その36:鋼の嵐! アリューシャン海戦 7
荒れ狂うアリューシャンの波濤を砕き、猟犬のごとく駆逐艦隊が突っ込んでいった。
朧、曙、漣、潮、暁、響、雷、電の特型駆逐艦だった。
日本の駆逐艦デザインのエポックメーキングとなった吹雪型。
2000トン以下の船体に12.7センチ連装を3基6門を装備。
ひとつ前の世代に当たる睦月型に比べ、砲雷撃力が1.5倍以上になった高性能駆逐艦の第一世代であった。
出現当時は、その能力は他国に10年は差をつけたと評価されるほどだった。
なんせ、下手すれば5500トン級の軽巡より強力なのだ。
この駆逐艦の艦長の中には、昇進して軽巡の艦長になるのを嫌がった人がいるくらいだ。
敵主力艦を急襲して、どてっ腹に魚雷を叩きこむ、凶悪な戦艦殺しの姉妹たちだ。主力艦の劣位を補うため磨かれた戦技は、世界最高水準に達している。
有名な酸素魚雷を発射することはできないが、他国の魚雷より一回り大きい61サンチの直径を持つ90式魚雷を各艦9本を放つことができる。
この魚雷も、世界標準で見れば十分に最高水準の性能を持つ魚雷といえた。
全体で72本の槍ぶすまだ。
「敵は気付いてないのか……」
「天佑ですな」
俺の言葉に宇垣参謀長が答えた。
本当に天佑だ。神助だとは絶対に思いたくもないが。
米海軍も本格的な海上探索レーダー装備は1942年の後半からだった記憶がある。今ならレーダ射撃という手段はとれない。
仮に搭載していたとしても、運用はまだ本格化していないはず。
史実ではかなり神格化されているが、対艦レーダ射撃はそれほど当たらない。確かに、このような視界が悪い状況であれば、当然有利になるのではあるが。
しかし、こちらの試作品の二二号電探が敵を捕らえたのは、ラッキーとしか言いようがない。まあ、史実でもアリューシャン作戦で霧の中で僚艦を見つけるなど成果を見せていたのだが。
霧はまだ視界を閉ざしていた。濃密で五里霧中というほどではないが、肉眼で敵艦を確認することはできなかった。
観測機からの報告が入る。敵との距離は詰まっている。今は、27キロになっている。
距離だけいえば十分な砲戦距離だ。
どうするか……
もっと距離を詰めるべきか、ここで撃つべきか。
あまり近づき過ぎれば、いくら大和でも安全距離を超えてしまう可能性がある。
「長官! 撃ちましょう! 観測機からの諸元があれば砲戦可能です」
大艦巨砲主義の信奉者である宇垣参謀長が俺に詰め寄ってきた。
「長官、行きましょう!」
黒島先任参謀も賛意を表す。
『なにを考えておるのだ! 見敵必殺! 驕敵アメリカ艦隊など海の藻屑にしてやるのだ!』
俺の脳内で女神様も叫び出した。
ここで、興奮して実体化されても困る。
『ちょっと、待って下さい。考えを整理しますから』
『とにかく撃つのだ! 撃滅するのだ!』
俺は外を見る。まだ霧は濃い。離れていった駆逐艦も見えなくなった。
この状況で砲戦できるのか……
観測機は辛うじて、敵を捕捉しているようではあるが。
大和が想定している砲戦距離は2万から3万メートルだ。
この世に存在する戦艦で、この距離からの46サンチ砲に耐えられる戦艦はおそらくない。
史実では、計画で終わったモンタナ級くらいなものではなかろうか。
この距離であるならば、敵の砲弾はバイタルパートを絶対に抜けない。
SHS(スーパーヘビーシェル)という超重量の砲弾。
その16インチ砲(40サンチ砲)でもこの距離では大和の心臓部は抜けないはずだ。
ましてや、相手は旧式戦艦群だ。
要するに、この500ミリの司令塔は安全であるということだな。
これ以上近づけば、どうなるかは分からない。しかも水平近くで砲弾が飛んでくることになるので、命中界が大きくなる。距離的には頃合いであることは確かだ。
すっと俺は深呼吸した。今まで気にしてなかったが、司令部の空気はひんやりしていた。その空気が、一気に肺に流れ込んでくる。
「目標! 敵戦艦群! 砲撃準備!」
肺の中の空気を一気に吐き出した。
俺は砲戦準備を命じた――
46サンチ砲を備えた戦艦大和。帝国海軍が技術の粋を結集して造り上げた洋上決戦兵器だ。
その荒ぶる鋼の鉄拳が、北の海で唸りを上げようとしていた。
16万馬力に迫る蒸気タービンが唸りを上げる。
アメリカをして制作不可能と言わしめた、5000馬力の水圧発動機が、2000トンを超える3連装砲塔を旋回させていく。前部の装甲厚は、650ミリになる鋼の塊だ。
戦艦という艦種が誕生し、連綿と続いた技術革新。
その進化の延長上の最先端。20世紀のテクノロジーを集結させた鋼の怪物が蠢動を始めていた。
数万トンにも及ぶ特殊装甲に身を包まれた7万トンを超える巨体。
