その35:鋼の嵐! アリューシャン海戦 6

 艦隊は駆逐艦を先頭に、戦艦部隊を引き連れ単縦陣で進撃していた。艦隊速度は20ノット。

 1942年時点ではかなりの高速巡航といっていい。

 とにかく、アリューシャンの天候は最悪だった。

 まるで空中に牛乳を流し込んだかのような濃霧が垂れこめている。

 おまけに、波が荒れて巨大な大和ですら大きな揺れを感じるくらいだ。


 悪天候で、索敵計画の半分もこなせない状況がずっと続いている。

 今も空母から、艦上機は飛ばせない。

 前日、悪天候の中を無理して発進して、九七式艦攻1機が未帰還になっていた。

 自分の位置が分からなくなったのだと思う。

 どのみち、この霧の中では、航空機から敵を発見するのは無理だ。

 

「空振りかな……」


 俺は広げられている海図を見ながらつぶやいた。

 敵が占守から反転し、ダッチハーバー方面に向かうとした場合、そろそろ捕捉可能なエリアに入ってきている。このまま、空振りで終わるのではないかと思言った。

 とにかく、航空機が使えない状況で敵を捕捉するのはムリゲーだった。視界もきかないのだ。


「進路を南に向けて見ては」


 黒島先任参謀が言った。先ほどまで、海図にデバイダを当てなにやら思案していた。


「何の意味があるのだ?」

「ここに至って、意味など考えても詮無いことです」

「禅問答かね、先任?」


 宇垣参謀長がと黒島先任参謀が言葉を交える。

 やっぱ、あまり仲がいいようには、見えない。

 しかし、ここで南に向かうってなんでだ?


「黒島先任、なぜ南に?」

「長官、おそらくはこのまま進んでも天候状態に悩まされるのは変わらないでしょう。南寄りに進んで航空索敵が可能な可能性を広げるべきかと」

「そちらに、敵がいる確証はないだろう」

「それを言ってしまえば、現在地点周辺も確証はないのです。長官」


 黒島先任参謀はまるで値踏みするように俺を見つめる。確かにこのまま進んでいっても空振りの可能性は高いような気がする。

 かといって南に行くというのはどうか……

 むしろ、敵にとってはこの霧は有利だと思うのだが。


「しかし、黒島先任。この霧は敵にとっても有利ではないか、無事に逃げ切るなら霧の中は絶好の隠れ蓑だ」


 俺は思考をまとめて、口に出していた。じゃあ、霧の中でどう敵艦を発見するのかと問われると困ってしまうが。

 

「おそらくは―― 米艦隊は逃げる気などないかと……」

 

 黒島先任参謀がゆっくりと口を開いた。


「敵も我々を探しています。我等を捕捉撃滅するために――」


 自信たっぷりに言い放った。高速回転する頭脳が出した結論を口に出していた。

 そこからは、黒島先任参謀の独演会だった。

 敵は空母を含む戦艦5隻の大艦隊であること。こちらのダッチハーバーの小規模な攻撃から、敵はこちらの艦隊規模が分かっていない。

 おそらく、アッツ、キスカ占領のための牽制作戦の小規模な艦隊と読んでいるのではないかということ。

 そして、航空戦力を運用するため、北より航路を取らないのではないかと主張した。

 

 正しいのかどうか、さっぱり分からん。

 ある事象に対し、それが説明できたとして、「説明=証明」ではない。

 それがいかに合理的に見え、現状を上手く説明できたとしても、正しい保証は何もなかった。


 ただ、戦場ではある意味、「説明できる」というところで決断して行動しなければいけないのも事実だ。

 俺は、黒島先任参謀の考えを支持することにした。

 

        ◇◇◇◇◇◇


 霧は薄くなってきたような気がしたが、まだ航空機が飛ばせる状況にはないように思えた。

 

 現在も艦隊は、五隻の駆逐艦を先頭に単縦陣で進んでいる。霧が濃いので艦隊運動が面倒な陣形が取れない。一列に並んだ単縦陣だった。

 大和は伊勢、日向、山城、扶桑の後を進んでいる。ずっと離れて隼鷹、龍驤の二隻の空母が続いていた。


 俺の内心には、このまま空振りで終わっても仕方ないというか、実際は「ホッとする」気持ちもあったりした。

 いくら500ミリ以上の特殊高張力鋼で囲まれた司令部といっても、戦艦同士の砲撃戦で当事者になるのは勘弁して欲しいものがあったからだ。

 俺は本土に戻ったら、聯合艦隊司令部を日吉移転することを強固に主張しようと心に決めていた。別に日吉じゃなくてもいい。ああ、大和田通信所の近くでもいいな。

 これは、俺の恐怖心とか、俺の安全を確保するためだけではない。

 

