その34:鋼の嵐! アリューシャン海戦 5
夜中だ。
緊急事態に寝ることも出来ない。
とにかく情報だけは入ってきている。
まず、占守島が艦砲射撃を食らった。
大和を含む艦隊が反転。占守島に向かって進み始めて6時間以上経過している。
「艦砲射撃を受ク、敵戦艦ヲ含ム艦隊」
「至近弾複数アルモ、電信室死守ス」
この電文が最後になった。
これを最後に、占守島の基地は完全に沈黙した。
海軍と陸軍の基地がある北限の基地なのだが、壊滅してしまったのかもしれない。
下手すると上陸まであるんじゃないかと不安になってきた。
将棋で言えば、いきなり自陣に敵の駒が張られたようなもんだ。
それに、ソ連の動きも気になってくる。
占守はカムチャッカ半島のすぐ近く。日ソ国境の最前線だ。
歴史が変わって、1942年でソ連が参戦とかなったら、ヤバいなんてもんじゃない。
史実以上の悲惨な敗戦になりかねん。
いや、しかしこの時点で、ソ連も対日参戦するのは、リスクを感じるはずだ……
どーなんだろう。
先行きの見えない、「現在」という中に放り込まれた俺は、無為としか思えない思考をするだけだった。
まあ、ソ連のことは考えてもどうにもならんのだ。
情勢から考えて、まず可能性は低いと自分に言い聞かせ、精神の安定を図るくらしいかない。
「敵艦隊、戦艦五隻を含む大艦隊、ワレ、コレヨリ攻撃に入ル――」
敵情が入った。千歳空所属の九六式中攻だった。
「空母の次は戦艦…… 五隻ですか。アメリカは本気ですかな」
宇垣参謀長が言った。全く表情が変わらない。どんな感情でその言葉を言っているのか分からない。まさしく鉄仮面か黄金仮面だ。
しかし、この報告が誤認でなければ、戦艦の隻数では互角だ。
「中攻だけですか……」
三和作戦参謀が小さくつぶやいた。
これは、言葉の内に含まれた意味が俺にも分かる。
九六式中攻は、一式陸攻のひとつ前の主力陸上攻撃機だ。
完成した当時は、世界のトップ水準の機体だっったが、軍用機としては脆すぎた。
防御力は現在主力の一式陸攻以下の代物だ。つーか、防御と言う概念以前の機体だ。
対空砲火がしょぼいイギリスの艦隊はともかく、アメリカの艦隊相手では荷が重いのではないかと思う。
多分、三和参謀もそれを気にしているんだ。
北方を担当する美幌基地、千歳基地だけではなく、東日本各地の海軍基地が動いている。
まだ国内には100機近くの攻撃機がある。
ただ、最前線に一式陸攻を送り込まざるを得ないので、国内では九六式中攻が主力の航空隊も多い。
すでに、ラバウルでは、航空戦が始まって一月は経過している。
空母部隊は、すでにニューギニア作戦に向け動いてて、本土にはいない。
現時点ではどうにもできない。
柱島にいる長門、陸奥の40サンチ砲搭載の戦艦も動いている。しかし、最速25ノットで突き進んでも捕捉は難しいだろう。
本土に待機していた第六艦隊所属の潜水艦も動き出しているが、こっちは更に鈍足だ。
「頼りは、基地航空隊だな……」
俺はつぶやく。
帝国海軍では、主力艦(戦艦)の不足を補うため、陸攻を開発した。
この陸攻が艦隊決戦時に、敵戦艦を仕留めることを想定していたわけだ。
当時の計算ではだいたい30機で1隻を撃破するという計算だったはずだ。
ざっくり計算すると、本土の攻撃機では3隻を撃破できる計算になるが……
しかし、計算通りにいくとは思えんよなぁ……
史実では航空援護のない米戦艦相手でも苦戦している。
ヴォフォース40ミリ機銃とVT信管はまだないが、それでも対空砲火の能力はかなりな水準だ。
イギリスなんて問題にならない。
「敵の策源地がダッチハーバとすれば、我々が捕捉できる可能性もゼロではないでしょうな」
黒島先任参謀が思案気に言った。その視線は広げられた地図を見つめている。
この方面の一番有力な基地はダッチハーバーだ。
多分、戦艦はここかやってきたのだろう。ハワイは遠すぎるし、ミッドウェーは狭すぎる。
