その57:血戦! ポートモレスビー その1

「なんというか、これは言葉が無いな」


 現地の航空隊指揮官の1人である笹井中尉は、その光景を見てそう言うしかなかった。

 

 ニューギニア、日本海軍の最前線ともいえるラエ基地。

 そこはまさに、表現する言葉のないような状態になっていた。

 加賀に搭載していた艦上機がやって来たのだ。

 あまりに急な事態に、一部はここより環境の悪いサラモアに着陸している。

 ラエだけでは収容しきれないのだ。


 艦戦、艦爆、艦攻が滑走路脇をびっちり埋めてる。

 基地の支援能力を遥かに超える機数だった。

 

 どの機体もキレイでピカピカだ。

 なんというか、場末のラエ基地の零戦の汚れ具合とはえらい違いだ。

 ただ、このキレイさが、ひ弱な印象を与えていたのも事実だった。


「邪魔なだけだ―― とっとと帰って欲しいものだな」


 彼の横に立つ剣呑な雰囲気の男が口を開いた。

 目つきは鋭いを通り越して凶状持ちレベルに達している。

 空戦のためのエッセンスを煮詰めて人型にしたような男だ。


 坂井三郎一飛曹だった。

 ずらっと並んだ、空母機を見ての言葉だ。

 笹井中尉の隣で憮然とした顔でその言葉を吐いていた。

 この男は、空戦の腕は神技のレベルに達していたが、かなり扱いの難しい男だった。

 とくに、上に対しても下に対しても、他者に対する評価には辛辣な部分があった。

 一度信用した人間をどこまでも信用する純粋さを持ちながら、敵対した人間とは二度と相容れない頑なさをもっていた。

 反骨心と表裏一体の複雑な性格の持ち主だ。

 

「同じ海軍だぞ、先任――」

 

 言っても無駄だとは思いつつ、笹井中尉は言った。


「はい。そうですが、邪魔なものは邪魔です」


 彼は、上官に対し、キッパリと言い切った。

 笹井中尉は苦笑するしかなかった。

 実際、邪魔であるのは事実だった。


 坂井一飛曹が不機嫌な理由は、いくつかあった。

 空母搭乗員がエリートとみなされることへの反発。

 そして、予定していたポートモレスビー攻撃が練り直しになったためだ。


 指揮所の方から、坂井一飛曹を呼ぶ声が聞こえた。

 彼は、ビシッとした敬礼をして身を翻し、指揮所の方へかけて行った。

 

(気持ちは分からないではないが)


 小さくなっていく坂井一飛曹を見ながら笹井中尉は思った。


「ところで、加賀は大丈夫だったんですかね」


「さあ、ただこれだけの機体を発艦させる余裕があったのだ。沈んだということではなかろう」


 部下の1人が口にした疑問に笹井中尉は答える。

 ただ、こちらには艦隊側の情報は断片的にしか入ってきていない。

 

 加賀が潜水艦の雷撃を受け戦線離脱。

 蒼龍が自沈処分されたらしい。

 更に、いくつかの空母が損傷しているとのことだ。


 しかし、敵にもかなりの損害を与えているようだ。

 決戦を挑んできた敵正規空母4隻。

 その内の3隻を沈め、1隻を大破したという。

 一応は勝利したと言っていいのだろう。かなりギリギリの勝利であったが。


「後は、ポートモレスビーを陥せばいい。それで、終わりだ」


 笹井中尉はその言葉を口にして、不意に思った「なにが終わり」なのかと?

 ポートモレスビーを取ることでこの戦争は終わるのか。

 自分自身が肌で感じている戦争はそんなものではなかった。

 

(終わらんだろうな)

 

 彼は口にしたこととは真逆のことを思っていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「第17任務部隊より―― 戦線離脱」


 ヌーメアの南太平洋地区司令本部でゴームレー中将はその報告を聞いていた。

 撤退を許可したのは彼だ。

 同時に、周辺基地には海域の索敵に当たらせている。


「とりあえず、初めて勝ったか……」


 司令官であるゴームレー中将は、集まってきた情報からそう判断した。


 正規空母4隻を繰り出し、2隻を喪ったのは確かに痛い。

 レキシントン、ワスプ喪失。

 しかし、そのお返しにジャップの空母4隻を海底に叩きこんでやった。

 彼はその報告を受けていたし、それを疑う材料もなかった。


 カガ、ソウリュウ、ヒリュウ、ズイカク――


 2隻は潜水艦による戦果であり、残りは空母による決戦で仕留めた。

 空母決戦だけで見れば、ほぼ互角の戦いであったということだろう。

 更にだ。

 この戦闘で、多くの敵機を墜していることも大きい。

 報告では400機を超える撃墜戦果を上げている。

 さすがに、誤認を含む数字だとは思う。ただ、話し半分としても200機以上の敵機を葬っている。

 正確な集計、分析はこれからであるが、こちらの喪失機を超える。


 戦えば大量出血。

 それが、空母戦であることを、逸材といわれたゴームレーは理解していた。

 お互いに大量の血を流し、海の底を鉄で浅くした戦いだった。

 それでも、今までのことを考えると十分に価値のあるものであった。


(勝利と言っていいだろう)

 

