その15:セイロン沖航空戦
「敵ラシキ物8隻ミユ 距離100海里 進路20度 速度20ノット以上 0600」
水偵からの報告だった。
「いやがったか…… 近いな……」
獰猛な笑みを浮かべる山口多聞少将。
「しかし、空母が?」
幕僚の1人が声を上げた。
「いるだろうが! 空母。こんなところをノコノコ航行している艦隊が他にあるか?」
「攻撃だ! すぐにだ! 全部沈めて来い! いいか死んでも沈めるんだ!」
「夜間発艦可能な熟練者を選抜し――」
幕僚はその言葉を最後まで言えなかった。
まさしく人殺しの目で、睨み付けらたのだ。「97式艦攻に吊るして欲しいの?」とその目が言っていた。黙るしかなかった。
「出撃可能な機体は即時出撃に決まっているだろうが! イギリスに出来て、帝国海軍に出来ないはずないだろうが!」
「単座の零戦は……」
「あぁぁ?」
別の幕僚が零戦の出撃に意見具申しようとしたが、目力で抑え込まれた。
山口多聞は、「ふんッ」と鼻を鳴らすと、地図を睨み付けた。
先ほどの雷撃機が来た方向をデバイダーで押さえつける。進行方向をチェックする。
自軍の位置、コロンボ港のとの位置関係。
現場の情報を判断をするのは将官たる自分の職責だ。
時間が重要な場合の情報としてなら、「テキラシキモノ」は上出来の報告だ。
「奴ら早々に自分たちの基地のエアカバーエリアに逃げ込むつもりだ」
彼は誰に言うともなくつぶやく。
間違いない。空母だ。
明るくなってから、搭乗員を選抜してからなどと悠長なことを言っている暇はなかった。
航空戦は時間との勝負だ。
「いいか、距離を詰める。着艦の際には出来るだけ明るくするんだ。探照灯でもなんでもガンガンつけろ」
「策敵機より入りました。『空母2隻ヲフクム』です!」
その報告をした幕僚はそのまま固まる。
山口多聞の笑顔が怖かったからだ。
帝国海軍士官をして、恐れを感じさせる笑みだった。
「よっし、沈めてこい! 奴らに航空戦のなんたるかを教えてやれ、ロイヤルネイビーにインド洋の海水をご馳走してやれ!」
人殺しの咆哮がインド洋の闇に響く。
それは、速度を上げる空母の風切音の中にやがて消えていく。
そして、飛龍と蒼龍から、接敵に備え武装していた艦戦、艦爆、艦攻が飛び立っていく。
その数は24機だった。
一機も発艦に失敗しなかったのは奇跡というべきか、それともこの時点の第2航空戦隊の練度の高さゆえだろうか。
さらに、被害を逃れた軽空母の龍驤からも続く。6機の艦攻が発艦していった。
さすがに、海軍で最も小さな飛行甲板しかもたない空母だ。蒼龍、飛龍のようなわけにはいかない。
それでも、6機の艦攻は、及第点以上だった。むしろ優秀といっていい。
そして、姉妹の仇を討つため、高速戦艦からは、吊光弾を持った水上偵察機がカタパルトから射出される。
合計30機の戦爆連合だった。
1942年時点では最強のコンビ。
言わずもがなの世界最強艦上戦闘機である零式艦上戦闘機。
そして、250キロ爆弾を抱え込んだ99式艦上爆撃機。世界最高水準の精密急降下爆撃を行える。
航空魚雷を吊るした97式艦上攻撃機が行く。空のハードパンチャーだ。高性能炸薬200キロ以上の魚雷を叩きこむための機体だ。
まだ暗いインド洋の空を日の丸の翼が征く。
1942年時点で最高の技能持った搭乗員に操られた、高性能兵器の群れであった。
まだ日本国内には江戸時代を生きた人間がいるのだ。
日本人は、それだけの世代で世界最高水準どころか、世界でも例のないレベルの対艦攻撃システムを構築していた。
「帰りは誘導電波をバンバン流してやれ。かまわない。いいか、チンドン屋になったつもりでやれ――」
山口多聞は暗い空に飛び立つ、戦爆連合を見つめて言った。
先ほどまでの殺気は消えていた。静かな口調だった。
◇◇◇◇◇◇
「赤城、金剛被雷、大破です」
その報告で、柱島の聯合艦隊司令部はお通夜のようになっていた。
戦艦大和の中。シンピカの司令室の空気が完全に凍っていた。
どーすんだよ? これ。
セーブボタンとリセットボタンがあれば、俺は迷わず押していた。
リセットボタンを。
「被害状況の詳細を確認しろ! 状況は! なにが起きた?」
黒島先任参謀が叫ぶ。
宇垣参謀長は、表情が鉄のようになっていた。いや、それは元々か……
つーか、完全に無表情。もう、日記のネタを考えているのかもしない。
俺は腕を組んで黙って目をつぶることにした。
腕が細かくプルプル震える。力を込めて抑え込む。
沈んじゃうのか……
ここで正規空母の赤城が沈むのは痛いなどというものではない。
通信が入ってくるにつれ、状況が分かってきた。
どうも、イギリスの機動部隊にアンブッシュ喰らったみたいだった。
なんか、もう史実食い違っているんだけど……
なぜだ?
