その39:鋼の嵐! アリューシャン海戦 10

 アメリカ艦隊上空を舞う下駄ばき複葉の機体。

 零式水上観測機――

「ゼロ観」と呼ばれる機体だ。アメリカ側のコードネームは「ピート」。

 米軍は、まだこの機体について詳細な情報は保有していなかった。

 水上機というだけでも通常の機体に劣ると思われる。当然だった。

 機体には死重となり空気抵抗となるフロートをぶら下げているのだから。


 更に、零式水上観測機は複葉機だ。そのフォルムは一見旧式と見えなくもない。

 だが、それは完全な勘違いだ。

 艦隊決戦時、敵戦闘機の妨害を排除し、弾着観測を続ける。その要求仕様によって作られた機体。

 一世代前の主力機である九六式艦上戦闘機と互角の空戦性能を持つ水上機だった。


 しかし、戦争の現実は当初の想定を超えていた。

 確かに、ゼロ観は世界水準を抜いた水上機であることは確かだった。だが、その高性能をもってしても敵戦闘機を排除しての弾着観測というものは困難なものであったのだ。想定された戦場を超える状況においてはどのような兵器も苦しい運用を強いられる。


「うぉぉ!」

 喜多一飛曹は叫びながら、フットバーを蹴飛ばす。更に操縦桿を思い切り引いた。

 機体が軋むような音を立て、鋭い機動で虚空を切り裂いた。

 

 零式水上観測機、日向一号機。その操縦員である喜多一飛曹はその瞬間殆ど死を覚悟した。

 濃紺の敵機。F4Fグラマン・ワイルドキャットだった。

 両翼に装備された12.7ミリのブローニングが火を噴く。アイスキャンデーのような曳光弾がシャワーのように流れてくる。

 教本には無いような強引な操縦。とにかく、弾丸の奔流に飲まれないようにするのが精一杯だった。

 両翼を真っ赤に染めながら、2機一組となったF4Fがそのまま下方に突きぬけていった。


「行っちまったか――」


 飛行帽の中が嫌な汗でびっしょりとなっている。かゆくなってくるが、かいている暇などなかった。

 弾着観測どころではなかった。

 敵戦闘機の排除?

 そんなことは無理だ。落とされないことだけで精いっぱいだった。


「また来るぞ、油断するな」


 冷静な声が彼の後ろから聞こえた。

 偵察員兼機長の加藤少尉だった。海軍予備学生制度出身の少尉だ。

 いつも何やら難しげな本や、横文字の本を読んでいる予備士官であった。

 どこか線の細い、書生めいた雰囲気があった。しかし、喜多一飛曹はその能力を疑ったことはなかった。

 彼は、このような上官とペアを組めたことを幸運と思っているくらいであった。


「了解」


 彼は短く答えた。

 下方に突きぬけていったグラマンは、低空を這うように進むと反転上昇を開始していた。

 上昇に移る動き自体はそれほど速いとは思わなかった。ただ、突っ込んで来た時の速度は目を見張るものがあった。

 喜多一飛曹は周囲を警戒する。


 周辺空域には盛んに対空砲火が上がっていく。

 砲戦が始まって小一時間は経過していた。すでに敵の戦艦の半分は炎に包まれている。

 反撃はしているが、その砲撃は徐々に散発的なものになりつつあった。


「うおっと……」


 機体がビリビリと揺れた。かなり近くで対空砲火が炸裂したのだ。慌てて機体を安定させる。

 戦艦を守るように周囲を航行する駆逐艦の砲撃だと思われた。

 アメリカの駆逐艦の対空火力は侮れなかった。

 妙に正確に砲弾を撃ちあげてくる。このため、弾着観測がスムーズに行えなかったくらいだ。

 

「結構、やられたのかもしれんな」


 加藤少尉の言葉が聞こえた。

 喜多一飛曹は周囲を見た。周囲に6機を数えた零観は、すでに自分たちと他に2機だけになっていた。

 F4Fに突っ込まれたときに食われたのかもしれない。もしくは、この対空砲火か――

 いや、雲の中に逃げたのかもしれない。


 雲量は多い。曇天といっていいだろう。低く垂れこめた雲が頭を抑え込み、高高度戦闘を不可能としていた。

 それは、零観にとって悪いことではなかった。本当に危なくなれば、雲に飛び込めばいい。


 海の上の決戦は俺たちの勝ちだ――

 それを思うと喜多一飛曹の自然に口元に笑みが浮かんできた。やはり聯合艦隊は無敵だった。

 確かに、こちら側も無傷ではない。

 ただ、このアリューシャン海の勝者は帝国海軍だ。それはもはや既定の事実であると思われた。


「とりあえず、勝ってますよね」

「今のところはな」


 加藤少尉は首肯とも反駁ともつかない言葉を口にしていた。


 加藤少尉の見方は喜多一飛曹とは違っていた。

 海上砲撃戦の主導権は確かに日本側が握っている。

 しかしだ――

 空の主導権が敵に握られた場合どうなるか。

 彼は戦場を俯瞰しそのようなことを考えた。


 観測機を排除しにきたグラマンは4機だった。アメリカ空母の搭載機数を考えるとあまりにも少なすぎた。

 大規模な反撃準備をしているのではないか――

 敵の航空戦力の規模が分からない。もし、航空戦で負ければ、局面は一気にひっくり返るのではないかと思った。


(俺が考えても仕方ないか――)


 戦艦同士の砲撃戦。ああ、それは海軍軍人の本懐なのかもしれない。

 だが、この北の海の砲撃戦になんの意味があるのか?

 我々はアメリカの戦艦に戦艦で撃ちあうようなぜいたくな戦が許されるのか?

 取りとめのない思いが脳内を支配していく。


 アメリカ戦艦が水柱に包まれる。また1隻から火柱が上がった。黒いなにかが飛び散り、噴煙のような煙に包まれた。

 ペンシルベニア級に直撃弾だった。もはや、この戦艦が助かるとは思えなかった。

 加藤少尉は電信キーを叩く。分速80打鍵で電信を送る。海軍偵察員の電信鍵の標準速度だった。


「これは勝ちましたね。少尉」

「ああ――」


 濃密な黒煙を上げながらのたうつ巨大な戦艦。鉄槌に打ちのめされた巨獣が断末魔を迎えているようだった。

 この空では――

 加藤少尉は、その光景を見ながら、喜多一飛曹の方が戦場において、自分よりも健全な精神であると思っていた。

 彼の口元には諧謔を帯びた笑みが浮かんでいた。


「まあいい」


 彼の呟きは、零観のエンジン音に中に溶け込んでいた。

 下方に突き抜けたグラマンは高度を上げ、こちらに反転しようとしていた。

 お世辞にも、素早い機動とは言えなかった。


「加藤少尉! 敵です 敵編隊!」

 喜多一飛曹が叫んだ。


「3時方向! 30機以上います!」

 

 どこだ?

 決して視界が良好とはいえない中、加藤少尉はその方向を見やった。

 いた――

 曇天の下、ごま塩のような機体を確認した。


 喜多一飛曹の言うとおりだ。さすがに、彼は熟練搭乗員だった。

 

 彼は気が着くと、電鍵を叩いていた。


        ◇◇◇◇◇◇


 宇垣参謀長がウキウキしながら筆をとった。

 ペンシルベニアと書かれたところにバツ印をつけ、墨痕鮮やかに「撃沈」と書いた。


「後は、空母を仕留めれば我々の勝ちですな! 長官!」

「ああ、そうだな」


 黄金仮面が超ご機嫌だった。


 アメリカの戦艦はすでに3隻がアリューシャンの海底に向かって進撃していた。

 こちらの被害は、山城の大破が最大だった。

 アメリカ艦隊は途中から、大和を集中攻撃しだした。おそらく、大和の砲撃力を見て、真っ先に排除すべき敵と認識したのだろう。

 本当、マジで勘弁して欲しかった。膝が震えて、立っているのがやっとだよ。目開けていると、涙目になりそうなので、目をつぶって「大和は不沈艦! 装甲500ミリ!」と念仏のように何度も唱えた。神に祈らなかったのは俺の意地だった。糞みたいな意地だが。


 結果として海戦は日本が優位になっていった。敵の選択は下策だったのだ。

 大和に砲撃を集中させたせいで、残りの伊勢、日向、扶桑はほぼノーダメージだった。


 集中砲火を食らった大和には無数の命中弾があった。第二砲塔の天蓋が「ガゴーン」と音を立て、敵弾を弾いたときは、恐怖でちびりそうになった。

 270ミリの天蓋装甲は無傷。なんか塗装だけが剥げていた。


 さすがに14インチと16インチの巨砲の洗礼を食らって全てが無傷というわけにはいかなかった。いかに大和でもだ。

 非装甲部に当たった砲弾は確実にダメージを与えた。特に、後部の飛行甲板の被害が大きいようだ。結構大きな火災が発生したという報告があった。


 運用(ダメコン)の対応で鎮火できたが、そこはもうぼろ屑のようになっているのだろう。


 また、バイタルパートに直撃した砲弾も、少なくないダメージを与えていた。

 アメリカの14インチ砲、16インチ砲では、2万の砲戦距離で大和の装甲は貫けなかった。それはデータ通りだった。

 しかしだ――

 装甲をつないでいる支持部分から装甲全体がたわみ、水面下から浸水していた。

 戦闘行動には支障が無かったが、この装甲の構造は大和の弱点として、後に指摘されている部分だ。

 まあ、それを含めても、破格の防御力をもった戦艦であることは変わりはなかったが。


「後は、第四航空戦隊が空母を仕留めれば、完全勝利ですね」

 渡辺参謀が俺に言った。この時代の日本人とすれば破格にでかい人だ。

 確か、史実の山本五十六の将棋相手となっていた参謀だ。

 俺はあまり将棋を指さないので、彼とは将棋をしていない。


 やはり将棋はやった方がいいのか?


 気持ちに余裕がでてきたせいかそんなことまで考えられるようになった。


 空母は無線封止しているので、状況が分からん。もうそろそろ、攻撃隊が出ている頃だろう。


「敵です! 敵編隊! 観測機より入電です。30機の戦爆連合が接近中!」

 電話兵の声が司令部に響く。


 きやがったか!

 やっぱり30機か。戦闘機が3分の1とすると、対艦攻撃力のある機体は20機だ。

 アメリカの急降下爆撃機は戦艦を攻撃することを想定していないはずだ。戦艦の数的優位が確保されていることを信じてるアメリカ海軍は、航空機で戦艦を沈めるという考えを持っていない。航空機のターゲットは空母だ。図らずも、日本よりも近代航空戦に適合した運用形態となっている。


 アメリカ海軍が運用するGP爆弾は、弾殻の薄い分、大量の炸薬が詰まっている。信管は瞬発に設定されているはずだ。

 装甲のない空母の飛行甲板から格納庫を破壊するには最適の爆弾だが、戦艦を沈めることはできない。上部構造物は悲惨なことになるだろうけど。

 おそらく、今回の狙いも空母だ。こっちにはこない。俺はなぜか確信した。そしてそれは、俺にとっては不味い事態だった。


 敵機は徐々に大きくなりその全貌を明らかにしていく。濃紺の機体が曇天の下、俺たちの上を飛び去っていった。

 戦艦はガン無視だった。やはり狙いは空母だ。

 30機の編隊は、商船改造隼鷹、軽空母龍驤にとって危険と言える。まずいな。

 空母を傷つけられるのはまずい――

 俺は気が付くと拳を握りしめていた。


 また、2万メートル彼方に水柱が上がった。

 味方戦艦の砲撃が敵を包み込んでいた。

 刻々と変わる状況の中でも、砲撃はルーチンワークのように行われていた。


 観測機からの弾着データの送信は、敵戦闘機の妨害と対空砲火で途切れがちとなっていた。

 ただ、霧が晴れ視界が確保できているので、この距離からなら光学測距の砲撃で問題は無かった。


 大和の三組の15メートル測距儀がそれぞれデータ諸元を送り出す。

 遠近でピントを合わせるステレオ式が1機。上下に分かれた像を合致させる上下象合致式が2機。

 そこで得られたデータの平均値が射撃盤に送り込まれる。

 射撃盤では、20を超えるパラメータの計算が行われ、敵艦の未来位置を特定。

 セルシンモータにより、砲塔を制御していく。


 46サンチの砲塔側では、弾薬室から装薬と徹甲弾がせり上がってくる。

 20メートルを超える長大な砲身が装填角3度に戻る。

 装填機に配置された砲弾と装薬が砲身にセットされる。

 装薬は合計330キログラム。砲弾は1.5トンだ。

 後栓が閉じられる。

 全てが機械による自動操作だ。動力は5000馬力の水圧発動機による。


 艦内に主砲発射のブザーが鳴り響く。

 雷鳴を100発集めた轟音が響いた。46サンチ砲9門の斉射。

 精密なシステムが繰り出す破格の鉄槌が、虚空を貫き2万メートル彼方に飛翔する。

 固形化した空気のハンマーが全身を叩いてくるような錯覚を覚えた。


「第4航戦です! 味方戦爆連合が来ました!」

 電話手が叫ぶ。


 空と海――

 鋼と硝煙の臭いはどす黒く、どこまでも広がっていきそうであった。

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