アリューシャンと千島は島伝いに繋がっている。確かに捕捉できる可能性もあるかもしれない。
「米戦艦の動向把握はどうなっていたのか?」
宇垣参謀長が言った。その声音はイライラしている感じだ。表情はそのままだが。
「米本土西海岸とハワイ近海にあったはずです――」
三和参謀が言った。
「ふん、まんまと騙されたわけか」
宇垣参謀長が吐き捨てるように言った。
「そうなると、敵空母の動向情報も疑わしいということか……」
俺は、ここで初めて口を開いた。
ああ、また長官の「恐米空母病」の発作が出たという視線が集まってくる。俺の気のせいかもしれないが。
史実以上の連戦連敗を続けているアメリカ海軍が、リスクを考えず無理押しをしているのかもしれない。
このまま敗戦が続くと、アメリカ海軍の国内での発言力はどんどん低下するだろう。
対日戦優先を唱えるアメリカ海軍の影響が下がるのは好ましいのだが、ルーズベルト大統領は海軍に近い。
海軍の威信低下は大統領にとっても好ましくないだろう。対日戦でのぼろ負けは気分の良い物じゃないだろう。
とりあえず、戦艦やら正規空母は対ドイツ戦にはあまり必要はない。
手持ちの戦力で一気に勝負をかけてきたのか……
「第一航艦には、米空母が出てくる可能性を伝えるべきだな」
とにかく、ニューギニアに向かっている南雲艦隊に警戒するように伝えるべきだろう。
俺は言った。
「現時点でその必要はないかと…… 千島に空母が来ているのですから」
黒島先任参謀が俺を見つめていった。その目は好意的に解釈しても「長官は心配し過ぎですよ」と言っているように見える。
「千島に来ている空母は、おそらく護衛空母だな」
「護衛空母?」
「ロング・アイランドか、その辺りの商船改造空母だ。確か何隻か保有しているはずだ」
「さすが、長官と言いたいですが……、その理由が小職には分かりかねます」
探るような目つきで、黒島先任参謀が俺を見た。
俺は説明を始めた。
「正規空母にしては、空襲の規模が小さすぎる。米正規空母はもっと運用可能だ」
「30機内外でそれを決めつけるのは危険では? 敵も機材、人員が苦しくなっているのかもしれません。また艦隊上空を警戒しつつの攻撃であれば、十分あり得ます」
確かに攻撃機数だけで決めつけるのは危険か。
30機という機数は、微妙な数であることは確かだ。
ただ、どうしても正規空母の攻撃というのは腑に落ちない。中途半端すぎる。
「ちなみに、隼鷹は25.5ノットを出せますが、我が海軍の他の改造空母はおよそ20ノット程度、米海軍も同程度であると考えると、侵攻作戦には使用できないのでは?」
「む……」
「しかも、我が哨戒機は空母を発見できておりません。周囲にはソ連の船団しかおりませんでした。まさか、米空母がソ連の船団に化けるわけもないでしょう」
確かに、護衛空母でノコノコここまで来るのは危険と言えば危険だ。
いくら、後年、哨戒能力に問題があると指摘される帝国海軍でも、鈍足の護衛空母を捕捉できないとかはあり得ない気がしてきた。
それに、ソ連の輸送船を空母に間違えるとも思えない。ただ、珊瑚海戦ではタンカーを空母と誤認したのだが……
「先任参謀の言うことは分かるが、南雲艦隊に警戒を促すのは問題なかろう」
「まあ、それはそうですが」
言い負かされそうになったが、一応、情報だけは伝えることになった。
空母が出てこないと決めつける方が危険だ。史実のミッドウェーと同じ轍を踏むわけにはいかない。
まあ、第一航空艦隊の参謀である源田実中佐には常に、敵空母に備えるように言ってはあったが。
ただ、正規空母は本当にどこにいるのか分からんと言う事実は変わらない。
「こっちに正規空母がいるのか……」
「そう考えて行動すべきでしょう」
やはり、出てきているのは正規空母か……
となると、むしろ危ないのは俺の方の艦隊か?