 彼はその事実を再び内心で確認した。


「ポートモレスビーの航空戦力が遊兵化したのは、計算外であったがな――」


 思わぬ潜水艦攻撃の成功で、決戦海域が、ポートモレスビー基地航空隊の攻撃圏外となってしまったのだ。

 ただ、あのタイミングで攻撃を仕掛けねば、決戦そのものが成立したかどうかも分からない。

 その点でフレッチャーの判断は間違っていない。


「ポートモレスビー基地には、攻撃待機を続けさせますか?」


「難しいところだな」


 周辺基地からは、カタリナ、B-17など長距離飛行が可能な機体による偵察を実施中だ。

 日本の機動部隊がこのまま、戦線を離脱する可能性もある。

 彼らの残りの空母はおそらく2隻。

 上陸船団護衛に軽空母が2隻存在するという情報もある。

 これを合わせれば4隻だ。


 相当の機材を消耗しているとはいえ、こちらの空母の撤退を知った場合、ポートモレスビーへの空襲を企図する可能性は十分にあった。

 元々の戦力がかなり大きい。消耗したとはいえ100機以上の機体を運用できる可能性はあった。


 空母と陸上基地の戦い。

 いったいどちらが有利なのか。

 ケースバイケースではないかとゴームレーは考えた。

 空母は移動することにより、攻撃のイニシャアティブを握ることが可能だ。

 一方、陸上基地は空母と異なり、沈むことは無い。

 

 当初の計画では、日本の空母部隊が攻撃圏内に入ったら、ポートモレスビー基地に展開している機体は全て攻撃。

 その後、基地には戻らず、豪州北部のソマーセットに設定した飛行場まで飛ぶ予定だった。

 

「偵察の情報を待とう。その状況次第だ」


 ゴームレーはニューギニア方面の地図を見つめ、決定を下した。


        ◇◇◇◇◇◇


 ラエからのポートモレスビー攻撃隊の発進は大幅に遅れた。

 短期間で造成されたラエ基地の支援能力に限界があり、加賀所属の機体の整備まで手が回りかねるものがあった。

 それでも、50機近い、零戦がラエを飛び立っていた。

 いつもの3倍近い数だ。


 零戦の操縦席で、坂井三郎一飛曹はイライラしていた。

 基地航空隊勤務でキャリアを積んできた彼は、空母搭乗員が嫌いだった。

 正確にいえば、いらぬ対抗心を燃やしていた。

 空母搭乗員こそが、海軍最強であるという思い込みが気に入らなかった。


 そのイライラが原因で、彼はトンデモない失敗をしでかしていた。

 サイダーの栓をいきなり開けてしまい、操縦席内にサイダーをぶちまけた。

 普通であれば、栓を少し開け、炭酸を逃がした上で空ける手順となっている。

 あまり、イライラしすぎて、失敗してしまったのだ。


 砂糖を含んだベトベトしたサイダーが、風防ガラスにベットリとくっつく。

 マフラーに唾をつけて、必死に擦って落とすが、中々落ちない。

 これも、イライラする。


 すでに30機以上の敵機を叩き落している自分がなんてマヌケなことをするのかと頭に来た。

 大きく深呼吸する。

 冷たく薄い空気が肺の中に流れ込んでくる。まだ、酸素ボンベを使う高度ではなかった。

 

 拭けば拭くほど、マフラーのケバがくっつくのだ。

 

「莫迦か! 俺は!」


 操縦席の中で、怒鳴った。

 その怒声は風切音とエンジン音の中に掻き消えていく。

 

 ビンの中の残ったサイダーを一気に飲んだ。

 生ぬるい甘さが口の中に広がっていく。飲まなければよかったと思った。


 ようやく、我慢できるくらいに、キレイになった。

 坂井一飛曹は深く息をついた。


「先任―― サイダー飲むのも一苦労だな」


 無線から声が聞こえた。

 笹井中隊長の声だった。

 見えていたのか……

 考えてみれば、当たり前だった。

 僚機がフラフラ飛んでいれば、なんだろうと見る。

 おそらく窓を拭いているところと、サイダーを飲んでいることを見られたのだろう。


「飲み物はお茶に限りますね」


 坂井一飛曹は言った。

 無線機の奥から、笑い声のような物が聞こえてきた気がした。

 無線機が聞こえるようになったのも、考え物だった。

 彼は、木製のアンテナ支柱を見つめる。


「くそ! 叩き切ってやればよかった!」


 彼は以前の機体で、アンテナ支柱をのこぎりで斬りおとしている。

 今の機体ではその行為は厳禁となっているのだ。


 45機の零戦隊は、ポートモレスビーを目指し飛び続けていた。


        ◇◇◇◇◇◇


「もぬけの空だ……」


 笹井中尉は眼下の光景を見て判断した。

 首を回し360度全空を警戒する。

 雲量はさほどではない。

 高度は2000メートルまで落した。

 本来であれば、主敵と予想されるP-40が性能を発揮できる低空には降りないのがセオリーだった。


 しかし、その敵機が全く現れない。

 巨大な飛行場には、全く機影が無かった。

 対空砲火すら上がってこない。


「罠なのか?」


 瞬間的に様々な思考が頭の中を走った。

 掩体などで偽装し、我々の攻撃をやり過ごし、上陸部隊に痛撃を与える算段なのか?


 上陸部隊が即利用することを考えているため、地上施設、滑走路などへの攻撃は差し控えられていた。

 また、零戦が20ミリ機銃を装備しているとはいえ、そのような目標にダメージを与えられるものではなかった。


 さらに高度を落とす。

 基地近くの密林の中に、機体を隠しているのではないか?

 ただ、そのような場合、機上からでは見つけるのは困難だった。


 指揮官である中島少佐も困惑しているようであった。盛んに低空で機体を傾け旋回している。

 50機近い零戦が基地上空を乱舞しているにもかかわらず、一切の反撃が無い。


「奴ら、なにを考えてやがるんだ?」


 栄12型が発するエンジン音だけが、その蒼空に響いていた。

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