その37:鋼の嵐! アリューシャン海戦 8
轟音――
閃光――
天に向かって突き立つ巨大な水柱。
発砲の度に、ビリビリと空気が震え、濡れたタオルでひっぱかれるような衝撃が走る。
これが、戦艦同士の撃ちあい。鋼鉄の巨獣の咆哮がアリューシャンの海を支配している。
遥か彼方に巨大な水柱が上がるのが見えた。紅い水柱だ。
大和の砲弾には紅い染料が込められているからだ。各艦の弾着を正確に計測するためのものだ。
落雷を100発くらい合わせた音が響いた。もはや俺の鼓膜は限界に近い。頭の芯まで痺れて思考速度が遅くなっている気がする。
大和の周囲にも敵の砲弾の作る巨大な水柱が上がった。
初弾で敵戦艦を仕留めたが、その他の敵戦艦がまだ健在だった。
お互いに、巨大な鋼と炸薬のハードパンチを繰り出すが、初弾以外に有効打が出ていない。
膝がガクガクと震える。
俺の脳裏には初弾命中で真っ二つになって轟沈した敵戦艦の映像が浮かんだ。
V字型にへし折れ、爆発しながら波間に消えていく敵戦艦。
おそらく、誰一人として助かっていないのではないかと思った。
爽快感と言うよりは、それは恐怖だった。戦艦の砲撃――
いや、大和か……
この大和の持つ理不尽な破壊力に戦慄と恐怖を覚えた。
そして、今や恐怖を通り越し、目の前の光景が現実感を失っている。鋼鉄の暴風と雷の中で俺の精神まで翻弄されていた。
「轟沈はテネシー型のようですな……」
いつの間にか壁には、敵艦隊の陣容が書かれている。
宇垣参謀長が嬉しそうに、「テネシー」と書かれたところに×を書いた。
司令部には刻々と情報が集まっているのだ。
観測機からの情報で敵の全容が一応は明らかになっている。
テネシー級が2、ペンシルべニア級が2、コロラド級2、ニューメキシコ級1だ。
敵戦艦は7隻。初弾で一隻が轟沈したので6隻だ。数の上では5対6でほぼ互角。こっちは大和はあるので勝てる可能性が高いはずだ。
撃沈したのはテネシーらしい。
テネシー級、ペンシルベニア級、ニューメキシコ級が14インチ砲(36サンチ砲)12門。
コロラド級が16インチ砲(40サンチ砲)8門のはずだ。
こちらの扶桑、山城、伊勢、日向も36サンチ砲であるが性能的にはどうだ……
水平装甲でちょっと不利と言う感じもあるが、速度では優位だ。全体的に決定的な差があるとも思えない。
距離2万メートル前後では水平装甲は入射角度によっては軽くぶち抜かれる。双方ともにだ。
舷側装甲はアメリカの方が厚いか……
しかし、初弾命中なんてたちの悪い冗談だ。その後は嘘みたいに当たらないし。
2万メートルの距離を挟んで砲撃戦は続いていた。
この距離は大和にとっては完全な安全圏だ。少なくともバイタルパートは絶対に撃ちぬかれない。
この500ミリの高張力鋼に囲まれた司令塔も絶対に安全だ。
安全だ。安全だ。安全だ。安全だ。安全だ。安全だ。安全だ。
よし、少し落ち着いてきたぞ……
「挟叉です! 敵を捕らえました」
「よし! ここから本番だ」
電話兵の言葉に宇垣参謀が、力強く反応する。なんか、凄まじくウキウキしているんだけどこの参謀長様は……
戦艦の砲弾は各砲が同じ場所を狙っても絶対に同じ場所に落ちない。
厳密に言えば装薬のコンディションも違うし、諸々の構造的な誤差というものが存在する。
だから投網を広げるように、砲弾は弾着する。
この範囲を海軍では「散布界」というわけだ。
「挟叉」とは簡単に言ってしまえば、この「散布界」の範囲内に敵を捕らえたということだ。
砲撃戦は、この散布界の範囲にいかに敵を捕えるかの競争という面がある。
今回は、どうやらこっちが先に敵を捕らえたようだった。
アメリカ戦艦の水柱は、まだ方位も距離もこちらを捕えきっていない。
「挟叉」したということは、このままの射撃諸元で撃ち続ければ、確率的はいつか当たるということになる。
これは、陸上の砲撃でも「公算躱避(こうさんだひ)」という概念があってまあ似たようなものだ。
しかし、挟叉もなしに、初弾命中とか殆ど奇跡だったな。サルに適当にキーボード打たせたら俳句が出来たというくらいの奇跡か?