本当に五里霧中だ。
敵の動きが一切分からないというのは、本当に不安になる。
米海軍の暗号解読はできないものか……
ああ、それは今考えても仕方ないが。
しかしだ――
正規空母が1隻ならともかく、2隻以上いたら勝負にならない可能性がある。
隼鷹と龍驤が合わせて、今運用できる機体は60機くらいだ。
米空母は一番小型のレンジャーでも70機は運用可能だ。
これなら何とかなりそうだが、サラトガ、レキシントンの場合100機前後の運用もできる。
コイツらが相手だとかなりヤバい。
いかに、この時点の海軍搭乗員が優秀だとしても、2倍近い数の優位は覆らない。
「とにかく哨戒の強化だな。黒島先任参謀」
「長官―― 黎明より哨戒機の機数を予定より増やしましょう」
黒島先任参謀がうなづきながら言った。
とにかく、日本の領土を攻撃した艦隊を無傷で逃がすのは絶対にまずい。
攻撃に入った中攻隊がアメリカ戦艦にダメージを与えてくれるように、俺は祈った。
◇◇◇◇◇◇
長官私室で休憩していた俺は従兵を連れて司令部に戻った。
沈痛な空気が流れている。
「長官――中攻の攻撃は不首尾に終わりました」
三和参謀が気落ちした感じで俺に言った。
一応、2隻に1本づつの魚雷命中との報告らしい。
これが正しいとしても、戦艦はその程度で作戦行動をとれなくなったりしない。
よほど当たり所が悪くない限りは。
九六式中攻30機中、11機が未帰還となった。
損害は3割以上で、魚雷2本の命中。
夜間攻撃であることを考えると、決して悪くはないとは思う。
命中判定が正しいならばだけど。
「敵は、テネシー級、ペンシルベニア級など戦艦四隻、重巡四、軽巡二、駆逐艦一二か……」
敵情報告も当初の戦艦五隻から四隻になっていた。艦種の判定はかなり難しい。
短時間で基地が粉砕されたことから、戦艦が混じっているのは確かだろう。
占守島は、対ソ連最前線の島嶼基地だ。それなりに強固な築城がなされているはずだ。
重巡洋艦の20サンチ砲であれば、短時間で制圧されるとは思えない。
「戦艦はもっと多いかもしれませんな」
宇垣参謀長が、感情の読めない顔で言った。
確かに、彼の言うことは理解できる。
その数は五隻と言う報告だが、100パーセント正しいという保証はない。
、戦艦を重巡と誤認していれば最大九隻と言うこともあり得る。
「輸送船団は確認できず…… 艦砲射撃による遊撃戦ですか」
黒島先任参謀が掌を口に当て、思案気につぶやいた。
とりあえず、いきなりの上陸はないというのは、数少ない安心できる材料だった。
こんな本土に近く、ソ連国境近くにもなる場所で、アメリカと殴り合いなどしたら、なにがどうなるか分からん。
距離的には有利だが、ソ連の介入を招く可能性も捨てきれなくなる。
「捕捉、撃滅しかありませんな。幸い、米戦艦の速度は20ノットちょっと。我が方は25ノット以上で艦隊行動可能です」
「その速度で突っ込む気か?」
「まあ、既定の16ノットで進む必要はありませんな」
「燃料が許せばな」
亀島先任参謀の言葉に宇垣参謀長が突っ込みを入れる。
重油の無駄使いはよくない。
そんなに急いでいって、捕捉できなきゃ油の無駄だ。
「本土に近いのです。燃料は本土からオイラー(タンカー)を手配すればいいのですよ」
「簡単に言うが…… 戦艦はともかく、護衛の駆逐艦がもたぬだろう」
日本の駆逐艦は特型で5000海里の航続力をもっている。ただしこれは14ノットの航行が前提となる。
速度を上げると造波抵抗は3乗で増加する。つまり燃料の消費も増えるというわけだ。
20ノットの場合、ざっと計算すると燃料消費は3倍になる。
ギリギリか……
「20ノットであれば、なんとかなるのではないでしょうか。長官」
黒島先任参謀が俺に向き直って言った。
背に腹は変えられないか。
「先任参謀、オイラーの手配を。艦隊は20ノットに増速」
俺に命令に、黒島先任参謀がビシッと敬礼した。
このキレのある動きをみると、この人もやはり帝国海軍の軍人なのだなと俺は思った。
◇◇◇◇◇◇
「このままトウキョウまで行きますか? パイ司令」
「まあ、それは欲張り過ぎと言う物だ」
アメリカ戦艦部隊の指揮をとるウィリアム・パイ中将は自分の幕僚を横目で見つめ言った。
その顔は真面目そのものだった。
幕僚は小さく肩をすくめた。
彼は軽い冗談を本気で返してくるこの提督について、色々思うところもあったが、それほど悪い司令ではないと思っている。
なんにせよ、日本領である占守島の砲撃は成功したのだ。
委任統治領や占領地などではなく「日本領」であるという点が大きい。
後は、戦艦を無事に帰還させればいいだけだ。
「夜明け前までに、ロング・アイランドの制空圏内に戻らねばな」
パイ中将は戦艦メリーランドの司令部から冷たい北の波濤を見つめていった。
戦艦メリーランド――
16インチ(40サンチ)砲を8門搭載。現時点でのアメリカ最強の艦載砲を搭載した戦艦だった。
艦隊は14インチと16インチ砲を搭載した戦艦7隻を基幹とするものだ。
戦艦ペンシルベニア、ニューメキシコ、ミシシッピー、アイダホ、テネシーは14インチ(36サンチ砲)を搭載する。
伊勢、扶桑のカウンターパートナーともいえる存在だ。
そして、戦艦コロラド、メリーランドの姉妹は、現在世界で7隻しかない16インチ砲搭載の戦艦(長門は正確には41サンチ)であった。
日本人が「中攻」と呼ぶ双発爆撃の夜間攻撃を受けたが、実質的に被害はなかった。
アイダホに1本命中魚雷があったが、戦闘行動にも航行にも問題はない。今のところはだ。
「敵艦隊は向かってきますかね」
「来るだろうな」
すでに彼らが補給を行ったダッチハーバーが空襲を受けたという情報は入っていた。
その艦隊はすでに、ダッチハーバーの圏内を離脱しているのだろう。
攻撃は1日だけ行われ終了したようだ。
おそらくは、こちらに向かっているのではないかと思われる。
現在は、どこにいるのかは分からない。
パイ中将は、千島、アリューシャン方面の海図を見つめた。
アッツ、キスカ島に日本軍が上陸しているという。
太平洋艦隊司令部からは、この上陸を阻止するという命令は受けていない。
とにかく、すべきことは、早急にハワイに戻ることだ。
どの航路が安全なのか――
あまり南に下がりすぎれば、日本の哨戒ラインに触れる可能性があった。
やはり当初の計画通り、アリューシャン列島に沿って進み、途中で南下する航路が安全であろうと思った。
日本艦隊は空母を含むものだ。空襲の規模から主力空母ではなく、軽空母でないかと推測されている。
日本海軍は何隻かの軽空母を運用している。
こちらは、商船改造空母2隻だ。航空戦力に関しては、互角とは言い切れないものがある。
そもそも、日本艦隊の空母が軽空母である保証もない。
「改造空母でも、無いよりはましか」
いつから戦艦は飛行機を恐れねばならなくなったのか。
全く理不尽な話だとパイ中将は思った。
敵が戦艦ならば――
そう、戦艦同士の正々堂々の殴り合いならば、決して日本になど負けはしない。
祖国アメリカの生み出した鋼の姉妹たちは決して負けない。
パイ中将は、その太い指を握りこんだ。
「嵐がくるかもしれませんな――」
幕僚がつぶやくように言った。黒い波頭が巨艦を揺らす。
嵐は来る。
しかし、その嵐が鋼鉄と炸薬をぶちまける死の嵐であることを、まだこの司令部の誰一人として知ることはなかった。
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