2万メートル距離なら50センチ以上の垂直装甲板を撃ちぬく攻撃力。
今まさに敵を撲滅せんとその拳を振り上げようとしていたのであった。
この拳を防ぐ者はこの地球上には存在しない――
◇◇◇◇◇◇
「右舷2時より艦影あり! 高速接近中! 敵です! ジャップの駆逐艦です!」
電話手の報告がメリーランドの司令部に響く。
「蹴散らせ! 味方駆逐艦は?」
「すでに向かっています」
「よろしい」
「探照灯照らせ、5インチ砲で狙い撃ちにしろ!」
パイ中将は、太い首から怒声のよう命令を発していた。
メリーランドの5インチ砲が火を噴く。水平射撃だ。
毎分20発前後の弾丸が、吐きだされていく。
7隻の戦艦の近接用火器が日本の駆逐艦を捕え始めていた。
日本の駆逐艦も撃ち返してきている。
毎分10発が可能な、12.7センチ平射砲だ。
豆鉄砲のような駆逐艦の5インチ砲では、戦艦をどうにかすることはできない。しかし、牽制にはなる。また、人は自分が撃っているときは恐怖を感じないものなのだ。
薄もやの中、工芸品のような流麗な作りをみせている日本の駆逐艦が炎に包まれた。
おそらく、魚雷だ。発射管に装填されている魚雷に5インチ両用砲が直撃したのだろう。
それでも、残った駆逐艦は突撃を続けている。
「ほう、やるな…… 日本海軍。だが、やらせはせん――」
パイ長官は日本を容易ならざる敵であると認識している。
当たり前だった。この戦争が始まって半年がたつが、いまだに米海軍を含む連合国は日本を止めることができない。
もはや、日本海軍の戦闘力に関しては神話のレベルになりそうであった。
「撃ちまくれ! 近づけるな」
「アイサ―」
平射用の51口径と、38口径両用砲の2種類の5インチ砲が次々に砲弾を撃ち込んでいく。
圧倒的な鋼の暴力だった。
戦艦からの濃密な砲撃は、容易に魚雷の射点に到達させなかった。
更に、アメリカ駆逐艦も、迎撃態勢を整え、突っ込んでくる。
その時であった――
まるで、巨大な列車が通過するような轟音が響いてきた。
「なんだ、この――」
パイ長官の言葉はそこで途切れる。息を飲んだ。
まるでスローモーションのようにヌルヌルと巨大な水柱が林立していく。
赤く染まった水柱だ。
テネシーがその水柱に包まれていく。
彼とて戦艦指揮官の経歴は長い。
戦艦の着弾による水柱を見るのは初めてのことでは無かった。
しかし、それはあまりにも大きすぎた。
見えざる巨大な拳が、海面を直撃したのではないかと思わせるものであった。
ある種の超常的な自然現象ではないかという、不条理な思考が脳内浮かんだ。
いや、違う――
戦艦だ。奴ら、ここに戦艦を持ちこんできやがった。
しかもだ――
「テネシー爆沈! ジャックナイフです! 真っ二つに……」
「莫迦な!」
水柱が落下し、視界が露わとなった。
パイ中将は自分の網膜に映った光景を信じられなかった。また、この光景を一生忘れることはないと思った。
アメリカの誇る戦艦。満載時4万トンを超え、50口径という長砲身の14インチ砲(36サンチ砲)を12門備える海の巨竜(バハムート)ともいえる存在。
彼女を一撃で打ち据える存在など、この地球上を探しても存在するとは思えなかった。
しかし、これは現実だった。
4万トンの巨竜は、一瞬にして真っ二つにされていた。
衝撃のような爆発音がビリビリと伝わってくる。もはや音ではなく空気の生み出す衝撃だった。
「一体何が起きた――」
呟くように言葉をもらす。その言葉を出すのがやっとであった。
「戦艦です! 敵戦艦! 方位1時、距離15海里! 数4ないしは5! でかい! なんだあれは……」
その時、視界を遮っていた霧が徐々に薄くなってきていた。
彼は双眼鏡を手にとる。そして水平線の彼方を見つめた。彼の視界はあり得べからざる物を捕えた。
それは、巨大な何かだ。戦艦? それは異形の神が生み出した、モンスターのように思えた。
根源的な恐怖が体の芯を縛り付けるような気がした。
思わず神の名が口からこぼれ落ちそうになった。
しかし、それでも心が折れなかったのは、さすがにアメリカ海軍の将官であった。
電話手から、ひったくる様に通話機をもぎ取った。
射撃指揮所直通。
「射撃だ! 撃て! ジャップの戦艦だ」
テネシーを失い6隻となったアメリカ戦艦、そして46サンチ砲9門を搭載した大和を含む聯合艦隊の戦艦5隻。
今まさに、鋼のモンスターたちの殴り合いが開始されようとしていた。
アリューシャンの海に鋼鉄の嵐が吹き荒れようとしていた――
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