『あのぉ~ 女神様……』
『なんだ?』
『初弾命中なんですけどね』
『おお! さすが大和なのだ!』
『なんかやりました?』
『むっ! 知らぬぞ! 吾は関知せぬ! 神はサイコロは振らぬのだ! 大和最高なのだぁぁぁぁ! きゃはははははッ!』
釈然としないものはあるが、なにかをやった可能性は低いか……
そもそも、そんな力があれば、とっくに敵艦隊は全滅しているはずだ。
その後の砲撃戦の展開を考えるとやはりやはりあれは偶然というか奇跡だったのか。
俺は意識を外に向けた。
そこには厳然たる戦争の現実が横たわっている。
巨艦による艦隊決戦という夢だか悪夢だか分からないような光景が広がっていた。
20世紀の中盤を最後に滅びを迎える巨竜たちの咆哮が空間を支配しているのだ。
司令部の空気の中にゆるゆるとした鋼と硝煙の香りが溶け込んできた。
歴史の波の中、滅びゆく巨竜たちの残り香なのかもしれない。
「大和の記念すべき初陣―― 伝説となる初弾命中。これは克明に日記に書かねば…… 100万部だな……」
宇垣参謀長が手帳を取り出しなにかメモしている。なんだよ、戦後の出版目的で書いてるのか?
歴史がねじ曲がっていくので「戦藻録」の内容もねじ曲がっていくのだなと俺は思った。
ただ、この人も最期に特攻しないで生き延びてほしいとは思った。戦後100万部売れるかどうかは知らないけど。
「敵、発砲!」
水平線の彼方近くがパッと光る。アメリカの戦艦の砲撃だった。
それ自体には恐怖を感じない。今から数十秒後に周囲には巨砲弾が降り注ぐことになる予告ではあったのだが。
ビリビリと全身が震える。500ミリを超える司令塔の装甲板がきしみを上げるようだった。
轟音と言う表現が生ぬるい。それはもう「音」という物を超えたなにかだった。
衝撃波が走る。俺の体の芯をぶち抜いた気がした。
大和の45口径46サンチ砲が天に向け咆哮していた。巨大な火炎を吐きだし、1.5トンの鋼鉄と炸薬の切っ先を敵にぶち込もうとした。
続けて、続けて、伊勢、日向、扶桑、山城の45口径36サンチ砲も火を噴いていた。
砲弾重量は680キログラム。大和の半分以下であるが、これとて1942年時点では一線級の破壊力をもった艦載砲なんだ。
逆に言えば、どんだけ大和の46サンチ砲がチートであるかということだ。
砲弾は音速の2倍以上の速度で放物線を描き、敵の心臓(バイタルパート)をぶち抜くために飛翔する。
敵の着弾の方が先だった。
「挟叉されたか…… だが散布界が無駄に広いな」
大和の周囲に巨大な水柱が林立する。
そして、同じく水柱が扶桑、山城も水柱に包み込まれていた。
前衛芸術というか、サイバーパンク的な構造物のように見える扶桑と山城の艦橋よりも水柱が高い。
俺はこの両艦の艦橋構造が結構好きなのだ。大和の神的なカッコよさとは別の魅力がある。
挟叉はされたが、命中弾は出ていない。ただこのまま砲撃を続ければ、命中弾を食らう可能性はある。
扶桑型は、何度も改造され強化されてはいるが、水平装甲は薄いといえる。
2万の距離で水平装甲が耐えられるかどうか、微妙な感じがする。
砲撃と同時に転舵すれば、命中弾を食らう可能性は下がる。しかし、同時にこちらの砲撃精度も下がる。
帝国海軍は砲撃中に命中率を下げるような行動はしない。だからそのまま突き進む。
徐々に水柱が崩れていく。高層ビルがダイナマイトで粉砕され崩れていくような感じだった。
大量の飛沫を上げ、アリューシャンの海を沸騰させているようだった。
「アメ公のへなちょこ弾など屁でもないわ」
ニィィっと口角を釣り上げ、黄金仮面・宇垣参謀が言った。自信たっぷりだ。
その自信分けてほしい。
そうだ――
装甲の質ってのがあるな……
当時の日米の装甲の質については、ちょっと不明だ。
大和の主要な装甲板は、非常に生産性が高い。その点で優れた装甲板だ。
強度に関しては、戦後のアメリカの評価史料では、「最高」というものもあれば6%~10%劣るというものもある。
アメリカが試験した装甲板が、日本で検査不適格だった不良品だったという説もある。
今となっては、真相はよく分からん。ただ、500ミリの装甲で10%劣っていても450ミリ。
十分安全だ。ああ、安全だ。安全。安全。安全。安全。
