り替える。

 1基1200馬力、3基合計で3600馬力のエンジンが激しく唸る。


 その瞬間だった。

 敵の小型艇の一隻が火を噴いた。いや、砲撃だ。撃ってきたのだ。

 至近に「バシューン」と音をたて、そこそこの大きさの水柱が出来た。


(対戦車砲か!?)

 

 ベナブル大尉はその砲撃に対しそのように解釈した。

 奴らは俺たちと同じ武装をしている。


「撃て! 撃ちまくれ! まずは、アイツだ! あの砲撃してきた奴を潰せ!」


 ベナブル大尉は叫ぶ。

 そして、体が後方に引っ張られるような加速。

 短時間で50トンの魚雷艇は一気に40ノットの速度まで加速した。


        ◇◇◇◇◇◇


「ちょこまかと! クソが! 早く弾込めろ! 撃て!」


 短砲身57ミリ砲は、敵陣地の機銃座を破壊するという目的ではかなりすぐれた兵器だ。

 それゆえ、上陸支援を目的としたこの装甲艇に搭載されている。

 ただ、海上を40ノット以上で突っ走る魚雷艇に対して、命中弾を得ることは難しかった。

 しかも、こちらの速度はせいぜい12ノットだ。

 大発にいたっては8ノット。

 敵から見れば止まっているような物だろうと思った。


 そもそも、探照灯で照らしてはいるが、中々命中弾はでない。

 そして、その探照灯も機銃で破壊される。


「ガン」と音というよりは衝撃と表現すべきものが走る。

 装甲艇の舳に備えた砲塔に命中弾があった。

 角度が良かったので、貫通はされていないが、砲塔がパックリ割れていた。


「あの魚雷艇、大砲積んでいるのか?」


 月山中尉は呻くように言った。

 相変わらずふっとい火箭が装甲艇を叩く。

 貫通するものもあれば、弾く物もあった。

 最初、20ミリクラスかと思った機銃は、おそらくは12.7ミリ級ではないかと思われた。


 魚雷艇の動きが変わった。

 今までは、3隻で装甲艇を集中攻撃していた。

 それが、大発に目標を変えたのだ。

 

「クソ! なんとかしろ! 佐藤!」


 月山中尉は、付き合いの長い佐藤軍曹に対して怒鳴る。


「どうにもなりません! 中尉殿! 先ほどの命中で57ミリが壊れました」


「機銃は?」


「もう、破壊されてます。反撃不能であります! 中尉殿!」


「くそったれ!」


 月山中尉はガンと拳で鉄の船体を叩いた。

 手が痺れる。構わなかった。

 ギリギリと身を焦がすような思いに比べれば、この様な痛みはなんともなかった。


 彼の目の前では大発が次々に炎に包まれていく。


「こりゃ、なんとかしないと、どうにもならなくなる」


 あまりにも速度に差がありすぎた。

 装甲艇では、奴らの魚雷艇に勝つことはできない。

 いや、勝つ負けるじゃない。輸送任務についた大発を守ることが出来ないのだ。


 船が必要だ。

 奴らの船より早く、そして奴らを沈めることができる攻撃力をもった船が。

 

 月山中尉は血のにじみ出ている拳を握りしめる。

 その目は、燃え盛る大発たちを見つめ続けていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「吾が女神なのだ。未来の知識で大日本帝国を国難から救うために降臨したのだ――」

  

 女神様が戦艦陸奥の司令部作戦室に降臨した。

 光りの珠が、形をなし、徐々に人型となり、そして女神となる。

 服装は、最近のカジュアルな「軍ヲタ趣味」のTシャツではない。

 最初のときの、神秘的な感じを演出する服装になっている。

 当然、後光も発光させている。


 聯合艦隊司令部幕僚に、このことを明かすのは、予定していたことだ。

 そして、それに向け、女神様と打ち合わせもしていた。

 あまりも、奇矯な振る舞いとか、言動は避けてほしいと釘を刺している。

 今のところは問題はない。


 黒島先任参謀が、口をポカーンと開け、そのまま固まった。


「宇宙と人―― ああ、神―― 深淵なる真実―― 宇宙とは、そして生命とは―― 全ては0か…… やはり万物は0より生じ、0に帰る――」

 