 太平洋全域に広がった作戦海域で、聯合艦隊司令部が局地作戦に出向いてしまうのは色々問題がありすぎる。

 大和にせよ、まだ完成していない武蔵にせよ、戦力として柔軟に使用したいなら、そこに司令部をおいてしまうのは問題が多い。

 

「日向より信号です―― 『方位三〇度。距離二〇海里、試作電探ニ感アリ 大規模ナ艦隊トオモワレル』です」

「なんだそれは? 何でそんなことが分かる?」


 伝令となった兵の言葉に声を上げた宇垣参謀長。

 

「電探か? 試作の電探が捕まえたのか!」


 思わず俺は叫んでいた。

 史実でも日向に搭載された二二型電探は、霧の中で伊勢を捕捉するという成果を上げた。

 これが、一転不採用となった二二型電探の採用の決め手となったんだ。


 おいおい、マジか……

 史実では信頼性の欠片もないと酷評された二二型電探の試作機が、敵艦を捕えたのか……

 あのラッパみたいなレーダーが。


「水偵を飛ばしましょう――」


 三和参謀が俺に進言してきた。


「霧はまだ濃いですが、敵を確認する必要があります」


 必死さが溢れでている。しかしだ――

 俺は外を見た。かなり視界は悪い。こんな状況で、確認できるのか?


「悪天候であるからこそ、出すべきです。長官――」


 要するに、敵と同じことをしていたら、勝負には勝てないということだろう。

 言外にそんな意味を持たせた意見具申なのは分かった。

 ただ、これ、水偵の搭乗員は無事じゃすまない可能性が高い。

 戦争なんだから、作戦で無事云々を考えるのはバカなのかもしれないが。


「この霧の中、見つけることができるのか?」

 俺はそれだけを聞いた。


「私は、見つけられると信じております。20海里であれば機位を失うこともないかと」


 他の参謀から特に異論はでなかった。俺は水偵を出すように命じた。

 言いわけめいたことかもしれないが、水偵の搭乗員回収には全力を尽くすように言い添えた。


        ◇◇◇◇◇◇


 水偵が重巡からカタパルトで射出されていく。戦艦部隊からも観測機が射出された。


 零式水上観測機。通称ゼロ観と言われる機体だ。

 複葉に、開放式の操縦席。一見すると旧式機に見える機体である。ところがどっこい、外見からは想像できない高性能機なのだ。

 最高速度は370キロ出る。でっかいフロートを抱えているが、引き込み脚の九七式艦攻と互角の速度だ。


 敵艦隊上空で弾着観測することが目的で開発された機体。

 日本海軍は完全にアメリカの航空戦力を撃滅してからの、砲撃戦が出来ないことも想定していた。

 当初は空母戦力では劣勢だったからだ。

 そのため、このゼロ観には、常識はずれの空戦性能が要求されている。技術陣はそれを実現してしまった。

 その実現のために選ばれたデザインが複葉ということなだけだ。


 このため、史実では零戦にフロートを付け水上戦闘機とした二式水上戦闘機と合わせ、戦闘機的な運用がなされていたこともあった。万能機といっていい。


 そして、艦隊は単縦陣のまま、接近を続ける。まだ増速はしない。

 なんせ、試作の電探だ。運用だって慣れていない。誤認の可能性も十分にあった。


 20海里(約36キロ)など飛行にとっては、目と鼻の先と言っていい。

 すぐに通信はあった。いたのだ。

 アメリカ戦艦部隊がそこにいたのだ。


「敵艦隊北西に向け航行中。速度14ノット、戦艦六、重巡四――」


 複数の機体から入電があった。戦艦の数にはバラつきがあったが、おそらく5から7というところだ。

 確か、この時期のアメリカが太平洋方面につぎ込める戦艦の数からしても妥当なものだ。

 戦艦の数は互角か、ややアメリカが上。おそらく戦力の中心は旧式戦艦だ。アメリカ海軍の標準となると36サンチ砲12門搭載のクラスだろう。

 ちょうど、こちらの伊勢、日向、扶桑、山城の対抗馬となるタイプだ。


「長官!」


 宇垣参謀長が俺を見つめている。俺の命令を待っているんだ。

 俺は、夢中で突撃命令を出した。突っ込むんだ。

 距離を詰める。見えなければ、攻撃もできない。

 戦争の空気に俺も当てられたのかもしれなかった。不思議と今まで感じていた恐怖がなくなっていた。

 

「アメリカ海軍…… この大和が真の恐怖を味あわせてくれるわ……」


 黄金仮面が口角を上げ笑みを浮かべていた。

 宇垣参謀長だった。彼の言葉が鋭い刃のように感じられた。

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