2万メートルならアメ公の砲弾は絶対にここをぶち抜けない。絶対にだ。
いや、ここだけじゃない。20度傾斜した410ミリの舷側装甲も、200~230ミリの水平装甲も絶対に無理。
機械獣とマジンガーZ以上の差があるはずだ。もはや鋼のATフィールドといっていいだろう。
心の中で念仏のように「安全」を唱え続ける俺は、ちょっと周囲を見た。少し精神が安定したから。
やはり、カクブルしているのは俺だけだった。まあ、辛うじて外見から分かる様な無様を晒していないのが幸いだった。
とにかく先に当ててしまうことだ。
扶桑、山城は斉射時の爆風問題で斉射ができない。
連装6基の砲塔配置が設計上問題があり、発射時の爆風が酷いことになるからだ。
この2艦が交互撃ちを続けている。まあ、それはそれで手数が増えるので悪くもない。
とにかくだ――
とっとと当てて、敵を撃滅してくれ。
大和の巨大な3連装砲塔が敵を追尾するためゆっくりと回転しているのが見える。
射撃指揮システムが、与えられたデータ諸元により砲口を敵に向けているのだろう。
45口径46サンチ砲の砲身が角度を変える。一度定位置に戻った。装填を行うためだ。
20メートルを超える巨大な鉄柱だ。
3連装砲塔が意思をもったかのように動いていた。
戦艦と言う兵器。巨砲弾を敵に叩きこむという目的のためにだけに進化してきた精緻なシステムが稼働していた。
「九八式射撃盤改一」が敵の未来位置を計算していく。
主砲の射撃管制システムは、当時最高水準のアナログコンピュータとでもいうべきものだ。
地球の自転影響までを含む弾道計算を行い、主砲を制御していく。
砲撃は艦の水平が保たれた瞬間に行われる。
3門ある砲塔の中央砲だけが0.3秒ほど遅れて発射される。これは砲弾同士の干渉を避けるためだ。
巨大な砲身が仰角を上げていく。天に挑む巨大な鉄塊のランスだ。
秒速780メートルで発射された1.5トンの砲弾は恐るべき威力を発揮する。
2万メートルの距離で56サンチ以上の垂直装甲板をぶち抜く。
砲戦距離2万メートルで発射された46サンチ砲の前に無事でいられる構造物はこの時代には無いはずだ。
戦艦を含むありとあらゆる兵器が粉砕可能だ。
致命部に当たれば、一発で終了だ。そうそう起きることではないが、敵はその危険を常に負う必要がある。
テネシーの最期はそれを証明していた。
彼女は、バイタルパートの装甲をぶち抜かれ弾薬庫直撃を食らったのかもしれない。
もしくは水中弾か?
日本海軍の91式徹甲弾、一式徹甲弾は、海面に着弾後、水中を直進する可能性が高い形状をしている。
実際はそれほど、水中弾が発生する可能性は高くなかったともいわれるが、先ほどの轟沈は水中弾であったのかもしれない。
「命中! 敵戦艦に命中弾!」
林立する水柱の中、火柱は1本上がっていた。
2発目の命中弾もこっちが先だった。
双眼鏡で見ても、この距離ではダメージはよく分からない。
当たったのは36サンチ砲だったのかもしれない。
少しタイミングが遅れて別の艦に水柱が上がった。
「命中!? ん、駆逐艦暁より入電―― 『ペンシルベニア級戦艦二魚雷2本命中セリ』」
突っ込んでいった水雷戦隊からの戦果報告だった。
敵の迎撃部隊との混戦となって魚雷射点に到達ができなかったが、どうやら1隻が雷撃に成功したようだ。
世界標準の魚雷が53サンチである中、61サンチの特大魚雷だ。
酸素魚雷ほどの威力は無い90式魚雷だが他国の魚雷以上の破壊力はある。
次の瞬間、俺の視界の隅が明るくなった。
ビリビリとした振動と鋼が焼けつくような臭いを感じた気がした。
戦艦山城だった。
山城の周囲に巨大な水柱が上がった。その隙間から閃光が走っている。
1か所じゃない。
「山城被弾! あああああ!! 艦橋が! 艦橋が折れてぇ!」
電話兵が叫ぶ。見れば分かる。司令部の空気が凍りついた。
ゆっくりと崩れゆく水柱。徐々に見えてくる戦艦山城。
その前衛芸術とも、サイバーパンク的な造形を見せていた素敵な艦橋が途中からポッキリ折れていた。
そして、炎と煙に包まれている。
鋼の巨獣の牙は、こちらにも容赦なく襲い掛かって来たのだった。
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