なにが悪かったんだ?
あ、加賀か……
加賀の座礁なのか……
俺は加賀の座礁を織り込み済みと考えていた。
だから、加賀の復帰は無理と即判断して、俺は、残りの空母に即時作戦続行を命じた。
加賀はすぐにシンガポール経由で帰還させるようにした。
史実はどうなんだ?
ただ、俺はセイロン空襲の正確な日付は知らなかった。
俺はゆっくり眼を開けて、カレンダーを確認した。
今日は……4月1日だった。
おいおい、その通信、エイプリルフールとかじゃないよな。
しかしだ――
本当にこの日だったのか?
セイロン空襲は、史実ではいつだったんだ。
今、俺の頭の中はある疑念が浮かんでいる。
加賀の座礁によって生じる作戦遅延の時間が、殆ど無かったのではないかということだ。
これが史実との違いを生み出したのではないかと思った。
普通、5隻の空母があってだね。1隻は軽空母だ。
その中の最大の搭載機を持っている空母が座礁したとする。
これは、作戦遂行にえらい影響を与えるな……
まず、その空母が作戦復帰できるかどうかを検討する。
数日の簡単な修復作業で復帰できるとする場合、作戦の遅延がどう影響するかを検討する。
もしかしたら、作戦行動できるかもしれないとか、いや、やっぱり無理だとか、じゃあ残りの戦力でどうするかとか――
要するに、作戦を検討するための時間とか、作戦再調整の時間が絶対に生じるはずだ。
まるで、座礁するということが分かっていたかのように、その後の作戦行動について即座に判断して調整できるか?
史実ではできなかったんだ……
それを、俺は即時判断してしまったんだ。
俺は作戦日程をずらさないように動いた。
決められたことを守るべきだと思っていた。そっちの方がイレギュラーが少ないと思っていた。
聯合艦隊は、作戦日程をきっちり守って、ケツカッチンで動くという認識があった。
だって、戦史叢書の「ミッドウェー作戦」にはそのことが負けた言い訳としていっぱい書いてあったし。
上陸作戦の日程が決まっているので、機動部隊の作戦が窮屈だったという話だが。
その情報だけが、頭にこびりついていた。
常にそうじゃないんだな……
ああ、あれは月齢だ。新月の時期を選択したから、時間がケツカッチンだったんだ。確かそうだった。
今回は、上陸作戦はない。航空攻撃だけだ。だから、その辺りは柔軟だったんだ。
手遅れの情報が俺の頭の中で掘り起こされた。
「赤城と金剛は航行可能です。シンガポールへの帰投は可能でしょう」
黒島先任参謀が言った。
「飛龍、蒼龍、龍驤は無事です」
その言葉で、司令部内に「まだやれる」「ここからが本番だ」とか言う声が漏れ出てきた。
鎮痛だった空気が少し変わった。
黒島先任参謀は、外野の声を無視して言葉を続ける。
「今は、第2航空戦隊の山口少将が指揮をとっています。勝負はこれからです。英機動部隊撃滅のチャンスです」
力のこもった声で黒島参謀が言った。
メンタル強いな。
まあ、沈没を逃れたということは少しはホッとした。
だけど、山口多聞が指揮しているの?
いいの?
いや、有能なのは知っているけどね。
勇猛果敢だよ。
みんな有能だって言ってる。
おそらく、それは正しいのだろう。
ただ、自分たちの被害を顧みず、敵に一太刀浴びせるような戦い方をするイメージが強いんだけど。
ミッドウェーの最期の奮戦など、骨を断たせて肉を断つというような戦いだったんだけど。
俺、戦史叢書とか、ミッドウェー関係の本は色々読んだ。
どの本も山口多聞の勇猛果敢さを保証している。同時にその戦い方の印象も同じだ。
勇戦して、敵をボロボロにするのはかなり可能性高い。
でもって、水漬く屍(みずくしかばね)を量産するんじゃないか?