 急に哲学的な、なんか宇宙の深淵の真理に到達しそうな顔をして、つぶやきはじめた。

 ああ、それは戦争終わってから十分やっていいから。哲学の前に、まずは目の前の戦争だよ。


 宇垣参謀長は、手帳を取り出そうとするが、手がカクカクと震え、手帳を落としてしまう。

 パカっと開いたページが目に入る。

 細かな数字が書いてあった。よく見た。印税の計算だった。

 日記が書籍化されたときの印税を計算していたようだった。手帳で。


 先任参謀と参謀長が、愕然としている中、他の幕僚も全員呆然としている。

 まあ、当たり前だ。


 すでに、史実とこの世界の戦況は変わってしまっていること。

 そして、実際よりも戦況は有利に進んでいること。

 なんとか、国際環境の変化がやってくる1945年以降も戦力を維持して粘っていかねばいけないことを説明した。


 全員、ゲシュタルト崩壊を起こしたような顔をして、現実を認識できているのかどうか分からない。


「もう、俺一人の記憶とか知恵とか、力じゃ、どうにもならない―― だから、力を貸してほしい。不幸な未来は絶対に見たくない。それを全力で回避したい」


 確かに史実の日本だって悪くない。

 戦争には負けたが、その分、戦後外交の中で、奇跡的に挽回している。

 21世紀、日本は世界有数の国家になっている。


 国民は豊かだ。

 奇跡のような国だ。

 そんな国が出来たのは、太平洋戦争でアメリカを恐れさせたのが一つの要因だ。

 戦後公開された外交文書では沖縄戦をアメリカは、「事実上の敗北」と位置付けている。


 特攻、空襲、沖縄戦、原爆――


 悲劇という局面に彩られた太平洋戦争。

 そして、あまりにもそれに拘泥され、一つの国とした歪んでしまった日本。

 太平洋戦争時の軍隊を肯定的に研究したいというだけで、ゼミを追い出される大学すら存在している国だ。


 まあ、根本的には「俺は死にたくない」というのが本音だ。

 でも、最近はそれだけじゃない。出来るなら、日本を勝たせたいという思いもある。

 勝利というのがどういう物か、いまだ模索中だ。

 しかも、その勝利が21世紀の成功した国家である日本を超えるものになるかどうかも分からない。


 それでも――

 俺はあがきたい。

 この時代、みんな必死で生きているんだ。

 悲劇は回避した方はいいに決まっている。


「頼みます――」


 俺は深々と頭を下げた。


        ◇◇◇◇◇◇


「ニューギニアで決戦なのである! ここを鬼畜米英の墓場にするのである!」


 ニューギニアの北部海岸に存在する日本軍の基地ブナ。

 そこに、一人の男が上陸した。

 剃りこんだような頭に、丸メガネ。怜悧な印象はあるが、整った顔をした男であった。


「海軍のバカどもに任せていては、皇軍がぁぁ! 陛下の赤子が餓えてしまうのである! よって、帝国陸軍がその力を結集し、鎧袖一触で敵を粉砕! 陸路を開闢するのだ!」


 ヤシの丸太で造った司令部が、その声でビリビリと振動する。


「だから、それは横山隊で可能性を検討して、研究の後――」


 幕僚の1人が口を開いた。


「なんという!! 悠長な!! 貴様! この戦局をどう見る? ああん~? ここで腹を切るか! もし、手遅れになったら、腹を切るだけでは済まん!」


 いきなり軍刀を突きつける丸メガネの男。

 その目は冗談で物を言っているようには見えなかった。


「大陸命である! これは大陸命なのである! 「リ号作戦」は研究などではない、即実行! 米兵、豪州兵を蹴散らし、ニューギニア打通なのだぁぁ!!」


 ブナの陸軍司令部で、絶叫する男。

 帝国陸軍大本営参謀、辻政信中佐であった。

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