その38:鋼の嵐! アリューシャン海戦 9

「なんだ…… あのバケモノは……」


 バークライト中尉は自分の声が震えているのが分かった。

 あれほど濃かった霧は、かなり晴れていた。視界は十分確保されている。

 まるで、砲撃戦のおぜん立てをするかのような視界になっていた。

 彼が配置についていた対空見張り所から、敵の全容が確認できた。


(あれは戦艦なのか? ジャップの戦艦か?)

 

 双眼鏡を持つ手が細かく震えている。

 くそっと思い、その震えを抑え込む。強引にだ。


 それは巨大だった。

 船体が巨大だ。

 砲塔が巨大だ。

 大砲も巨大だ。

 中央構造物も巨大だ。

 

 おそらくは、その砲弾も巨大なのであろう。

 合衆国の誇るテネシーを一一撃で葬り去った恐るべき砲撃力を持つ存在――


 我々の敵――

 それは、存在そのものが、分厚く巨大な、なにかに見える。

 それは戦艦とは別種のなにかに思えた。


 おそらくは、他に並んでいる艦も戦艦なのであろう。

 艦型識別の教育を思い出した。おそらくは扶桑、伊勢か?


 それらの艦がまるで駆逐艦のように見えた。


 巨大であり、美しいなにか――

 そう、それは魂を引きこまれるような美しさを持った存在であった。

 美しかった。

 敵の戦艦であった。斃すべきジャップの戦艦だ。

 しかし、それは、悪魔のように美しかった。


「リヴァイアサン――」

 

 彼は、旧約聖書に示された、海の魔物の名を小さくつぶやいていた。

 その存在はどこか神話めいた、なにかに思えたのだった。

 つばを飲み込む。やけにしょっぱい。

 口の中が濃い潮味となっていた。


 閃光が走った――

 砲撃だった。

 神話の怪物が咆哮した。アリューシャンの海と空を叩き割るかのように響いた。


 それは――

 世界の終焉を告げる神罰の雷鳴のように思えた。

 彼は口の中で神の名をつぶやいた。


        ◇◇◇◇◇◇ 


「こうでなくてはな…… こうでなくてはいかん」


 パイ司令官は、太い唇に太い笑みを浮かべつぶやいた。

 太い拳を握りこみ、その双眸は敵を見つめていた。


 こちらの砲撃がジャップをと捕えたのだ。

 扶桑タイプとみられる戦艦に直撃が出た。あの呪われた邪教の塔のような艦橋がへし折れるのが見えた。

 心の中で喝采を叫んだのは言うまでもない。

 続けざま、閃光が走った。そして爆炎。

 アメリカ製の鉄槌が、邪教徒に振り落とされたのだ。鋼と高性能炸薬の鉄槌だ。


(くたばれ、ジャップ―― ラッキ―ヒットでいい気になるなよ) 

 その口には喜悦が浮かんできていた。


 こちらは既にテネシーを失っている。

 更に、駆逐艦の放った魚雷がニューメキシコに命中していた。1本は至近で自爆したが、右舷中央部に命中し隔壁をグチャグチャした。

 ダメコンチームが必死の回復を行っている。なんとか戦闘行動は可能なようだ。

 1本や2本の魚雷で戦艦が沈むものではないが、被害はバカにならない。

 しかし、やつらの駆逐艦は、バカみたいに威力の大きな魚雷を放ちやがる。まあ、魚雷など射点につかせねばいいのだが。


 そんなパイ長官の思いとは関係なく、アメリカ海軍はその後も日本海軍の魚雷に悩まされることになる。

 90式魚雷など足元にも及ばない純粋酸素を使用した「酸素魚雷」。

 この時代、日本海軍だけが実用化に成功した、ほとんど対抗不能の水面下の殺人兵器だった。

 青白き殺人者、ロングランスと異名を得ることになるこの兵器は、800キログラム近い高性能炸薬と、イタリアからの技術情報により雷速52ノットを達成する恐るべき存在となっていく。しかも射程距離は他国の魚雷の3倍以上と言う常軌を逸した兵器だった。


 だが、彼はまだそのことを知ることはなかった。


 さすがに魚雷を放った日本海軍の駆逐艦は、退避を開始していた。深追いをする必要はない。


 駆逐艦には上空の観測機に対する射撃を行わせている。

 こちらも観測機を出したかったが、砲撃が開始してからではどうにもならなかった。

 今のところ対空射撃で、観測を妨害するのが、精一杯というところであった。

 パイ司令官は自軍の駆逐艦の主砲が対空射撃が可能な両用砲であることに感謝した。


 鋼鉄と鋼鉄がぶつかり合い、激しくはじける音が響く。

 アイダホが直撃を食らった。水柱の中、4万トン近い巨体が木の葉のように揺れていた。

 電話兵がその事実を叫ぶ。


 第4砲塔直撃。しかし、天蓋の127ミリ装甲板はなんとか貫通を防いだようだった。

 だが事態はよくは無かった。最悪ではないが、かなり悪い報告が入る。

 砲塔基部のバーベットに歪みがでたのか、旋回不能となってしまった。

 事実上、彼女の砲撃力の25%が失われたことになる。

 3連装砲塔のデメリットがここで出てしまったことになる。


「ロングアイランドの航空機はまだか!」


 パイ司令官は、叩きつけるように幕僚に言葉をぶつけた。

 彼の艦隊の航空戦力である2隻の護衛空母。

 小型で客船改造の弱小空母ではあったが、カタパルトが設置されており、素早い発艦が可能となっている。

 この戦場から20海里以上離れた海域に姉妹であるマーサーアイランドと共に航行中のはずだった。

 すでに、空母では戦闘機と爆撃機の攻撃準備が進んでいるはずだ。

 まずは、この上空にいるうるさい小ハエどもを駆逐してやるのだ。


「OHHHHoo!」


 凄まじい衝撃と共に、パイ長官は床に叩きつけられる。全身を強打し息がつまった。

 肺の中の空気は固形化したかと思った。


 がはッ―― 

 彼は、呼吸を取り戻すと頭を振った。

 幕僚が彼を支えようと駆け寄ってきた。それを手で静止する。彼は自力でゆっくりと立ち上がった。


「なんだ? なにが起きた……」


 続けて、ビリビリと細かい振動が戦闘指揮所の空間を支配する。

 

「第一砲塔です! 第一砲塔が貫通されたました! 完全に沈黙。砲弾は反対舷側に抜けて至近弾となった模様です」

「莫迦な――」


 戦闘指揮所から艦首方向の第一砲塔が見えた。

 パイ長官は、言葉を失う。呪われた4文字言葉を発しそうになるのを残された自制心で何とかこらえた。


 薄い煙を上げ、第一砲塔は完全に動きを止めていた。2本の巨大な16インチの砲身はバラバラの方向を向いていた。

 

 まるで、巨人のハンマーの直撃を受けたようだった。

 砲塔天蓋部分に大穴が空いていた。更に後部にも穴が開いているのだ。

 メリーランドの天蓋装甲は127ミリある。更に後部は220ミリを超える。

 両方合わせ350ミリ以上の装甲があることになる。それがあっさり貫通されていた。いや弾着角度を想定すると、それ以上だ。500ミリ以上あっても貫かれたのではないか…… ある種の悪夢のような思考が頭に浮かぶ。


 敵の砲弾の過剰な貫通力と、信管調定の甘さによって救われたといえた。

 更に、着弾した角度も運が良かったといえるだろう。もう少し角度が深ければ、砲弾は弾薬庫まで飛び込んでいたかもしれない。


「奴は…… ジャップの戦艦は悪魔か……」

 

 彼は、ダメコンチームに指示を与える。外から見た限り火災は発生していないが、予断は許されなかった。


「ラッキーだったですね。盲弾ですか……」


 幕僚の言葉は慰めにもならなかった。

 気持ちがささくれてくるのを感じた。

 なにがラッキーなのか、奴らの一撃は、この艦のどこでもぶち抜けるということが分からんのか。

 16インチの装甲の戦闘艦橋ですら、安全ではないんだ。

 パイ長官は、ぶち抜かれた砲塔を見つめる。

 相変わらず、うっすらとした煙がそこから立ち上がっている。

 彼は合衆国最強を誇る16インチ砲の砲塔があっさりと叩き潰された事実を咀嚼していく。

 60人以上の若者があそこで死んでいったのだろうという思いも含めてだ。


(18インチ砲…… いや、それ以上か?)


 ラッキ―ヒットでは無かった……

 初弾直撃によるテネシーの轟沈。

 戦闘においては想定しうること以上のことも起きる。

 たまたま、敵の砲弾が弾薬庫にヒットした不運なでき事であると彼は理解していた。

 しかし、そうではなく――


 情報部からジャップが新型戦艦を投入したという報告は受けていた。

 それは、4万5000トン、16インチ砲搭載の戦艦というものだった。

 貧乏なジャップにしては、よくやっているという感じだ。


 そして、遭遇した艦隊の中に、ひときわ巨大な戦艦が存在していることも分かっていた。

 コイツが、その戦艦だろうとあたりをつけていた。

 4万5000トンにしては、妙にでかいのではないかと思ったが、それも戦場心理によるものと理解していた。


 とにかく、このメリーランドであれば十分対抗可能な艦だろうと思っていたのだ。


(思い違いをしていたのか…… ジャップの戦艦は……)


 戦艦指揮官として積んできたキャリア。

 合衆国の戦艦こそが、この世界で最強の存在あるという自信と矜持。

 その足元が崩れていくような感じがした。


「集中しろ! 砲撃を集中だ! ジャップのデカイ奴に砲撃を集中するんだ!」


 最大の戦力を持つ敵から潰していく。それは一つのセオリーだった。

 5隻の鋼の姉妹たちは、その巨大な方向を、ジャップの巨大戦艦に向けた。


 33門の14インチ砲――

 14門の16インチ砲――

 

 この集中砲撃を食らって無事なものは、この地球上に存在しそうになかった。

 仮に火星人が攻め来ても、打倒できる威力があるのではないか。

 そんなバカな考えが頭をよぎる。


 そして、鋼鉄と炸薬と破壊の意思を持った砲弾が、音の壁を突き破り、アリューシャンの空を飛翔した。

 死神の奏でる笛の音の尾を引きながら。


        ◇◇◇◇◇◇


 大量の飛沫が降りかかる。

 大和の周囲に水柱が林立する。まるで水でできた巨木の森の中を彷徨っているような感じだ。

 あまりのすさまじさに、視界が水柱で埋まってしまう。


 3斉射位まえから、アメリカ戦艦が完全に大和を集中攻撃する方針に切り替えたようだった。

 派手に水柱が当る。


(司令部は500ミリの装甲だから、安全、安全、安全、安全、安全、大和は不沈艦!)


 ほとんど意識を失いそうになりながら、念仏のように自己暗示をかける俺。

 大和より前に、俺の精神が撃沈されそうになっている。


「あれ? 揺れたか?」


 なんか微妙な振動を感じた俺は言った。艦を激しく振動させる主砲は、まだ発射していない。

 なんだ一体?


「ははぁ、確かになんでしょうか……」


 黒島先任参謀も訝しげに、俺の発言に追従した。

 彼も揺れというか振動を感じたようだ。 


「中央、舷側に直撃。若干の浸水あり。被害軽微。応急対応中です」


 電話兵の報告の声が上がった。

 

「当たったのか?」

「そのようですな……」


 無数の水柱が上がったので全部外れたのかと思ったが1発は当たったらしい。

 少しだけ、揺れた感じがしたのが、砲弾直撃だったのか。


 中央の舷側装甲と言えば、410ミリの装甲板が貼ってある場所だ。

 20度の傾斜がかかっているので、垂直計算でいくと500ミリ以上のとんでもない分厚い装甲となる。

「装甲板」ではなく「装甲塊」と言った方が正しいのではないかというくらいだ。


 浸水はあったようだが、戦闘行動には全く問題が無かった。

 

「フッ、米戦艦の砲弾では大和の装甲は抜けませんな―― これも日記に書かねばなりますまい」

 宇垣参謀長がまた手帳に書きはじめた。

 チラリと見たら、なんかイラストまで描いている。結構上手い。

 やるな、黄金仮面。ちょっと親近感がわいてきた。


 脳天にぬれタオルで一撃を食らったような衝撃。

 敵の砲弾の直撃など問題にならない衝撃が起きる。

 46サンチ砲の斉射だった。

 甲板に出ていたら、どこの場所にいても人間は即死。

 艦載機や内火艇は、粉砕されてしまうという恐ろしさだ。

 だから、艦載機も内火艇も艦内に完全収容されているのだ。


 続けて、伊勢、日向、山城、扶桑も砲撃を続ける。

 艦橋は途中から、ポッキリいった山城も、なんとか戦闘を続けている。

 艦橋だけではなく、36サンチクラスの砲弾を喰らっていたが、致命部を外れていたのでなんとかなっているようだった。


 唐突に凄まじい爆発音が響いた。

 またしても山城だった。なんだいったい?

 後部からもうもうたる黒煙と、炎を吹きあげている。

 真っ黒いなにかが宙を飛んでいた。

 それが海面に落下し、巨大な水柱を作り上げた。


 敵か?

 直撃か……

 なんで、いきなり?


「山城からです! 5番砲塔で爆発! 事故です! 爆発事故が起きたようです」

「なんだと! 本分を尽くしておるのか!」


 さっきまで機嫌のよかった黄金仮面が激怒。

 メモを取っていた手帳を叩きつけた。


「限界だろう。山城は退避させろ。艦長には復旧に全力を尽くせと伝えろ」


 俺は言った。

 俺は以外に冷静に対応した。

 なにか、史実で起きたことが微妙にずれて発生しているような気がしたからだ。


 確か、史実では、5番砲塔の爆発事故は、訓練中「日向」で発生したはずだ。

 それが、戦闘中に山城で発生した。史実で起きたことがずれて相似形のような形で発生しているような気がした。


「命中! 命中です! 敵、メリーランド型戦艦に直撃! 急速に速度落ちてます」

 

 電話兵の声が響く。

 俺は双眼鏡を覗いた。視界に敵戦艦を捕える。黒煙を噴き上げ、まるで火あぶりの殉教者のようになっている艦橋構造が目に映った。


「長官! 第四航戦の索敵機より連絡です! 空母です! 空母を見つけました」

 

 電文の紙を電信兵から受け取った、三和参謀が俺に向き直って言った。

 やっぱり、いたんだ。いや、絶対にいるはずだった。

 空母だ。空母がいた。


「攻撃だ! 第四航空戦隊は空母撃滅だ!」


 アリューシャンの海と空には鋼と硝煙の香りが満ちていくようであった。

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