敵、味方の両方のだ。
俺の頭の中に「海ゆかば」がエンドレスで流れ出す。
ここは、撤退するんだ。残った空母の安全を第一に考えるべきだ。
「山口少将に……」
しかし、俺の口の動きが止まった。本当にそれでいいのか?
下手なこと言うと、山本聯合艦隊司令長官、つまり俺の求心力が落ちていくんじゃないのか。
つまり、影響力も落ちて、組織へ影響を行使することが今以上に困難になる可能性がある。
どうなんだ?
このままの歴史ルートでいくと、どこかで士気を鼓舞するために、前線行きで、戦死ルートじゃね?
撤退は撤退で、ろくでもない未来につながりそうな気がしてきた。
俺は優柔不断過ぎた。
「山口少将になんでしょうか?」
宇垣参謀長が俺の言葉尻に食いついてきた。
黙ってくれ、鉄仮面様。日記のネタでも考えていてくれ独りで。
考えさせろ。頼むから。
「作戦中――」
すげぇ目で俺を睨む宇垣参謀長と亀島先任参謀。
現代人で無職ニートの精神力しかない俺にこの二人のダブル視線は耐えられなかった。
黒島参謀は体臭まで強くなった気がした。アゲハチョウの幼虫か?
「―-止は無いと伝えろ……」
心臓がバクバクいっている。
ダメだ。この状態で、作戦中止とか言えないわ。
言える空気じゃなくなった。
(神様……)
『なんなのだ! なにを祈願するのだ!』
女神様が反応した。
俺は日本人的な概念としての神に祈る事すらできなかった。
『アナタじゃないです! もっと、こう一般的な「神」という存在にお願いしたんですよ!』
『なんだそれは! この程度で神仏にすがるとは貴様、精神が惰弱なのだ』
自分の存在をないがしろにする女神の言葉が俺の脳内で反響した。
◇◇◇◇◇◇
「フォーミタブル総員退艦……」
「そうか」
当時の日米の空母に比較し、搭載機の数で劣る英空母であったが、頑強さでは一番であったかもしれない。
それでも、4本の魚雷はこの規模の空母の被害限界を超えていた。
奴らは手練れだった。
キャベツ野郎(ドイツ)どもより手ごわいんじゃないか……
イギリス東洋艦隊司令長官のジェームズ・ソマーヴィル提督は思った。
マレー海戦の戦訓もある。インペリアルネイビーを甘くみたわけじゃない。
だだ、どこか東洋人に対する侮りの心があったのかもしれない。
くそ――
その結果がこれだ。
やはり奴らは、東郷の孫たちだ。恐るべき敵だ。
日本海軍の夜間航空攻撃で、東洋艦隊の高速打撃部隊は大被害を受けた。
「インドミタブルは、アッズまで曳航できるか?」
「可能です。いえ、可能にしてみせます」
その言葉に静かにうなづくソマーヴィル提督。
2隻の空母は完全に兵器としての機能を失っていた。
おそらく、その内の一隻は永遠に戻ってこないだろう。
彼はそれでも、姿勢を崩さない。部下の前では不屈の指揮官を演じることができる男だった。
彼は火のついてないパイプを口に咥えた。
黎明から開始したセイロン島からの航空攻撃は敵の撃滅に失敗している。
ただ、セイロン島のコロンボへの空襲は今のところない。
敵のセイロン島侵攻作戦は防いだのではないかと考えた。
イギリス側は、日本軍がセイロン島占領を狙っていると考えていたのだ。
それは過大評価であり作戦の読み違いであったが、それをもってソマーヴィルを責めることはできなかった。
「やはり、夜間攻撃しかなかったな」
「確かに空母2隻を仕留めましたから」
夜間の戦果確認だ。
その後の航空戦の推移から考え、空母2隻は過大に過ぎる判断ではないかと考えた。
話半分か……
部下たちの頑張りを言葉で否定する気はなかったが、戦果の分析はそれとは別次元の話だ。
とにかく敵は、撤退しつつある。
セイロン島防衛に今回は成功した。
戦術的には互角、戦略的には勝利したといってもいい。
しかしだ――
昼間に正々堂々と決戦を挑んだらどうなっていたのか?
寒気のする想像だった。
奴らが再び、インド洋の支配を狙ってきたら、自分たちにそれを防ぐ手はあるのか?
「奴らは強い――」
ソマーヴィルは小さくその言葉を口の中で転がした。
インド洋の海原はどこまでも、濃い色彩を放っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます